The Rest Room of ISO Management
ISO休戦
この1週間で感じたこと181103―“井の中の蛙”に気付かない日本人
フリージャーナリストの自己責任論がネットで沸騰しているという。フリージャーナリストの行為に難癖を付けているのは、ネトウヨとされる覆面集団だという。この社会動向について先週、テレビ・ワイド・ショウで前大阪府知事にして大阪市長とテレビ・コメンテータの間で議論を展開していた。元大阪市長の主張は、そのネトウヨの中でも上質の議論を代表するものと思われるが、それでも何度聞いても、ある種感情論でしかなかった。弁護士でもある彼が論理的に議論展開できていないのは、意外だった。考えようによっては、“フリージャーナリストの自己責任論”は論理的に説明できる議論ではなく、立論不能の無理筋なのだ。
日本の右派は如何にお勉強していないか、これを見てもよくわかる。欧米ではこのような議論は一切起きないと言う。元米国務長官パウエル氏は、“「誰も危険を冒さなければ私たちは前進しない」と強調。「より良い目的のため、みずから危険を冒した日本人たちがいたことを私はうれしく思う」”とコメントしたと伝えられているほどだ。
日本の右派の人々は、自ら行動して自らの立論を海外でデモンストレーションした、という事実を寡聞にして知るところがないのは、どういうことだろうか。それにもかかわらず、自ら進んで危険を覚悟の上で顧みず行動する個人に、自らは決して危険を冒さずヌクヌクとした立場でまして匿名で攻撃するなどという卑怯な振る舞いは許されるものではない。
かくいう私も匿名で投稿してはいるが、少なくともこうした個人攻撃をした覚えはない。
しかも、フリー・ジャーナリスト御当人が“自己責任はある。”と仰るのだから、ここに論難する根拠はない。論難者は何を目的としているのか。自国政府を非難する者に、政府の援助は不要だとでも言いたいのか。それこそ、国民国家の原理を無視し、民主主義を根幹から揺るがす、国家主義的独善論に由来する間違った危険な議論だ。戦前回帰そのものだ。国家には無条件でいかなる国民をも保護する義務がある。
こうした議論は、立場を変えて事態を見れば直ちに如何にバカな議論か直ぐに了解できるものだ。つまり、日本がシリア化して政治状態が溶解して、無政府化し混乱し、私的暴力が横行する状況が現出した場合、世界中から誰も実情を報道してくれず、見捨てられた状態に陥ったとしたら、一般国民はどうすれば良いのか。また、混乱した状態では何が正しいのか不明だが、それをそのまま事実として報道するということも立場としてはあり得るだろう。とにかく事実・実情を知り、世界中で考えてもらうことが大切なのではないか。見捨てられること、それは人として悲しいことではないか。たとえ何もできなくとも“寄り添うこと”これが“愛”だということを肝に銘じたい。それに勇気を奮って、立ち向かう人をどうして論難するのか、私は理解できない。それこそ“平和ボケ”そのものだ。
こういう人々が日本では増えているように感じるが、こうした不勉強がいずれ政治的混乱を引き起こす遠因になるのではないかと、懸念するが大げさだろうか。いずれ日本が海外勢力の政治的容喙の場となり、正しくシリア化することもあり得るのではないか。米中対立の昨今、地政学的立ち位置が微妙な日本に、その可能性は高いのではないか。我等日本人、余程しっかりしていなければ、大変なことになりかねない。
子供の頃、日本人は“井の中の蛙”の傾向がある、と結構言われたことがあるが、最近このような言葉を聞いたことが無く、そのためか遂に“井の中の蛙”化しているフシがある。
先週、“新日鉄住金を相手取り韓国人の元徴用工らが損害賠償を求めた訴訟で、韓国最高裁が原告勝訴の確定判決を出した”ことにより“日本企業の在韓財産が差し押さえられる可能性さえ出てきた。”という報道があり、日本側の不快感、不安感を煽る報道があった。
しかし、実情は“韓国政府には差し押さえる法的根拠はない”と見る見方もあるようだ。では、なぜ意味のない判決が出たのかが問題だが、“韓国では「憲法より上に『国民情緒法』がある」”とまで言われているため生じた判決だと思われる。一方では、一般韓国民や韓国政府は日本を自国に強い影響力のある国だとは思っていないという客観的なデータが出てきている、という見解には注目する必要がある。
つまり、竹島領土問題や従軍慰安婦問題いずれでも、日本で騒ぎにはなったが結局のところ韓国には一切政治的経済的な不利益の結果にはなってはいない。逆に、海外特に米国では韓国は中国と共同戦線を張って日本を攻撃する材料に使っている。イライラしたのは日本人だけ。“恨”の国の執拗な攻撃に、何ら有効策を打てずに苛立つばかり。
要するに日本では恐らくネトウヨも日本語で騒ぐばかり。これでは海外に全く伝わらない。特に、“こんなことを繰り返していては、韓国は国際的信用を落とすばかり。”といくら日本語で騒いでも、一切海外の第三者には伝わっていない。つまり、世界の第三者には韓国の不正義は一切伝わってはいない。そのような事実は存在していないも同様なのだ。先ほど指摘したように、既に日本は世界から見捨てられている状態ではないのか。だから韓国は国際的信用を落したと言う事実は伝わって来ていない。この恐るべき状態に日本人は早く気付くべきだ。
韓国人の海外でのPR活動は、日本でも盛んだ。いつぞや上京した際に、首相官邸を見に行ったが、警備する機動隊の目前で韓国人が従軍慰安婦の問題をPRする日本語のビラを配っていた。ネトウヨのお歴々が 青瓦台の鼻先で竹島の問題をPRするハングルのビラを配った例はあるのだろうか。ことほど左様に、日本の右派の国内での騒ぎは単なる自慰行為でしかないのではないか。日本人が国内で如何に騒いでも、韓国には何の影響もないのだ。
要は、日本は世界に何らの情報も発信していないのだ。国際的に活動する韓国人はこのことをよく知っているに違いないのだ。日本人は江戸時代の鎖国のまま“井の中の蛙”ではないのか。
竹島は実効支配されたまま、従軍慰安婦像は設置されたままで撤去されたとの報道はない。そして韓国で嫌日的な政治的行動があれば、日本で騒ぎになる。しかし日本側は韓国に対し何ら有効な反撃は出来ていない。外交筋を通して、抗議するばかりなのだ。それには国際的な広がりは一切ない。ニュース映像では日本の外相・河野太郎氏が渋い表情で、韓国の外相・康京和(カン・ギョンファ)氏はにこやかに余裕ある対応をしていた印象がある。この差は何によるのか。
対日問題では最早 政権支持率は微動だにしないのが韓国内世論だという。日本のマスコミはこの傾向に気付いておらず、韓国政権は支持率向上のため嫌日傾向の政策をとる、とかのような論調で報道している。この韓国世論観は既に時代遅れで急速に変化しているらしい。
韓国は、日本に対する依存度を低めているから何ら日本に頼る必要は無いのが実態なのだ。日本の国力、経済力が相対的に低下するとともに、その傾向は著しくなっているのだ。韓国政府の要人は東京には来ないが、ワシントンや北京には頻繁に訪問しているという事実もある。彼らは日本をスルーできる状態に至っているのだ。韓国政府にとって、国民の嫌日傾向は民間の問題であって、彼らには何ら響かない問題と化しつつあるのだ。現にピョンチャン五輪は日本の肩入れが無ければ開催不能と嘯く向きが日本にはあったが、日本の協力は本質的なものではなく、ほんの一部で無事終わってしまった。北朝鮮問題も日本が関わる場面がないのは、こうした実情を理解すれば良く分かる。
そういえば、五輪メダル獲得数も人口比でみれば日本は既に韓国に負けているのではないか。
韓国にしてやられる原因は日本の外交下手にある、としか言いようがない。安倍外交のように戦略性がなく、やってるフリ外交では対米従属にしかならず、国際的に尊敬されるものとはならない。それは政府ばかりではない。民間での海外への情報発信が少ないことも問題なのではないか。それは日本の国力、経済力が相対的に低下し、著しく国際的影響力が喪失している現在、非常に重要なことではないか。勿論、はじめに指摘した通り海外の情報を自前で知ることも重要だし、発信する情報も大事なのだ。国際的受発信能力、つまり国際コミュニケーションに巧みでなければ、国家としても有効に活動できなくなって来るのだ。世界は情報戦の最中にあることを日本人は心すべきだ。“井の中の蛙”では立ち行かないのだ。
さて、では私はどうするべきか。今更英語でブログ投稿は申し訳ないが今のところ考えられない。カタコト英語で何とか逃れてきた者には無理な相談。警告を発して、後進に期待せざるを得ない。申し訳ない。
日本の右派は如何にお勉強していないか、これを見てもよくわかる。欧米ではこのような議論は一切起きないと言う。元米国務長官パウエル氏は、“「誰も危険を冒さなければ私たちは前進しない」と強調。「より良い目的のため、みずから危険を冒した日本人たちがいたことを私はうれしく思う」”とコメントしたと伝えられているほどだ。
日本の右派の人々は、自ら行動して自らの立論を海外でデモンストレーションした、という事実を寡聞にして知るところがないのは、どういうことだろうか。それにもかかわらず、自ら進んで危険を覚悟の上で顧みず行動する個人に、自らは決して危険を冒さずヌクヌクとした立場でまして匿名で攻撃するなどという卑怯な振る舞いは許されるものではない。
かくいう私も匿名で投稿してはいるが、少なくともこうした個人攻撃をした覚えはない。
しかも、フリー・ジャーナリスト御当人が“自己責任はある。”と仰るのだから、ここに論難する根拠はない。論難者は何を目的としているのか。自国政府を非難する者に、政府の援助は不要だとでも言いたいのか。それこそ、国民国家の原理を無視し、民主主義を根幹から揺るがす、国家主義的独善論に由来する間違った危険な議論だ。戦前回帰そのものだ。国家には無条件でいかなる国民をも保護する義務がある。
こうした議論は、立場を変えて事態を見れば直ちに如何にバカな議論か直ぐに了解できるものだ。つまり、日本がシリア化して政治状態が溶解して、無政府化し混乱し、私的暴力が横行する状況が現出した場合、世界中から誰も実情を報道してくれず、見捨てられた状態に陥ったとしたら、一般国民はどうすれば良いのか。また、混乱した状態では何が正しいのか不明だが、それをそのまま事実として報道するということも立場としてはあり得るだろう。とにかく事実・実情を知り、世界中で考えてもらうことが大切なのではないか。見捨てられること、それは人として悲しいことではないか。たとえ何もできなくとも“寄り添うこと”これが“愛”だということを肝に銘じたい。それに勇気を奮って、立ち向かう人をどうして論難するのか、私は理解できない。それこそ“平和ボケ”そのものだ。
こういう人々が日本では増えているように感じるが、こうした不勉強がいずれ政治的混乱を引き起こす遠因になるのではないかと、懸念するが大げさだろうか。いずれ日本が海外勢力の政治的容喙の場となり、正しくシリア化することもあり得るのではないか。米中対立の昨今、地政学的立ち位置が微妙な日本に、その可能性は高いのではないか。我等日本人、余程しっかりしていなければ、大変なことになりかねない。
子供の頃、日本人は“井の中の蛙”の傾向がある、と結構言われたことがあるが、最近このような言葉を聞いたことが無く、そのためか遂に“井の中の蛙”化しているフシがある。
先週、“新日鉄住金を相手取り韓国人の元徴用工らが損害賠償を求めた訴訟で、韓国最高裁が原告勝訴の確定判決を出した”ことにより“日本企業の在韓財産が差し押さえられる可能性さえ出てきた。”という報道があり、日本側の不快感、不安感を煽る報道があった。
しかし、実情は“韓国政府には差し押さえる法的根拠はない”と見る見方もあるようだ。では、なぜ意味のない判決が出たのかが問題だが、“韓国では「憲法より上に『国民情緒法』がある」”とまで言われているため生じた判決だと思われる。一方では、一般韓国民や韓国政府は日本を自国に強い影響力のある国だとは思っていないという客観的なデータが出てきている、という見解には注目する必要がある。
つまり、竹島領土問題や従軍慰安婦問題いずれでも、日本で騒ぎにはなったが結局のところ韓国には一切政治的経済的な不利益の結果にはなってはいない。逆に、海外特に米国では韓国は中国と共同戦線を張って日本を攻撃する材料に使っている。イライラしたのは日本人だけ。“恨”の国の執拗な攻撃に、何ら有効策を打てずに苛立つばかり。
要するに日本では恐らくネトウヨも日本語で騒ぐばかり。これでは海外に全く伝わらない。特に、“こんなことを繰り返していては、韓国は国際的信用を落とすばかり。”といくら日本語で騒いでも、一切海外の第三者には伝わっていない。つまり、世界の第三者には韓国の不正義は一切伝わってはいない。そのような事実は存在していないも同様なのだ。先ほど指摘したように、既に日本は世界から見捨てられている状態ではないのか。だから韓国は国際的信用を落したと言う事実は伝わって来ていない。この恐るべき状態に日本人は早く気付くべきだ。
韓国人の海外でのPR活動は、日本でも盛んだ。いつぞや上京した際に、首相官邸を見に行ったが、警備する機動隊の目前で韓国人が従軍慰安婦の問題をPRする日本語のビラを配っていた。ネトウヨのお歴々が 青瓦台の鼻先で竹島の問題をPRするハングルのビラを配った例はあるのだろうか。ことほど左様に、日本の右派の国内での騒ぎは単なる自慰行為でしかないのではないか。日本人が国内で如何に騒いでも、韓国には何の影響もないのだ。
要は、日本は世界に何らの情報も発信していないのだ。国際的に活動する韓国人はこのことをよく知っているに違いないのだ。日本人は江戸時代の鎖国のまま“井の中の蛙”ではないのか。
竹島は実効支配されたまま、従軍慰安婦像は設置されたままで撤去されたとの報道はない。そして韓国で嫌日的な政治的行動があれば、日本で騒ぎになる。しかし日本側は韓国に対し何ら有効な反撃は出来ていない。外交筋を通して、抗議するばかりなのだ。それには国際的な広がりは一切ない。ニュース映像では日本の外相・河野太郎氏が渋い表情で、韓国の外相・康京和(カン・ギョンファ)氏はにこやかに余裕ある対応をしていた印象がある。この差は何によるのか。
対日問題では最早 政権支持率は微動だにしないのが韓国内世論だという。日本のマスコミはこの傾向に気付いておらず、韓国政権は支持率向上のため嫌日傾向の政策をとる、とかのような論調で報道している。この韓国世論観は既に時代遅れで急速に変化しているらしい。
韓国は、日本に対する依存度を低めているから何ら日本に頼る必要は無いのが実態なのだ。日本の国力、経済力が相対的に低下するとともに、その傾向は著しくなっているのだ。韓国政府の要人は東京には来ないが、ワシントンや北京には頻繁に訪問しているという事実もある。彼らは日本をスルーできる状態に至っているのだ。韓国政府にとって、国民の嫌日傾向は民間の問題であって、彼らには何ら響かない問題と化しつつあるのだ。現にピョンチャン五輪は日本の肩入れが無ければ開催不能と嘯く向きが日本にはあったが、日本の協力は本質的なものではなく、ほんの一部で無事終わってしまった。北朝鮮問題も日本が関わる場面がないのは、こうした実情を理解すれば良く分かる。
そういえば、五輪メダル獲得数も人口比でみれば日本は既に韓国に負けているのではないか。
韓国にしてやられる原因は日本の外交下手にある、としか言いようがない。安倍外交のように戦略性がなく、やってるフリ外交では対米従属にしかならず、国際的に尊敬されるものとはならない。それは政府ばかりではない。民間での海外への情報発信が少ないことも問題なのではないか。それは日本の国力、経済力が相対的に低下し、著しく国際的影響力が喪失している現在、非常に重要なことではないか。勿論、はじめに指摘した通り海外の情報を自前で知ることも重要だし、発信する情報も大事なのだ。国際的受発信能力、つまり国際コミュニケーションに巧みでなければ、国家としても有効に活動できなくなって来るのだ。世界は情報戦の最中にあることを日本人は心すべきだ。“井の中の蛙”では立ち行かないのだ。
さて、では私はどうするべきか。今更英語でブログ投稿は申し訳ないが今のところ考えられない。カタコト英語で何とか逃れてきた者には無理な相談。警告を発して、後進に期待せざるを得ない。申し訳ない。
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