goo

2019年年末ご挨拶

IR(統合型リゾート)に御熱心だった政治家、ついに逮捕拘束。不幸にしてこの正月は拘置所で明かすようだ。
“自分は何もしていない!”と断言していたが、しっかり法網に絡め取られている。何が悪い事なのか、ユルフン気分で理解していない愚かさ。何だか、そういう自覚のなさは現政権の特徴でもある、アホアホ系の“私はいい人ョ”という意識。
ようやく検察が動き出した。もっとやるべき捜査があるとは思うが、あまり動かな過ぎると存在理由がなくなるので、小者逮捕で“お茶を濁す”ため動き出したのか。ところが動き出したら大物へ繋がった、とうことはあるまいナ。

国営かんぽ生命。見せかけの民営化で、官民の悪いトコ取りの超然ブラック企業が出現。ところがとうとう悪事露見で3社長退任決定。いかに現政権でも見過ごせない?
これはもう、反社*そのもの。NHKの調査報道に、それが事実であるがゆえに“根も葉もない報道で、まるで暴力団”と決めつけた副社長こそヤクザそのもの。このヤクザ実は郵政のドンだったとのことで、退任決定。

*反社会勢力の定義:“暴力、威力と詐欺的手法を駆使して経済的利益を追及する集団または個人”

ところがこれが、“放送法が禁じる経営委の番組介入に当たる懸念があり、郵政側の執拗な抗議やNHKの対応など、放送の「自主自律」を揺るがした問題”を引き起こしたのだが、この件は一切ほっかむりで、無かったことになるのか?何だかどんどん、報道の自由、言論の自由は侵害される一方だ。政府の記録も気軽に消去され、国民の事実を知る権利もどんどん損傷され続けている。これがジミン党の政策、本質なのか。現政権にとって自由民主主義はどこにあるのか。
実は、自由民主主義どころか中国共産党・習近平や北朝鮮・金正恩の方にむしろ親和性があるのだろう。だから、香港に何が起ころうと、ましてウィグル人権問題など知ったことかと、来春の習近平国賓招待を推進する姿勢なのだろう。

どんどん下火になっている桜問題は、マスコミと一体で“消去作業”実施中。来年年明けには、それ以外で騒動を巻き起こして、無かったコトにするのだろう。IR問題で誤魔化すのかも知れない。
残るは、不自由非民主主義だけだろうか。そして、不調のアベノミクスもどこかへフェード・アウト。日本は最早先進国ではなくOECD加盟国中、開発凋落国に転落することが一層明確になるのだろう。


さて、今回は気が付けば既に年末・正月休み。そこで、何らかの御挨拶を兼ねて決意表明としたい。
ところで、私の所属する環境マネジメント・システム審査機関の上部組織に動きがあり、その動きが外部に知れると、認証登録を辞退する組織が増えるのではないか、つまり登録組織が100件以上減少、或いは半減以下になるのではないかと懸念される事態に至った、ということが年末に生じた。
それが当面の組織存続の大問題として越年することになった。どうなることやら、これに私自身がどのように動き、対処するべきか、非常に悩ましい。下手すれば又もやリストラの対象となりかねない。或いはどさくさで逆に幹部責任者にさせられるかも知れない。だが凋落傾向の組織の責任者になることが果たして得策なのか、疑問ではある。

最近少々気になり始めているのは、“マルクス”だ。いずれこのブログで報告したいとは思うのだが、的場昭弘・著“マルクスを再読する”を読んで、若い日に読んだマルクス本とは景色が随分異なっていることが、分かったことだ。お蔭で“スピノザ”を読もうと思い始めている。また次第によっては、“ルイ・アルチュセール”もお勉強してみたい。
どうやらマクロで見ると、世界の動向はマルクスの“予言”の通りに動いているように見える。これは大きな問題である。蘇る“亡霊のマルクス”は経済学的に、政治学的に、或いは哲学的に大いなる人類史的な地球規模の課題なのかも知れない。

それから以前から私は、明治維新のイデオローグとして佐久間象山と横井小楠が非常に重要でと考えている。しかし世間ではほとんど評価されていない。そして坂本竜馬は異常に評価されているのだが、彼は維新の著名人の間を巧みに行き来した点で秀逸ではあるとは私は思うが、それ以上の人物ではないと見ている。
また明治維新を実質政治的に動かしたのは、勝海舟と西郷隆盛だと思うが、その彼等の行動を既定したのが、この二人のイデオローグだと考えている。その内、横井小楠はほぼ想像の範囲にある人物のようだが、佐久間象山はどうやら一言では語れない、複雑で想像を超える人物と思える。そこで、もう少しその人物像を知りたいと考えているところだ。

2020年の東京株式市場は、当面は北の地政学リスクにさらされることになるが、北・金正恩がどのような断を下すのか注目される。
この地政学リスクが大したことなければ、今の上昇基調が何時まで続くかで予想パターンが異なってくるようだ。春先で崩れるようならば、調整下落は夏季を底に上昇に転じると見られているようだ。一方今の上昇基調が夏まで続くようならば、それを頂点に深い下落に陥り、翌年2021年まで調整は続くものと見られているようだ。私は五輪開催とのタイミングと考え合わせると、後者の可能性が高いのではないかと思っている。その方が後々の説明が容易のような気がするからだ。

ところで株式と言えば、私が信念を持ってお勧めしない銘柄がある。それは国内では日産自動車であり、米国ではボーイングである。いずれもその社の体質に問題があり、極めて根深いものと見ている。そしてそれは死に至る病に罹患していると見る。私は株は長期に持つのが本筋だと思っているが、この2銘柄は長期に持てば、必ず紙屑になる日がやって来ると考えている。

日産自動車はゴーン社長の下で改革を為したはずだったが、そのゴ-ンが不正を為し、他の役員はそれを許容しつつ自らもその不正に染まっていた。この会社の社風にはゴーン改革以前も問題があり、どうも不正を許容するところがあり、非を非として断罪する厳しさがないのではないかと察せられる。その悪弊が連綿と引き継がれて今日に至っているように見える。それを改革するのに、どうやら社外取締役を入れて対応しようとしているようだが、社外取締役では改革は本物にはならない、と見ている。社外取締役は精々で取締役会で挙げられた案件を客観的に評価するだけに終始するのが精一杯だろう。それで会社のカルチャーを変革するまでには至るはずがない。現に、伊藤忠商事元社長の丹羽 宇一郎氏が御自分の社外取締役の経験から、それは無理だと指摘している。私も、転職の経験から転職先の企業風土を知悉するまでには、実務を重ねて数年かかった経験から、十分に理解できる。
その上、ゴーンの“クロスファンクショナルの組織改革”の影響からだろうか、組織横断機能の極端化が進んで、一般社員には上司が4人いると日産現役役員の講演を聞いたことがある。これが事実なら、それで組織が上手く機能するはずがない、と私は考える。私も2人の上司を持ったことがあるが、どっちを向いて仕事をするのか、混乱することがしばしばだったからだ。もし、それで組織全体が混乱しないのは、余程社員が優秀なのだろう。
又、何故か日産の車は故障が多いという評判になっている。だからタクシー会社で日産お車を採用するところがないとも言う。結果、日本国内でのシェアーは落ちる一方だと聞く。確かに街で日産の車を見ることは少ない。これでは開発途上国で安売りしなければ販売を伸ばすことはできない。恐らく生産コスト優先の生産技術になっているのだろう。
これでは推奨銘柄になるはずも無かろう。

1985年の日本航空123便墜落事故は実は、ボーング側の補修整備ミスが原因だとは世間周知の事実だ。しかし、ボーイングはこれにほっかむりして、責任を取らなかった。日本政府もこれを何故か責めることはなかった。
その後、2013年にボーイング787のバッテリー発火問題が発生し、ボーイングは日本のGSユアサのリチウム電池が問題だと主張した。しかし詳細に調査するにつれ、電池をバックアップする電機回路の問題であることが明らかになり、これについてはボーング側も認めざるを得ない事実だったようだ。しかもGSユアサは、リチウム電池を納入するにあたってそれをバックアップする回路について特定のモノ(日本製)を指定していたにもかかわらず、ボーイングはコストダウンを優先して他の回路を採用したが、それが原因だったのだ。生産責任はボーイングにある。
その後2018年に入って、ボーイング737MAXは、半年を経ない間に2回の大事故を起こし、それも、どちらも共に乗員乗客全員死亡という大惨事となり、合わせて346名の人命が失われた。そして世界中から飛行停止命令が出て、ついに最近、生産の自主停止にまで追い込まれた。原因は当初、機体操縦システムのソフトの問題とされたが、最近はソフトウェアの問題ではなく737MAXが1960年代に設計した機体に改良を加えたもので、エンジンの大型化に伴う構造上の設計不備が問題であると指摘されており、一部からは“絶対に二度と運航してはならない”との主張も見られる、とのこと。
こういうボーイングの対応を見ていると、基本的な科学技術の軽視と採算重視の姿勢がおぼろげながら見えて来るように思うのだ。しかも、顧客の意向を無視した傲慢さも見え隠れするように思える。恐らくこういった状態は社内カルチャーになっていると思われ、それは“死に至る病”だ。こうしたことから、とても推奨できる銘柄ではないのだ。

話は個人的な方向へ大きく替わるが、年末に家内と娘が私の知らぬ間に、生後3か月のトイ・プードルを買ってきた。娘に言わせると血統書付の犬だというが、場合によっては、この犬と寿命を争うことになるのだろうかと、思っている。さてさて、今後どのようなワン公に育つのやら、生活がディスターブされないように気を付けなければならない、と半分警戒している。とはいうものの、チャッカリ年賀状には写真画像を採用した。

以上がこの年末の私の心象風景だ。
ブログ投稿も少々疲れてきている。次回は、正月休みとさせて頂きたい。従がい、年初はこの記事を読んで頂くことになるものと思う。兎に角、来年も宜しくお願いしたい。


コメント ( 0 ) | Trackback ( )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 京都七条・豊... 2020年年始ご挨拶 »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。