理屈と実情は違うことがあります。私が子どもの頃は、年を取った人は永遠にそのまま年をとった状態でいて、私自身はいつまでも子どものままでいると思っていました。思っていたというより、変わるということを知らなかったということです。実際は思いはしなかったですね。
しかし、いろいろなことが分かってきて、誰でも年を取っていくということが分かってきました。隣のおじいさんが亡くなったりして、最初はなんのことだか 分からないですが、だんだん分かってきて誰も年を取るのだ。、同じ状態ではいないんだということが理屈ではわかってきました。
時が経ち学年が代わり、今まで毎日顔を合わせていた先生がさよならと言ってどこかの学校に移っていく。あーそうなのか。と分かっていても、本当の別れとは分かりませんでした。だから何とも思わない。
青年になってからも、少しずつ年をとるということは分かりましたが、本当のところ自分が50才になる、あるいは60才になるなんてことは考えられなかったです。
人というものはそういうところがあります。地震など起こらない津波など来ない、車の事故などには遭わない、と思い込んでいて起こるまでは実際にそういうことが起こるとは思わない性質を持っているようです。
昨夜の月。 近景もいれたのですが、写りませんでした。
ところが話によると、空が落ちてくるのではないかと毎日心配している人が昔の中国にいたとか。
(杞憂)
空は落ちることはなくても、空からとんでもないものが落ちてくる可能性はあるそうです。それは直前まで分からないとか。
大きなw彗星が突然落ちてくることがあり得るのだそうです。落ちてくるものが大きければ空が落ちたと同じことになります。
100年くらい前にロシアの森林地帯に落ちたと言う話がありました。空が落ちると心配していた人は、お話の世界の人かも知れませんが、ずっと語り継がれてきていますが、まったく無いことでもないんですね。