歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

取手市 長禅寺“さざえ堂” ② 観音様は百一体か百体か?

2010年11月09日 | お寺・神社

昨日の続きです。

いよいよ、“特別公開”の三世堂の内部に入ります。

それで、一応、三層構造ですが、一応このようになっています。この図で解ると思いますが、“さざえ堂形式”とは、単に、登り用の階段と、下り用の階段が別々に有る、と云う、とても簡単な建築形式なのでした。

【一層】


【二層】


【三層】


はじめ“さざえ堂”と聞いた時は、建物内部の外壁に沿って螺旋状に階段が巡らしてあるのか?と、思いを巡らしたのですが、そうでは有りませんでした。これで行くと世の中には沢山の“さざえ堂形式”の建物が存在するのことになります。

三世堂が三層で有ることはには、特に意味は無いようです。入り口の説明板には、一層には長禅寺のご本尊と、“板東三十三ヶ寺”の本尊三十三体、二層には“秩父三十四ヶ寺”の本尊三十四体、三層には“西国三十三ヶ寺”の本尊三十三体、計百体が祀られているそうです。

先ずは、一層の板東三十三ヶ寺ですが、東京一箇所、神奈川9箇所、埼玉4箇所、千葉7箇所、栃木4箇所、群馬2箇所、で茨城が6箇所の計33箇所になっています。

東京の一箇所は、あの超有名な“金龍山浅草寺”になります。一番札所と思ったら“第13番札所”でした。因みに一番は神奈川県は鎌倉の“大蔵山 杉本寺”でした。

それで、茨城の6ヶ寺にこの長禅寺は、残念ながら入っておりません。


板東は三十三体の観音様が並んでおります。


こちらが、ご本尊です。ご本尊の千手観音様は“御開帳”の時にしか拝めないのでした。今日は、あくまでも教育委員会による“三世堂の特別公開”なのです。御開帳は毎年4月の18日だそうです。

創建が文暦元年(1234年)再建が宝暦13年(1763年)だそうです。その間五百有余年、チョット調べたところ創建された当時は競輪場の近くで現在の場所とは異なるようです。

居並ぶ観音様のお姿を眺めていたら、説明板にあった、板東33体、秩父34体、西国33体、計100体の観音様とあったのですが、長禅寺の千手観音様が加わると101体の観音様が安置されているのでは?と、書きながら疑問がわいてきました。来年の4月18日には、一層から三層までの観音様の数えてみたいと思います。


こうして、いろいろお寺を巡った方々が記念にこういう額を奉納するようです。大正9年1月、東京は神田鍋町の講元の中久さんです。


こちらは、明治20年3月、下総の国の方々です。


明治の時代に、西国、板東、秩父の百ヶ寺を巡るのですから、どういう方々なのでしょうか、板東だけで1200㎞もあるのです。財力と時間に相当なゆとりのある方々のようです。

こちらの額は“文化財指定書”なんとも、まあ、簡素なものです。茨城県教育委員会も、もう少し何とか、それなりに重みのある様式にしたらと、思ったりして眺めてしまいました。


この辺で一層の見学と参拝を済ませ、二層に上がることにします。


それでは、また明日。


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