あと半分

2015年12月14日 | Weblog


12月中旬ですから、今頃は多少は乾燥注意報が出ても良いくらいなのですが、昨日などは水滴が落ちてくるくらいの程度の天気で、今日は一日中曇りです。明日はもっと崩れるのだとか。
湿っぽいかなと思います。

 

やはり、夕方それも暗くなってくると多少は暖房を考えないと指が冷たくなってくるのを覚えます。そりゃそうですよね。
人の気持というのは、すこし季節からはずれているかなと思うことがあります。いや、人の気持というより私の気持なのかもしれませんが、何だかまだあの涼しい美しい秋のことが、脳のどこかに残留していて、本当はまだ寒くないのではないか、とまでは思わないにしても少しそれに似たような感覚になっているかなと思います。

 

実際はもう、年賀状を仕上げていなければならないのに、デザインすら考えていません。喪中の知らせの葉書を毎日目に付くところに置いたっきりでいます。
もうちょっと、時期を先取りするくらいの気持があっても良いのに、時間ばかりが過ぎて行くのです。

 

サヤエンドウはこれくらいになりました。今は 「 かわいいね~、しっかりそだってくれよ 」 なんておもっているのですが、最盛期の頃を思ってみると、出来るわできるわ毎日サヤエンドウが食卓に乗り、最後には食べきれず図体が大きくなりワッサリと倒れんばかりに生い茂り・・・・・・。
「 硬くなってきたらグリーンピースだ~~~ 」 となるのです。

 
                           ブルーベリーの紅葉

12月も、もう半分になってしまいました。いろいろなこと、急がなくっちゃ。ゆっくりとコタツにもぐりこんで録画ばっかり見ていちゃ大変なことになるぞ。
と、自分に毎日言って聞かせてはいるのですが、なんだかだめですね~。




 

 

 


冬景色進む

2015年12月13日 | Weblog


朝は少し降っていました。その後は、パラパラと雨粒は落ちてきますが、雨とはいえないくらいです。ただ、曇りがちで冬景色っぽくなってきました。

 

構図は良くないと思いますが、とりあえず冬景色です。山茶花は花盛り。草地にもノラボウナが出ています。夏草は枯れ、冬草は青いままです。
立っている濃い緑の木は姫榊や榊、それから月桂樹です。普通の木は大木になり切り倒すのが大変ですから、風除けになると思って、邪魔にならなければこう言う常緑樹を生えるがままにしてあります。

こういう木は大木にはなりにくいですから、都合が悪くなれば切り倒すのは楽です。

 

畑のミニトマトは、まだ腐りきれずに赤いまま残っているものもあります。種がこぼれて来春は沢山の芽が出てくると思います。
邪魔なら除去しますし、他のトマトとのバランス、多すぎるなどの支障なければ、移植して育てるつもりでいます。

 

ビワの花は固まっていて、一つひとつはさっぱり主張していないので、しみじみ花をみたことがありませんが、ためしに接写してみたところ、こんな形をしていたのですね。
全然派手な花ではなく、気の毒なことにほとんど無視されています。

 

こちらは蝋梅。ほとんど満開になってしまいました。こちらは小さいですが、たくさん黄色くさいていますので、比較的目にとまりやすいです。
それに香りが良いですから、香りを先に感じて、「 ん?どこにあるんだ? 」 と花を探すということもあります。その点では慎ましやかな花だなと思います。



時間を貯蓄しましょう

2015年12月12日 | Weblog


土曜日は新聞に折り込み広告がたくさん入ってきます。普段は見ないのですが、今日はどんなものがあるのか見てみました。
電気製品の量販店のかなり大きな広告がありました。年末・ボーナス・お歳暮・クリスマス・お正月・・・・・いろいろありますからね。この時期に沢山売って商売を支えていかなければなりません。
また、お客さんも必要なものを、そして贈り物を、ちょっと普段は買えないものを、などなど楽しみながらもため息をつきながらと、毎年繰り返されることです。

 
     
風が長く吹いたのでしょうか、同じ方向に曲がってしまった刈穂のあとに出た稲。まるでヘアドライヤーをかけたような感じです。ドライヤーだったら、ずいぶん時間がかかったでしょうね。

そんな喧騒を他所に、今日は犬の散歩以外には敷地からは出ませんでした。つまらないなぁと言われそう。でも、やりたいこと、やらなくてはならないことが沢山あります。
まあ、普段は忙しく出かけたりしていますからね。半分くらいは仕事がらみですが。仕事と言っても職業上の仕事ではなく、ボランティアであったり、頼まれごとでの頭の体操であったり・・・・・。

 

シュンギクは、寒さに強い、いや、寒さが無いとダメになってしまう野菜です。夏向きの野菜があると思えば、冬向きの野菜があるのです。
神様は実によく世の中のさまざまな仕組みを作ってくれたものです。

人間の体などを考えてみると、どうしてまたこんなに複雑なのか、特に体の勉強をしなくたって 「 ためしてガッテン 」 を見ていれば、本当に人体は複雑に出来ているものだと言うことがわかります。人体の機能は驚くことばかりです。
いや、人体だけではなく、動植物の体も、それからそのほかの物質でもそうなのですから、改めて考えてみると本当に感心するばかりです。

 

知人からもらった、おがくずのようなもので固めた苗床ですが、ずっと半年以上霧吹きで湿度を保たせていたところ、こんなキノコがでてきました。ナメコだそうです。
たったこれだけですから、一回分の味噌汁にも足りないくらいですが、出来てきたのを見ると嬉しくなります。

 

小さなデジカメですが、望遠を最大にして撮ってみたら、なんとか画面に収まりました。本当はもっと小さく、こんな上下で真ん中付近の位置には収まらなかったのですが、ブログの大きさにしていく過程で処理ができました。文字が写っているようです。787と書いてあるようです。これは、羽田か成田行きのようですので、上空ではかなり小さかったのですが、これほどに撮れれば上々です。

ミハエル・エンデという人の児童文学 『 モモ 』 と言う本の中に、「 時間を貯蓄すれば命が倍になる 」 と言って時間銀行に時間を貯蓄してくれと歩きまわる詐欺団が出てきます。時間は大切です。出来れば、やりたいことだけに時間が費やせたらと誰でも思うでしょうね。しかし、時間は貯蓄など出来ません。もっとも、時間と言う目に見えないものを知っているのは人間だけかも知れませんが。



風食

2015年12月11日 | Weblog


朝は嵐のようで、午後は春の日のように暖かくなりました。めまぐるしい一日。

 

昨日の不気味は朝焼けの風景は、このあたりです。すごい変わりようです。

 

風は透き通っていますので、写真に撮れません。何せ空気の移動ですからね。この写真でも実感はありませんので、文字で説明を・・・。
葉っぱが裏返っていますから、風が吹いているのです。動画でなくて静止画の難しさですね。

 

霜にやられたカンナ。もう、枯れて行くだけです。あちこちに、このように茶色になった葉っぱがあります。もっとくしゃくしゃになってしまったものが多いです。

ブログの写真は、たくさん撮り溜めしてあるのですが、掲載されないうちに季節が移ってしまうので、使わないでしまうものが多いです。未使用の写真がどんどん増えています。
一つひとつの記事が長すぎると読むのも大変でしょうから、適当な長さで終わりにしています。また、一つのデーまでも飽きやすくなるので、まとまりには欠けますが、話題を変えています。

 

保育園で、ジャガイモとサツマイモを作ったスペースですが、冬に更地のようにして置くと、春になって土が乾いた上に東からの冷たい強い風が吹くと、埃になり土が運ばれていってしまいます。
これを水による 「浸食」 に 対し 「風食(ふうしょく)」 と言うのだそうですが、それを出来るだけ防ごうと、空いているところに菜花の一種であるノラボウ菜をばら撒きすることにしています。

もちろん、冬の寒さには強く、この寒さを通してでないと良いものにはならないのだそうで、まさに冬向きの作物です。これは食べるためではなく種を取るためです。種は来年ばら撒きに使います。
栄養に富んだ黒い土が削られ、小石や栄養を保持できない赤土が残るのでは豊かな土地にはなれませんからね。






思い込み

2015年12月10日 | Weblog


今朝は、氷は張るし、霜もすごかったです。たぶん大気の水分が多かった、つまり明け方の湿度が高かったのかなと思っています。

 

このように、畑は真っ白けでした。寒いはずですよ。朝早くは、猫を連れ出して畑に誘導しておしっこをさせますが、だんだんつらくなってきました。あ、何もそういうことをしなくても良いのですが、まあただやっているだけですから、「 そんなことしてやってるの?」 なんて力まないでくださいね。

猫は平気です。確かに温かなところは好きですが、寒くても外に出て平気ですね。いままでの思い込みには、かなり誤解があるような気がします。

 
                                    しもばしら

何でも思い込みは良くないかなと思います。食わず嫌いも一種の思い込みなのかも知れません。
東日本大震災のときには、近所の人が 「 津波が来るから逃げよう 」 と、しきりに勧告したのですが、「 来るはずが無い 」 と言って決して逃げようとしなかった人たちが居たとか。
その人たちは津波に飲まれてしまったそうです。

交通事故や電車の事故、あるいは大きくは原子力の事故なども、大きな意味で安全だと言う思い込みの結果のような気がします。

 

今朝の朝焼けはすごかったです。これだけ空が焼けたのは未だかつて見たことがないような気がします。
おっと、それも思い込みでしょうか。幸い、カメラがポケットに入っていたので撮れたようなもので、これが家に戻り 「 カメラはどこだどこだ 」 なんて探していたら、この光景は撮れなかったかも知れません。

 

不用意に、「 あの人はこういう人なんだよ 」 なんて言ってしまうことがありますが、言ったあとで反省することがあります。
それは思い込みなのかも知れません。決め付けちゃぁいけない。そうでない面もあるのかも知れないですからね。

朝焼けは雨が降るなんていうのは、統計上そうなることが多いのでしょうが、今日は今までのところ降っていません。これはまあ、思い込みとはちょっと違うかもしれませんが。

なんにせよ、心も穏やかに平和に暮らしたいものです。



空に落つこちる

2015年12月09日 | Weblog


このところのテロの騒ぎについては、ヨーロッパ、特にフランスは気の毒ですね。ドイツも難民には人気があるようで、国の屋台骨が揺らいでしまうかの大騒ぎのようです。
もっと大変なのは、毎日戦いが続いている国の民です。国を脱出しなければならない。しかし、脱出してもなかなか受け入れてくれる国がない。あったとしてもテント暮らし。
この寒さが日ごとに増す冬になって、ずいぶん暮らしにくいのではないでしょうか。本当に気の毒です。特に子どもは大変です。

 

外で仕事をしたときに洗った手を拭くタオルを下げておくのですが、日が当たり始めて暖かくなったせいでしょうか、ミツバチらしい蜂が羽を休めていました。
きっと、体温を上げるために日向ぼっこをしているのかなと思います。脅かさないようにと、そっと望遠にして撮りました。
 
今朝は、さほど厚くはありませんでしたが、氷が張りました。バケツに張った氷を撮ったのですが、そのバケツがプラスチックなものですから、垢のようにこびりついた汚れが取れずにあまりにも汚く撮れたので、笑われますから載せないことにしました。外で使っているものなので、汚れて当然なのですが、それでもやっぱり恥ずかしいです。

 

吊るし柿は、干し始めた当初は雨が続いたので、カビでも生えなければ良いがと心配したのですが、その後は風の日もあり乾燥し、天気にも恵まれましたので、ずいぶん乾いてきました。
これで何とかおいしく食べられそうな気がします。

これは、苗を買ってきて作った渋柿なのですが、我家では他に みょうたん と言う種類らしい柿があります。これは秋になると間もなくやわらかく熟して落ちてしまいました。そのまま熟させても食べられますが、早めに取ってヘタのところに焼酎を塗っておくと、甘いあまいおいしい柔らかな柿になります。それは、干し柿にも出来るそうですが、私の地方では熟すのは早すぎます。

自分の家でも、このように市販されているような食べ物が作れるなんて、なかなか良いものだと時々感心したりしています。自然の恵みはありがたいものです。

 

子どもの頃、家の前にあった幅が1mにも満たない細長い草地の上に仰向けに寝転び、空を行く雲を眺めていると、なんとなく空に落ちそうな気がしたものでした。
空に落ちると感じるのは変なことなのですが、ずっと眺めていると、そういう気持になるものです。幸い、地球の強い引力のせいで空に落ちることはありませんでした。もし、落ちていたらきっと今も宇宙の果てをめがけて、どこかの星に落ちない限りは、ずっと落ち続けていたに違いありません。

                   

子どもの頃の記憶は脳裏に焼きついてしまっているのでしょうか。意外にも長く覚えているものです。

 


小道を行く人

2015年12月08日 | Weblog


今日は晴れたのですが、風は冷たかったですね。午後も少し遅くなってからですが、畑で仕事をしていたのですが、ちょっと辛かったです。

ハウスにおいて芽をださせたソラマメが何とか苗になりそうなので、耕して肥やしをやり、マルチを張ってみました。もう少ししてから移植しようと思っています。

 

犬を連れた人。けっこう通ります。狭い道なのですが、車も時々通るし自転車、小学生、ウォーキングの人。それなので、私の家の脇の小道は寂しい感じがしません。
あまり往来が頻繁でも、車一台分の幅しかありませんから、それはこまります。

 
                            まだ暖かいころの写真ですが・・・・

昔は、なんでも九尺道(きゅうしゃくみち)と言ったのだそうです。メートル法で2.7mです。まあ、たぶん道幅は3mくらいはあるのではないかと思います。乗用車クラウンのサイズが1.8mくらいだそうですので、まあ楽に通れるはずです。トラックも通れます。

 

ハッと気がついたら床にこんなものが干からびて張り付いていました。あまり気づかない部屋の片隅。にゃんじゃぁ、これは。

 

犯人はきっと・・・・・・かも知れません。 マットの下にもぐってしまっています。
とにかく、チョコチョコと動くものが好きですからね。風にころがっている木の葉などをよく追いかけています。その仕草は可愛いですね。


    世の中はなにか常なるあすか川
             きのふの淵ぞけふは瀬になる    読み人知らず
             
     世の中には変わらないものなどあるだろうか(ありはしない)。 
     飛鳥川も昨日は深く水がよどんでいた所が、今日は浅瀬になっている



少しずつ暮れていきます

2015年12月07日 | Weblog


フェイスブックを見ると、私のいわゆる「 友達 」は都会の人が多いせいか、街中の写真が多いです。
私はいわゆるド田舎に住んでいるので、都会の風景の入り混じる中で、かまわず田舎の写真を出そうと思っています。そこにギャップがあろうとズレがあろうとそんなこと気にしてはいません。

 

で、早速いまウォーキングのときに撮ってきたド田舎の夕暮れの写真です。暗くなっていましたが、まだ青空が青くきれいに撮れましたよ。下の景色は真っ黒ですが。

 

これは昨日の夕方の写真です。カメラが自動調節をしてくれているので、暗かったのですが、とにかく撮れました。ですが輪郭がはっきりしないのと、ブレがあるようです。

コロは猫に対して攻撃的です。が、ミーちゃんは友好的なのです。ここまで接近して来ているのに全然仲良くしようとしていません。

 

芋がらは、だいぶ乾いてきました。最初は水分をたっぷりと含んでいるので、プラスチックのこういう物干し、これをピンチハンガーというのだそうですが、それでは重くてゆがんでしまいました。
それなので、ステンレスのピンチハンガーに移して吊るしました。もう乾燥しているので、ずいぶん軽くなったことと思います。

 

冬は、寒いだけならまだ良い、いや寒すぎるのは良くないですが、のですが風邪が流行るのは困ります。風邪どころか、インフルエンザになるともっと大変ですからね。

とにかく、一年を通してやれ暑いの寒いの風が強いの振りすぎるのと、いろいろと我がままを言うが如くにぶつぶつ言っていますが、押しなべて極端なことが無ければ何とかやっていけるのですがね~。
先だっての、茨城県中西部のあの大洪水には困りました。まだまだ復帰できないでいます。ひとつ穏やかな冬になって欲しいものです。



大根の季節

2015年12月05日 | Weblog


町内の、同じ姓の数件が集まって祀っているお稲荷さん(稲荷神社)のお祭がありました。
今頃行なわれる祭りは収穫の感謝祭が多いです。村(江戸時代の村の単位の規模)の鎮守様の感謝祭、つまり新嘗祭(にいなめさい)は先日終わっています。

今は冬ですから、冬は農家が暇になるときなので、お祭は冬が多いです。今日は忙しかったので、写真は撮れませんでした。

 

大根の収穫が始まりました。どんどん取れます。

 

早速何ができるのでしょうか。これからは、いろいろな料理に大根が入ってきます。白菜とともに楽しみな野菜です。

今日は、すっきりした冬晴れの日でした。秋晴れは良く使われる表現ですが、冬晴れはあまり使われません。むしろ同意語で冬びよりの方が多いかなと思います。

 

これは我家の前の方に遠くに見える楢の木の紅葉です。むしろ黄葉と言ったほうが合うかも知れませんが。手前は田んぼです。
モミジのようには紅くなりませんが、これはこれで存在感はあるかなと思っています。 



歌謡曲をクラシックのバイオリニストが演奏すると?という試みでしょうか。幸田聡子というバイオリニストの曲です。
他にも良いものが沢山あるのですが、このようにブログなどに貼り付けられないようになっていますので、出来るものの中でこれが良いかなと思ってやってみました。

 


   

   ともかくも 今日も楽しく 過ごせたワイ
    


風の強い日だったのですが

2015年12月04日 | Weblog


風が強い日ですが、寒くはないので自転車に乗って、一人暮らしの年寄りのところを数件寄ってきました。

天気が良いせいか、外出している人もいました。元気で外出なら、むしろ会えない方が、というと誤解されそうですが、気晴らしでも買い物でも、とにかく外出できることは良いことと思っていますから。
まあ、中には病院にという人もいるでしょうが。

     

藤井香織という人のCDをいま聞いています。バッハの無伴奏チェロ組曲と言うのをフルートで演奏しています。
チェロのための曲ですから、普段はチェロの曲を聴いていますが、フルートで聴くのもまた良いものです。

 

同じものが Youtube に無いものですから、この作品の最後の曲番号の3つ後の、これは無伴奏フルートソナタですが聴いてみてください。

   
                  

湿っぽい日が続いたせいか、砂利の上にこのようなキノコのようなものが発生しました。何というものはわかりません。苔ではないようです。

 

これはゼニゴケです。胞子が出る部分なのでしょうか、木のようなものが出てきています。

 

一方、今日は晴れて光が強い日でした。紅葉の赤が冴えて見える日でした。ここは、私が小学校1年生の冬に入るころまで過ごした家の下の田んぼです。
電柱の立っているあたりに小川が流れていて、その川は子どもでも足首くらいまでしか深さが無いので、危険なところではないので、ずいぶん遊びました。特に、子どもの頃はおもちゃなどはほとんど無い時代だったので、川はとても楽しい遊び場でした。




雨でした

2015年12月03日 | Weblog


また雨です。それほどは降らなかったのですが、一日中少しずつ降っていました。そのせいで、なんとなく湿っぽいです。

 
                           降ってるな~~~~~~

しかしまあ、そのせいで静かにすごすことができたとは言えます。この頃は雨が多いので静かに過ごす日が多いということになります。
読書をしていると、いつの間にか夢の世界に。何か騒がしいなと思って目が覚めると録画を見ていたことに気がついで、また元に戻って見直したり。

 

「 小人閑居して、雨のせいで不善も為せず 」 です。静かにしていると、名案も浮かびません。今日はしかたがありませんが、やっぱり普段はアクティブな生活をしているほうが良いのかも知れません。

             

きょう読んだ本はこれです。そういうわけで、もちろん全部はよめませんでした。いま私たちが知っている忠臣蔵は、歌舞伎の物語に仕立てられたことなどを始め、それこそ数多くの誤解に満ちた内容らしいということです。

「 ほうほう、なるほど、それで? 」 なんていう感じで読み進めていきました。とにかく歴史というものは、何が真相なのか良く分からないものらしいです。
もっとも、今でさえ起きている事件などの真相さえ、本当にはよく分からないことが多いようですからね。

 

夕方になったら、やんだのでウォーキングに出かけました。歩いているうちに、どんどん霧が濃くなっていきました。



迷わせるもの

2015年12月02日 | Weblog


電源を入れると、WINDOWS10 にしないかというメッセージが出ます。期間限定という誘惑する言葉つきです。大いに悩むところですが、下手にバージョンアップをすると、使えなくなるソフトが出てくるのが心配です。特に買ったソフトが使えなくなるのは困りものです。

それに、ワープロソフトにしても、せっかく少しずつ単語登録をして使いやすくしてきたのに、新しくしたらまたやらなければならないわけです。よほど賢いソフトになっているなら別ですが、なんか、この頃のバージョンはますます バカタレ になってしまって、簡単な連語や熟語さえも、前のバージョンより今の方がはるかに効率が悪いです。一発で正しく変換しにくくなっているのです。

 

たとえば、じんせいくん と入力したとすると、ジンセイ は 人生 と変換しましたが、クン は 燻 と言う文字がでました。今後も変換することがあるかなと思って、 人生訓 と単語登録しました。ついでに、その 人生燻 の次に用意された変換は jinseikunn でした。その次は JINSEIKUNN でした。このIMEソフトは、何とバカなワープロソフトでしょう。

どうせ新しいバージョンにしたところで、脆弱なところが見つかることは過去の例から考えて確実なことと判断されます。私など、表計算などはやらないし、今のままで特に不自由することは無いのですが、それでも 無料で バージョンアップが出来るとなると迷います。

 人を惑わせるもの、これに良いものは無し と考えるべきかなと思ったりしています。

 

ちょっと話が愚痴になってしまいました。

今日、このブログの更新を始めてから、一日中曇っていたのがますます雲が厚くなってきて、ついに霧雨になってしまいました。
こういう日は日暮れが早いですね。暗さもましてきました。暖かいところが恋しくなります。

 
                          これは二三日前の夕暮れです

イルミネーションの季節になってきました。クリスマスの影響かなと思いますが、どうしてこの寒い夜空の下に寒々としたイルミネーションなのかなと思うことがあります。
せめて賑やかにと思う気持は分からぬでもないのですが、実際は寒くてゆっくりと鑑賞する気持ちにならず、暗い寒い中でイルミネーションだけが点滅しているという風景が多いです。繁華街ならともかく・・・。
でもまあ、何も無いよりは遥かに楽しいでしょうし良いことでしょうね。赤系統のランプを多くすると良いかなと思うのですが。ついでに、何か温か味のある物が工夫されるともっと良いかなと思うのですが、思い当たりません。

 
                            ひとつだけまだ咲いていました


     寒くなりゃ 夏が好きだと 人は言い
     考えりゃ  私も同じと   苦笑い
     今日食べた 朝ごはんを 覚えてる?
     忘れごと  年のせいにする 年になり
     ぶつぶつと ネコに聞かせる よまいごと
     聞き上手  猫ほどうまい ものは無し
     まっすぐに 奥さんの顔  見られるかい?
      
     


変化

2015年12月01日 | Weblog


毎日、やれ暑いの寒いのとやっていますが、少し考えてみると少しずつ変わっていくのではなく、案外階段状に寒暖の状態が変わっていくような気がします。
もちろん気温が変わるときには滑らかなカーブを描くのでしょうが、「一 夜明けて今日は 」 と、間が数時間もあるわけですから、その間に緩やかなカーブは私たちは感じないからなのでしょう。

 

昨日と今日はガタッと違うと感じることが多いです。それはそのせいかも知れません。天気もそうで、ずっと空を眺めているわけではないので、一夜明けるとガラッと変わって・・・・と感じるわけです。

 
                            かなり暗くなってからの空

一方、気温や雲行きが早いスピードで変わっていくのを感じるときはよくあります。時雨て行く場合などはそうですし、前線が通過したりすると雲行きが変わったり気温が変わったり感じるものです。

とにかく、大きな太陽と地球のもたらす変化ですから、大変なものです。まあ、地球の場合は <次第に> 変わることが多いので生物にとっては暮らし易いのだそうです。他の宇宙では極端なのだそうです。

 

今朝は、盛んに消防車のサイレンが鳴るので、近くかなと思って自転車でそちらの方面に行ってみると大変なことになっていました。
よくもまあ、狙ったように電柱に挨拶をしたものだと感心するほどの事故でした。炎は電線の方まで上がったそうです。

消防車が出動し、警察官が忙しそうに調べていました。どうしてこうなったのかはわかりません。運転手は驚いたでしょうね。

 

この頃、夕方とか夜になってからの写真に興味があります。一つには、この簡単なデジカメでどこまで撮れるだろうかと思っているからです。
暗いときには光が少ないせいで、かなり失敗作があります。これは成功例かと言うと問題かなと思いますが、まあ、何とか雰囲気が分かるかなと思えるくらいに撮れれば良しとしています。

夜明けや日暮れは、光がどんどん変わっていくときなので、違った雰囲気をかもし出しますからね。