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履 歴 稿 北海道似湾編  吹雪 10の4

2024-11-13 22:04:57 | 履歴稿
IMGR083-02
 
履歴稿  紫 影子
 
北海道似湾編
 吹雪 10の4
 
 そうした私の様子に兄は、「駄目か。」と言って首を項垂てしまった。
 
 それはその瞬間のことであったが、「よし、欠席しよう。」と決心がついたので、「兄さん、手伝うよ。一緒に行くよ。」と言った私の声に顔をあげた兄が、「ウン、手伝ってくれるか、すまんが頼む。」と言った時の表情は、とても明るかった。
 
 私が市街地の函を開けて帰るまでに、兄が郵便物の配達区分をして家で待って居ることに打合せをして私は、例の大きな鞄を肩にかけて市街地へ急いだ。
 
 学校の欠席は、母に届けて貰うことにして、私は下駄を編上げ靴に履きかえた。
そして兄が書簡の這入った鞄を、私が三個の小包を綿糸で綯った紅白の紐で背負って出発をした。
 
 
 
IMGR083-03
 
 似湾村の部分は、人家が五十戸足らずであったが、遠近に点在して居るので、配達を終るのに約一時間程かかった。
 
 似湾村の配達を終った私達は、村境に在った渡船場から、鵡川川の対岸に在る生べつ村のキキンニと言う部落へ渡った。
 
 キキンニと言う所は、鵡川川へ合流して居る小沢の流域を耕作して居る農家が、僅か五、六軒と言う小さな部落であったが、「此処はなぁ、全戸で新聞を取って居るから、毎日配達する郵便物があるんだ。」と兄が言ったのだが、新聞が配送されて居るとすれば、当然そう言うことだろうなあと私は思った。
 
 キキンニ部落の配達を終ると、次はクウナイと言う部落であったが、このクウナイと言う所は、現在旭岡と呼んで三十戸程の人家と国鉄の駅も在るのであるが、未だ鉄道が施設されて居なかった当時は、僅か四、五軒の農家が点在して居たに過ぎない、淋しい部落であった。
 
 
 
IMGR083-04
 
 キキンニからクワナイへの道程は、約三粁程あったが、その突端が鵡川川の川岸まで延びて居る一つの峯を超えなければならなかった。
 
 当時は、輸送が不便であった関係か、付近の山々も、そしてこの峯にも、斧釿の這入らない原始林であった。
 また、私達が超えた峯の道も、人工で開さくしたものでは無くて、往時蝦夷鹿の群が季節的に移動をした時の通路が、自然に路を形造ったと言う幅が三十糎程の小路に、笹や雑草が覆いかぶさって居るのを、膝や腰で押分けて歩くと言う状態であった。
 
 私達がその峯を超えたのは十時を少々過ぎた時刻であったのだが、秋晴れの日射も、老樹の枝葉に阻まれて、丁度黄昏時の明るさにしかなかった。
 
 
 
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