備 忘 録"

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履歴稿 北海道似湾編  似湾沢 9の3

2024-10-21 21:29:43 | 履歴稿
IMGR075-24
 
履 歴 稿  紫 影子
 
北海道似湾編
 似湾沢 9の3
 
「さぁ、これから愈々ヤマベ釣りだぞ、だけど餌を取らなきゃならんな。」と言って保君は、橋下の岸一面に生えて居る蕗を引抜いては、其処から蚯蚓を、一匹二匹と摘み出して居た。
 
 「オイ保、俺達の分も取ってくれよ。」と橋上から浩治少年が叫ぶと、「うん、よっしゃ。」と保君が答えたので、浩治少年と私達兄弟はその儘橋上で休んで居た。
 
 それは10分程の時間であったと思うが、蕗の葉に蚯蚓を十匹程づつ包んだ物を四個持った保君が、橋上へ帰って来た。
 
 愈々私達四人は、沢に降りて釣り始めたのだが、浩治少年と保君の二人は、糸を垂れる毎に次々 まま () 面白そうにヤマベを釣り上げて居たのだが、ヤマベ釣りの呼吸と技術を全然知らない私達兄弟の針には雑魚ばかりで、ヤマベと言う魚は一尾も釣れなかった。
 
 沢の水は、三米程の幅で流れて居て、その中央では私の膝頭位までの深さであったのだが、沢の曲がる所や、風倒木が沢を横断して居る所は、水の瀬が其処を溜りにして、私達少年の身丈では足りない程に深かった。
 
 
 
IMGR075-25
 
 兄は熱心に糸を垂れて飽かずに雑魚を釣り上げていたが、私はヤマベが一尾も釣れないので、”つまらないなぁ”という気持ちもあったが、「ヨシ、あれ達の釣方を一つ見てやれ。」と思ったので、沢に垂れて居た釣り糸を揚げて、しばらくの間保君と浩治少年が釣って居る側に寄って、彼等の呼吸や技巧を見て歩いた。
 
 私達兄弟は、あまり流れの影響が無いよどんだ溜に、餌をつけた釣針を底へ沈めて釣って居たのだが、彼等二人のそれは、餌のついた釣針を瀬の上流へ投げて浮かした儘で流して居ると、その餌にヤマベが跳ねて釣れて居るのであった。
 
 私はなおも、しばらくの間その二人について歩いたのだが、彼等が浮して流す蚯蚓の餌に、ピチャと音をたてて飛びつく一瞬を巧に捕えて、サッと十糎程釣糸を弛めたかと思うと、ピョンと釣竿の尖端が十糎程跳ねあがるスピードで弛めた糸を張ってから、静かに竿をあげると、その釣針には美しい模様をつけたヤマベが、必ずと言って良いほどぶらさがって居て、ピチピチ跳ねて居た。
 
 
 
IMGR076-24
 
 私は彼等のそうした要領を熱心に見て居たのだが、「よし、彼等のあの呼吸と要領で俺もやって見よう」と思ったので、相も変らずよどんだ溜で雑魚を釣って居る兄の側へ歩み寄って、その一切の話をした、すると「そうか、そうして釣るのか、よし、それなら俺達もこれからやって見ようじゃないか。」と兄が言ったので、私も再び釣糸を垂らして彼等と同じ要領で釣り始めたのだが私達兄弟には、彼等のように百発百中と言う訳にはいかなかった。
 
 ヤマベと言う魚は、歩きながら釣るものであったから、私達四人も上流へ上流へと歩いた。
 
 

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履歴稿 北海道似湾編  似湾沢 9の2

2024-10-21 21:27:15 | 履歴稿
IMGR075-22
 
履 歴 稿  紫 影子
 
北海道似湾編
 似湾沢 9の2
 
 池田さんの家は、学校の坂を降った所を流れて居る小沢の土橋を渡った右側に在った。
 
 私達と一緒に行くと言う池田さんの浩治君は二男坊であったが、当時の似湾には小学校の高等科が無かったので、二十粁程離れた知決辺と言う所の高等科に下宿屋から通学をして居た一年生であった。
そうして、この時の浩治少年は、学校の暑中休暇で帰省をして居たのであった。
 
 「浩治さん、支度出来たか、皆来たぞ。」と保君が表から呼びかけると、「待って居たんだ。」と言って、私達と同じように腰に弁当を包んだ風呂敷を巻いて、矢張り短い釣竿を持った浩治少年が飛び出して来た。
 
 四人になった私達は、池田さんの家から一粁程行った所の右側に在る神社の前まで行くと、其処からT字路になって居る道を左に曲がって、更に五百米程行った所に在った、鵡川川の渡船場へ出た。
 
 渡船場は、こちらの川原から向岸まで、太いワイヤーロープが張られて居て、水面よりも二米程高い向岸の上には、小さな草葺きの家が一軒ポツンと建って居た。
 
 その向岸の家に向かって「オーイ」と、保君が叫ぶと、中から一人の年老いた男が出て来て岸辺に繋いであった船を、私達の居る川原へ漕ぎ出した。
 
 
 
IMGR075-23
 
 ガーッ、ガーッと川を横断して張ってある太いワイヤロープに、船の軸から掛けてある細いワイヤーロープが、相互の摩擦で一進する毎に軋音を出しながら船は、私達の前に着いた。
 
 私は川の渡船に乗るのはこの時が始めてであったが、一般の船形とは違って、底の平ったい長方形の船であった。
 
 私が面白い形の船だなと思って居ると、「この船にはな、馬車も馬も乗せて渡すんだぞ。」と、保君が教えてくれた。
 
 対岸に渡った私達は、右側の山の裾に在る直線の道を西へ歩くのであったが、この道は隣村厚真村の知決辺と言う所に通じて居て四粁程行った所から、時折熊が出没すると言う峠に向って、左折して居た。
 
 この左折する所に、通称十間橋と呼んで居た全長十間の木橋が似湾沢に架橋されて居て、私達がこの十間橋の所へ着いたのは、太陽の位置から見て、略正午に近い時刻であった。
 
 「オイ皆、此処で弁当食うことにするべよ。」と保君が言ったので、「そうするか。」と一同が腰の弁当を開いて、ムシャムシャと食ったのだが、弁当を食べ終ると四人は、其処で一寸休憩をした。
 
 

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履歴稿 北海道似湾編  似湾沢 9の1

2024-10-21 21:24:03 | 履歴稿
IMGR075-20
 
履 歴 稿  紫 影子
 
北海道似湾編
 似湾沢 9の1
 
 「オイ、義章さん、今日ヤマベを釣りに行かないか。川向の似湾沢だが、天気が良いから屹度面白いぞ。」と突然保君が誘いに来た。
 
 私はヤマベと言う魚がどんな魚か、また保君の言う面白いぞと言うことが、どんなことを意味するものかと言うことは判らなかったのだが、毎日を愉快に遊んで居る、仲好の保君が言うことだから屹度面白いのだろうと思ったので、「ウン、連れて行ってくれ。」と即座にその誘いに応じたのであった。
 
 「お母さん、保君と似湾沢と言う所へ、ヤマベと言う魚を釣りに行くから。」と私は、母にお昼の弁当を作ってくれるようにと頼んだ。
 
 すると、それを傍で聞いて居た兄が、「お母さん、弁当私の分も頼みます。義章、俺も一緒に連れて行け。俺達はヤマベと言う魚を見たことないもんなあ。」と言うのを、母は心良く引き受けて、ご飯の上に梅干を乗せたニユムの弁当箱を二個、一枚の風呂敷に包んだ。
 
 
 
IMGR075-21
 
 「オイ、支度出来たか、池田さんの浩治さんも一緒に行くとよ」と風呂敷に包んだ弁当を腰に巻た保君が、テングスや釣針を装備した短い釣竿を、二本担いで誘いに来た。
 
 「保君、俺の兄さんも行きたいんだとよ、だから一緒に連れて行ってくれよ。」と、兄の希望を私が伝えると、「いいよ、人数の多いほうが却って面白いよ。」と言って保君は、担いで来た二本の釣竿を、「これ一寸持って居てくれ。」と、私に持たして、くるっと廻れ右をして自分の家へ走って行った。
 
 それから五分程すると、私に持たした二本の竿と同じように、テングス其の他を装備した新品の釣竿を1本持って、駈け戻って来た保君が、「義潔さんも、義章さんも、釣針のとこ、俺ぼろ布で結んで来たのだけど、沢へ這入ったら木の枝の下を何回となく潜るんだから気を付けなよ、うっかり竿の先のテングスを枝に引っ掛けると、俺も何回かやったことなんだけどよ、釣竿を持っている手の指に釣針を刺すぞ。」と、忠告をしてくれた。
 
 「弁当は、義章お前が持てよ。」と兄が言ったが、私は母が一枚の風呂敷に二個の弁当箱を包んだ時から、既に覚悟をして居た。
 
 「気を付けるんだよ。」と門柱の所まで送って出た母の声をあとに、私達三人は道路を右に曲って学校の坂を降った。



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