司馬遼太郎
【ワイド版】
『街道をゆく 27 因幡・伯耆のみち、檮原街道』★★★+
http://publications.asahi.com/kaidou/27/index.shtml
因幡・・どこ?伯耆・・どこ?
日本を色々旅していてもかつての名で言われると?
鳥取、島根は双方一度しか行ったことがないから余計かも。
(子供のころの記憶のない旅行は別として・・)
『関ヶ原』尾を引く。
音信不通になってしまったお友達に「中々よかったよ」とメール
反応はないだろうと分かっているけどこのままだと本当に切れてしまう。
そしたら次の日思いもがけずPCへメールが・・
未だそのメールがこわくて開けない・・
4日目
いくじなし(泣)
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「やはり、因幡の国府の跡へゆきますか」
奈良朝のころ、国府が所在したらしい国府町の場所は、鳥取平野の東端にあって、千代川を避けているのが印象的だったのである。
国府は、どの国府もそうだが、水害のすくない場所がえらばれていた。そのくせ、まわりに美田があり、細流も流れている、という場所が理想とされた。さらには交通路に不便があってはならない、というのも条件だった。
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亀井茲矩のこと
茲矩と鷗外
また再読したいと思う。
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伯耆国倉吉
倉吉へゆく。
この町は、おなじ鳥取県ながら、伯耆の国に位置している。伯耆のかつての主邑である。それだけに、江戸期を思わせる古風な家や蔵がのこっている。大正以後、伯耆における繁華は米子にうつった。
伯耆の人気は、因幡とは別趣のものらしい。
倉吉でも米子でも、
「鳥取の人間はずるい」
などということばをしばしばきく。
「伯耆も鳥取じゃありませんか」
などと、愚問を返してはいけない。この場合の鳥取とは、因幡のことである。
「伯耆と因幡は、そんなにちがいますか」
「それは、ずいぶんちがいますよ」
顔をしかめた。ただし具体的にどうどはいわない。言ったところで他国の者にはわからないだろうとみているのだろう。
「文化」とはそういうものである。
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土佐(高知県)に、檮原とよばれる山ふかい町がある。
――ユスハラは、土佐のチベットやきに。
などといわれた。
「ユス」
というのは樹木の名なのである。
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かつての土佐では、動物には人間以上の精気があるとおもわれていて、新生児に動物の名をつけることが多かった。坂本竜馬や吉村虎太郎もそうだし、幕末、土佐藩の行政の責任者だった後藤象二郎もそうである。中江兆民の幼名は竹馬で、明治の自由民権思想家の馬場辰猪の名も、動物の名である。
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檮原・・そう聞いてピンとくる人はいるのかな?
(ちなみに愛媛出身だから聞いてみたら「高知は分からんかもね」だって)
興味があり途中調べてみたらHPがステキだった。
行ってみたいところがまた一つ
http://www.town.yusuhara.kochi.jp/
(脱藩のみち)
また少し歴史に詳しくなった。
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