三崎さんも写真載せなければよいのに。。
三連休の中日
お友達の知人宅にて真夜中開く。
ソファにもたれかかったままいつの間にか眠りに落ちていた。
睡魔に抗うことは不可能
一定の時間間隔 それは3時間のサイクルだと身体で知る。
短編なのに伝わる世界観
日常が非日常となる。
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「見ているのに、見えていないものって、案外たくさんあるのかもしれませんね」
「見ているのに、見えていないものって、案外たくさんあるのかもしれないね」
「慣れ」というものの恐ろしさを改めて感じてしまう。
「それぞれの人生に、それぞれの大変さがあるってことか」
「還るべき場所」
「峠の我が家」
「故郷」
「おはよう、ございます」
「ボタン・・・・・・、あるんだね」
「ボタンのある女は、初めてですか?」
「押したら、どうなるんだい?」
「自分で確かめてみて」
「街が清潔で、過ごしやすくなるってことは、今までの負の要素が消えてなくなるってわけじゃない。見えない部分に押し込められてるだけなんですよ」
この二人は今、同じ風景を見ている。だが、見えているものはまったく違うのだろう。
「終の棲家」
この世界が、「一つの世界である」という秩序のもとに動いているのは、稀有なことなのではないかと。
「その窓」
「異なる世界」
「向こうの世界」
「こんなに近くに、住んでいるのに・・・・・・」
誰もが同じように見ていると思い込んでいるものも、実は、見る者によってはまったく違う見え方をしているのかもしれない。
「気付かなければ、良かったのにね」
あなたのいる場所からも、同じ星空が見えていますか?
スッポンを一匹食す。最初に生き血を一杯「乾杯」
時は、何人の上にも等しく訪れる稀有なるものの一つだ。積み重なっていく日々によって人は忘却し、記憶は薄らぐ。場合によっては、それが救いとなることもある。
だが、私の喪失感は消えてしまったわけではない。
対象のないままに芽生えた喪失感は、決して消えることはない。それは形を保ったままに「風化」していくのだと知った。角を失い、崩れ落ちつつも、廃墟のように残り続けるのだ。