人形たちの世界に埋没してみると不思議と落ち着くものです。
昨日仕事納めをして本日からお休みになりました。ワイフは30日までお仕事です。いかがお過ごしでしょうか。
森のなかまが小ちゃかったころ近所には昼でも暗いような森のような林がありターザンをしたり探検をして遊んだりしていました。
そういったご近所の森には場違いなものが色々と落ちています。壊れた家電や何に使われていたのかわからないようなパイプ。怪しげな色をした液体が入ったボトル。そういったもののなかで何か心に惹かれたものを拾い上げては秘密基地に持って帰ったりするような子供でした。そして。。ある日。雨でグシャグシャなったのちパリパリに乾いた所々に泥がついた女性のヌード写真がのった雑誌を見つけたのであります。
子供の森のなかまにとって服を身につけていない女性が普段見たことがないようなポーズをとってこちらに視線を向けていることはとても衝撃出来でした。「うひゃぁー、あはははー」とか言いながらも雑誌を遠くに投げ飛ばしたりしながら、拾い上げては「これで最後」とつい魅入ってしまうことに戸惑いを感じたこと。。秘密基地のなかでも最深部にグシャグシャでパリパリの雑誌を女神像のごとく安置したんだっけ?あれ?。。と。。最近そんなことを思い出してみたりしていました。
胸のなかに「うさみみ」の何かたちが住んでいるお人形。
いつも以上にへんてこりんな前置きになりましたが、上の写真をみて「こういった表現」に何かしらの嫌悪を感じられた方はこの先はご覧にならない方がよいかと思います。またそう感じられたことについて謝罪を求められても困るのであります。
とても美しい人形です。清水真理さんの人形を初めて出会ったのは8月も終わりの雨の日でした。あの日以来清水真理さんの人形をもっと見てみたいと思っていました。
人間もそうなのですが見る位置を変えると印象が異なってきます。清水真理展「Dolls Fantagic Circus」は横浜人形の家の受付奥のプチギャラリーの裏手にある多目的室で行われています。分かりにくかったら受付の方に尋ねてみてください。料金は300円。常設展は別になります。
神経質なくらい目にピントを合わせたくなってしまいます。普段三脚を使いたがらない森のなかまですが三脚を使いたくなります。が三脚を使っての撮影は禁止です。といいますか三脚を使わなければどの子を撮影しても良いそうです。
うさみみの「水色のアリス」。構造的な特徴として分類的には球体関節人形というものになるのかと思います。自在にポーズをとることはもちろん、人間では到底無理なポーズをとることができます。
もしかしたら今日は違うポーズになっていたりするかもしれません。
が、球体関節人形という分類に惹かれるているわけではないようです。
こちらの作品には特に可動部はありませんし既にお見せした人形とは異なり、異形であったり穴が空いていたりと悪夢のような怖さを感じるかと思います。
「死と乙女」凍りつくような美しさを持つ乙女の姿に死が同居する。驚愕する方もいれば、こういった表現をみると使い古された表現のようにも思えてしまう方もいらっしゃるかもしれません。森のなかまは彼女が生まれるに至った文脈を知ることはできませんし、その姿はやはり美しくもあり恐ろしさが同居するのであればそれだけで良いのかと思います。
ちなみに「Wachtraum(ヴァハトラウム)~白昼夢 (TH ART Series)」という写真集の中では彼女は他の人形に寄り添うような形で撮影されていて森のなかまにはしっくりきました。
リンゴをもったイブが涙を流していますがお腹のなかにはもう一体人形が住んでいて別な物語を奏でています。清水真理さんの作品に多く見られる表現のようです。
普段こういった展示会で目録やパンフレットは購入しないのですが珍しくパンフレットを購入しました。樋口ヒロユキさんの寄稿で「入れ子状の記憶」という言葉が使われていましたが何となくピンとくるものがあります。
看護婦さんの中にも誰かが住んでいます。顔立ちが他の作品と違いかなり日本人に近いような気がして気になってしまいました。
入れ子状になっている作品がさらにお家の形をしたフレームに入っていて入れ子が外側に拡張されているようにも感じられますが。。考えすぎでしょうか(笑)
「死と乙女」の後ろには赤い布で隠され覗き見するように鑑賞する展示されているコーナがあります。和服と日本髪の人形たちが息を潜めていました。遊郭をイメージしているのかもしれません。写真で後から確認したところ「花魁1(おいらん)」「島原太夫1」という作品名でした。
「島原太夫2」とても後ろめたいことをしているようなそんな鑑賞になります。カメラを向けて写真を撮っている自分が嫌になるくらい(笑)でも。。
この記事を書く前に清水真理さんについて調べてみたのですが、あえてこういった展示、鑑賞方法で見てほしいのかなと思いました。たぶんそうしないと感じることができない部分が多分にあるのだと思います。
布で覆われた部屋のなかで最も大きい人形には天草四郎というタイトルが付けられていました。どういうお話を思い浮かべるかはひとそれぞれですが、森のなかまはせつなくも強く生きる人形たちの姿を感じました。
一方こちらは入れ子の人形たちが何の覆いもなく肌もあらわに並んでいます。
「Alice World」アリスの中に不思議と可愛く思えてしまう子たちがぎゅーぎゅーに詰まっています。真ん中に吊り下がっているのはアリス自身かと思います。
むかし人形のお腹を開けると中にキャンディーが詰まっているといったギフトセットがあったのを覚えています。当時はなんて趣味が悪いんだろうと思いましたがそういうフォーマットなのだと思うと、なんだかクスクス笑いたくなるような愛らしいものに思えてきます。
ウェディングベールをつけていてもあまり嬉しそうではない「私の城」。中には白馬に乗った女の子が星きらめく闇をかぬけています。
入れ子の作品をみていると、だんだん人形とい存在がなかのものを収めるコンテナ(入れ物)のように思えてきます。
驚きの表情を見せる女性を天使たちに囲むのは「受胎告知」。そして受胎告知を内包する人形。内包することへの意味を考えるかどうかは自由だと思います。
彼女自身は下を向いてどちらかというと中の女性とはまた違った物語が流れているようにも思えました。
人形と付き合うときお互いが協力しあって物語が作られていきますが、彼女たちは最初から物語をもっています。新しい物語をつくる時も、その物語のなかに身を置いてみるときもあるんだと思います。
この日一番写真を撮ったのが凛とした強い表情をみせつつスカートをたくし上げる冒頭の彼女でした。「私の劇場」というタイトルがついています。
数十秒前に彼女の前にたって彼女の劇場を見ているつもりでしたが、実は彼女の劇場に組み込まれていたのかなとも思うわけです。
以前平田郷陽さんの「粧ひ(よそおい)」を調べていうときに「生人形(いきにんぎょう)」という言葉を知りました。
素朴な玩具としての人形と異なり、緻密でリアルな生人形は歴史的な出来事を興行するのに使われたり、その緻密さゆえ本来存在しない異形を「見世物」的な用途で使われていたそうです。平田郷陽さんはそういった見世物的な人形を作品としてまで高めていったそうなのです。
今回のこの人形展のタイトルを改めてみてみると「Dolls Fantagic Circus」とあります。字面だけを見ると見世物小屋的な文脈に回帰させているのではないかと思われるかもしれませんが、そういったレベルの話は既に超えていると思います。
もし。。小ちゃい頃森のなかで拾い上げたのがグラビア誌ではなく彼女たちの一人だったら。。誰にも見つからない場所に隠し続けるためにどんな努力をしたのか。。そんな物語を考えずにはいられません。
それでは!
昨日仕事納めをして本日からお休みになりました。ワイフは30日までお仕事です。いかがお過ごしでしょうか。
森のなかまが小ちゃかったころ近所には昼でも暗いような森のような林がありターザンをしたり探検をして遊んだりしていました。
そういったご近所の森には場違いなものが色々と落ちています。壊れた家電や何に使われていたのかわからないようなパイプ。怪しげな色をした液体が入ったボトル。そういったもののなかで何か心に惹かれたものを拾い上げては秘密基地に持って帰ったりするような子供でした。そして。。ある日。雨でグシャグシャなったのちパリパリに乾いた所々に泥がついた女性のヌード写真がのった雑誌を見つけたのであります。
子供の森のなかまにとって服を身につけていない女性が普段見たことがないようなポーズをとってこちらに視線を向けていることはとても衝撃出来でした。「うひゃぁー、あはははー」とか言いながらも雑誌を遠くに投げ飛ばしたりしながら、拾い上げては「これで最後」とつい魅入ってしまうことに戸惑いを感じたこと。。秘密基地のなかでも最深部にグシャグシャでパリパリの雑誌を女神像のごとく安置したんだっけ?あれ?。。と。。最近そんなことを思い出してみたりしていました。
胸のなかに「うさみみ」の何かたちが住んでいるお人形。
いつも以上にへんてこりんな前置きになりましたが、上の写真をみて「こういった表現」に何かしらの嫌悪を感じられた方はこの先はご覧にならない方がよいかと思います。またそう感じられたことについて謝罪を求められても困るのであります。
とても美しい人形です。清水真理さんの人形を初めて出会ったのは8月も終わりの雨の日でした。あの日以来清水真理さんの人形をもっと見てみたいと思っていました。
人間もそうなのですが見る位置を変えると印象が異なってきます。清水真理展「Dolls Fantagic Circus」は横浜人形の家の受付奥のプチギャラリーの裏手にある多目的室で行われています。分かりにくかったら受付の方に尋ねてみてください。料金は300円。常設展は別になります。
神経質なくらい目にピントを合わせたくなってしまいます。普段三脚を使いたがらない森のなかまですが三脚を使いたくなります。が三脚を使っての撮影は禁止です。といいますか三脚を使わなければどの子を撮影しても良いそうです。
うさみみの「水色のアリス」。構造的な特徴として分類的には球体関節人形というものになるのかと思います。自在にポーズをとることはもちろん、人間では到底無理なポーズをとることができます。
もしかしたら今日は違うポーズになっていたりするかもしれません。
が、球体関節人形という分類に惹かれるているわけではないようです。
こちらの作品には特に可動部はありませんし既にお見せした人形とは異なり、異形であったり穴が空いていたりと悪夢のような怖さを感じるかと思います。
「死と乙女」凍りつくような美しさを持つ乙女の姿に死が同居する。驚愕する方もいれば、こういった表現をみると使い古された表現のようにも思えてしまう方もいらっしゃるかもしれません。森のなかまは彼女が生まれるに至った文脈を知ることはできませんし、その姿はやはり美しくもあり恐ろしさが同居するのであればそれだけで良いのかと思います。
ちなみに「Wachtraum(ヴァハトラウム)~白昼夢 (TH ART Series)」という写真集の中では彼女は他の人形に寄り添うような形で撮影されていて森のなかまにはしっくりきました。
リンゴをもったイブが涙を流していますがお腹のなかにはもう一体人形が住んでいて別な物語を奏でています。清水真理さんの作品に多く見られる表現のようです。
普段こういった展示会で目録やパンフレットは購入しないのですが珍しくパンフレットを購入しました。樋口ヒロユキさんの寄稿で「入れ子状の記憶」という言葉が使われていましたが何となくピンとくるものがあります。
看護婦さんの中にも誰かが住んでいます。顔立ちが他の作品と違いかなり日本人に近いような気がして気になってしまいました。
入れ子状になっている作品がさらにお家の形をしたフレームに入っていて入れ子が外側に拡張されているようにも感じられますが。。考えすぎでしょうか(笑)
「死と乙女」の後ろには赤い布で隠され覗き見するように鑑賞する展示されているコーナがあります。和服と日本髪の人形たちが息を潜めていました。遊郭をイメージしているのかもしれません。写真で後から確認したところ「花魁1(おいらん)」「島原太夫1」という作品名でした。
「島原太夫2」とても後ろめたいことをしているようなそんな鑑賞になります。カメラを向けて写真を撮っている自分が嫌になるくらい(笑)でも。。
この記事を書く前に清水真理さんについて調べてみたのですが、あえてこういった展示、鑑賞方法で見てほしいのかなと思いました。たぶんそうしないと感じることができない部分が多分にあるのだと思います。
布で覆われた部屋のなかで最も大きい人形には天草四郎というタイトルが付けられていました。どういうお話を思い浮かべるかはひとそれぞれですが、森のなかまはせつなくも強く生きる人形たちの姿を感じました。
一方こちらは入れ子の人形たちが何の覆いもなく肌もあらわに並んでいます。
「Alice World」アリスの中に不思議と可愛く思えてしまう子たちがぎゅーぎゅーに詰まっています。真ん中に吊り下がっているのはアリス自身かと思います。
むかし人形のお腹を開けると中にキャンディーが詰まっているといったギフトセットがあったのを覚えています。当時はなんて趣味が悪いんだろうと思いましたがそういうフォーマットなのだと思うと、なんだかクスクス笑いたくなるような愛らしいものに思えてきます。
ウェディングベールをつけていてもあまり嬉しそうではない「私の城」。中には白馬に乗った女の子が星きらめく闇をかぬけています。
入れ子の作品をみていると、だんだん人形とい存在がなかのものを収めるコンテナ(入れ物)のように思えてきます。
驚きの表情を見せる女性を天使たちに囲むのは「受胎告知」。そして受胎告知を内包する人形。内包することへの意味を考えるかどうかは自由だと思います。
彼女自身は下を向いてどちらかというと中の女性とはまた違った物語が流れているようにも思えました。
人形と付き合うときお互いが協力しあって物語が作られていきますが、彼女たちは最初から物語をもっています。新しい物語をつくる時も、その物語のなかに身を置いてみるときもあるんだと思います。
この日一番写真を撮ったのが凛とした強い表情をみせつつスカートをたくし上げる冒頭の彼女でした。「私の劇場」というタイトルがついています。
数十秒前に彼女の前にたって彼女の劇場を見ているつもりでしたが、実は彼女の劇場に組み込まれていたのかなとも思うわけです。
以前平田郷陽さんの「粧ひ(よそおい)」を調べていうときに「生人形(いきにんぎょう)」という言葉を知りました。
素朴な玩具としての人形と異なり、緻密でリアルな生人形は歴史的な出来事を興行するのに使われたり、その緻密さゆえ本来存在しない異形を「見世物」的な用途で使われていたそうです。平田郷陽さんはそういった見世物的な人形を作品としてまで高めていったそうなのです。
今回のこの人形展のタイトルを改めてみてみると「Dolls Fantagic Circus」とあります。字面だけを見ると見世物小屋的な文脈に回帰させているのではないかと思われるかもしれませんが、そういったレベルの話は既に超えていると思います。
もし。。小ちゃい頃森のなかで拾い上げたのがグラビア誌ではなく彼女たちの一人だったら。。誰にも見つからない場所に隠し続けるためにどんな努力をしたのか。。そんな物語を考えずにはいられません。
それでは!
以前見たアニメのアンドロイドを想い出します。
美しいけれど何処かもの悲しい感じ。
引き込まれて行きますね!
みんなのブログからきました。
詩を書いています。
いろんな人形たちがいろんな世界を発しているんですが人間が発するそれとも違いますね。決して人間の代替えではないところに時々相容れない部分や神々しさを見出したりと様々♪
ここ4日間彼女たちのことを考えたり写真を見直したり写真集を見続けていたのですが魅力が色褪せることはありませんでした。どうやらこの子たちが好きなようです。
ハンス・ヴェルメールのような無機質な感じでもなく、解体されたヴィーナスのような生々しさもない、人の中にもう一つの世界があるような幻想的な作風ですね。
おもしろい作品群を見せていただきました。
コメントありがとうございました♪
清水真理さんを新たに知って頂けたとのこと。。記事をまとめた甲斐がありました。重ねてありがとうございます。
日頃は素朴な民芸玩具のような人形を好むのですが清水真理さんのそれはスッと入ってきてしまいました。極度な記号化にもはしらず人形として作品を成立させているところがとてもステキだと思います。
私も知ってからそれほどではないのですが写真集を買ってみたり(ワイフのすすめ)この世界のここちよさを徐々に知るようになりました。
真理さんの人形たちが動く映画もあるそうです。もしまだでしたらご覧になってみてはいかがでしょうか。
https://shimizumari.jimdo.com/media/%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%82%B9-%E3%82%A4%E3%83%B3-%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89/
一人そばに置いてみたいと思いますがお迎えする場所を確保できないのであります(笑)
子供のころは早く大人になりたいと思っていたけど、もう一度子供に戻ってみたいです。。
とても美しい人形ですね。私の劇場の彼女の洋服がとてもキレイですね。
天草四郎の和風っぽい服もいいです。最後の子の服の金の装飾もとてもいいなあと。。
どうしても裁縫目線?になってしまいすみません。ずっと見ていても飽きないですね。
あっ。。裁縫目線でつついて頂いて胸のつかえがとれました。実はというか。。。背景の絵、髪飾りや小さいアクセサリ、洋服がまた実によくできているのです。そのことも書きたかったのですが投稿してから書いていないことに気づきました(笑)
やはり、見る方がみれば写真でもわかるようですね。ホッとしました。
様々な手作業をお一人でこなされていて、それらが非常に高い水準で行なわれているという点だけでも驚きに値するのかと思いますが、テクニカルな面だけではないところがまたすごいんだと思います。
はい。飽きないです♪近いうちにまた会いにでかけようと画策中であります。