歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

蚕糸の森公園前を行ったり来たり

2009年03月17日 | 東京の風景
昨日の続きです。

都会のなかの公園はいい! ありがたさ倍増です。下町の路地に並んだ鉢植えの緑も、それなりに味わいがありますが、やはり、広い公園には敵いません。


隣は、そのまま小学校の校庭になっています。試験場跡地を公園に整備した時、隣に小学校を併設したのです。公園に学校、そして、防災拠点としての役割、いろいろと考えて造られたようです。

池と云い、この小川の“せせらぎ”と云い、


この“滝?”云い、水が豊富に流れています。水は循環しているようです。景観を考えているだけではなく、防災用の水としての役割もあるようです。


青梅街道が見えてきました。


この建物は、試験場当時の守衛所だったようです。そうすると明治時代の建物?かも知れません。


今は、公園の管理事務所として使用されています。それにしても、自然環境を大切にする”べき”公園管理事務所の窓の貼り紙。

公園での禁止事項とか、公園の利用にかんする注意書きが貼ってあるのですが、もう少しどうにか?、と思うのです。別に掲示板を設置しましょう。

この建物はそれなりに貴重なのですし、公園を管理する側が公園の景観を大切にしている姿勢を先ず示すべきです。

歳をとると、どうも、小言が多くなっていけません。
 
こちらも、試験場当時の正門。


前は青梅街道。


わたくし、20代の頃に、この前を1ヶ月ほど、行ったり来たりしていたのです。その当時はまだ公園ではなく、現役の蚕糸試験場でした。


当時は煉瓦の塀に囲まれココだけ何か暗~い感じがしたような記憶があります。で、何で、ここらを行ったり来たりしていたのか?

それは、この高円寺陸橋の200メートルほど先、青梅街道沿いにある東京トヨペット高円寺営業所の建設工事で、自動車用のエレベーターの設置工事をしていたのです。


いろいろ思い出して来ました。そうです、現場で電線を盗まれ上司に怒られたのです。まさか、電線が盗まれる何て、世間の世知辛さを始めて味わいました。

また、下請けの機械鳶のお兄さん達が、腕に彫り物を入れていたのです。こうした方達と、親しく話しを交わすのも始めてでした。ふつうの人達でした。

それと、昼飯を食べに行ったラーメン屋さんは、おばさんが調理をしていました。不思議な思いで眺めていました。娘と二人で切り盛りしていました。麻婆定食が美味しかった。

このころから世間が少しずつ広くなっていったのです。毎日が、何もかもが、始めての経験、そんな、こんなの頃、蚕糸試験場の前を行ったり来たりしていたのです。もう、30数年前のことです。

それで、この日、いいお天気だし、風もないし、お昼は公園で青空の下、お弁当と云うことになり、高円寺陸橋に出て来ました。


この交差点の角にあるコンビニで、私は、“コロッケ・白身の魚フライ・ちくわの天ぷら・鶏の唐揚げ”が入った“デラックスのり弁”、配偶者は“高菜ご飯”、そして野菜ジュースを買い求めたのです。

一時を少し回りましたが、弁当をぶら下げ公園に戻ります。これからランチタイムです。


それでは、また明日。


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高円寺で“蚕糸の森公園”を歩く

2009年03月16日 | 東京の風景
昨日の日曜日、一足早くお彼岸の墓参りをしてきました。

天気はほぼ快晴で、風もなく、暖かく、最高の“墓参り日和”でした。10時に家を出て、堀之内の妙法寺に到着したのが12時20分頃でした。

妙法寺の駐車場に車を入れ、お花を買い求め、妙法寺傘下?の福相寺でお参りを済ませました。

お寺は、本堂の修復で足場が架かっていました。塀も新しくなり、以前あった駐車場は、墓地に変わっていました。

本日は、お墓参りの後で、周囲を散策する予定で“二人”で出掛けて来たのです。散策のメインは“蚕糸の森公園”です。

この公園は“農林省蚕糸試験場”だったのです。明治44年から昭和55年に筑波に移転するまで70年この地にありました。

都内のこんな処で、今から28年前の1980年まで、蚕の研究をしていたのです。そして、研究所は“つくば市”に移転し、現在も日夜蚕の研究を続けています。

杉並区からつくば市へ移転した研究所を追うようにして、わたくしも北区からつくば市へ、1988年?頃に移転したのでした。

わたくしと蚕糸試験場は、何か、何処かで、縁の糸が繋がっているような、そんな、蚕糸公園なのです。そして、今日、移転先のつくば市から、試験場跡地の公園にやって来たのです。

まぁ、それは、それとして、昼時を過ぎたのですが、美味しく食事を頂く為の、“食前周辺散策”とまいります。

お寺から、公園までは直線距離で500メートルほど、寺は環七の外側、公園は環七の内側で、青梅街道沿いにあります。直線では行けませんので、環七通りから、住宅地を路地伝いに、山勘で向かいます。

予想通り、公園の裏手に出ました。狭い路地から開けた公園、とても気持ちいいです。


池を覗いて“何か居るのかなぁ”と二人で話していると、網でゴミをすくい上げている公園の整備係りのおじさんが、“亀とか鯉があっちの方に居ますよ!”、と教えてくれました。

このおじさん、“最近汚れて来てしまって”と呟きながら、網で表面の“藻”をすくい取っていました。


わたしには池の水は透き通っていて、とてもきれいに見えたのですが、それでも、以前より汚れてきたのでしょう。あまり、きれいに過ぎると、亀や鯉にとって良い環境とは云えない気が・・・・・・。

ねぇ!そうでしょ、亀さん?


久しぶりの、大都会の大きな公園、とても気持ちが良いです。天気の良い日曜日です、公園日和です。


こちら、ギターを奏で、二人でハモッテいました。将来は男性デュオでメジャーデビューですか?


蚕糸の森公園、予想を裏切らない、まずまずの公園です。但し、地図で想像したよりも、実物は少しだけ面積が小さい気がしました。


もう少し、園内の散策を続けます。


今日は、ここまで。


それでは、また明日。


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築地川遊歩道 “時の移ろいに傾くベンチ”

2009年03月13日 | 土浦市の風景
昨日の続きです。

道路工事の直ぐ脇、小径を歩きます。

読経の声が聞こえてきます、朝のお務めにしては遅い時間です。


こんな処に、こんな小さなお寺がありました。“妙顕寺”と云えば、京都にある有名な日蓮宗のお寺です。


耳を澄ますと、女性の声です。参拝者の読経?住職の読経?


この小径は、最近整備されたのです。以前は、苔道、泥道、砂利道で他人の庭先に進入するようで、通りづらかったのです。

こんな風に整備されると、誰もが普通に歩きたくなります。


黒く塗られた波形トタン、錆び浮き出しています。木製の窓枠にガラス窓、窓には蔦が絡まり、長い年月開けられていない様子。補修のベニヤがとても痛いです。


この天狗の団扇のような葉っぱの木、何て云う名前だったか? 陽当たりの悪い便所の脇に植えてありました。

くねくね道です。


この道は、築地川だったのです。昭和30年代に埋められ、暗渠になっているようです。

地元「中川ヒューム管工業製」の“ヒューム管”に書かれています。一応、てっぺんはそれなりにモルタルで手を加えてあります。

暗渠と云いましたが、遊歩道の下はヒューム管が埋められているのでしょう。もしかして、この“遊歩道名表示管?”はその時の余りかも?

両側が開けてきました。陽当たりも良さそうです。駐車場脇の平屋の一軒家。懐かしい風景です。


カーテンが閉まっています、人は住んでないようです。この辺りが道路になるので、立ち退いたのでしょう。


こちらも、懐かしい。


家庭菜園?


棕櫚に、傾いたベンチに、セメント瓦にトタン外壁の民家。


このベンチ、横からの荷重をまったく考えていない構造です。


いゃ! これは、もしかして、時の移ろいとともに、ベンチも徐々に傾き、傾きで移ろいを表現した“アート”かも知れません。冗談です。

でも、しかし、周囲の風景と云い、しっかりアートになっています。

旧水戸街道が見えてきました。


前は浄真寺です。この辺りに新しい道路が出てくるようです。


測量をやっていました。間違いないです。


新しい道路が造られ、築地川遊歩道の風景は変わりそうです。


それでは、また来週。


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道路工事で植木等で景気回復なのだ!

2009年03月12日 | 土浦市の風景
先月のはじめに、土浦に行って来ました。

野暮用で月に1、2度は土浦をウロキョロしているのです。それが、先日、いつものように、ウロキョロ漂っていると、突然、狭い路地の先に、道路工事の現場が出現したのです。

えッ! いつから? こんなことに?


画面奥に見える上り坂は常磐線の跨線橋です。霞ヶ浦側を線路と平行して走る通りと、旧水戸街道を繋ぐようです。

この突き当たりに建つ、古い民家を突き抜け一直線に進むと旧水戸街道に出ます。


明日13日が完成予定ですから、いくら何でも、水戸街道には到達していない筈です。この先まだ数百メートルは、まったくの住宅地がそのままになっていましたから。


13日の完成予定は、民家の手前までだと思います、たぶん?

こんな風に、こんな処に、いつの間にか道路が造られるのです。近所の人は、それなりに、事前に計画は知っているのです。

それでも、ある日突然なのです。家並みが消えて、更地になり、掘り起こされ、アスファルトで舗装され、道路が出現するのです。

毎日、毎日、工事の進捗状況を眺めていたとしても、完成して景色が一変すると、あっと云う間の出来事だったと、そう感じる筈です。

そして、数ヶ月もすると、いつもと違う風景が、いつもの風景に見えてくるのです。いままでも、ずっと、ずっと、そうだった気がしてくるのです。

こうして、何もなかったように、町の風景が変わっていくのです。

私も、この辺りは何遍もウロキョロしていたのですが、何処に何があったのか、どんな風景だったのか、突然消えた町並みと供に、記憶も消え去ってしまいました。

それにしても、道路脇に住む人達にとっては、突然、家の前に広い道路ができてしまうのです。

車で通過する人達は、“まぁ。何となく便利”程度の道です。住んでいる人には、“何となくうるさい”程度であれば良いのですが、“相当うるさい”となると、それなりに問題です。

それと、突然ですが、このような道路建設、所謂、公共事業です、これによって需要と供給のギャップを埋める景気対策として、いろいろな処で、活発に行われるのでしょうか?

まぁ、この程度の道路工事で、景気対策何て云うほどの効果は、ほんの微々たるものでしょうけど。

建設会社の下請けの、その下請けの何社かの社長が、行き着けのスナックに通う回数が若干増え、飲む酒の質が良くなり、量も増え、スナックの利益を若干向上させる程度の経済効果でしょう。

スナックの経営者は、若干増えた利益で、国内の需要を喚起すると思うと、案外、海外ブランドの衣服や装飾品を買い求めたりして・・・・・・。

これでは、国内需要は喚起されず、景気対策にはなりません。これは、わたくしのあくまでも、想像です。

真面目で下戸の社長でしたら、奥さんや子供に、新しい服を買ってやったり、両親に温泉旅行をプレゼントしたりして、国内の需要が喚起されるかも・・・・・・、想像ですからね。

酒飲みの経営者が営む建設会社よりも、下戸の社長の建設会社に落札させた方が、経済効果があがります。これは冗談です。

そして、道路が開通すると、便利になり買い物客が増え、土浦市内の商店の売り上げが増え、商店の従業員の給料が上がり、給料の上がった従業員が、地デジ対応の液晶テレビを買い、車を買い換え、住宅を購入して・・・・・・、景気は回復。

何て、この道路一本では、ムリなのです。でも、景気対策には、先ずは“呼び水”が必要なのです。

簡単なのですが、ムズカシイのです。呼び水を、いつ、何処に、どの程度、撒くのか? 

あまり、能力があるように見えない方が、内閣の頂点に立っていると、どんな良い政策も、怪しく見えてしまうのです。

景気は気分です。経済は人の気持ち次第、経済は心理学なのです。

早く、景気の良さそうな顔立ちの人が、内閣の頂点に立って、景気の良い話しをすれば、国民の気持ちも変わり、流れに変化が起きるのです。

明るくて、景気が良さそうな顔立ちをしていて、景気のいい話しが上手な政治家は、いったい誰でしょう?

小沢さんは、そう言う意味では“不景気顔”ですし、話し方も暗く、笑顔も不自然に見えます。

ムズカシイ政策論議より、植木等のような政治家が出現して、明るく、笑顔で、調子よく、不景気を吹き飛ばしてくれたら・・・・・・・何て、妄想したりして。

そうです!いつかは、そのうち、何とかなるのです。

好況でも、不況でも、ずっと、ずっと、永遠に続く事はありません。みんなが、もう底だと思えば、もう底なのです。

気分なのです。地球上の資源は、好況のときも、不況のときも、大して変化していないのです。化石燃料が無くなれば、他にいくらでも、エネルギー資源は見つかるのです。

すべて、何とかなると思えば、何とかなるのです。いままでも、ずっと、ずっと、そうだったのです。

本日は、気分転換に、とても楽観的に、考えてみました。

土浦の道路工事から、話しが、かなり、脱線してしまいました。次回は、新しく、広い道路に、ほぼ平行している、狭く曲がりくねった、“築地川遊歩道”を歩きます。

それでは、また明日。







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安福寺で“真言”で舌を噛む!

2009年03月11日 | お寺・神社
昨日の続きです。

境内の見学して、そして参拝です。

こちらにも、あの東京は巣鴨で有名な“とげ抜き地蔵尊”が居られます。


こちらでも、貼れば手足のトゲを抜き、丸めて飲み込めば喉に刺さったトゲを抜く、霊験あらたかな“お札”を頂けるのでしょうか。

この説明書きには、トゲについては一言も触れていません。巣鴨の“お札販売所?”でも、お札は売っているのですが、使用方法、御利益については、まったく触れていませんでした。
)

具体的、生理的、身体的、効能を謳っては、お寺と云えども“薬事法”違反で告発される危険性があるのでしょうか?

“悩み苦しみを救ってくれる”との、精神的領域での効能を謳っても、薬事法には違反しないのです。

但し、身体的、精神的でも、対価として世間一般の常識的な範囲を越える“お布施”を要求すると“詐欺罪”に問われてしまうのです。

後半の説明にある、“真言”ですが、「オンカカカビ・サンマエイ・ソワカ」を三回唱えて、とあります。

わたし、この文字を見つめながら唱えてみたのですが、出だしのオンカッカッッ・・・で舌を噛んでしまいました。これは、誰がやっても、かなり危険な呪文です。

噛まずに、スラスラ唱えられるようになるには、相当の修行が必要です。子供は絶対に真似しないで下さい危険です、絶対に舌を噛みます。

そう云えば、思い出しました! この呪文は先日のお葬式で、坊さんが読経の前に唱えていました。調べてみたら、密教系の真言宗と天台宗で唱えられているそうです。

この「オンカカカビ・サンマエイ・ソワカ」は、サンスクリット語(梵語mantra)だそうで、仏・菩薩の誓いや教え・功徳などを秘めている呪文的な語句だそうです。

語句の多いものを陀羅尼(だらに)、数語からなるものを真言、一、二字のものを種子(しゆじ)と云うそうです。

大変勉強になりました。それにしても、この呪文は、どんな意味の言葉なのでしょうか? 呪文ですから、やっぱり、そこの処は・・・・・・秘密なのでしょうか? 

何と云っても密教です、真理はそう簡単に凡人に理解できるものでは無いのです。オンカッカッカッ・・・・・・。

こちらの観音様の足下、よく見たら、何と、子供ではなく、お爺さん、お婆さんです。
)

高齢化社会に対応しているのです。ボケ封をじて、苦しまず“ポックリ”と、この世から“おさらば”させて頂けるのです。


私も“元気でおさらば”を願い手を合わせました。皆さんも、画面の観音様に手を合わせてお祈り下さい。

本堂のお詣りを済ませ脇を見ると、


このお寺を、立派にしたお坊さんの銅像が座っていました。この方が、本堂とか、山門とか、境内の“整備”をされたのでしょうか。

七福神も、


並んでいます。


孫と同じ年頃の女の子と、妹、そしてお母さん。迎えに来たのです。お寺の隣には幼稚園が併設されています。孫は今年から“年長さん”になります。

もうすぐ春休み、お泊まりに来ます。今度も「2バク」、楽しみで~す。


大仁王門をくぐり、振り返ります。


思いもよらぬ処に、思いもよらぬ、なかなかのお寺を発見しました。

つくば市にも、まだまだ、いろいろ、ありそうです。

さぁ、急いで“トイレ”を探して、“かなりの尿意”を素早く解消しなければと、差し迫った思いを抱きつつ足早に、安福寺を後にしました。


それでは、また明日。


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安福寺は“つくば研究学園駅”の近所です。

2009年03月10日 | お寺・神社
先日、つくば研究学園駅の近所をウロキョロしてきました。

この辺りは、これまでも、何回も、歩いていたのですが、まったく気付きませんでした。こんな処に、こんなお寺があったのです。この辺りにしては、なかなか立派な山門です。

真言宗豊山派、金剛山安福寺です。


“大仁王門”と云うようです。昭和59年ですから、1984年です。つくば市ができたのが1987年ですから、それより3年前に門は完成していたのです。


24年の歳月で、こんな具合になってしまうのです。陽当たり、風当たり、雨当たり、が良いので、劣化の進行が早いのでしょうか。

それとも、“機械カンナ”で表面を仕上げた最近の木造建築は、表面の平滑度が落ちるために、雨水が内部へ浸透し易く、劣化の進行が早いと聞いた事があります。

この門も、そのせいでしょうか。それとも、これが標準的な劣化状態?


江戸時代末期の建造と云っても、“そうか、そうか”と納得してしまうような外観。


石柱を入れて山門を撮ったのですが、大失敗の構図。石柱と山門の位置関係が悪い? いゃ、そうではない、撮す側の立ち位置が悪い!


実は、これには、深~い、理由があったのです。何を隠そう、このとき私は、下腹部に、かなりの“尿意”を感じていたのです。

ですから、お寺を参拝し、観察しているときも、何処かに「トイレ」、いや、「ご不浄」らしき、施設が設置されていないか、辺りの様子を窺っていたのです。

その様な身体的、生理的な状況が、観察に、撮影に、大きく影響を及ぼしていた事は否めないのです。

有名観光地の、参拝者、見学者等が、多数が集まる宗教施設であれば、必ず「ご不浄」は設置されているのですが、ふつうの宗教施設には、“そのような設備”は、ふつうは無いのです。

まぁ、それは、それとして、ふつうの、参道、境内、本堂です。


こちら、古いお寺に良くある光景です。境内の新規整備にあたり、散らばっていた古い石塔を、一カ所に集約して祀り直したものと思います。

ふつうは、こんな窮屈に配置しないと思います。

この頬杖をつく“如意輪観世音菩薩”、思いを巡らしていると云うよりも、うとうと微睡んでいるようで、とても好きなのです。


本日は、更新が遅れ、こんな時間(3時)になってしまいました。まだ本堂に辿り着いていませんが、後半は次回とします。


それでは、また明日。


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国策捜査の“国”とは誰なんだァ?

2009年03月09日 | 世間話し
小沢氏の秘書逮捕は、以前に、何で、今の時期に?、野党第一党の党首の秘書を?、政治資金規正法?で、突然逮捕なの?と、書きました。

小沢氏も、民主党としても、「国策捜査」だと抗議しています。この「国策」とは、“権力側”が自己の権力を維持するために、反対する勢力に対して、司法権力を行使する・・・。そんな事ではと解釈します。

それで、“権力側”とは、「政権与党」なのでしょうか?ちょっと違うのでは?

与党の執行部の顔ぶれを眺めても、国会での答弁を聞いても、政策立案過程を考えても、権力者には思えないのです。

権力は、その“地位”にあると見ても、麻生総理大臣が、全てを把握し、権力を行使している、ようには?、どう見ても?、どう考えても?、ないです。

その辺は、与党も“自覚”していると見えて、国策捜査などありえないと、“自信”を持って否定しています。

そして、“国策捜査などと軽々しい発言する野党第一党は、政権をとったら、軽々しく国策捜査を行使するのでは”との、訳の分からない危惧を表明しています。 

そして、民主党の内部からも、それに呼応するように、“政権間近の党首が、国策捜査などと発言する事は、政権をとったら国策捜査を行うとの誤解を生じる”と発言する輩まで現れました。

この発言は、前原民主党前代表です。この方、前回の失脚劇と云い、この発言と云い、どちらを向いているのか、何考えているのか、良く解らない方です。

話しを戻して、国策の“国”ですが、民主党の主張にも、“官僚主導から政治主導”へとあります。国民にも、この国は高級官僚が動かしているように見えます。

ここは、やはり、官僚の“総意”が国を動かしている。そして、その総意に反すると思われたのが、民主党小沢党首なのかも?

政治家が“だらしない”から、官僚主導になったのであり、そして、一定の成果をあげた。

しかし、前例主義、既得権擁護では、現在の変化に対応できなくなっており、今度は政治主導で、新しいかたちを造る時期にきている。

そんな、“官僚”対“政治家”の主導権争いの戦端が開かれた? そんな事であれば、いいのですが・・・。

ハッキリと云える事は、政権与党がシナリオを書いたのではなく、官僚の総意によって作成されたシナリオに、当面の「選挙対策」で麻生さんが乗っかったのでしょう。

民主党は、政権与党を攻撃するだけではなく、本丸の“官僚の総意”を攻撃するべきです。

実働部隊の地検特捜は、いろいろと政治家の弱みを握っていますから、いろいろ怖いのでしょうが・・・・・・。

でも、しかし、いろいろな報道を見ていると、日本の将来を巡って争いではなく、特捜もやることがなく、ここは一番、世間にその存在感を示す事が目的だったような、そんな気もしてくるのです。

今注目の、野党第一党の党首、次期総理大臣で、政治資金にいろいろ噂のある、小沢党首をひっぱり、世間の喝采を浴び、正義の味方としての存在感を示す。

そして、この次期に、野党第一党の党首の秘書を逮捕するのですから、政局におおきな影響を与えます。事前に麻生総理大臣に“連絡”があったと推測します。

ここで、麻生さんは、日本の将来の為にでも、国民の利益の為にでもなく、間近に迫った選挙対策として、“ノー”と云わなかったと推測します。

麻生総理は、逮捕に“ノーと云わない”かたちで、国策捜査に関わったのです。

それにしても、マスコミの「関係者によると報道」の垂れ流しは、いったい何なんだァ! 

関係者は明らかに特捜部であり、特捜部の描いたストりーを流し、世論を誘導するお先棒を担いで、いったい何を考えているのか?

先週後半から、垂れ流しは、少しずつ止んできたようです。マスコミも“既得権を保持する側”に立っていると、そう思われては・・・・・・。

それにしても、政治資金は、それなりに綺麗にしておかないと、“政治の志”に悪い影響を与える事になります。

兎に角、国策捜査の“国”は、官僚の総意です。与党は“ちょっと”端じっこを噛んでいるだけです。ですから、大きな声で、清々堂々と、国策捜査ではない!云えるのです。ある意味で情けないのです。

兎に角、今回の事件は、言い尽くされた“政治と金”の問題で終わらせるべきではありません。

これからの、日本を、誰が、どういう方向で、創りあげて行くのか、考える機会にすべきです。

うん、きょうは、どうした事か、とても、真面目に、一生懸命、考えてしまった。


それでは、また明日。



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女化道標の“裏表・田宮・左右・西酉”問題について

2009年03月06日 | 女化道標問題
また、また、牛久市は“女化道標”ついての問題です。

先日、牛久市教育委員会より送られてきた、資料について、下記の質問を教育委員会に送りました。


牛久市教育委員会生涯学習課 ** 様


先日は、ありがとう御座いました。送って頂いた資料・・・「牛久市史料」石造物編・・・参考になりました。

それで、気付いた疑問点を、2、3質問をしたいと思います。

ここに書かれている文面は、道標に刻まれていた文面を、「そのまま」転記したものと解釈して話しを進めます。

それでは、一つ目の質問です。

道標の脇に建てられている「説明板」の文面と、史料に書かれている文面が、一部異なるのですが、「説明板」の文面は、何か別の史料も参考に書かれたのでしょうか?

    【「牛久市史料」石造物編より 】
     

      【 説明板より 】
       

史料では、“西ハたぐ・・・”と書かれていますが、説明では、“西はたみや (田宮)”となっています。

“田宮”は、現在においても、「たぐう」と読むのが一般的であり、日本郵政の郵便番号表の読みも「たぐう」と表記されています。

宝暦14年から、現在に至るまで、田宮の地名は「タグウ」と呼ばれてきた事実に対して、敢えて「たみや」と表記したのは、どのような理由があるのでしょうか?

田宮の読みは「正式」には、「たみや」であり、「たくー」とか「たぐー」は、「訛」と解釈されたのでしょうか? 

この変化は、五浦海岸の五浦(いつうら)が、いまでは“いづら”となってしまった様に、茨城訛の、特徴である、「短縮」と「濁音」による変化と同一とも、解釈できます。

田宮も、この変化過程を辿り、「たみや」が「たぐー」と云われるようになったが、ここは敢えて教育的配慮で“訛”を訂正し、正しい読みに戻した?


二つ目の質問です。

史料では、“犬いハ志しこ”とあり、説明では“(乾猪子)”と、かっこで一括りに表記されていますが、「犬い」は、「乾・戌亥」で、お解りと思いますが、十二支による方向表記で、「戌」と「亥」の間、北西方向を意味する訳です。



説明板の“乾猪子”との表記では、方向表記と地名表記が、一つに括られ、「乾猪子」と云う地名が存在するような誤解を招くと考えます。如何ですか?



そして、三つ目の質問ですが、

これは、両方に云える事なのですが、「右は若柴」と“左側”に書かれ、「左は龍ヶ崎」と“右側”に書かれています。これは、どのように解釈されたのでしょうか?

実際にその様に刻まれているのか?、誤った転記なのか? 現状では、道標の下半分程度が土に埋もれて確認できません。

それと、質問2の、方向表記に関係するのですが、史料でも「西」と表記されていますが、「酉」と刻まれていたのでは?との疑問です。

方向表記は「十二支表記」で統一され刻まれていると思うのです。

それで、です。

西と酉の件、右左の件、そして、一回目の「表裏問題の件」、を併せて、一度、道標の現地確認を実施するお考えはありませんか?


以上、質問と、お願いです。


よろしく、ご検討下さい。

 --- 以上引用 ---

と云う、ことです。


それでは、また来週。



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これで小沢と麻生のどっちを選ぶか?!

2009年03月05日 | 世間話し
小沢さんの公設秘書が、いきなり逮捕されました。

誰が、どう考えても、この時期に、こんな事を、東京地検特捜部が何故? と思うタイミングでした。

早ければ、5月にも、遅くても数ヶ月後には、日本の総理大臣になる可能性が、とても、とても高い、野党第一党の党首を狙ったのですから、特捜部の思惑は何処に? と、想像を巡らしたくなります。

法の番人として、正義の味方として、悪は絶対許さない! 政権与党であろうが、野党第一党であろうが、選挙が目前であろうが、政局に重大な影響があろうが、やる時は、やるのだァ! 地検の幹部が発言したそうです。

もっともな発言です、でも、しかし、過去は、直前に迫った選挙に影響するタイミングで、このような逮捕劇は避けてきている筈です。

小沢さんは、田中角栄の流れに位置する政治家です。この程度の事を、私は、何で? どうして? こんな事を? 何て、一つも思いませんでした。

小沢さんも、何で? どうして? こんな事で?、公設秘書がいきなり逮捕なの? と、昨日の記者会見で怒っていました。

そう何ですねェ、皆さんやっているのです、“迂回献金”何て、どうして? この時期に、俺だけなの? と怒っているのです。

猫の毛が、白くて、黒くて、ネズミをとれば良いのです。“清廉潔白だけ”を政治家に望んではいけません。

兎に角、政治の“景色”を先ず変えて、いろいろやってみないと、先きが見えないのです。

それにしても、小沢さん、“第七艦隊だけで充分”発言は、先日来日したクリントン国務長官との会談で、清々堂々と、その見解を述べるべきでした。

この発言が、今回の逮捕劇に繋がった何て話しが、ちらほら出ていますが、アメリカが?、日本の司法を?、操る事なんて?、出来ないと?・・・・・・思うのです。

できもしない事を、さも、裏で糸を引いているかの様に、勝ってに思わせる。そんな程度の謀略は、それなりに、少しはあったかも知れません。

地検特捜部も、必ず、バランスを取る筈です。与党からも、それなりに逮捕者が出ておかしくありません。いつも、そうでしたから。

正義の味方で、政治的な思惑が無いならば、“郵政民営化利権疑惑”の方がずっと、ずっと、悪質で、巨大で、国民に不利益をもたらす重大疑獄事件です。

背後関係は、それこそ“小泉カイカク”、そして、アメリカの対日政策、そして、アメリカの金融資本にまで拡大する、重大疑獄事件かも知れません。

もしかして、そこが本命で、その露払いとして、野党から手を付けたのかも?

しかし、司法が、数人の検事が、歴史を変えるような事を、したり、できたりも、かなり怖い事だと・・・・・・・思うのです。

まぁ、それで、今回の逮捕劇の、政党支持率、投票行動への影響ですが、あまり、無い、と思います。平均的な、私が、そう思うのですから、無いのです。

最後に、昨日聞いた、TBSラジオの川柳を一首

“バカとズル 今ならズルを 選びます”

※当然、バカは麻生総理で、ズルは小沢党首の事です、念の為。

これが、今回の逮捕劇に対する、世の中の平均的な反応だと思うのです。

まぁ、そんな、ものなのです。


それでは、また明日。


 
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“世界ふれあい街歩き”で、歩く! ブタペストで工藤夕貴

2009年03月04日 | 世界の風景
今日は、最終回となります。

ブタの街にも灯り、景色は夜に変わろうとしています。一日の仕事が終わり、これから遊びの時間が始まるのです。

対岸のライトアップされた建物は国会議事堂だそうです。


歩道に佇み、窓から洩れる灯りに照らし出され、室内の様子を眺める女性がいます。え~と、よく見えないのですが、きっと美人の筈です。


これは絵になります。ヨーロッパの街角、石畳の歩道、窓から洩れるやわらかな光、照らし出される美しい女性、まわりをつつむ暗闇、そこだけが輝きを放って・・・・・・。

女性が覗いていたのは“ダンス”です。


建物の外観は暗くてよく分からなかったのですが、内部は歴史を感じる造り、やはり、石造りのヨーロッパ、重みと、厚みの、違いを感じます。

木造文化の人間としては、圧迫を感じるのです。ここは、宮殿ではなく、街のダンス教室です。


子供達も踊っています。


この赤い服の女性を見て! 思い出しました! あの“ハンガリアンダンス”だと思います。


民族音楽に民族舞踊。


皆さん、とても、楽しそうです。


日本でも、そうですが、みんながみんな、民謡を歌ったり、振り袖を着たり、半被を着て、太鼓を叩いたり、三味線を弾く訳ではありません。

ハンガリーでも、ハンガリアンダンスをみんなが踊る訳ではないと思います。観光客は、“その国らしい処”に眼が向くものです。

※偶に、日本によその国から来た、放送局の撮った映像を見ると、とても、違和感を覚えるのです。何処かが違うと思うのです。

日本人が、“見せたい日本”と、よその国の人が“見たい日本”では、ズレがあるのです。何処の国でも、そうだと思います。

きっと、ブタペストの人が、今回の番組を見たら、ちょっと変、ちょっと違う、と感じる筈です。

この“世界ふれあい街歩き”も、そこに暮らす人に見て貰い、その感想を聞きたくなります。NHKさん、一度、そんな特集など如何ですか?


それでは、お終いに、ハンガリアンダンスを鑑賞して下さい。
Hungarian and gypsy dances from kukullo-mente


ドナウ河に架かる、朝の“くさり橋”で始まり、明かりの灯る“くさり橋”で終わります。



え~と、それで、終わったところで、番外で、ナレーションの事でほちょっと、一言です。

今回は“工藤夕貴ちゃん”でした。彼女のナレーションは、2度聞いたと思います。


とても、声質も、話し方自然で、邪魔になりません。“ちゃん”付けで呼ぶ歳ではもうないと思いますが、やっぱり、私にとっては“夕貴ちゃん”なのです。

調べてみたら、彼女は今年の1月で、何と!38歳になっていたのです。

インスタントラーメンのCM、あの“お湯をかける少女”が強烈でした。学校の廊下を、大きなヤカンをぶら下げて、疾走するシーン、眼に焼き付いてます。

※タイトルの“お湯をかける少女”は、大林宣彦監督、原田知世主演の映画“時をかける少女”のパロディーです。

夕貴ちゃんの、瞳、頬、口元、そして、全身が輝いていました。小柄な身体、可愛い笑顔と、可愛い声。彼女はいつまでも“少女”が似合って“しまう”のです。

お湯をかけてから、いろいろあって、アメリカに渡り、ハリウッドで主演映画も撮り、そして、日本に戻り、また、いろいろあるようです。

38歳の年齢にして、“少女的”容姿、そして、明るく素直で率直な言動、これからも、かなりいろいろと、ムズカシイと思います。

努力家の彼女は、いつの日か、年齢に相応しい演技で、もう一度、輝くことを、おじさんは待っています。


これで“他人のふんどしシリーズ・ブタペスト”を終わります。


それでは、また明日。







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