備 忘 録"

 何年か前の新聞記事 070110 など

履歴稿 北海道似湾編  カケス 7の3

2024-10-19 15:44:51 | 履歴稿
IMGR074-15
 
履 歴 稿  紫 影子
 
北海道似湾編
 カケス 7の3
 
 カケスと言う鳥は、香川県にも居たかも知れないが、北海道へ移住をするまで、その名さえ知らなかった私であった。
従って、私は似湾へ来て始めてその鳥の名を知って、その鳥の姿を見たものであった。
 
 その日も私は保君と跳釣瓶の井戸の傍で相撲を取って遊んで居たのであったが、その時刻的には太陽が正に西の山に沈まんとする頃のことであったが、綺麗な羽をした鳥が五、六話羽の群れとなって、ギャアギャアと鳴きながら、南の方向から飛んで来たのだが、その鳥の大きさは鳩程の大きさでしかなかったが、嘗て私が見たことの無い鳥であった。
 
 その私には珍しい鳥が、跳釣瓶の井戸の傍に在る雑木の茂みの中で、只一本亭亭と天を摩して居た桂の大木の枝に止まった。
 
 
 
IMGR074-17
 
 そうした鳥の様子を見た私は、「保君、一寸待てよ。」と、保君との相撲の遊びを止めて、「保君、あの鳥綺麗だなあ。」と言って、見とれて居ると、「なんだ、カケスじゃないか。」と簡単に言い捨ててから、「お前あの鳥欲しいのか。」と保君が言ったので、「うん、欲しいなあ、俺この鳥見るの今日始めてなんだ。一羽飼って見たいなあ。」と言う私に、「そうか、よし俺が一羽捕てやる、明日まで待っとれ。」と言って、保君は、その日も自分の家から鉈を持って来た。
 
 そうした保君は、「オイ、あの桂の木の下へ罠を作るんだ。そうすると明日は屹度カケスが捕れるぞ。」と言って、その桂の木の下の雑木の茂みから、枝がY字になって居て、根元が4糎程の大きさの木を1米程の長さに揃えて二本切って来た、そしてそのY形の上部を十五糎程に揃えた。
 
 そうした保君は、更に附近から中指程の太さの萩の木を、矢張一米程の長さに揃えて二本切って来た。
 
 「オイ、これで準備は出来たんだ。あとは明日学校から帰ってからまた作ることにするべ。」と保君が言った時に、丁度夕食の時刻であったので、彼の家の表から、「保、ご飯だよ」と呼ぶ母親の声に、「さよなら」と言って、保君は帰って行った。
 
 
 
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履歴稿 北海道似湾編  カケス 7の2

2024-10-19 15:42:18 | 履歴稿
IMGR074-10
 
履 歴 稿  紫 影子
 
北海道似湾編
 カケス 7の2
 
 そうした保君は、間もなく駈け戻って来たが、その右の手には嘗て私が見たことの無い刃物を持って居た、その刃物は刃部の部分だけがピカピカ光って居て、母が野菜を刻む時に使う包丁に似た形の物であったが、どっしりと重量感のある刃物(後日それが鉈と言う刃物であると言うことを知ったのだが、その時には判らなかった)を持って居た。
 
その保君は、早速跳釣瓶の井戸の傍にある雑木の茂みの中へ飛び込んで手頃な木を二本切って来た。
 
「オイ、お前その木で何を作るんよ。」と私が言うことには答えないで、保君はその鉈を振って切って来た木を削って居たが、やがて二本の木刀が出来あがった。
 
「オイ、出来たぞ。これであのヨモギを全部二人で叩き切るんだ。」と言って、保君は私にその木刀を一本私に手渡した。
 
 私と保君がその木刀で枯ヨムギを縦横十文字と、「エイツ、ヤツ」と言う気合をかけて、盛んに薙ぎ倒して居ると、そうした二人の激しい気合を聞いたからであろうが、ヒョッコリと兄が出て来て、「オイ、二人共面白そうだなあ、一つ俺にもやらせろ」と言って、保君の木刀を借りた。
 
 
 
IMGR074-11
 
 「ウム、こりゃ面白いぞ。」と言って、夢中になって跳廻っている間に、保君が更に一本の木刀を作って来たので、それからは三人が揃って、思い思いに「エイッ、ヤッ」と言う気合をかけてその枯ヨムギのある所を跳廻って、アッと言う間に全部の枯ヨムギを薙ぎ倒してしまった。
 
 私の母は千変万化と言った状態で、縦横無尽と跳廻って居る様子を、それまで「ハハハハ」と笑いながら傍観をして居たのだが、私達がその全部を薙ぎ倒してしまうと、「これを全部適当に縄で縛って、物置へ積んでおくれ。」と言って、引越荷物に使ってあった縄を持って来た。
 
 私達は、その縄で母も混えた四人がかりで適当の丸さに束ねて、それを私達少年三人の手で、物置へ運んだのであったが、その枯ヨムギの焚付けは、翌年の春まで母を喜ばしたものであった。
 
 

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履歴稿 北海道似湾編  カケス 7の1

2024-10-19 15:38:30 | 履歴稿
IMGR074-04
 
履 歴 稿  紫 影子
 
北海道似湾編
 カケス 7の1
 
 多盛老人の末子であった保君は、私と同年輩ではあったが、学校では早生れの私より一級遅れて居た。
 
 私の家の附近には、向いに多盛老人の家が一軒きりと言った関係が多分にあったが、学校から帰ると保君と私は、いつも仲良く遊んだものであった。
 
 私の家の裏に一度は開墾をしたことがあるらしい二段歩程の空地があったが、其処には一米程の背丈でヨムギの枯立が密生して居た。
 
 
 
IMGR074-05
 
 それは、私達が引越て来てから一週間程経過をした或る日の午后のことであったが、保君と私が、石蹴と言う競技的な遊びをして居た時に、私の名を裏の物置から母の声が呼んだので、「保君、一寸待ってくれ」と、タイムを要求して私が物置へ駈けつけると、「焚付けが無くなったから、裏の枯れたヨムギを折って来ておくれ」と、母が言いつけたので、「よっしゃ」と、裏へ行って枯れたヨムギを一本一本ポキンポキンと折って居ると、傍へ寄って来た保君が、「そのヨムギどうするのよ」と、聞いたので、「うん、これお母さんが焚付けにするのよ。」と私は答えた。
 すると「よし、それならば俺も手伝ってやる」と言って保君は、私と少々離れた所でそのヨムギを手折り始めた。
 
 
 
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 私が五十本程手折ったヨムギを、「これだけあれば良いかい」と言って、母へ差出すと、その枯ヨムギを私の手から受取った母が、「毎日使うんだから、もっと沢山取って欲しいわ。」と言って居る所へ、私の三倍以上の量を抱きかかえて来た保君が、「おばさん、焚付けにするのなら、雁皮と言ってとても良い木の皮があるよ、だけどおばさんが、この枯ヨムギで良いと言うのなら、俺、此処の奴全部取ってやるよ。」と言ってから、「俺うまいことを考えたんだ、今作ってくるから一寸待っとれよ。」と、その一抱えの枯ヨムギを母の前へ投げ出して自分の家へ走って行った。
 
 
 
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履歴稿 北海道似湾編  椎茸狩り2の2

2024-10-17 21:04:52 | 履歴稿
IMGR074-03
 
履 歴 稿  紫 影子
 
北海道似湾編
 椎茸狩り2の2
 
 椎茸が沢山あるのは、主として此の急斜面であったが、其処には楢の木の風倒木と、地方の人達が薪を伐り出した残骸の捨木に芳香を放って黄褐色の椎茸が、無数に生えて居た。
 嬉嬉として生徒達が、楢の木の倒木から倒木へと椎茸を探し歩いて居るうちに、時は移って中春の陽が稍西へ傾きかけた頃、「皆集まれ」と、大声で叫んだ校長先生の集合の号令がかけられると、其処此処の熊笹を掻分けて全校生が集って来た。
 
 その時の私は、三十程しか取れなかったのだが、その三十程の椎茸を、「私は馴れない者だから、これだけしか取れなかった」と言って、校長先生に見せたのだが、その時の校長先生は、「お前はこんなこと始めてだから面白かっただろう。それでも随分取れたじゃないか、それだけ取れれば大成功だぞ、家へ帰ってからお母さんに見せたら、お母さん喜こぶぞ。」と言って朗かそうに、呵呵と笑って居たが、其処此処の熊笹を掻分けて、次次と校長先生の前へ集る生徒達が、それぞれ手頃の笹に十二、三個の椎茸を突刺して、多い者は十本以上を、そして少ない者でも七、八本をぶらさげて居たのには、「矢張り北海道の子供達は、俺等とは大分違うな。」と、大いに驚かされた私であった。
 
 
 
IMGR074-04
 
 併し、その時の私は、嘗てそれまでこうした原始その儘の容姿をした山へ登ったことも無ければ、椎茸と言う物を見たことも無かった私であったから、それが三十個程の収獲であっても得得として居た者であった。
 
 やがて私達生徒は、”青葉茂れる桜井の”と、南北朝時代の忠臣としてその名を称えられて居る楠公父子の袂別を歌った歌を、校長先生の声に合わせて、合唱しながら山を降ったのであった。
 山を降る時も、登る時と同じように、老樹の枝に小鳥の群が囀って居たが、二、三の老樹に栗鼠が枝から枝へ飛び跳ねる光景や、後足で立った前足で、きょとんとした恰好でお出お出をして居るように見えたのが、私にはとても珍しかった。
 私は、似湾と言う所に三年八ヶ月という歳月を過したのであったが、少年の時代であった私は、春秋の二期には必ずその山へ椎茸を取りに行った者であったが、次回からは二百個程の数ならば私にも容易に取れたものであった。
 


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履歴稿 北海道似湾編  椎茸狩り 2の1

2024-10-17 21:02:32 | 履歴稿
IMGR074-02
 
履 歴 稿  紫 影子
 
北海道似湾編
 椎茸狩り 2の1
 
 その日は、私が似湾の学校へ転校してから、あまり日数がたって居なかったと思っているが、全校の生徒が校長先生の引率で、その山裾が校庭の木柵まで延びて居る裏山へ、椎茸狩りに行ったことがあった。
 学校の周囲は、校門の両側から校庭と校舎を、清水の湧く裏の小沢の方面を除いた三方へ、高さが一米程あった木柵を巡らして在って、その南側は私の家から四十米程離れた所を東方へ直線に延びて居て、其処から校舎に併設されて居る校長住宅の横を台地の北端まで九十度の直角に曲って、直線に施設されて在った。
 
 
 
IMGR074-10
 
 私達生徒が、校長先生の引率で椎茸狩に行った裏山へは、校長住宅の玄関前を通って東に突当った所の木柵に、三尺の木戸があって、地方の人達が薪を搬出する通路になって居る所から登るのであったが、その木戸を出た所からは、道幅が狭い小路の両側が雑木の生い茂った原始林の緩い傾斜が三十米程続いて居て、其処からは幾度か曲って登る急斜面になって居た。
 山頂への路は、地方人達が薪を背負って搬出するために施設した小路であったから、路傍に生い茂る老木の根が所所に露出をして居たので、話に夢中になって足許に油断をすると、その露出した根に躓いて転倒する者もあったが、その老樹には、早春の陽を浴びて、私にはその名も知れぬ小鳥の群が、芽ぶくれた枝から枝へ囀づつていた。
 やがて、私達は山頂へ登り着いたのだが、峯の平坦な所は二十米程であって、其処からは東側に在った谷間へ降る急斜面になって居た。



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