履 歴 稿 紫 影子
香川県編
土器川 5の5
イナと言う魚は、大体海に棲む魚だと私は父に教わって居たのだが、この二番凪と言う所が海に近かった関係で満潮時には海水が逆に這入て来て居た。
したがって凪の水は若干塩辛くなって居た。
そうした満潮時の海水に乗ったイナが、二番凪まで泳いで来ては、石垣の隙間に這入ったものであったらしいと、私は思って居る。
少年の私達には、そうした海水の干満と言うことには、あまり関心が無かったので、その干潮と言う潮の時刻は判って居なかったのだが、いつものように海水に乗って来たイナが石垣の隙間へ這入ろうとして、その石垣の近くで、盛んに飛び跳ねるのを見ては、”ハッ、今が満潮時か”と私達少年は知ったものであった。
そんなことは、その日が始めであって、また終わりでもあったのだが、とても愉快なことが一度あったが、それは或る日の満潮時のことであった。
それが逆流をして来たその日の海水の関係であったものか、それとも石垣の近くを泳ぐ少年達の数が、あまりにも多かった関係であったのかも知れなかったが、イナの群来が石垣の方へは行かないで、反対側の岸へ集まって来たので、大騒ぎをしたことがあった。
それは、私が脱いだ着物を岸辺の砂上へ置いて、「サァ、這入って泳ごうか」と、水際に立った時のことであったのだが、その水際の浅瀬に背を半分以上も水面へ出した魚の群が、ギコチ無い格好でピチャピチャと泳いで居るのを発見したので、「何だ、この魚は」と、早速手近の一尾を手摑にして見ると、それが、その大きさが20糎程のイナであった。
「こりゃ、うまい物見付けたぞ」と宇頂天に喜んだ私は夢中になって次次と摑んでは、岸辺の砂上へ投げ上げた。
その時岸辺には私以外の誰も居なかったので、一人ではどうにもならないと思った私は、10尾程を岸辺の砂上へ投げ上げると、両手に摑んだイナを頭上に振りかざして大声で、泳ぎに夢中になって居た兄を呼んだ。
すると、私の声に振向いて、それと気付いた他の連中も兄共共に浅瀬に集まって来た。
「オイ、沢山居るんだから逃げられんうちに、皆で早く摑んで岸へ投上げるんだ。そうして、あとで平均に分配をするんだ」と誰かが言うと、集まって居た一同が、「それっ」とばかりに摑んでは、我れ勝に岸へ投上げた。
石垣で捕る時には蟹に手を俠まれたり、鰻に指を嚙まれたりして、2、3尾程度しか捕れなかったのだが、その日は皆が十尾以上のイナを持って帰る事が出来た。