「 光陰矢のごとし 」 とか、「 行く川の流れは速くして・・・」 とか、時の過ぎるのは実に速いものだと人は言い続けてきたようです。誰もそう思ってきたのでしょうね。
だから、何も怖がることはないです。いや、怖がっているわけではないですが、「速いなぁ」とちょっと時を惜しむ気持は多かれ少なかれ大抵の人は思っているのだと思います。
このごろカラスが多くなってきました。たぶん、餌の都合かなと思います。少なくなってきたのかなと感じています。
里の餌はあまり頼りにしていなかったのが、いよいよ人家近くに頼らざるをえなくなってきたのでしょう。カラスはうるさいです。鳴き声はどうも好きになれません。
今年も年賀状つくりにがんばってくれました。これが切れると、弾のない鉄砲、餌のついていない釣り針、ご飯の入っていない茶碗、ガソリンの切れた自動車と同じことになります。
それにしても値段が高いですね。一箱5、000円を越しますからね。あるときに故障したプリンターを分解したら、一番底の部分にスポンジの厚い板状のものがあって、それが真っ黒に濡れていました。
たぶん、撥ねたインク、つまりジェット噴射でしょうからね、を受ける吸い取り紙の役割をしてきたスポンジかなとおもうのですが、それだけインクが無駄に出されているのかなとガクッときましたね。
機械を安く、インクで儲けようという腹も見え隠れするような商法と疑っています。
西日を受けて暖かそうです 猫は身軽なのがうらやましいです
話はコロコロ変わります。今度は気候の話ですが、もしこのごろの気候が温暖化現象の影響なら、これからは今までの荒れ方などは序盤戦なのかなと思ってしまいます。暖冬がどうのこうのなど問題にならないくらい番狂わせの天気が続くのかななんて思ってしまいます。
それは、大きな川の上流に行くとちょっとした小部屋くらいの大きさの岩が川の真ん中に転がっていますが、あのような大きな岩を転がしてくるほど大雨が以前、何時のころかわかりませんが、確実に降ったことがあるという証拠だと思うのですが。
われわれが知っている天気の荒れで、あのような岩を転がすほどの大雨は今まで降ったでしょうか。
「 葦の髄(よしのずい)から天井を覗く 」 という言葉が昔のいろはカルタにありましたが、葦(よし または あし)の管を覗いて見える世の中は、ほんの一部しか見えませんから、大きな世の中を知ることはできません。
まあ葦などではなく、この目で見たって、そうは世の中分かるわけではありませんが。
私がこれからの荒れ模様のことを思うことなど、葦の髄からの言葉に近いものかも知れませんが、何かもっと荒れるのではないかという気がするのですが、それは杞憂で終わって欲しいもので、ぜひそうならないように願いたいです。
ただ、ある 「 日本の歴史 」 を読んだときに、静岡県にある、或る大きな川沿いの古代の集落の遺跡を見て行くと、時代とともに集落の跡が上流に移っていった形跡があるのだそうです。それは海面が上昇して、上へ上へと人を押しやったことを示すのだそうです。そういうことが起ころうとしているのかも知れません。