地震だ

2012年12月07日 | Weblog


 裏山の刈り払いは終わったのですが、刈り取った草や細い雑木類は、そのままにしておくと乾燥して火がついたら危ないです。刈り取っても何にもなりません。それなので、少しずつ運び出しては、安全な所で燃やしています。

 運び出すのは一度に軽トラ一台分だけです。それ以上運ぶと、今度は運んだ先で積みあげるか広げることになりますから、そちらで危ないことになります。それに、仕事量としては丁度一台分程度が合っていそうです。

 

 これは公園の林ですが、このような所はお金があるので、人を雇って掃除をするので、きちんと管理が行き届いています。裏山椎(うらやましい)でござる。

 

 刈り取った稲がまた伸びて枯れました。草が一面に枯れた様子を草紅葉(くさもみじ)と言うのだそうですが、それならこれは稲紅葉(いねもみじ)ですね。

そんな言葉は無いなんて言われそうですが、草紅葉だって元は無かったのではないかと思っています。おそらくは俳句で誰かが言い始めてやがてあちこちで使われるようになって市民権を得た、つまり季語になった言葉なのではないのかなと思っているのですが、間違いかも知れません。

 
 

 引っ越しの手伝いに行ったのですが、今は手伝いは必要が無いようです。手持ちぶさたなので手伝おうとしたら結構ですからと言われました。何かあると会社の方でも困るのでしょうね。
 ですので、ただ見ているだけでした。見るのも手伝いということに?

                                

 また地震です。驚きました。外にいたのですが、かなり揺れを感じました。物が壊れるのも嫌ですが、それより最悪のこと、つまり原発のことを考えるととても恐ろしいです。


 大きな地震があって思い出したのですが、『方丈記』には大地震のことが書いてあります。かなり大きな地震があったようです。ウィキペディアによると、そのことに関して次のように説明しています。 

    「 元暦2年7月9日(1185年8月6日)、大きな地震が都を襲った。山は崩れ海は傾き、土は裂けて岩は谷底に転げ落ちた。余震は3か月にもわたって続いたという。」

                                

 以下、長くなりますが、『方丈記』の地震のことを書いた部分の原文です。青空文庫からコピーしました。

  
 また、同じころかとよ。おびただしき大地震(おおない)ふること侍りき。そのさま世の常ならず。山崩れて、川を埋(うず)み、海はかたぶきて、陸地(くがち)をひたせり。土さけて、水湧き出で、巖(いはお)割れて、谷にまろび入る。渚こぐ船は、浪にたゞよひ、道行く馬は、足の立處をまどはす。

都の邊(ほとり)には、在々所々、堂舍塔廟、一つとして全からず。或は崩れ、或は倒れぬ。塵・灰立ち上りて、盛んなる煙の如し。地の動き、家の破るゝ音、雷に異ならず。家の中に居れば、忽ちにひしげなんとす。走り出づれば、地割れ裂く。羽なければ、空をも飛ぶべからず。龍ならばや、雲にも登らむ。おそれの中に、おそるべかりけるは、たゞ地震(ない)なりけりとこそ覺え侍りしか。

 かくおびただしくふる事は、暫(しば)しにて、止みにしかども、その餘波(なごり)しばしは絶えず。世の常に驚くほどの地震(ない)、ニ・三十度ふらぬ日はなし。十日・二十日過ぎにしかば、やうやう間遠になりて、或は四・五度、ニ・三度、もしは一日交ぜ(ひとひまぜ)、ニ・三日に一度など、大方その餘波、三月許りや侍りけむ。

四大種(しだいしゅ)の中に、水・火・風は、常に害をなせど、大地に至りては、殊なる變をなさず。「昔、齊衡の頃とか、大地震ふりて、東大寺の佛の御頭(みぐし)落ちなど、いみじき事ども侍りけれど、猶(なお)この度には如かず」とぞ。すなはち、人皆あぢきなき事を述べて、聊(いささ)か、心の濁りも薄らぐと見えしかど、月日重なり、年経にし後は、言葉にかけていひ出づる人だになし。