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吉村昭・著“陸奥爆沈”を読んで

ブログ投稿ネタが無いので慌てて読もうと手近の書店で入手できたのが、吉村昭の“陸奥爆沈”だった。相変わらずの記録文学。日本ではぞんざいに扱われる記録、特に敗戦を機に多くの公文書が失われたため、肝心の記録が見つからないと言う場面は多い。その上、頼りになる証言者は既に亡くなっているということが殆どだが、吉村氏はいつもそういった障害を乗り越えて作品を完成させている。この作品は、昭和45年新潮社より刊行されたとあるから、戦後25年の作品だ。今やその刊行当時から48年経過しているので、このような作品制作はもはや不可能であろう。 吉村氏の意図するところは、少なくとも“兵器としての機能も発揮せず千名以上の乗組員とともに沈没した”と言う虚しさの視点ではこの“陸奥爆沈”の方が先の“戦艦武蔵”より目的を達しているように思える。しかし、こうした爆沈事件の背景には人間の貧困に根差したものがあり、この作品ではそれを克明にしようとしている。そうした戦前社会の脆弱さが背景にあったものと見ているのだろう。果たして現代日本では、最早このような事件は起こり得ないのであろうか。 . . . 本文を読む
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