履 歴 稿 紫 影子
北海道似湾編
カケス 7の2
そうした保君は、間もなく駈け戻って来たが、その右の手には嘗て私が見たことの無い刃物を持って居た、その刃物は刃部の部分だけがピカピカ光って居て、母が野菜を刻む時に使う包丁に似た形の物であったが、どっしりと重量感のある刃物(後日それが鉈と言う刃物であると言うことを知ったのだが、その時には判らなかった)を持って居た。
その保君は、早速跳釣瓶の井戸の傍にある雑木の茂みの中へ飛び込んで手頃な木を二本切って来た。
「オイ、お前その木で何を作るんよ。」と私が言うことには答えないで、保君はその鉈を振って切って来た木を削って居たが、やがて二本の木刀が出来あがった。
「オイ、出来たぞ。これであのヨモギを全部二人で叩き切るんだ。」と言って、保君は私にその木刀を一本私に手渡した。
私と保君がその木刀で枯ヨムギを縦横十文字と、「エイツ、ヤツ」と言う気合をかけて、盛んに薙ぎ倒して居ると、そうした二人の激しい気合を聞いたからであろうが、ヒョッコリと兄が出て来て、「オイ、二人共面白そうだなあ、一つ俺にもやらせろ」と言って、保君の木刀を借りた。
「ウム、こりゃ面白いぞ。」と言って、夢中になって跳廻っている間に、保君が更に一本の木刀を作って来たので、それからは三人が揃って、思い思いに「エイッ、ヤッ」と言う気合をかけてその枯ヨムギのある所を跳廻って、アッと言う間に全部の枯ヨムギを薙ぎ倒してしまった。
私の母は千変万化と言った状態で、縦横無尽と跳廻って居る様子を、それまで「ハハハハ」と笑いながら傍観をして居たのだが、私達がその全部を薙ぎ倒してしまうと、「これを全部適当に縄で縛って、物置へ積んでおくれ。」と言って、引越荷物に使ってあった縄を持って来た。
私達は、その縄で母も混えた四人がかりで適当の丸さに束ねて、それを私達少年三人の手で、物置へ運んだのであったが、その枯ヨムギの焚付けは、翌年の春まで母を喜ばしたものであった。