ビール飲みオヤジの日々雑感

ビール飲みオヤジが日々感じる雑感を徒然なるままに。

名将逝く

2011年11月25日 | 時事
しばらくテレビでお目にかかっていないと思っていたのですが・・・

昭和44年からの筋金入りながら地味な近鉄ファンとしては、阪急の監督として優勝を阻まれた憎き敵将であると同時に、近鉄を悲願のパ・リーグ制覇に導いてくれた愛すべき名将であります。

そして、記事にもあるとおり8度のパ・リーグ制覇を果たしながら日本シリーズを征することができなかった悲運の闘将でもありますが、弱いチームを強くしていくことにかけては、天下一品でした。今の時代には通用しない鍛え方だったかもしれませんが、それが時代の流れというものであります。
それでも今と違ってお荷物と言われた時代のパ・リーグで頑張ってこられた、野村さんをも凌ぐ反骨精神旺盛な野武士だったと思います。

91歳、まだまだと思いつつ、天寿を全うされたのでしょう。ご冥福をお祈りいたします。合掌。

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<西本幸雄さん死去 「悲運の名将」、シリーズ出場8度で日本一になれず>
産経新聞 http://sankei.jp.msn.com/ 2011年11月25日

 プロ野球阪急、近鉄などの名監督として球史に残る多くのドラマを演出した西本幸雄(にしもと・ゆきお)氏が25日、心不全のため死去した。91歳。和歌山県出身。葬儀・告別式は未定。

 和歌山中(旧制)から立教大へ進み、東京六大学野球ではリーグ一の名一塁手といわれた。卒業後、全京都を経てノンプロの別府星野組に監督兼選手として迎えられ、昭和24年の第20回都市対抗野球で優勝を果たした。25年にロッテの前身、毎日に入団。選手として活躍した。35年、大毎の監督に就任。1年目でリーグ優勝したが、日本シリーズで大洋に4連敗し辞任した。

 38年、阪急の監督に就任。5年目の42年に初優勝したのをはじめ、計5度のリーグ優勝を達成し、阪急を常勝チームに育て上げた。しかし日本シリーズでは5度とも巨人に敗れて日本一になれず「非運の闘将」と呼ばれた。

 49年からは近鉄に移り54、55年と2年連続優勝したが、このときも日本シリーズでいずれも広島に敗れ、ついに日本一を味わうことはなかった。

 監督歴20年。ときには鉄拳も辞さない頑固一徹の熱血指導で大毎、阪急、近鉄と弱小チームを体を張って鍛え上げた。日本一こそ実現できなかったが、リーグ優勝は実に8度を誇り、選手の信頼は厚かった。

 63年に野球殿堂入り。監督を退いたあとは評論家として活躍していた。
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