Mario del Monaco "O figli...A la paterna mano" from Macbeth
デル・モナコは健在だった。
交通事故で引退とまでいわれ、第一線を引いていただけに心配されたが、全盛期の声はまだ十分に保持しており、一声一声は入神の域だった。
デル・モナコはほとんどしゃべらず、息子のクラウディオ君に秘書をさせていたようだった。
ただ舞台にすべてをかける気迫というものが、せつせつと伝わってきた。
新幹線に乗れる、と楽しみにしていたそうだ。
デル・モナコは飛行機嫌いで有名、日本にも船で来る。
私は新幹線の駅まで迎えに行った。
でもすれ違い、方向音痴の私はいつのまにか彼を見失っていたのだ。
その話をきいた彼は「アリガトウ」と言った。
厳しい表情の彼が一瞬ほほえんだ。そして私ははじめて外国にファンレターを出したのだ。
独学でめちゃくちゃなイタリア語で書いた手紙だった。もちろん返事は来なかった。
あとできけば体調を崩していたという。
イタリア語を勉強したのは音大に入学してからだった。
でも私はオペラの台本を覚えていて、ヘンなイタリア語をまくしたてていた。
「サングェ(血潮)」とか「アッサッシーノ(人殺し)」「バールバリ(野蛮人め)」
・・・今から思えば大笑いである。
デル・モナコは健在だった。
交通事故で引退とまでいわれ、第一線を引いていただけに心配されたが、全盛期の声はまだ十分に保持しており、一声一声は入神の域だった。
デル・モナコはほとんどしゃべらず、息子のクラウディオ君に秘書をさせていたようだった。
ただ舞台にすべてをかける気迫というものが、せつせつと伝わってきた。
新幹線に乗れる、と楽しみにしていたそうだ。
デル・モナコは飛行機嫌いで有名、日本にも船で来る。
私は新幹線の駅まで迎えに行った。
でもすれ違い、方向音痴の私はいつのまにか彼を見失っていたのだ。
その話をきいた彼は「アリガトウ」と言った。
厳しい表情の彼が一瞬ほほえんだ。そして私ははじめて外国にファンレターを出したのだ。
独学でめちゃくちゃなイタリア語で書いた手紙だった。もちろん返事は来なかった。
あとできけば体調を崩していたという。
イタリア語を勉強したのは音大に入学してからだった。
でも私はオペラの台本を覚えていて、ヘンなイタリア語をまくしたてていた。
「サングェ(血潮)」とか「アッサッシーノ(人殺し)」「バールバリ(野蛮人め)」
・・・今から思えば大笑いである。