一昨日の夜、久しぶりに雷の音を聞きました。天気予報で、今年になって「ところに
よって雷も」というフレーズを聞いてはいたけど、意識したようなことはなかった。
雨も降りだしてからのゴロゴロという音は 夏や秋の稲光と爆音のようなものを引き連
れず、ただ静かにゴロゴロと聞こえていました。怖がりなこげはその時には もう居間
で横になって眠っていたので、こげにも怖さを感じない雷だったのかもしれません。
虚子編≪新歳時記≫には 春雷 雷は夏に多いものであるが、それがまだ春のうちに
鳴るのをいふ。柔らかな春にはためくのも趣がある。そして餘りいくつも続けて鳴らず
一つ二つで止んだりするのも春雷らしい。春の雷(らい)。とあります。この日の雷は
一つ二つではすまなかったけど、たしかにどこか柔らかいような感じに聞こえました。
春雷・・・昔の歌にあったのを思い出しあれはさて・・・ふきのとうというフォーク・
デュオだったか・・・検索したらばぴったしだったが、歌自体を覚えていない。
久々に歳時記をめくると、あぁこんな季語があったのか、とかそこに書かれた意味も
言葉もなんてきれいな言葉なんだろうと感心する・・=普段の言葉づかいがなんてラン
ボーな・・と。そうだな、学生時代聴きいった歌の歌詞を思い出すと、なんとも
おとなしい歌詞の多かったことか。メロディーも、歌う歌手も雰囲気をもった人達だっ
たんだ。しかし、そのほとんどがいまやもうテレビのどこにも姿を見せない。テレビに
出ずにヒットを出した歌手たちは、いまさら懐かしの名曲と呼ばれても、出演はしない
ひどく懐かしがって、私の≪懐メロ≫としてこっちの記憶も危うくなってしまい、二度
と正調として歌えなくなっていっている・・・ニューミュージックと言われた時代が
とても懐かしい。
シダ
シダの芽ぶきをみつけた。一瞬、この穂先に「ワラビか?」と思ってしまったけど、
これは穂先も軸も非常に硬いので ゼンマイでもなくこのままシダになるもののようで
でも、この黄緑色はとても春の色だね。
うしろの茶色い軸は昨年のシダの軸、若々しい色から成長後の茶色は人間の老いて
いく姿と同じだと今さらながらにため息モードになってしまう・・・
よって雷も」というフレーズを聞いてはいたけど、意識したようなことはなかった。
雨も降りだしてからのゴロゴロという音は 夏や秋の稲光と爆音のようなものを引き連
れず、ただ静かにゴロゴロと聞こえていました。怖がりなこげはその時には もう居間
で横になって眠っていたので、こげにも怖さを感じない雷だったのかもしれません。
虚子編≪新歳時記≫には 春雷 雷は夏に多いものであるが、それがまだ春のうちに
鳴るのをいふ。柔らかな春にはためくのも趣がある。そして餘りいくつも続けて鳴らず
一つ二つで止んだりするのも春雷らしい。春の雷(らい)。とあります。この日の雷は
一つ二つではすまなかったけど、たしかにどこか柔らかいような感じに聞こえました。
春雷・・・昔の歌にあったのを思い出しあれはさて・・・ふきのとうというフォーク・
デュオだったか・・・検索したらばぴったしだったが、歌自体を覚えていない。
久々に歳時記をめくると、あぁこんな季語があったのか、とかそこに書かれた意味も
言葉もなんてきれいな言葉なんだろうと感心する・・=普段の言葉づかいがなんてラン
ボーな・・と。そうだな、学生時代聴きいった歌の歌詞を思い出すと、なんとも
おとなしい歌詞の多かったことか。メロディーも、歌う歌手も雰囲気をもった人達だっ
たんだ。しかし、そのほとんどがいまやもうテレビのどこにも姿を見せない。テレビに
出ずにヒットを出した歌手たちは、いまさら懐かしの名曲と呼ばれても、出演はしない
ひどく懐かしがって、私の≪懐メロ≫としてこっちの記憶も危うくなってしまい、二度
と正調として歌えなくなっていっている・・・ニューミュージックと言われた時代が
とても懐かしい。
シダ
シダの芽ぶきをみつけた。一瞬、この穂先に「ワラビか?」と思ってしまったけど、
これは穂先も軸も非常に硬いので ゼンマイでもなくこのままシダになるもののようで
でも、この黄緑色はとても春の色だね。
うしろの茶色い軸は昨年のシダの軸、若々しい色から成長後の茶色は人間の老いて
いく姿と同じだと今さらながらにため息モードになってしまう・・・