こげの耳に★ねんぶつ★

たわいない日々の思うことと愛犬こげと花が咲いていたら花の写真など

記憶が

2020-12-25 05:30:00 | 和歌山県
昔来たことがあるのにそれから 風景もそう変わってはいないと思っていたけど

池の水も抜かれ、あたりの木々も大きくなったり記憶と様変わりの状況に

「こんなだったっけ?」という言葉が何度も出てきます。ここまでワラビを

採りに来たのは40年くらいまえ。もうワラビも生えないのだろうか 当時は

堤のうえにワラビがたくさん生えていたなぁ・・・そのあとは 次男君が

中学生になる春休みだったか おじいちゃんに連れられ ため池の上にある

うちの山を見に来た。そのとき私が ダニの巣に足を突っ込んだのか 

ジャージの上に数十匹のダニの子がひっついていて、家に着くなりジャージを

はいたままコックローチを噴きまくった記憶がある。不思議と刺されてはいず

良かった良かった。おとうさんが左の堤を上がっていく


測量してちゃんと護岸らしき風体に仕上がっている。向こうに見える山の下に

本来なら水が貯められていたはずだが、池の底が見えていた。そういや 子供

たちが小学生だったころ、池の水を抜くので先生に連れられてバケツを持って

魚を捕まえに行ったこともあった。


左側の谷から溜まっていたであろう池の底。こちらはまだユンボで整地されて

いないのか、キャタピラの跡だけついている。


振り向いてみたら さっきおとうさんが歩いてきたところだ。右手を見たら


田んぼに水を送るための樋があったところが見えた。シートが張られたところ

から直接行けそうだが、実際には樋を開ける場所は 山道から1メートルほど

下にあって 降りるためのはしごもあった。丸いハンドルを回して水門を開け

る仕組みだな・・


矢印のところから下に降りたのだ。懐かしくて感動もしていたのだけど

お腹も減ったので戻ることにした。かれこれ一時間になるから 撮影隊も

いないだろう・・・おとうさんと来た道を戻り始めた。

柳の木のところで向こうに渡って歩いているけど なかなか昔田んぼがあった

横の道に行きつかない、そんなはずはない・・一本道だ。キャタピラの跡を

飛び越えたのに、前方を見たら「全然違う」いや、全然違うこともないのだけ

ど、目指していた小川の横の道ではないところ、つまり昔は田んぼだったとこ

ろを歩いていたのだ。歩いて行った道を引き返してきたのに タヌキに化かさ

れたのか?二人そろって?真っ昼間だというのに・・・しょせん 人の記憶と

いうのは 相当あいまいなのかもしれない・・・。それに時間がたてば

美化してしまいがち。子供のころのことや ワラビ採りなどの懐かしい思い出

にひたっていたから とんでもないところを歩いていただけかもしれない。



倉庫まで戻ったらまだ撮影が続いていて しばらく家に戻れなかった。その一

週間後も 撮影者が車で走っていたので どういう趣旨のものなのかよくわか

らない。


今年は ここまでにします。

コロナ禍で子供たちが帰省しないお正月、お正月に子供たちがいないのは初め

てなので 来年は そんなことのないよう願いたいのだけど、

感染者数が半端なく増加しているいま、医療の現場も限界を超えている状況を

考えて行動してください。地方で感染者が増えたら 病院がそれでなくても

規模が小さいのでひっ迫してしまいます。医師や看護師さんたちに少しでも

休める時間を持ってもらえるよう 私達も気をつけましょうね。どうか

良いお年をお迎えください。今年もありがとうございました   凹
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変わりゆく風景

2020-12-18 05:30:00 | 和歌山県
年も押しせまり、今年のブログ更新もそろそろしめにかからねば・・・と思う

今日この頃。今年は 怠け癖がそのままで いつもの庭木のイルミネーション

も「かったるいなぁ~」と先延ばしにしていたけど、なんとか「んもぅ 今年

はソーラーイルミだけでいいわ!」といつもなら コンセントからの電源で 

五時点灯十時消灯というタイマーも設置して 椿の木の枝にイルミネーション

を乗せ、消灯した後真っ暗なのもなんだか寂しい・・と ソーラー式イルミも

添えていた。小さい子供がいるわけでもなく ただ あまりに真っ暗なのが

嫌いなので続けているのだけど、同じように庭先を飾ってくれるご近所もなく

一軒むこうのお宅も玄関先に雪だるまのイルミを飾っていたのが 今年はやめ

たようで 雪だるまさんが座っていない。それにしても ソーラー式だと

光量が遠くまで見えないのか 誰も「今年もやったね」と言ってくれない。

ソーラー部分がだんだん小さくなって、100球点灯だときついのかなと思っ

たりする。まぁ 庭先だけチカチカしてるぶんには十分かもしれない。

我が家の年末の風景もそうだけど、近くの山の中の風景も変わっていっている

ようだ。このあたりは 昭和時代、それ以前も水田が多く作られていてかなり

山深くまで田んぼを耕していた。私が子供のころは そこまで遠くは耕作して

いなかったけど、田植えや稲刈りの時期に親に連れられお茶を運んで行った。

大八車というやつに乗せられ 帰りはそれに稲束が乗るので歩きとなるけど

家からだんだん道幅が狭くなって左手に山右手に田んぼという 風景はいまだ

にくっきりと覚えている。田んぼに着けば 休憩中のおばさんやおじさんが

畔や広場に座ってくつろぎお茶を飲む。子供たちはその横で 春の小川で遊び

秋のトンボを追いかける・・まさに日本の田舎のひとときだった。

その田んぼのまだ奥には 水田に使う水を谷筋から集めたダムではないけど

ため池がある。小さい時は ため池に上がるところが堤が高かったのか行った

ことはなかったけど、小学生4,5年生のころに祖父と一緒にいったことがある

が、それ以降は あんなに田んぼがあったのに作る人がいなくなって荒れ地に

なっていった。うちもそうだが、家から遠い田んぼは何かと不便で次第に家か

ら見渡せる田んぼだけ作るようになっていった。そして 米作り離れ・・と

いう時代。新潟や米産地のように大水田でもなく出荷するお米でもなく 自家

用米という生産量も 一年家族と知り合いに分けて残る・・という少量。

機械化も、機械化といっても耕運機や稲刈り機、脱穀機 トラクターくらいで

手伝いに来てくれていたおばさんたちが高齢化して、つぎは家族だけでなんと

か・・が、家族も高齢化でコメ作りをやめ そして今その草刈りをしてるとい

ことだ。今月の初め、最後の休耕田の草刈りを終え倉庫に戻った時に近くの

畑に なにやら不思議な一行がいた。どう見ても カメラに音声、指示役と

思われる三人と 移住者が倉庫横のうちのスペースに車を止め、撮影準備を

している。我が家に戻るにはその一行の横を通らねばならず その映像に私達

が映り込んだり、話しかけられたりして移住者と懇意だと思われたりしたら

いやなので、30分もあれば何を写すのか知らないけど終わるだろう、だったら

ため池まで行ってみよう、いまはため池を廃止するために水を抜いて工事を

してるけど今日は日曜、工事の人もいないから 行けるところまでいこう・・

とおとうさんを誘って歩き出した。たかが 畑の草刈りを撮影するのにカメラ

や音声まで呼び込むなんて やっぱ移住者って視点がちゃうよね。

最後の人家を過ぎ、だんだんとススキが原状態の 昔は田んぼだったところに

大きなユンボ(ブルドーザー)が置かれ、大きなU字溝も置かれている。

ため池の堤を広げて大雨で決壊せずに 川に流れるようにするのだろうか。

川に合流する支流は 申し訳ないくらい川幅が狭く大丈夫なのか?と思うけど

ため込まずに最初に降り出した雨から巨大U字溝で流し続けたら 大丈夫って

ことなのだろうか。工事が完了したらまた再度見にこよう。

道幅1メートルちょっとの小道から 目印の柳の木を目印に山に沿って歩く。

田んぼの水を引くため ため池の≪ひ≫(樋と書くのか?)を開けに行くとき

ここに自転車を止めていた。いまは柳の木の下は ユンボの通り道になって

キャタピラの太い溝が山際にあるのでその上を飛んで山沿いの道に移った。


左に赤い杭のようなものがあるが、これは猟師さんが置いた箱わな、ほとんど

がイノシシ猟のために設置するけど(許可制) この罠は放置されたのか

工事中でイノシシやシカも近寄らないと思って今年は置いたままなのかもしれ

ない。その左側のうっそうとした山道を奥に向かって歩く。


さっきの場所から10分ほどで 立木のあいだからため池の堤が見えた。青い

シートのところをユンボが通っているので周りの倒れていた木や茂っていた

草も踏みつぶされ、私たちが歩く道も太いツルがぶら下がり 木が倒れ掛かり

股越えくぐり抜けを繰り返して進みます。目的地はもう少し。
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参詣

2020-01-28 05:30:00 | 和歌山県
   

今年も熊野那智大社に参詣しました。とはいっても 元日をかなり過ぎてからに

なりましたが・・・。子供のころは 三が日に間に行っていたような気がしますが、

当時でも相当の混雑で あれでまぁ迷子にならなかったのは那智大社の神様の

ご加護があってのことでしょうね。いつからか 一月十五日の成人の日に行けば

かなり空いていて 神様に願いも届きやすいと思ったのかそうしていましたが

ここのところは行ったり行かなかったり。でも お札を戴いてきたらやはり 年ごと

に、新しいお札にしたいということになって最近は行くようになりました。ここ、

二、三年は双方のおばあちゃんをも引き連れて行っていましたが 今年は両方とも

体力温存でパス。私とおとうさんの二人で 古いお札やお守り 私はおみくじを

返納しに行ってきました。「行けば 外国人がいっぱいだろうね」と話していたのに

着いても 欧米人おろかアジア人特有の甲高い しゃべり続ける声も聞こえず、

なんか拍子抜け。でも もしかしたら マナーが良くなって 日本人よりも静かに

参拝しているため、見た目だけではわからなかったのかもしれません。


古いお札や おみくじを返納して 新しいおみくじを引きます。おとうさんは社殿横

の販売所、私は縁起物のついたおみくじを毎年購入するので本殿前の 、ボックス

に手を入れて 自分で引き出してくる方式ので。私は到着してから お賽銭や

お参りの時に相当な小銭がいることを思い出し 社殿横の販売所でお札崩そうと

お札と車用のお守りを購入。おつりが2600円。やったー 百円玉6個だ!と喜んだの

だが、巫女さんが返してくれたのは五百円玉と百円玉・・・・私はここで「なんて、せこ

いのだ。いくつかある賽銭箱に 否が応でも五百円玉のお賽銭を入れさせる魂胆

だな」と憤慨したのだ。なんて失敬なのは私であって こんなことを神様の真ん前で

思うなんて。巫女さんに 「百円玉にしてもらえませんか?」とやんわりと尋ねたらよ

かったこと。でも ベンチでおとうさんを待っていた時に となりのベンチに座って

いた人が置き忘れた財布のようなカード入れのようなものに気がつき、社殿横の

販売所に届けたんですよ(当然なことだよ)。これで不届きな私を許してくれただろ

うか・・・・

  

でも 次に参拝する那智山青岸渡寺でも お賽銭はいる。本堂前の線香にも、ご本

尊様のまえの賽銭箱にも、その周囲の役行者(えんのぎょうじゃ)さんや 薬師如来

さんや お堂の内にも外にも いくつかの賽銭箱が待ち構えているのに・・・

とうとう、家計用の財布から十円玉や一円玉を ほじくりだして その金額を

脳味噌カラカラの頭にインプットしていく。お寺だから 偶数でいいよね・・なんて

またもや仏様の前でも不届き千万なことを言い放つ私・・・あかん、こんなんじゃ今年

いいことなんてないかもぅ~  毎年思うのだけど この青岸渡寺のまえの

なにやら書かれている大きなのぼり、いつも吹く風のせいか逆になっていて写真を

撮っても なんかなんだよこれ・・・となるのだ。この日も 風が吹いていて吹き流し

も空に向かって舞い上がってました。ウィキペディアによれば 本尊が如意輪観世

音菩薩とありますので こののぼりにはそう書かれているのですね。
    
            

子供の時に 那智に来ると必ず買っていた べっこう飴みたいな飴や 天津甘栗

の甘く焦げた香りはしなくて、今思うと「なんで那智山で 天津甘栗?」であり、

下の駐車場から 正式に石段を上がってきたらばかどかどでお土産屋さんの

おじさんおばさんがピロピロ吹いて売っていた陶器でできた小さな鳩笛・・・あれも

見なくなった。何かの謂われでもあったのか?鳩笛・・・いやぁ 那智ならやっぱ

ヤタガラスじゃね?とツッコみたい。昨年は 中吉で縁起物は 福銭 だったように

思うが 今年も中吉で、縁起物は 亀だった。これも財布に入れたり身につけると

良いと書かれていたので、頼んまっせ!えべっさん・・・えべっさんは ここじゃなかっ

たな(失礼しました)

 今年も 良い一年でありますように・・・

那智山に来たのに 肝心のお滝さんの写真を載せるのを忘れてました。

      
近くの 石燈籠のなかに入れてみました。

         

ろうそく立てが邪魔なので ない石燈籠も用意してます。これって、このように撮影

すると いいね👍 の意味でしょうかね。お坊様も若いのでしょうね、しかし境内の

車庫には 高級日本車が入っていて・・・いやいや ここでもそういう下界の汚い

妄想してはいけないのです・・・・

      






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雨の一日

2019-07-05 05:30:00 | 和歌山県
この季節、どこかのニュースや天気予報で聞く言葉  「きょうは雨の一日になりそう

です・・・」。雨の一日 あぁあ、心に響く懐かしい・・フレーズ。昭和の時代に

フォーク全盛のあたりに かなりのフォークデュオやソロやグループが現れた。

そのなかに とんぼちゃんという二人。のちになぜか とんぼ というふうに名前が

変わってしまったデュオがいた。彼らの歌に 雨の一日 というのがあって

好きだった・・いや 今も懐かしく もう my昭和の歌 を作るなら 絶対入れた

い一曲。たしか カセットテープに残っていたと思うけど 数十本のなかから探す

のもめんどい(めんどくさい)。スマホで歌詞検索したら すごいもんです。

彼ら以外の何組かの 私がキュンキュンする懐メロが聴けるのですね。

たぶん、誰も覚えていないだろうと思っていた三輪車や シグナル、クラフトなんて

出てきます。古時計・・・あぁ ロードショーだったか?それらを聴いていたら 

キーボードが止まってしまう。NSP  ニューサディスティックピンク、LP持っていた。

なんか ロックな名前なのにね。ニューミュージックの先駆けに感じます。すごく

乙女チックな歌詞だったり、昭和の男子高校生や大学生の、当時まだ中学・高校生

だった私は そんなレコードを聴きながら 月刊りぼんの陸奥A子や田淵由美子

や別冊マーガレットのくらもちふさこという少女漫画を読んでいたころだ。

いまや 四コマ漫画や見開き二ページで終わる女性雑誌のマンガを読むのでも

精一杯。体力的にマンガを読むということができないのは 非常に残念。昔の

コミックスだって持っているのに 読むのに飽きてくるんだもん、歳はとりたくない

何の話だ?そうそう 雨の一日という歌にはいろいろと重ね合わして思うことが

あったりして その言葉のフレーズを聴くだけで 私はグ~ンとタイムスリップする

やはり、歳はとりたくないと思うのだ。





雨が 止んだのか?鳥の声がする。九州では 散々な雨で 大きな被害がでないよ

う祈るしかない。しかし 全市民避難って そんな無茶苦茶だよな。で、解説では

本当に全市民が避難所に行くというのではなく 安全なところの人はその場で様

子見をするってことらしい。我が家も先日 町から配られた土砂災害ハザードマッ

プで急傾斜地区になっている。が、避難所は 書かれていなかった。書かれている

のは 国道沿いの公民館。山が崩れるような雨が降ったら 川沿いの道を通って

海辺まで行けってちょっと おかしいような気がするし、 津波の時に近くの高台に

地区の人が避難できる避難所も いっこうに作ってくれず、いまここで大地震とか

起きて高台に避難しても 屋根もない原っぱに傘をさして立っていろということだ。

作るという話が出て もう二年や三年じゃないんですが・・・いったいどうなのか?

町も県も 人口減少を食い止めるために 補助金やなんかをだして移住者確保に

必死です。地元に働く場も作らず 若者のほっとんどが大阪や東京に出る。

県は和歌山にIRカジノを誘致しようとし、町は今度はロケット発射場を町所有地に

事業者に無償貸与を決めたんだって。


ロケット発射場といっても ロケットの規模は種子島とか比べたらちっちゃいよ。

種子島宇宙センターでのロケットのH2Aは全長は53m 内之浦宇宙空間観測所

のイプシロンは26m、最近話題のホリエモンが関係した北海道 大樹町実験場の

MOMOは10m。今回の串本町のロケットはMOMOより大きい18mとある。管理主

体がJAXAのように有名なら、万が一計画がとん挫してもなんか大丈夫な気がする

けど、スペースワン社はキャノン電子とIHIエアロスペース、清水建設、日本政策投資

銀行の共同出資で設立した≪新世代小型ロケット開発企画≫。大丈夫なのか?

いまは 紀伊半島を結ぶ高速道路の延伸工事で国道をダンプが走っているなかに

この射場工事のダンプも交じってきたそうだ。新聞によれば(読売新聞)、早くも

町には旅行関係会社から打ち上げツアーの計画、飲食店開業を希望する人のIター

ンの相談があったそうだ。20年代半ばに年20機の打ち上げを計画し、県内の経済

効果を10年間で670億円、建設の初期投資効果を28億円、観光客の宿泊等で年

間13億円と試算してるらしい。ま、獲らぬタヌキのなんとかではないかとも思うけど

相変わらず 陸の孤島和歌山は 観光で生き残ろうとしてるようです。北海道なら

ほかにも回って観光しようという気にもなるけど ここ(串本)ってほかになにある?

結局は 白浜のパンダや那智勝浦の温泉と熊野古道に行って来よう!にならない?

ロケットで地域活性化って 博打に近いような気もする。宇宙は たいていの人が

ありとあらゆる想像をする 夢の塊りだと思う。宇宙人はいるのか?ブラックホール

は?地球の誕生?宇宙飛行士になりたい、月に行きたい・・・たしかに こんな近場で

ロケットが打ち上げられるのを見ることができたら わくわく感がすごいけど

機器の不具合や天候不順とかで すんなりと打ち上げられることが少ないイベント

でもある。失敗しても私の懐が痛むわけでもないのだけど、あ、でも 税金とか

使われてるのか・・・?2021年に無事に 打ち上げることができたら 拍手だね


嫌がらせではないです、ボケちゃいました。

建設の事業費は非公開、ロケットは設計段階、打ち上げ価格も未定。いったい 何

を打ち上げるんだろ?射場の下になる磯場は 高級イセエビの盛んなところ。

打ち上げの期間中は 周辺海域は休業を強いられるんだって。年に20回も休漁

すると大変だなぁ・・・


雨の一日だったのが、夕方にかけて晴れてきました。明日(5日)も 晴れ間が見える

とか。よどんでいた川にも勢いよく流れができて 私が刈った田んぼには 池のよ

うな大きな水たまり。カモが二羽 浮かんでいた。梅雨だな・・・・




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桜満開

2019-04-08 05:30:00 | 和歌山県
四月も一週間、早い早い。気温の上昇がよけいに 何かに追われるようなそんな気持ちに

させて、かといって テレビCMの歌にある≪難しいことを考えると急に眠たくなってくる≫状態の

ように行動をするわけではなく しなくちゃと思うだけの今日この頃。 

 いつものように こげとの散歩に出ると このところ毎日のように こげの

歩行が危うくなってきている。人間同様 脚があがっていないのか つんのめったり がくんと

腰が落ちるときがあります。私も 言わなくていいのに「ほら、こんな遠くまで歩くからよ!

若いときのように元気に歩けないんだからね」とか「家に帰るまでに おまえが動けなくなったら

私が家まで車を取りに行って戻ってくるまで 道端にいなきゃならないのよ」とかブチブチと

いや、こげに言わすとネチネチと小言を言っている。

散歩コースの一番 遠距離を歩くと 必ず脚がもつれて 腰カックン、前両足カックン、顎まで

打ちそうになることもある。そこまで歩かなくてもいいのにと思うのだけど どうやらその日の

排便次第で決まるようだ。でも この説は 怪しいもので全部出し切ったら早めに帰宅・・・とは

限らず、全部出し切ったら絶好調で散歩の遠距離コースを歩くこともあるのだ。

これから 夏の期間はいったいどうなることか・・・おまけに ご近所のオジサンが周辺の

ワンコに犬用おやつを与えたがって二時にこげが自宅に立ち寄るように躾てしまった。

私は療法食を与え できるだけ市販のジャーキーは避けているのに・・・断り切れないし

でも こげの寿命からすれば好きなものを最後は食べたいかなぁと・・ふだんも おやつ類は

あげてないし。服薬のときに混ぜてあげるくらいで 最近は 畑で採れた大根を小さく切って

あげたら 生でシャキシャキと食べるし、柑橘類の 八朔だって 散歩から帰ってのどを潤すように

嬉々として食べる。なので 私は ゆっくり散歩後の一息がつけないで こげのために八朔やら

イヨカンやらもちろん温州ミカンだって剥く側に回っている。どちらも好物らしいのが多量は

与えないけどね。 市販のジャーキーは 保存料や添加物、着色料がふんだんに使われていて体に

いいことはないんだけど、ご近所のオジサンに そんな一般的なジャーキーはやめて・・ください

と言えないので・・・おまけに これから 散歩の時間を徐々に遅くしていこうと思うので

こげが立ち寄るまでに 急いで外出先から帰ってきたりされるのはこちらも少し辛い。おいおい

お願いしようと思うのだが なかなか口下手な凹さん、相手に良からぬ誤解を与えないか今から

不安でいっぱいだ。

新しい元号が決まった一日、桜のほぼ満開の写真を撮ってきました。

    

いつもなら下の川には もう少し水があって散り始めたら水面いっぱいに花びらが漂ってきれいなんだけど

今年は雨が少なくて 流れるほどの雨が降らず 降ってもすぐに干上がっていきます。なので今は 干上がった川原状態に

なって、おまけに水中に生えていたコケが天日干しされて石の表面が 真っ白。どこか異次元を歩いているようで

そのうえ 臭い。



臭いので カメラを上に向ける・・・あ、でも川に水が無いということはこうして桜の枝に手が届くことができて

青空とマッチしてきれい。



辛うじて水があるところに行って 水を飲もうとするこげ。コケだらけの水は美味しくないと思うけど。昆布だし汁みたいな味がするのか?

といつも思うのだ。いや、水は水か・・・



ここのサクラはなんという品種なのか?遠目に見たら白っぽいような気がするんだけど ソメイヨシノは芯が赤くなってくると

散り始めるサインだとか・・・ 付近の山のサクラももう散っているのも多いし でもうちの裏山のサクラはいま、やっと開きだした。

桜って 一年中 どこかで咲いているんだって。そんなに種類があるのに 春のサクラが一番注目されるのは不公平だよなぁ・・・

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ドキッ!

2019-03-14 05:30:00 | 和歌山県
いやはや、昨日の地震にはドキッとしました。

いきなりだもんなぁ。。。。いや、地震はいきなりなものなんだけど、それまで地震は

ほとんど無かったので、油断してました。

私は お昼からのCS放送での≪救命病棟24時 第5シリーズ≫を見終わって チャンネルを

地上波に替えたときでした。2時になったらこげと散歩に行こうと思い それまであと15分ほど

ワイドショーを見て、と思った時にユラユラっというか天井がガタガタと音がして「あ、地震や!」と

立ち上がってテレビ画面をみたけど 民放はなにも表示しません。こんなときはNHKだとチャンネルを

替えてみても 和歌山県南部で地震とあるだけで 震源地がどこか 震度がどれだけかとは出ていません。

地震は小さい揺れが 止まったかなと思うと、揺れ戻しのようにまた揺れるということを二、三度くり返し

止まらへんのか?もっと大きく揺れるのか?不安になり天井を睨んでいただけで、いまのうちに玄関の障子を

開けておいて、飛びだせるようにしておきました。待っていても 震度は出ないし 揺れてこないようだから

こげを散歩に連れて行こう、そのまえに母屋に声掛けて・・と母屋に行きかけたときに

役場からの放送が「和歌山県南部で震度4の地震が起きました」と放送されたので

「いまのが震度4ってことないよねぇ」と母屋に行っても返事はない。真っ暗だし おばあちゃんは外に

いるのかと見渡してもいないし畑にもいない。それで また母屋に入っていくと 居間で布団を敷きっぱなしで

いるおばあちゃんを発見。モゾモゾ動いているから心配はなさそうだ。「南部で4と出ているけど」と

起き上りもせずに声がするので「散歩に行ってくるわ」ともう一度言ってこげを外に連れ出しました。

しかし、動物って地震のまえになにかしら反応すんじゃなかったの?こげはぼーっと横になっていたように

思うわ。

いつもの散歩コースでは ふだんと変わらず人っ子ひとりいません。あれが 震度4ってどうなんだよ・・

私の疑問と文句が頭に渦巻いていたら ちょうど川向こうを歩いてくる人が・・・

あれは 消防署を退職した人だ。こげがコースを替えたので その人の歩く方に行って聞いてみた。

「あれは震度4ってないよねぇ」「僕は外に居て知らんかったけど家に入ったら そんなふうに言うし、

和歌山県南部って出ても、白浜・田辺で4が出たら和歌山県南部が4というふうに出るんや」と教えて

くれました。たしかに 帰宅してネットで調べたら 串本は震度3となっていました。が、私の家の

揺れ方は震度2より少し揺れたかどうかという感じ。第一 震度計のある場所も知らないので

我が家と串本や潮岬とでも揺れの差はあったんだろう。しかし、ものの数分でお嫁ちゃんから

「和歌山県南部で4と出ています。大丈夫ですか、心配です」と速攻メールが来ました。

だけども私は散歩で外にいるし こげが早足で歩いているからスラスラと打てません。

なんとか打ち終えようとしたときにまたメールが。今度は舞鶴から大学時代の友人です。

「ありがとう!大丈夫です」と打って心配されているんだ・・と思うと、なにか申し訳なく思いました。

今回は 南海トラフの地震ではなく紀淡海峡あたりのフィリピンプレートの奥のほうでの地震だというので

津波も起こらず事なきを得たのだけど、東日本大震災の記憶もまだまだ鮮明に残っているのに

自分の油断にこの先大丈夫かと不安になりました。非常持ち出しリュックも今年は見直してないし

こんなことではいけないと痛感したのでした。※串本町串本 潮岬 は震度2だったそうです

幸い県内でも被害もなかったようで 何人かはけがをしたそうだけど 不意を突かれたというか

慢心を抜かりなく突いてくる地震は 不気味だ。


                     ツルニチニチソウ

どうか、皆さんにも被害がないよう願います。

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ヤマザクラ

2019-03-10 05:30:00 | 和歌山県

                      3月1日

前回の記事で載せたつもりが忘れていたようです。その時のサクラがこのような状態でした。

同じサクラを少し離れて写したのがこちらです。↓


                      3月5日

3月に入って 新聞、テレビではあれから今年8年になる・・・あれから、というのは東日本大震災のことです。

もうそんなになるのか。。と思っていたのですが、たまたま偶然CS放送で≪救命病棟24時 第3シリーズ≫が

放送されていて、とても胸に来るものがありました。地上波で放送されていたのは東日本大震災の起こる

だいぶ前だと思うのですが当時は私は観ていません。、最初は「えッ、私の小栗旬が出てたんや」と観ていました。

彼は父が町医者で兄は優秀な研修医、自分も医学生、しかし兄が優秀すぎて少し卑屈なところもあり 爪には黒いマニキュア、

金髪でハードロッカーの様相です。そんなときに 東京で直下型大地震が起き、兄の勤める高度救命医療センターは

病院も大被害を受け診療はとても無理だという状況に 江口洋介扮する進藤先生がてきぱきと指示をし 運ばれてくる

患者を受け入れそれこそ、戦場のような状況で終わりのない医療現場の様子に ぽか〰んとしていた小栗も少しずつ

何かを手伝おうとボランティアのリーダーとして動き出します・・・

10数年前のドラマですから 映像も確かにちゃちなところもありますがしかし地震での街や 病院内の様々な

医療器具が飛び散るシーンには こういうことなんだと地震の恐ろしさに驚きました。

この時は 阪神大震災の教訓から学んだことを踏まえたドラマだと作り手側の意図と 医療現場の過酷な状況を

知らしめるものだとおもうのですが、津波が起きる・・というシーンはありません。

ただ救命の優先順位 トリアージというものがあるということや 災害ボランティアに参加するということなど

日本では遅れていた分野を教えてくれています。ぽか〰んとしていた医学生小栗も 最終話では研修医となって

この高度救命センターに戻ってきます。その前には みんなが大都市東京の復興など無理だと思い始めたときに

進藤先生が神戸の新聞社から 阪神大震災直後の神戸の街の写真と、その同じ場所の十年後の写真を取り寄せ

壁に貼り、東京も復活・復興できると頑張るのです。医療関係者だけでなく 私のようなおばさんでも何か

できるのかな・・と思いました。

このドラマの数年あとに 東日本大震災と大津波に日本は襲われるわけです。


3月11日が近づき 関西のテレビ局でも毎日のように南海トラフの大地震と引き起こる大津波にどう対処するのか

各地の自治体に取材し放送しています。私の住む串本町でも 役場を高台に移転する計画があり、いまは町立病院と

消防署が高台に、そしてそこにつながるように高速道路の工事が始まっています。町内で高いところは潮岬とサンゴ台

しかし、それ以外の土地に住む町民は家の近くの少しでも高いところに避難するしかありません。

海に面しての防潮堤も 海岸全部を囲いきることはできず 土地のかさ上げなどもできません。

ある番組では町民の方が「津波が起きたら逃げなくてはいけないけど 高いところが無い。国も町も高いところに

移り住んでくれというけど、それはムリや。お金がある人は高台に土地を買って家を建てられるけど、な。

国や町が家を建ててくれたら移れるけど」と言っていました。まったく トルコトルコという前にもっとなんとか

することもあったと思うよね、と観ながら思ったのでした。東北の復興の様子も遅々として進まず、私たちが得た教訓は

逃げることだけ。東北は 原発の放射能の影響もあり 除染した土が山積みになりどうもこうもできず そりゃ被災地の

人からすれば 東京五輪は 復興五輪と言われても期待もできないだろう。どこか 忘れられているような気がする。





こうしてのんびり、こげとの散歩もいつ何時避難生活に変わるかもしれません。



ヤマザクラも満開に近く 夜になれば カジカ?か声の良いカエルが鳴いているし、この間は「テッペンカケタカ」とホトトギスが

鳴いていました。そういう風景が 日本のどこにもあるはず。そんなありふれた毎日の 過ぎていく時間をもっと大切にしていきたいと

思うのです。

東北のみならず 日本中にはヤマザクラや桜の花を楽しみにしている人がたくさんいて その昔からの風景が

大地震や自然災害で崩壊してしまうのは残念だけど そういうことを繰り返して今になっているし、

そこから学んでいかなければと思う。遠い先もこのサクラを見たいというより 自分もこげも高齢化になって来たから

そうだなぁ、とりあえずまた来年も見られたらいいね・・・
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台風一過

2018-10-12 05:30:00 | 和歌山県
そうそう 義母から停電する前の夕方 近所の人から「公民館に避難しよう」と言われていきたくないけど

何かあった時に辛いから 行ってくるわと電話がありました。海から離れているしそこまでするものなのか?と

思ったけど。


停電は 私が朝食を食べ終わり 少し明るくなってきた朝7時前に復活しました。その頃

起きだして自分でインスタントコーヒーに湯を入れ 食パンをどうやって焼こうと思案している

おとうさんには 「ラッキー!」というタイミングでした。私は グリルで食パンを焼いたことを

自慢したくなって、「私はグリルでパンを焼いたけど グリルはナン専用にして魚を焼かずにしておいて

良かったわぁ。魚焼いていたら さすがにパンが臭いよね」と言った。そうです、うちでは

たまに長男君の勤め先から 冷凍インドカレーとナンを購入するので ナンはグリルで温めることにして

焼き魚はフライパンで焼くことにしている。だもんで グリルはメチャクチャきれいなものだ。

でもおとうさんは 電気が復旧したので、いつものようにオーブントースターでパンを焼いた。

いつもよりまだショボい弁当を持っておとうさんは出勤していった。


さて、本日の予定は・・・とおばあちゃんのいる母屋に行くとサッパリはっきりしていない顔で

「ゆうべは停電と雨が心配でなかなか眠れず 懐中電灯を点けて≪漢字カナオレ≫をやっていた」と

言います。停電のさなか 漢字パズルを広げるのもありかも・・・と思ったけど(笑)

「でも、なんか行き詰ったので そうや歌でも歌おうと・・したけど 若いころ流行っていた歌も

忘れてしまって、そうや唱歌やったら歌えると一人で唄ってみた」と言います。私は

おじいちゃんを在宅でみていた頃に ≪夕焼けこやけ≫をおじいちゃんが歌っていたことを思い出し

それを歌わなかったのか聞くと、おばあちゃんは「その歌は嫌いや」と一言。それは看護していたことを

思い出したくないのか、おじいちゃんを思い出すのが辛いのか、よくわからんけど。あまり元気の出る

歌ではないことは確かだけどね。とにかく まずは家の周りに周囲の山々から飛んできた葉っぱや

雨樋や屋根の様子をみてからということになりました。次の台風25号が発生していて また日本を

狙っていそうだとニュースも聞いていたので それに備えて裏の溝を掃除しておかないといけません。

思ったほど雨が多量に降らなかったので良かったけど 溝も落ち葉でいっぱいでした。



本当なら 明日2日はおじいちゃんの月命日であるから前日にお墓の掃除をしに行くのだけど

こんな状態だから お墓には明日行って掃除とお墓詣りをしようと。ここ何か月 いつも大雨のあとに

お墓掃除ばかりを繰り返しているので、嫌がらせかと思っています(笑)ちゃんと朝夕 仏壇で

般若心経を唱えているのにお墓の上にバリアを張って葉っぱが落ちないように協力でもしてくれたら

下界の私たちは おじいちゃんとご先祖様に 感謝感激雨あられ・・なのに。

葉っぱは シイの葉が多く 台風一過の好天で乾いているのか シイの特性なのかコンクリートの上で

気持ちの良いカサカサという音をだして掃き集められるのです。おばあちゃんがポツリと

「これが大判小判ならなぁ」たしかに、このゴミにしかならない葉っぱたちが お金に変身してくれたら

ひとつ残らずきれいにかき集めるのに 大爆笑です。

近所を見ると 昨夜懐中電灯で屋根を照らしていたお宅の屋根には さっそく屋根に大工さんかだれか

上がっていました。早朝にはそのお隣の家の人が ブロック塀から外に飛んでいった物干しざおを

拾いあげていたし、どうも強風は川向こうに強く当たったみたいです。でも 反対側の我が家も

竹やぶが聞いたことの無いようなゴォ~というか ボォ~というか ガァ~というか、想像では

あの孟宗竹が 歌舞伎の連獅子みたいに頭をグルグル回しきっているようなそんな感じでブンブン

物が飛んでいっているような夜だったのです。おとうさんは出勤して 家の掃除や片付けは老婆と私で

ボツボツとします。裏の溝に落ちた葉っぱを掃き集め 庭の葉っぱも掃き集め 離れの屋根をみたら

この間大工さんが掃除してくれた雨樋がまた詰まって葉っぱが山盛りになっています。これも掃除です

庭と溝でゴミ袋四袋。雨樋は大きい脚立を立て掛け そうだな≪ショムニ≫で江角マキコさんが抱えて

歩いていたくらいのを使います。上がるのは私だけど 屋根まではとてもじゃない、雨樋だけ。

でもね おばあちゃんと片付けながら笑ったんだけど 「樋の掃除で梯子、脚立を使うとなっても

すぐ家にあるのはおじいちゃんのおかげやね。」そう 道具は大体揃っている、使いこなす自信は皆無だけど。

私が見回した範囲では割れた瓦もなく ヤレヤレでした。雨樋だけでも ゴミ袋の半分以上ありました。

散歩の途中で 付近の様子を見たけど 庭木が傾いてしまった家が。川の水も増えていなくてよかったけど

うちの田んぼに どこからかのトタン板が。たぶん田んぼの上にある お隣の車庫兼農機具小屋のトタンだろう

見事に壁と屋根が剥がれているから。しかし持ち主は 都会の子供のところに行ってしまい 田舎のことは

放棄されてるようで、自宅も田んぼも畑もまるっきり草ぼうぼう。春の彼岸に息子が来てたけど。

田んぼに飛び込んでいたトタン板は大きい一枚ではないので私でも運んで車庫兼農機具小屋の近くに飛んでいかないように

すればいいと、でも新しくどこからかまるまる一枚のトタン板。あれはどこからか・・・きたんだろう。お墓掃除のあと

あれも撤去しておかないと 台風が去ったら 本格的に草刈りをしないと お隣の家を言えなくなってしまう。

なので 二日の日にお墓で掃除中 姫路に住む小・中・高校の同級生から「大丈夫だった?」とメールがきて

初めて彼の実家が(海の近く)大変なことになっていると知りました。我が家は山間部のほうになるので 国道まで

出て行かないと海辺の様子がわかりません。人からの情報も ありません。国道には堤防があってその前には

テトラポットが積まれていたはずなのに 暴風で大きな家の屋根が飛んで飛んでいったとか、近くの港の

漁船が荷さばき場に打ちあがっているとか 暴風と大潮が重なったせいなんでしょうか・・・。

私が子供のころは 風よりも雨の心配だったともう。山の中に 貯水池があって 昔は稲作農家も多かったので

側溝の手入れも、貯水池の手入れも行き届いていたけど いまは貯水池の水を使うこともなく たぶん出水の

ひ(栓)は開けていると思うけど 側溝が山の土砂でふさがっていて 大地震とかで決壊すると 一気に

下ってくるし、大雨で川の川底が高くなっているため浸水の可能性も大きい。おまけに大昔にはその貯水池のある山まで

大津波がきたようで うちの山には海岸にある丸い石がたくさんありました。そうです 大津波が起こればここまで

津波が来るかもしれないし、大雨で決壊すると 下流に向かって我が家は浸水か流されてしまう可能性があるのです。


夜になっておとうさんから 町内の国道は打ち上げられた海からのゴミが散乱して 駅の屋根が吹っ飛んでしまっていたり

停電も各地区によって復旧がまちまちだったことなど聞きました。だいたい どのあたりの国道で打ちあがっているのか

想像できるけど 国道を挟んで家や建物が多くあるので 全壊した小屋も見かけたとか。すごい台風だったのに

停電するまでニュースで取り上げられているのを見たけどNHKはひどかった。他局をなぜか観てなかっったのもあるけど

NHKは串本の高台にあるホテルの中から ヤシの木みたいのが二本映し出され中継のアナウンサーは屋内から

「わたくしは 安全なところから中継しております」と前置きをしながら何回も同じパターンで語りだします。

カメラの方向も 何時のニュースでも同じもので ただただ ヤシの木らしきものが揺れているのをみせます。

いや そこよりもっとすごい潮岬の様子や せめて海に近い国道、なんならうちのスゴイ吹きすさんでいる竹やぶの

中継のほうがすごさを物語れるよ・・・と。高知の無人カメラだったか 海岸に打ちつける波は 半端なくものすごさを

見せてくれたのに…。あの中継で この高台のホテルに NHKは六人もやって来て泊ったんだってさ。二人か三人で

十分できるよ あのくらいの映像なら。


後日 公民館に避難した義母から 停電してからみんなでトランプをしたと聞きました。でも自宅の横の空き地の三分の一くらいまで

川から逆流した海水が上がってきていたそうで ここに住んで60年以上になるけどそんなことは初めてやったと。

海まで距離はあるのに、と思っていたけど 避難していてよかったやん・・。

この一週間、車で国道を走ってはみるけど いまだ国道に打ちあがった 木切れや船で使うブイや打ち上げられた小石などは

寄せ集めてはいるものの 撤去とはいかず、雑木の折れも見かけます。町内でも被害は大きくないのか報道もないですが

そのうちいろいろ聞こえてくるんだろうと思います。屋根にブルーシートを掛けている家はありますが。

一週間以上たっても 隣のすさみ町への国道も ゴミがいっぱいで波の力で こんな石が打ちあげられるのか?と驚いたけど

昔 亡くなった姉が(この人は 台風の波や雨を見るのが好きな人で)国道を車で走っていた時 ザバ~ンと堤防を越えた波が

軽自動車の上に落ちてきて 天井が見事にぶら下がるように凹み、友人と中で押し上げたら復活したって笑っていました。

そんなときはワイパーも捻じ曲がるし、下手するとどこかに飛んでいくとも・・・。海岸に面したお店や家は

応急でベニヤ板やブルーシートをかけたり きっとあまりに激しい暴風と波だったから避難していたんだろうけど、帰ってきたら

無残な玄関先や屋根になっていたら ため息しか出ないわ・・・だけど 人的被害がほとんどなかったのが良かった。

 

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古座校舎

2018-07-04 05:30:00 | 和歌山県
      

半月遅くなってしまったけど、先月15日付の読売新聞和歌山版に大きく掲載されていた記事です。

私たちの中高校時代には 通学圏内にあった県立古座(こざ)高等学校が今年度末で百年の歴史に幕を閉じるそうです。

長男君が通ったときは 県立古座高校でしたがその頃から生徒数が減少し、当時も学校を残そうと卒業生から在校生家族に

いたるまで 存続の署名活動をして 校舎は残ったけど校名が 私たちが通った県立串本高等学校とそれぞれ統廃合されて

県立串本古座高等学校古座校舎、串本校舎と名前を変えて存続していました。記事によれば 大正七年に串本高校・古座高校

(1918年 当時は串本実業学校、当時は古座実業学校)で開校され、生徒数減少で2008年に串本高校串本校舎・

古座校舎となって 校舎は残ったわけです。しかし、古座校舎に通う生徒数が激減したのでしょうか 2017年度から

古座校舎のみ募集停止になって、そしてとうとう今年度末で校舎の役割を終えるそうです。

 私が通っていた頃は串本高校には一学年9クラスで一クラス40人前後でしたが 次男君が串本高校に通った時には

一学年たしか4クラスしかなかったと思います。いまは串本町になっているけど昔は古座町があって 古座町の

中学生はほとんどが古座高校に通っていたと思う。同じように串本町の中学生はほとんどが串本高校に入学していた。

それぞれの学校に由縁があれば親も子も同じ高校の卒業生のパターンが多い。私も串本高校だしおとうさんもそう。

おじいちゃんも実業高校のちの商業高校だった串本高校卒だ。長男君が中三の進路希望で 古座に行きたいと行った時は

「そういう選択もあったんだ」と思ったし、その頃から新宮市にある近畿大付属高校に通ったり 田辺市の田辺高校や

寮に入って御坊市の高専にいく生徒が町内でも見受けられるようになってきていた。高校から私立に行くのは

大学に行きたいと言いだした時に 親の負担もあるしべつに串本高校でなくても 古座高校でいいやん・・と思ったのです。

でも少子化の影響はすさまじいもので あれよあれよという間に 私は自分が卒園・卒業した幼稚園、小学校、中学校、

高校と統廃合されてまるで化石のような感じの、歴史に校名だけが残る卒業生となってしまった。それは長男君たちも

同じで 園舎や校舎だけ形が残っているなんともわびしい風景です。

新聞記事には、記念のメッセージボードに卒業生の≪青春の思い出を寄せて≫と呼びかけている・・・とある。

卒業生の長男君がそれに応えるかはわからないけど、私の卒業した串本高校はしばらくは存続するのではないかと思う。

紀伊半島の先端に隣り合った旧町それぞれに一校ずつあった高等学校。そこからそれぞれ田辺市、新宮市の高校に

通えるようになってきたから一つの高校を残す案が出るのもわかる。

古座高校には長男君が通っていたときや 自分が高校生の時に文化祭を見に行ったことがある。イメージは

古座高校生は真面目な優秀な生徒が多い。反対に串本高校生は やんちゃ?って感じの・・・

古座高の卒業生は約1万5,000人いるとされるんだって。どうする、長男君!メッセージはないのか?

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昼食は

2018-04-26 05:30:00 | 和歌山県
前回の記事から すごく日が経ってしまいました。

ここ数日 タケノコ掘りに精を出していました。今年は 各地の産地では豊作だと報じられて

いましたが、我が家の孟宗竹は不作で おじいちゃんが元気なころは 肥料を振って育てていた

けど ここ何年かは生えてきたら掘るというだけで 年々小ぶりで本数も少なくなってきていたのが

とうとう、今年になってはっきりと不作だわ!と・・・。竹に寿命があるのなら それもあるかもしれません。

そこに サルが参戦するから 大きめのものは先に採られてしまって そのおこぼれを掘るという感じ。

だから 配っていく先には 「今年は出てくるのが遅く小さいものですみません」と加えて貰ってもらいます。

でも、私もおばあちゃんから タケノコ掘りの免状を頂けるくらいになって、つぎは茹での技術を会得しなくちゃね

と笑いあっていますが、今年のような不作だと 茹での腕を磨くことも来年には無理かもしれません。

本数が少ないから いまだ義母宅には持って行けずに・・・トホホです。おまけに 一人で竹やぶに入った時に

ハビが(マムシ)がいて、ひえ~と後ずさってその日は クワを置いた次第です。昨年から 山椒採りでも

タケノコ掘りでも なぜかハビが現れて・・・血の気が引くってまさにそんなことがあるのです。





義母が 滝の拝で昼食の予約を入れていた 里山カフェ 花子 さんです。

私が危惧していた 古民家の言葉は悪いけど「え?こんなところでごはん?」ってところでなくて

安心しました。建物も新しいし 中もきれいで 、でも最近ホテルでも洋服とかロビーや土産物コーナーで

売っているところがあるでしょ?ここでも 婦人服がパイプハンガーに何着も掛けられていて ぼたん荘でも

串本ロイヤルホテルでも なんで婦人服?って思うのよね、観光に来て服を買っていくのってよくわからない。



この日の日替わりランチです。

熊野牛のステーキとカツオのたたき。生野菜と小皿には ゴンパチの何か・・(忘れました)と ほうれん草の白和え・・だったかな

お肉は柔らかく 山の中に来て カツオかよ!と思ったけど美味しかった。これで880円です。食後にはコーヒーを飲み

なぜか義母のおごりでゴチになりました(笑)。花子さんのスタッフさんは 若くなく ゆったりとして落ち着いているのか

続々とお客さんがやって来て それも屋内のテーブルは全て予約席。オープンテラスは それ以外で埋まっていきます。

味も美味しいので リピーターらしい一団も来ていました。滝の拝って アユ釣りとかしなければ 何もないところなんだけど

こうして ゆっくりご飯を食べに来ても十分気分転換になるところだと いま、気がついた次第です。

向かいには 滝の拝太郎という道の駅があって 手づくりの帽子や かごとか売っていました。私は 最近お気に入りの

三尾川で作っている ブルーベリージャムを買いました。甘くないので気にいっているのです。

このあと、佐田の桜まつりに行ってはみたものの すでに今年は桜の季節を終えた感があって、広場ではカラオケとか

やっていましたが 見るほどの桜もなくて 帰路に就きました。

義母は 日置にも穴場なるものを見つけているそうで 次回はそこに行きたいなと思ったのでした。



あ~ あいだがあくと 書きたい言葉が出てこない・・・・あ¨~
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