久々のブックレビューですが新潮文庫先月の新刊です。この作者のことはまったく知らなかったのですが、オビの<日本がいちばんヤバかったあの時代。15の僕はひとり新宿に向かった。 60年代後半の興奮の日々を描く批評的自伝>という文句に惹かれました。学生運動の全盛時に、当時の高校生がどういう考えで過ごしていたのか知りたいと思った次第です。
著者も記していますが、大学闘争については数々の証言や資料は膨大にあるのに当時の高校生の政治参加については語られる事が少ないのだとか。そういう背景にもつられたのですが、読んでみて結構面白かったです。
著者が1968年に入学した高校は当時の東京教育大学農学部附属駒場高校。(今は筑波大附属駒場高校でしょうか?) 私は地方出身者ですのでここで語られる学校周辺や沿線のことはまったくわかりません。が、かなりハイレベルな学校だというのは知ってます。なので、著者の当時の同窓生で後年名をなした人がいっぱいいるんですね。(学者とか作家とかいろいろですが)
で、この著者自身も詩を書き同人誌を作り、ミュージカル「ヘアー」のオーディションに出かけたり、大江健三郎と寺山修司をアイドルとあがめ、マイルスやコルトレーンにのめりこみ、革マル派の学生と新聞を作り、ビートルズの真似をしていきなり学校の屋上でルーフトップコンサートをやったりします。(実際は交友関係も多岐に渡っており、心情的にかなり揺れ動いていますからこんな単純なものではないのですが)
そして1969年の12月には高校の教室で行われたバリケード封鎖にも参加してしまいます。しかし「これは長期戦になる」と思って食料を調達しに一旦家に帰った著者が教室に戻ってみると、その2時間半の間にバリ封は解かれまるで何事もなかったようになってたとか。
彼はその虚脱感から一時登校しなくなりケーキ工場でバイトを始めたりしますが、その後学校に戻り一浪後に東京大学文科三類に合格。ただ、そのバリ封から取り残された感覚が彼のその後の歩み方を決定してしまったようで、あらゆる意味で斜めに進んでいるようななんともいえない雰囲気を感じます。
この本によると高校紛争が絶頂を迎えたのは1969年9月から12月までの期間。この間に都立高校149校のうち31校で紛争が生じ、うち24校がバリケード封鎖に突入したそうです。高校生たちがバリ封をする理由はさまざまで、まず学校の体制への批判があり、教師による生徒の管理体制への異議申し立て(具体的には授業改善と定期試験の廃止、服装の自由、集会と掲示の自由など)があったとか。ただし実際には全共闘とか民青とか、いろいろな勢力がそれぞれの主張を繰り広げ、「バリ封のためのバリ封」という雰囲気も感じます。
これらの話を読んでいたら、まぁ私の高校時代なんぞは本当に何にも考えずに生活してたなぁと思うことしきり。(もっとも著者は私より11歳年上ですが) で、自分がこの時代に同じ高校に在学してたとするとどういう行動をとったかと想像してみるとちょっと楽しいです。
まぁ現実的には間違いなく「下らんことで授業がなくなると進学できんで」という方のグループだったことでしょう。高校生による校長の批判とかもあったようですが、私からすると都立高校の校長を吊るし上げてもなんの成果がある?と思ってしまいます。たとえば「ガソリンが高い!」とスタンドの店長に詰め寄るようなものかと。原油価格の高騰がどういう理由で起きてるかを考えずして、そんな末端のことを言っても仕方ないと思ったり。
あるいは、性格的に中途半端が嫌いなもので一旦活動に足を踏み入れたら徹底的にその方面に進んで自分がバリ封を先導してたり…。(という可能性は低いでしょうが)
ただ40年前の日本と現代を比較しようにも社会情勢から情報量から大きな違いがあって、一概には言えないのだろうなというのが率直な感想。また、当時の大人たち(もちろん先生を含む)がバリ封に参加した学生をすんなりと元の通りに受け入れたのも興味深いところです。
当時これだけ熱い高校生たちがいたことを考えると、今の日本の若者はやはり大人しいのかなぁと。もっともその辺は今に始まったことではないのでしょうが、すごく「時代の違い」というものを感じてしまいました。現在の都立高校で私服で通学している生徒達は、この時代の名残で制服がなくなったことは認識しているでしょうか。
ということで予備知識無しで読んでみて大変面白い本でした。あらゆる年代の人にお薦めです。どーですか、お客さん。
著者も記していますが、大学闘争については数々の証言や資料は膨大にあるのに当時の高校生の政治参加については語られる事が少ないのだとか。そういう背景にもつられたのですが、読んでみて結構面白かったです。
著者が1968年に入学した高校は当時の東京教育大学農学部附属駒場高校。(今は筑波大附属駒場高校でしょうか?) 私は地方出身者ですのでここで語られる学校周辺や沿線のことはまったくわかりません。が、かなりハイレベルな学校だというのは知ってます。なので、著者の当時の同窓生で後年名をなした人がいっぱいいるんですね。(学者とか作家とかいろいろですが)
で、この著者自身も詩を書き同人誌を作り、ミュージカル「ヘアー」のオーディションに出かけたり、大江健三郎と寺山修司をアイドルとあがめ、マイルスやコルトレーンにのめりこみ、革マル派の学生と新聞を作り、ビートルズの真似をしていきなり学校の屋上でルーフトップコンサートをやったりします。(実際は交友関係も多岐に渡っており、心情的にかなり揺れ動いていますからこんな単純なものではないのですが)
そして1969年の12月には高校の教室で行われたバリケード封鎖にも参加してしまいます。しかし「これは長期戦になる」と思って食料を調達しに一旦家に帰った著者が教室に戻ってみると、その2時間半の間にバリ封は解かれまるで何事もなかったようになってたとか。
彼はその虚脱感から一時登校しなくなりケーキ工場でバイトを始めたりしますが、その後学校に戻り一浪後に東京大学文科三類に合格。ただ、そのバリ封から取り残された感覚が彼のその後の歩み方を決定してしまったようで、あらゆる意味で斜めに進んでいるようななんともいえない雰囲気を感じます。
この本によると高校紛争が絶頂を迎えたのは1969年9月から12月までの期間。この間に都立高校149校のうち31校で紛争が生じ、うち24校がバリケード封鎖に突入したそうです。高校生たちがバリ封をする理由はさまざまで、まず学校の体制への批判があり、教師による生徒の管理体制への異議申し立て(具体的には授業改善と定期試験の廃止、服装の自由、集会と掲示の自由など)があったとか。ただし実際には全共闘とか民青とか、いろいろな勢力がそれぞれの主張を繰り広げ、「バリ封のためのバリ封」という雰囲気も感じます。
これらの話を読んでいたら、まぁ私の高校時代なんぞは本当に何にも考えずに生活してたなぁと思うことしきり。(もっとも著者は私より11歳年上ですが) で、自分がこの時代に同じ高校に在学してたとするとどういう行動をとったかと想像してみるとちょっと楽しいです。
まぁ現実的には間違いなく「下らんことで授業がなくなると進学できんで」という方のグループだったことでしょう。高校生による校長の批判とかもあったようですが、私からすると都立高校の校長を吊るし上げてもなんの成果がある?と思ってしまいます。たとえば「ガソリンが高い!」とスタンドの店長に詰め寄るようなものかと。原油価格の高騰がどういう理由で起きてるかを考えずして、そんな末端のことを言っても仕方ないと思ったり。
あるいは、性格的に中途半端が嫌いなもので一旦活動に足を踏み入れたら徹底的にその方面に進んで自分がバリ封を先導してたり…。(という可能性は低いでしょうが)
ただ40年前の日本と現代を比較しようにも社会情勢から情報量から大きな違いがあって、一概には言えないのだろうなというのが率直な感想。また、当時の大人たち(もちろん先生を含む)がバリ封に参加した学生をすんなりと元の通りに受け入れたのも興味深いところです。
当時これだけ熱い高校生たちがいたことを考えると、今の日本の若者はやはり大人しいのかなぁと。もっともその辺は今に始まったことではないのでしょうが、すごく「時代の違い」というものを感じてしまいました。現在の都立高校で私服で通学している生徒達は、この時代の名残で制服がなくなったことは認識しているでしょうか。
ということで予備知識無しで読んでみて大変面白い本でした。あらゆる年代の人にお薦めです。どーですか、お客さん。