備 忘 録"

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履歴稿 北海道似湾編  似湾村の新居 5の5

2024-10-15 21:01:19 | 履歴稿
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履 歴 稿  紫 影子
 
北海道似湾編
 似湾村の新居 5の5
 
 その当時の私は、生べつと言う所がどれ程の距離に在るのかと言うことは、全然意識して居なかったものであったが、村境の峠も越えて、凸凹の多い密林の道を、生べつへ、生べつへと、ひたすらに足を急がせたのであった。
 
 そうした私が、中杵臼の部落に近づいた時に、それを熊の襲撃を避けるための物だと言って居たが、首から下げた鈴の輪を、チャリン、チャリンと鳴らしながら 数頭の駄馬が、荷鞍の両側に私達の引越荷物を緊縛してその鞍上の主人に馭されながら、似湾へ向って進んで来た。
 
 
 
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 私は、この駄馬の群を路傍に避けて、その数を数えたのであったが、その頭数は7頭であった。
 
 「私達の引越荷物が来た。」と、小躍した私は、其処から引返してその駄馬の後を追ったのだが、少年の私には、パカパカと駆足で 進んで行く駄馬の列には、とても追っては行けなかった。
 
 息せき切った私が、新居から五百米程の所まで帰った時に、荷物を卸し終って生べつへ帰るこの駄馬の列に逢った。
 
 私が、新居へ帰り着いた時には荷物が一応整理されて居て、多盛老人から教わって作った十八立入の石油空缶を適当に切った即製ヘツツイで母が昼食の準備中であった。
 
 新居に移った翌日、母の指図に従って、兄と二人で私は終日住宅内外の清掃と小修理をしたのであったが、香川県時代に住まった家には、硝子戸と言う物は一枚も無かったのだが、この新居住宅は、玄関の入口も、窓も、その一切が硝子入であったのが、私には珍しかった。
 
 
 
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 私は、この日始めて硝子拭きを経験したのであったが、とてもその作業が辛いものに思えた。
 
 硝子拭きを終った私達兄弟は、それまで 嘗て見たことのない跳釣瓶と言う原始的な井戸の修理を母に言いつかったのだが、井戸の枠は未だ腐朽しては居なかった、併し、井戸の右側に設けて在った流場はその儘では到底使用に堪えないまでに朽ちて居たので、引越荷物の容器として用済になった、莨の空箱を利用して応急の修理をした。
 
 新居の寝室は、奥の八畳間であって、全員の家族がその部屋に寝るのであったから、お互いに窺屈ではあったが、「私は、既に北海道で成功をして居る。」と、嘗ての丸亀時代に、第三の家で父に豪語をした由佐校長が、校舎に併設された六畳間二室の住宅に、五人の家族が起居をして居たのと比較して、狭い家でこそはあったが、門柱の在る一戸建のこの家に生活をする、私達の明日が明るいような気がした。
 
 

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履歴稿 北海道似湾編  似湾村の新居 5の4

2024-10-15 20:58:28 | 履歴稿
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履 歴 稿  紫 影子
 
北海道似湾編
 似湾村の新居 5の4
 
 そうした多盛老人は、更に次の言葉を私の父へ「あんたが今頃北海道へ来て、簡単に成功をしようと思ったならば、それは大間違いだ、と言うことは一寸時期が遅過ぎたと私は思うんだが、と言って、絶対不可能とは言い切れない。
だから、往時私がやったことと、当然その方法は同じでは無いのだが、精神的には矢張り不焼不屈で無ければならない。
そして、どんな時でも『どんとこい』と言うきもったまで打突かって行く執念が必要ですよ。」と、忠告をして、部屋を出て行ったが、遂に成功者としての列に加わることを許されなかった私達としては、その反省をする都度、正に冷汗三斗の思いがする、現実の私である。
 
 
 
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 多盛老人の旅館で一泊をした翌朝、宿の朝食が終ると、「さあ、表へ行ってこよう」と、独言を言って私は旅館の表へ出た。
 その日は空は良く 晴て旅館の前から二百米程隔てた山の端から五米程の所まで昇って居た太陽が紺碧の空から和らかい春の光を大地に浴びせて居た。
 郷里の香川県では桜花の満開季と言うに、北海道の四月は袷の着物に羽織を重ねた装いでは未だ肌寒かった。
 
 旅館の表に立った私は、四辺をずっと見廻したのだが、人家と言う物が全く疎であって、 旅館の附近には向いに私達の新居となる家が只一軒あるきりであった。
 
 
 
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 旅館の部屋を出る時には、只単に「よし、表へ行こう。」と言う以外には、何の目的も無かった私であったが、不図、私達の引越荷物が今日この似湾へ着くと言うことを思出したので、「よし、これから引越荷物を迎えに行って来よう。」という気になって、私は生べつの方向へ歩き出したのであった。
 
 私のこうした行動には、何故と言う程の深い意味は無かったので あったが、丸亀を出発してから、自分達の住む家が無いと言うことを淋しく思って居た私であったので、”引越荷物が来たならば、自分達の家に住める”と言った感懐がそうさせたものであった。
 
 
 
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履歴稿 北海道似湾編  似湾村の新居 5の3

2024-10-15 20:55:41 | 履歴稿
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履 歴 稿  紫 影子
 
北海道似湾編
 似湾村の新居 5の3
 
 私達の引越荷物は、丸亀駅から沼ノ端駅までが鉄道輸送、そして沼ノ端・生べつ間を荷馬車で継送される手順になって居たのだが、鉄道輸送は、貨物が人よりも可成り日数を要したので、私達が明日は似湾へ出発をすると言う日暮時に、漸く生べつ小学校に到着したのであった。
 
 その当時の生べつ・ 似湾間は、悪路とその村界にある峠のために、荷馬車による荷物の搬送には、相当困難なものがあった。 
したがって、私達の引越荷物は馬の背を借りる駄馬搬送をすることになったので、人馬を雇う都合もあって、私達よりも1日遅れることになった。
 
 
 
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 引越荷物が1日遅れるので、私達は似湾の第一夜を、多盛老人の旅館に宿泊することになった。
 
 多盛老人の家は、平屋の木造建築であったが、可成り大きい構えの家であった。
 
 当時の私は、その建坪が何坪あるか等と言うことには、未だ無頓着な時代であったから、そうしたことは 全然判って居ないのだが、店の間口が六間程であって、奥へは四間程あったように思った。
そして家人の居室については、その位置も間数も全然知らないのだが、店から上って廊下伝いで二間程を行くと左へ曲る廊下が在って、その廊下が二部屋並んで居た八畳の客間へ出入をする通路になって居た。
そしてその廊下の左側が全部硝子戸になって居て、その前の二間程の空地を隔てた所に、郵便局の宿泊室があった。
従って、 この家の構造は凹形の建物であったと私は思っている。
 
 多盛老人の家族は、後妻の夫人とその後妻との間に生まれたたもつと呼ぶ私と同年輩の少年が居て、長男の局長さんは一粁程川下に一戸を構えて別居をして居た。
 
 
 
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 私達5人の夕食が終って、膳が下げられたあと多盛老人が這入って来て、老人がこの似湾へ 移住をした当時の体験談を、懇切に父に聞かせてくれたのだが、傍で聞いていた私は、未だ世事には疎い少年であったのだが、その厚意がとても嬉しく思えた。
 
 往時を懐旧しては語る多盛老人の体験談の中で、私が特に興味を覚えたのは、老人は此の似湾と言う所へ、明治20年代に入植したそうであったが、その当時は鵡川からの道路も、往時未だ無数の鹿が群棲して居た時代に、餌を求めては定期的に移動をした道が在った程度で、それ以外には道らしい道は無かったそうであった。
そして入植当時の似湾には、未だ 和人と言う者が2・3程度しか居なかったそうであったが、入植後の多盛老人は、国から給与された土地を只管開墾することに専念して、粒粒辛苦の末、遂に成功者の一員になったそうであったが、その開墾に着手をした当時は、堀り建てた仮小屋に、白昼狐狸の類は訪れ、夜ともなれば羆の咆哮に山野が震うという、密林の伐墾に全力を傾注をした結果が、今日の自分を成功者の位置に列せさせたものであると、多盛老人は言って居た。
 


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履歴稿 北海道似湾編  似湾村の新居 5の2

2024-10-15 20:49:38 | 履歴稿
IMGR072-04
 
履 歴 稿  紫 影子
 
北海道似湾編
 似湾村の新居 5の2
 
 私達親子5人は、1週間の仮寝の宿であった生べつ小学校をあとに、新住の地となる似湾村へ出発したのは、明治45年の4月16日であった。
そうして、私達が校門を出た時刻が、朝の6時頃であったように覚えて居る。
 
 嘗て、鵡川から 私達が歩いた生べつまでの道は、鵡川川の川岸から山麓までが耕作されて居たのだが、生べつから似湾への道は、その中程に在る中杵臼と言う20戸程の部落附近が、若干耕作されて居た程度であって、それ以外の所は似湾との村境になっている峠を降るまでは、道の両側が千古斧釿を知らないと言う雑木の原始林であった。
 
私達の家族が行く似湾の新居は、生べつから更に鵡川川の上流へ八粁程行った所に在って、その字の名を下似湾と称して居る所であった。
 
 両側から雑木の密林に覆われて居て、途中に逢う人とてもない田舎の道をトボトボと歩いた私達が、目的地の下似湾へ着いたのは、その日の正午に近い時刻であった。
 
 
 
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 私は、沼ノ端から鵡川の本村へは馬車で、そして生べつ・ 似湾と徒歩で旅行をしたのであったが、郷里の香川県とは、風物があまりにも異なって居るので興味が持てなかったから、途中の風光と言うものには、全くの無関心であった。
 
 似湾で、私達が新に住む家の先住者は、北海道庁の森林看守であったそうだが、その家は生べつから私達が歩いて来た道の右側に在って、その道路からの入口には、直径二十糎程の丸太が門柱の形式で建ててあった。
 
 そしてその住宅は、其処から六米道這入った所に建てて在って屋根が柾葺と言う南向の木造建築であった。
 
 家の構造は、玄関を這入った所が一坪の土間であって、その土間の左側には畳二畳を敷ける板の間、そしてその右隣りにこれも畳六畳を敷ける板の間が在ったが、この板の間を私の家では茶の間として使ったのだが、この茶の間と玄関の板の間の奥に、それぞれが一間の床の間と押入が在る八畳の座敷があった。
 
 
 
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 この構造を見て私が驚ろいたのは、八畳間の座敷以外が、全部板の間であったことであった。
 
 また、玄関の土間の蔭が一坪の台所であって、その台所から左へ降りた所が、三方の囲いも、そして屋根も葭で造った四坪程の物置であった。
 
 勿論、下は床のない土間であった。
 
 台所からその物置への仕切は、粗末なものではあったが、板戸を使ってあったので、まずまずだなと私は思ったのだが、物置から表への出入り口は、戸と言う物の設備が無くて、古莚が二枚ぶら下って居たのには驚いたものであった。
 
 このぶら下った莚を潜って、物置から外へ出ると四米程の所に跳釣瓶の井戸があった。
 
 
 
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 その井戸から右へ五米程行った所に、桂の大木が1本、亭々と、天をを摩して居たが、その根元の近くから井戸の方向に向って同じ桂の大木が根こそぎに倒れて居て既に枯損していた。
 
 この桂の木を中心にして、南北に四米、東西に十米程の面積が、その根元で直径十糎位の木を頭にした雑木の薮になって居た。
 
 また、家の表側は道路までそして、その北側が裏の物置の最端線までがこの新居の野菜畑であって、その面積が一反半程あった。
 
 私達の新居と道路を挾んだ向側に、中村多盛さんと言う老人が、雑貨や荒物の店と旅館を兼業して居た。
 
 また、その南隣には似湾郵便局の局舎が同じ棟下に併設されて居て、多盛老人の長男で友之進さんと言う五十年配の人が局長さんで あった。



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履歴稿 北海道似湾編  似湾村の新居 5の1

2024-10-15 20:46:58 | 履歴稿
IMGR072-02
 
履 歴 稿  紫 影子
 
北海道似湾編
 似湾村の新居 5の1
 
 それは、私達の家族が生べつ小学校に着いてホッとした翌日のことであった。
そして校庭前の急斜面で失敗をした日の夜であったが、「あなた達が定住をする所は、隣村の似湾と言う村であって、今度鵡川村外七ヶ村の戸長役場から分離をして、似湾外三ケ村戸長役場として誕生をしたその役場の吏員となることは、私が前以ってきめてあるのだから、何も心配はありませんよ。そして、似湾の学校長をして居る大矢と言う同郷の男が、 住宅も既に手配をしてあるから、安心しなさい。」と、由佐校長が父に話をしたのであったのだが、その時の父は、ただ「ハ、ハ」と頷いて居たのではあったが、その表情には、何か深刻なものが潜んで居るように窺えた。
 
 由佐校長は、嘗て私達が第三の家に住まった時代に、「渡道してから3年もすれば、必らず成功をする。」と言って、父に渡道を勧誘した人物であっただけに、”村吏になって給料取りの生活をしろ。」という由佐校長の言葉を、傍で耳にした私ですらも、「何んだ話が違うじゃないか。」と、不満に思ったものであったのだから、父としては、私の想像を遥かに超えた深刻なものがあっただろうと、現在の私は想像をして居る。
 
 
 
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 しかもである、父に渡道を勧誘した日の由佐校長が、「私は、既に成功をして居る。」と嘯いたことも、少年の私の耳朶に残って居たその人 が、教室1つの学校長に過ぎなかったとしたならばなおさらのことであった、と私は思って居る。
 
 由佐校長が嘯いた、「3年後には、必ず成功可能。」と言う言葉を信じて渡道をした父母は、遥々北海道まで来て給料生活をしなければならないのか、と思った時の心境は、辛いとか、口惜いとか言って表現のとても出来ない筆舌に尽くし難いものであったろうと、私は思っている。
 


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