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吉村昭・著“陸奥爆沈”を読んで

韓国・朝鮮首脳会談を1週間後に控えて、このところテレビのワイド・ショウでは財務次官のセクハラ問題でもちきりだ。その度に、財務次官の発した台詞が御丁寧に一字一句再現される。それ自体がセクハラ報道ではないかとの我が家の女性陣の手厳しい評だが、良く考えれば極めて当然の感性である。その点で、マスコミ自身もセクハラ体質ではないかと言うのだ。
しかし、セクハラだけでは日本では犯罪としての要件が成立しないのではないか。その間隙をぬっての財務次官の言動だったつもりなのだろう。合法であるから問題ないと考えること自体がアウトになっている時代であることに財務省トップは気付いていない、そもそもが古い感性の人々であったのだ。グレイ・ゾーンでギリギリ・セーフはない時代なのだ。このように既に時代遅れの感性で過ごしている人々に導かれているのが、この国の実態なのだということを改めて思い知った次第だ。
不思議なのがこんなセクハラ事件一色の中、女芸人と呼ばれる人達の反応が意外に鈍いことだ。それは、そう簡単に迂闊にムードに流されるとその後酷い目に合うという本能的な反応と思われるからではないか。芸能界、特に“お笑い”はセクハラ、パワハラの中にある、オイラはそんな世界で育ってきた、と居直りなのか皮肉なのかわからぬ台詞で笑いをとっていたトップ芸人が居たように思う。芸能界の一角をなすテレビ局も当然そうなのだろうと容易に想像がつく。
以前関西の深夜番組で、MCのある漫才師が当時若手の落語家のちょっとした失敗をなじって、今後この番組では変名しろと強要し、その番組ではしばらく実際に変名で出演していた。その若手落語家は当惑はしていたが、蛙の面にションベンと軽く受け流して、その状況に従っていた。これは正しくパワハラであり、イジメそのものに見えたので私は非常に不愉快だった。その後最近、その漫才師と落語家のテレビ出演の出方は逆転しているようで、力量の差もあったのかも知れないが、世の中そんなものなのだと納得する一面もあったのだった。しかしその時のテレビ局の姿勢にも問題があったのは事実だ。テレビ番組を注意深く見ていると立場の弱い芸人に対する小さなイジメは随所にみられるような気がしてならない。中には番組で危険を無理強いされて、実際に怪我をした芸人も居た。あれは労働災害として処理されたのだろうか。その芸人は最近見かけない。

今回はそうしたテレビ局の報道分野での事件で、セクハラを告白した女性記者を局側は徹底して守ると宣明したのは、一歩前進と見るべきで、権力的官僚に立ち向かうという旗幟を鮮明にしたことは大いに評価できる。これで日本の報道が少しは変化し、政権側とは一線を画し、社会正義の視点に立ち客観的になってくれることに期待したい。だが、この事例以外にもセクハラはあったとされるが、Me Tooとして他の報道機関からの発表と広がりがないのは残念だ。
ついでに財研とか称する“記者クラブ”ギルドによる情報の独占も廃止することが望まれる。特に財務省の公表する内容は専門性が高く、時として学術的であるため、こうした財務省側との研究会の体裁をとった仕組が必要だというのだが、閉鎖的であるのは問題なのだ。

だが、その一方で新潟県知事も女性問題であっさり辞任してしまった。報道解説は何故か一切触れないが、前任の泉田氏の知事選立候補断念も不可解なままだ。この二人の共通点は反原発派ということ。そこには日本の深い闇が伺える。特に、泉田氏は“ドラム缶に入って川に浮かぶよ”という意味のことを言われた経験があるとの事。

それにしても安倍政権になって以降、“美しい国”に“地位に恋々とする”しがみつく人々が続出して醜悪な政権になったように思うし、“女性活躍社会”では口先だけのいい加減と言うか“首相夫人活躍社会”と化し、アベノミクスも実態は金融緩和だけで一向に晴れず未だディスカウンントのデフレの霧の中。“得意”の外交も今や蚊帳の外でこれまで何か成果があったか。北朝鮮との交渉のテーブルにすら就けていないし、千島も“返って来る”との掛け声は空回りするばかり。それでも支持率は結構高いのは何故なのか。


ついでだが、ブログ投稿のネタ探しもあって、先週もDVDレンタルで楽しんだ。
①“クレージー・メキシコ大作戦”
公開日 1968年4月27日、監督:坪島孝、キャスト:クレージー・キャッツ、浜美枝、園まり、アンナ・マルティン、藤田まこと、大空真弓
古い邦画が見たくなり、クレージー・キャッツのドタバタ喜劇。メキシコ五輪に乗じてロケをやったようだが、興業的には少々の失敗だったようだ。だがキャストは結構豪華で懐かしく、ドタバタ・シナリオも面白かった。
②“ハドソン川の奇跡”
公開日 2016年9月24日、監督:クリント・イーストウッド、キャスト:トム・ハンクス、アーロン・エッカート、ローラ・リニー
2009年のアメリカ・ニューヨークで起った航空機事故を、チェズレイ・サレンバーガー機長の手記をもとに映画化したものという。事故は、乗客乗員155人を乗せた航空機がマンハッタンの上空でバード・ストライクに遭遇しコントロールを失う。機長は必死に機体を制御しハドソン川に着水させることに成功したが、その判断が国家運輸安全委員会は間違っていたとシミュレーションで判定する。機長はそれには対処のための評価判断時間・タイミングが含まれていないと主張する。常に自己を見失わないことの大切さを思い知らされる。改めて米国は正しい理屈を認める社会だと思うのだ。
③“ダンケルク”
公開日 2017年9月9日、監督:クリストファー・ノーラン、キャスト:フィオン・ホワイトヘッド、トム・グリン、ジャック・ロウデン
第2次世界大戦初戦の連合軍側のダンケルク撤退を描く。ドイツ軍が航空戦力を伴い、英仏連合軍をフランス北部のダンケルクへと追い詰めてヨーロッパから追い落とす作戦の英軍側のドラマ。特徴的な曲線の主翼を持つ優美なスピットファイヤー戦闘機が主役のようにも見える。攻撃してくる側のドイツ機は遠目に客観的に映像化している。しかし、何やら撃墜されるのはドイツ側が多い印象。映画中では解説やナレーションはなく、淡々と進行するのが新鮮だが、残念だが何を主張しているのかが私には判然としない。
だが、いずれもここで評価するほどのものではなく、見たと紹介する程度の内容だった。“陸軍中野学校”のシリーズはこの度は少々見飽いた印象もあったが、いずれシリーズ全てを見終わりたい、と思っている。


さて、以上の状態でブログ投稿ネタが無い。そこで慌てて読もうと手近の書店で入手できたのが、吉村昭の“陸奥爆沈”だった。今回は当然のことながら、シリアスな事実を淡々と述べていたので、これの読後感想を提供したい。
相変わらずの記録文学。保管された公文書と当時の生存者を訪ねて証言を丹念につなぎ合わせて真相に迫るというもの。日本では意外にぞんざいに扱われる記録、特に敗戦を機に多くの公文書が失われたためか、肝心の記録が見つからないと言う場面は多い。その上、頼りになる証言者は既に亡くなっているということが大抵の状態だが、吉村氏はいつもそういった障害を乗り越えて作品を完成させている。
だが、記録も証言者も経時変化で劣化していくもの。特に、人の記憶は怪しい側面があるし、人の命もいつまでもあるものではない。この本は、昭和45年新潮社より刊行されたとあるから、戦後25年の作品だ。今やその当時から48年経過しているので、このような作品の制作はもはや不可能であろう。その意味でこの記録文学は貴重だ。

ところで、吉村氏はどういうきっかけでこの作品を仕上げたのか。書き出しの3頁目にこうある。“私の仕事は、(農業専門月刊誌)「I」誌の企画した岩国市の紹介紀行文を書くこと”で案内者とともに、柱島に隣接する無人の小島・続島に上陸したとあり、その時の情景が書き出しになっている。
そしてその案内者は“戦艦武蔵”を書いた人なので、吉村氏が当然柱島近海には興味があるはずと思って案内して来たという。その際に“戦艦武蔵”を書いた意図に言及している。“書いた理由は、フネのまわりに蝟集した技術者、工員、乗組員などに戦争と人間との奇怪な関係を見、また多くの技術的知識、労力、資材を投入しながら兵器としての機能も発揮せず千名以上の乗組員とともに沈没した「武蔵」という構造物に戦争というもののはかなさを感じたからであった。”そういうことで、“武蔵”という軍艦そのものに深い思い入れがあった訳ではなかったという意味のことを書いている。
しかし、結局のところ柱島に案内してもらうことにしたという。その理由は“戦艦武蔵”に何度も“柱島泊地”に言及しておきながら、そこに全く訪れたことも無いのは物書きとして怠慢であることと、岩国市の紀行文を書くのにその一部の柱島には行く義務があると感じたからだと言っている。
“柱島泊地”の泊地は海上の地点で、戦前軍艦の集合場所のことのようだ。ネットによれば“柱島の南西沖合北緯33度58分40秒東経132度24分5秒に旗艦ブイが置かれていた”とある。
ここで、どう考えても誤記ではないかと思われる箇所がある。“柱島泊地は、島の西北の海面に位置していて”という記述である。Google地図で上記の旗艦ブイの位置を確認すると“西北”ではなく、どう見ても“南西”方向なのだ。どういう間違いなのだろうか。そこでいう“島”はどう読んでも柱島なのだ。

さて、そこで現地の人々から“昭和18年6月8日正午頃”に“柱島泊地の旗艦ブイに繋留中の戦艦「陸奥」(基準排水量39,050トン)は大爆発を起こして船体を分断し、またたく間に沈没した”事実を繰り返し伝えられ、この事実に引き込まれて行ったようだ。恐らく、“戦艦武蔵”を書いたときと同じ感情で、“陸奥爆沈”の周囲の人間模様を追いかける気になったようだ。その爆沈の原因は今もって分かっていない。そこに吉村氏は肉薄して見たかったのだろう。

吉村氏が調査していく内、当時の潜水等の調査で弾火薬庫での爆発と限定、推定されたことが明らかになる。弾火薬庫事故ならば、弾火薬の性能変化や劣化が考えられたが緻密な検証の結果、それも考えられないとなる。ならば人為事故か。ひるがえって同様な事故が海軍では“陸奥爆沈”の前に7件も発生していたという事実があり、それに吉村氏も驚いたという。それを整理してみると、“乗組員の行為によるもの3件(第1回三笠、磐手、日進)、同様の行為によること確実なもの2件(第2回三笠、筑波)、原因不明2件(松島、河内)となる。しかも、原因不明の2件も、「人為的疑い」がなかったわけではなく、むしろ濃厚というべきなのだろう”としている。そしてついに“陸奥爆沈”当時の査問委員会の結論も、記録そのものが残っていないため2次資料の解釈困難の文章となっているが、“(ある)二等兵曹の放火による疑い濃厚と判定した”、とある。これで殆ど全ての弾火薬庫での爆発事故は人為によるものであったこととなった。
そして吉村氏は最後にその二等兵曹の故郷を訪れ、“私は、小さな家を見つめた。あの家から、一人の若者が村人に送られて海軍へ入隊して行った。数年後、(事件によって)その家には憲兵隊がふみこんだ。戦争という巨大な歯車に、あの家の家族はすりつぶされたのだ。”と書いている。

さて、吉村氏の意図でこの作品は成功しているのだろうか。少なくとも“兵器としての機能も発揮せず千名以上の乗組員とともに沈没した”と言う虚しさの視点では“陸奥爆沈”の方が“戦艦武蔵”より目的を達しているように思える。しかし、こうした爆沈の背景には人間の貧困にまつわる社会的不満に根差したものがある、と言いたいところもあり、むしろこの作品ではそれを克明にしようとしている。戦前は身分制が今より厳然として存在し、それが軍隊の階級制ではさらに強くなっている。そしてその身分制の底辺では貧困がまとわりついている。そうした戦前社会の脆弱さが背景にあったものと見ている。

そして、果たしてこのような問題は現代日本では無くなった、と言えるのだろうか。社会の隅々に忍び寄る貧困、日本経済が沈滞するにつれて拡大する格差により、戦前のような脆弱な社会となる可能性はないのだろうか。それとも、もっと違った形の社会の矛盾で、同じような事件の再来があるのだろうか。

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