備 忘 録"

 何年か前の新聞記事 070110 など

履歴稿 北海道似湾編  木菟と雑魚釣り 3の3

2024-10-20 20:13:20 | 履歴稿
IMGR075-17
 
履 歴 稿  紫 影子
 
北海道似湾編
 木菟と雑魚釣り 3の3
 
 私達が雑魚を釣りに行ったこの小沼は、その昔台地の下を流れて居た、鵡川川が残して行った残骸であって、それを言うなれば古川なんだ、と保君は言って居たのだが、雑魚は実に良く釣れた。
 
 その小沼へ糸を垂れた私達二人は、瞬く間に七、八糎程のヤチウグイ、ゴタッぺ、鰌と言った雑魚を、それぞれ二十尾程づつを釣りあげた。
 
 「もうよかべや、また明日釣りに来るべよ。」と言って保君は、素早くテングスを竿に巻いてから、傍の柳の木から適当な枝を二本手折って来て、二人が釣り上げては、地上へ投げ出して置いた、まだピチピチと跳ねて居るものもあった雑魚のえらを一連に刺しとうした。
 
 「オイ保君よ、実によく釣れて面白かったなぁ。」と私が言うのを、「なあに、まだまだ釣れる所があるぞ、いつか教えてやるわ。」と言いながら保君は、雑魚を一連に刺した柳の枝を一本私に手渡して、「さあ、帰ろうや。」と、釣竿を肩に担いで台上への坂を駆け登った。
 
 そうした保君に続いて私も駆け登ったのだが、帰りの道は肩を並べて口笛を合奏しながら、黄昏の家路をゆっくりと歩いた。
 
 
 
IMGR075-18
 
 木菟と言う鳥は、実によく餌を食う鳥であった。私と保君が交互に巣箱へ投げ込むのを、頭からペロッと一吞にしてしまうと言う状態であった。「オイ、もう良いべよ、十尾以上も食ったべ、あとは明日の朝やれよ。」と保君が言うので、残りの雑魚は明日の餌にと、私は残した。
 
 保君と私は、その翌日からは馬欠を持って行って、釣った雑魚を生かして持って帰るようにして木菟を養ったのだが、この木菟も、その年の八月には死んでしまった。
 
 それは明治大帝崩御の悲報が、日本国中に報道された翌朝のことであった。朝礼に整列した全校生に校長先生が、「天皇陛下が崩御された。それで今日と明日の二日間は、生物を殺してはならんぞ。」と厳命をした。
 
 保君も私もその校長先生の話を鵜呑みにして、絶対の服従をしたので、二人はその二日間の雑魚釣りを休んでしまった。
 
 「生物を殺すな。」と言った、校長先生の教えを、忠実に守ったつもりの私達二人ではあったのだが、二日間餌をやらなかった木菟は、三日目の朝、私が巣箱を覗いた時には、嘗てのカケスと同じように巣箱の隅で骸になって居た。
 
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

履歴稿 北海道似湾編  木菟と雑魚釣り 3の2

2024-10-20 20:10:26 | 履歴稿
IMGR075-14
 
履 歴 稿  紫 影子
 
北海道似湾編
 木菟と雑魚釣り 3の2
 
 それは、その日の黄昏時のことであったが、ニセップと呼んで居た古潭に住んで居た布施と言う姓の少女が、カケスよりは幾分小さかったが、黒い色の耳が頭上の両脇にピンと立って居る鳥を持って来てくれた。
 
 私はその鳥を、有難うと言って受取ると、嘗てはカケスの巣箱であった箱の中へ、早速入れたのであった。
 
 「さようなら」と言って、その少女は玄関を出て行こうとしたから、「オイ、一寸待ってくれ。」と言って、玄関に待たしておいて、奥の八畳間で裁縫をして居た母に、「お母さん、ニセップの布施と言う 愛奴の娘が木菟を持って来てくれたんだよ、今玄関に待たしてあるんだが、お礼に十銭位やりたいんだが。」と私が言うと、「そう、そりや良かったな、カケスが死んでからはお前の元気が無いのでお母さんは心配して居たんだ。お礼はお母さんが直接するから。」と言って、それまで玄関で待って居た少女が「おばさん、そんなことしなくても良いの。」と言って辞退するその手に、無理矢理十銭銀貨を1枚握らせて、「あんた、どうも有難う、 うちの子は未だ此処の土地に馴れて居ないから、これからも仲良になってやっておくれ。」と頼んで居たが、その慈愛に満ちた母の態度は、今も私の脳裡に深く刻みついて居る。
 
 「おばさん有難う。」と、少女はとても喜んで帰って行ったが、私は早速木菟の来たことを保君に報告しなければと思って、急いで彼の家へ走った。
 
 
 
IMGR075-15
 
 「おい、保君よ、今布施がなぁ、木菟を持って来てくれたぞ。」と私が報告をすると、「おおそうか、今日持って来たのか、そしたらこれから餌の雑魚を釣りに行かなけりゃならんなぁ、さあ、それじゃあ早速行くべよ、早く行かんと日が暮れてしまうぞ、なあにこれからだって、二人で釣れば、明日学校から帰るまでの餌は充分釣れるよ。」と、元気よく言った保君は、裏からテングスや釣針を装備してある釣竿を二本持って来て、その一本を私に渡した。
 
 「釣りに行く沼はこっちだ。」と言って、保君が駈け出したので、その後に続いて私も、生べつの方向へ郵便局の前から走ったのであったが、約五百米程走った所から右へ曲るニセップの古潭への道の所で、辛くも私は彼に追いつくことが出来た。
 
 「オイ、此処から曲がって行くんだ。」と言って保君は、また駈け出したのであったが、その時の私は、彼と言う少年は実に足の速い奴だなと思った。と言っても、駈けることについては、そう人後に落ちないと言う自信を持って居た私ではあったのだが、この保君の足にはとてもついて行けなかった。
 
 
 
IMGR075-16
 
 そうした保君が、「オイ、此処から降りるんだぞ。」と言って、遅れまいと懸命に後を追って居る私を振返って叫ぶと同時に、彼の姿は台地の路から下へ吸込まれるように消えて行った。
 
 ヒイヒイヒイと呼吸をはずませながらも、彼の後を懸命に追って居た私が、彼が下へ消えていった地点に着くと、其処からは、台地の下に在った水田地帯へ降りる急斜面に細い小路があって、その小路を降った所には、その周囲が三十米程と言う小さな沼が、東西に並んで二つあった。
 
 私がその小沼へ駈け降りた時には、付近の雑草を引き抜いて捕ったと思う、二、三匹の蚯蚓を地上へ投出して置いて、既に保君は釣糸を沼へ垂れて居た。
 
 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

履歴稿 北海道似湾編  木菟と雑魚釣り 3の1

2024-10-20 20:03:48 | 履歴稿
IMGR075-11
 
履 歴 稿  紫 影子
 
北海道似湾編 
 木菟と雑魚釣り 3の1 
 
 保君が罠で年寄カケスを捕ってからは、どうしたものか、桂の木へはもうカケスが飛んで来なくなった。
 
 そうした或日、「カケスはもう此処へは来ないかも知れんぞ、あの年寄カケスが罠にかかったのを見て吃度吃驚したんだよ、だけどなぁ心配するな、俺何処かで吃度捕ってやるよ。」と言って、私の家から百米程行った裏の密林へギヤギヤと鳴いて、飛んで来るカケスの群を目あてに、連日、此処彼処と彼が得意の罠を仕掛けるのだが、その罠は必ず成功をして居たのだが、私達が学校から帰ってその罠へ行くと、確実にその罠にかかったと思われるカケスが、それが鳶であったが、それとも鷹であったのかも知れなかったが、弓状に縛った柴木が直立して居て、その麻紐には、胴体のないカケスの足が残って居たと言う状態であった。
 
 私はその日を明確には記憶をして居ないのだが、カケスが死んでから二週間位は経過して居たと思って居る或日のことであったが、朝礼を終って教室へ這入った私の所へ、机の下を潜らせた手送りで一枚の紙片が届いた。
 
 
 
 
IMGR075-12
 
 その差出人は保君であったのだが、その紙片には鉛筆の走り書きで”カケス捕りは失敗ばかりして居るから諦らめよう、ところがニセップの布施が木菟を捕ったんだとよ。それをお前にやりたいと、俺に言って来て居るんだが、どうだお前その木菟を貰ってカケスの代りに飼わないか、餌は雑魚で良いんだ、その点は俺が良く釣れる沼を教えてやるから心配するな。」と書いてあった。
 
 「もうカケスは居ないんだから、その巣箱を裏の物置へ持って行ったほうが良いのじゃないか。」と、母は幾度となく私を促したものであったが、私は矢張りその巣箱を、玄関の土間の正面へその儘にして置いておいた。そして毎朝、その箱の前に立っては嘗って餌をやって居た時と同じように、萩の木で作った格子の中を覗いては、「お早う」と声をかけては、ありし日のカケスを幻想して居た私であったから、そうした保君の配慮に小躍したものであった。
 
 一時間目の授業を終って校庭に出た私は、「オイ、保君、さっきは有難う、是非貰ってくれ、頼む。」と言って、彼の手を力一ぱい握りしめたものであった。
 


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする