一月一日、なんとまぁ驚きの二枚を発見してしまった!ごらんのとおり、あの舘ひろしが
31年前串本で オンステージなるものをやった・・みたい。これはおばあちゃんが
新年早々仏壇の後ろの物置きスペースで探し物をしていて、レース糸かもしくはサマー・
ヤーンとよばれる糸が入った箱を持ち出してきたもの。昔はレース糸など箱で買うとその
箱は蓋が透明のプラスチックで中身が見えるようになっていて、どうやらその変色を防ぐ
ために蓋の下に置かれていた。まさかおばあちゃんがするわけでもなく、もちろん私も
当時毛糸では編み物はしたけど、レース糸はやったこともない。おまけに長い人生、
舘ひろしのコンサート・・、もといオンステージを観に行きたいと思ったことはないと思
う。100%これは亡くなった姉の趣味だと思う。あの人は、当時こんな感じのタイプが
よかったような記憶が。
それにしても 1980年、ツアーで本当にこの串本くんだりまで来たのか!
それなら当時はそんな話で沸いたのかもしれないけど、今まで舘ひろしが串本で歌ったの
を聞いたというのを耳にしたことが無い。見に行った人は今、テレビに映る舘ひろしをみ
て「そうやったなぁ、串本に来たんや。見に行ったんや」と懐かしがっているのかもしれ
ない。サブタイトルが 明日はわからないぜ。
その下に小さく 太ったライオンが勝つか、しなやかな黒豹が勝つか。WHO KNOWS TOMORROW。
意味わからん・・・舘はライオンを倒す黒豹ということか、ただの黒の革ジャンのイメー
ジちがうの?なんかこの頃 キャッチ・コピーみたいなのが全盛で大藪春彦の本かなにか
に『オオカミは生きろ 豚は死ね』ってのがあったよね、もう少しあとかな・・・
百獣の王ライオンもその権威でメタボになってると黒光りの豹にやっつけられると言い
たいのか・・・。これはもうみつけた時にブログネタや!とドキドキしたのだ。
そのあと、おとうさんの実家に行ってテレビをみたら、今の舘ひろしが時代劇をやって
いたので「知ってる?舘ひろしが なんと30年前串本でオンステージをやったって」
「え~、この舘ひろしが?どこで?」「串本町立体育館で」「ほんまに?」
S席が2600円(当日2800円)、A席2300円(当日2500円)当時なら
このくらいでしょう。大阪で長渕剛もこのくらいだったし、郷ひろみもこのくらいだっ
た。主催のユタカプランニングという会社は今もあるかは知りません。この時はまだ
あの石原プロダクションには入っていなかったはず。
舘ひろし 調べたら
1950年生まれって還暦か、1976年に俳優デビューしオートバイチーム「クール
ス」結成して、レコードデビューしたそうな。亡くなった姉はたしか「キャロル」や
「クールス」のLP持ってたな。「泣かないで」がヒットしたのが1984年。ちなみ
に我が家では舘ひろしのCMのキリン「辛口麦」が昨年ヒット。あのサムライブルーの
缶がきれいで、飲むとま、ビールっぽい?本物のビールは高いからね。そうそう禁煙の
CMもやっていましたね。
そして、もう一枚のチラシに義弟もびっくり!なメジャーな歌手が新宮市民会館に来た
のだ。
この古い記事にコメントをいただけるとは、驚いています。当時は串本での学生ではなかったようですね、私と同世代・・でしょうね。でも このオン・ステージを見た!人に出会えて、ちゃんと催行されたのだと確認できました(笑)。あの頃は このような有名人のコンサートなどに行くこと自体が相当珍しかったのでしょうが、いまでは大阪まで永ちゃんを見に行くという話も聞きますし、時代が変わったんでしょうね。
当時からかなり有名で人気のあるタレントで、そんな大物が串本に来るのはかなり意外でした。
私はあの頃の舘が一番光っていたとおもいます。
このポスターは私は見覚えはないですが、コーラの缶を握り潰したポスターがあり、矢沢永吉への対抗心を当時はむき出しにしてて「太ったライオン、、、」もそうでしょう。
ユタカは串本の会社で、プロレスなども呼んでました。いかにも当時の地方の呼び屋さんという感じの人たちでした。
私は串本の人ですが、当時離れたとこに住んでました。ですが、夏休みで実家にいました。
串本の友人知人で観に行った人は一人もおらず、学校の友人と3人で観に行きました。
いくのはチョット気恥ずかしいような感じがあったのかもしれません。
夏の照り付ける太陽の下を田辺方面からくる友人を待って、串本駅から歩いて会場にむかったのを覚えています。
コンサートは盛り上がりがいまいちで、舘が「みなさんノリ悪いですよ」みたいなこと言ってましたが、最後は会場全体をのせましたね、さすがはプロとおもいました。私が初めてみたプロのコンサートだとおもいます。
舘はユタカの人たちと釣りに行った話もしてましたが、そのユタカも今はないようです。
このブログも10年以上前の記事ですが、私の古い記憶と重なりました。
いつまでも残ってほしいものです。