The Rest Room of ISO Management
ISO休戦
気づかせる審査(審査を通じての卓越モデルへの入口)
さぁて、クレバーな中小企業の話を 挟んで パフォーマンス評価の本筋に 戻ってみたいと思います。
前回の“ISOマネジメント”では 第三者監査(審査)において、審査対象組織のビジネスについて何も知らない第三者が、重箱の隅をつつくような指摘をしても意味がありません、と書きました。細かい指摘をして、企業活動全体のバランスを崩し、非効率な活動となるようであれば、いわゆる“角を矯めて牛を殺す”ことになるのではないでしょうか、と申しました。
例えば、㈱樹研工業や 岡野工業㈱で、下手な“指摘”を行えば 松浦社長や岡野代表に、怒鳴られるのが落ちですね。“お前!わかっとるのか?・・・ホットイテクレ!” (It’s not yours, my own business! )
卓越モデルは あくまでも 経営者が 自ら考え選びとるものであり、しかも㈱樹研工業や 岡野工業㈱では おそらく既に 考え抜かれたシステム(この場合仕組というよりパターン化された“トップマネジメントの「理念の実行・実施」”)が人からとやかく言われるまえに きちんと出来ているはずだ、と思うのです。それこそ 両社長が心血を注いで考え抜いたシステム(ある種パターン化された行為)ですヨネ。
こうした 優秀な中小企業の“オヤジ”にヘッポコ審査員は 簡単に撃砕されてしまいます。そのド迫力で、木っ端微塵。
むしろ審査員は あくまでも基準(ISO9001の要求事項)に照らして判断するのみでしょう。いや、逆に 対象企業の活動の中で どの要求事項が対象組織のどの活動や行為に 顕現しているのかを 見出し、それを明示するといった行為があっても構わないのでは ないでしょうか。それはコンサルトに相当する行為なのでしょうか。“どう見ても不適合” なものは 適切に指摘するのは 当然の行為ですが。
もし、基準には適合しているが、不足があると感じられるような場合は それを暗示するような指摘が 良いのではないか、と思います。その意味で、審査員と組織の間での活発で率直な適合性に関するギリギリの激論は 大いに奨励されるのではないでしょうか。たとえ、それが よそ目には 怒鳴り合いに見えたとしても。・・・審査員は感情的になってはいけません。あくまでも冷静で論理的であるべきと戒められております。
受審組織、審査員 双方にとって、実に ビミョウーな部分です。
しかし、受審組織にとっては、より広く 他の組織を見ている審査員の目は 客観的で大切ですし、その意見は 尊重するべきです。一旦 審査員の不適合指摘は 退けたとしても、審査終了後 審査員の見解を 謙虚に見直して、システムの中に取り入れることは 卓越モデルへの道として意味のあることと思います。
つまり審査員側から見た場合の “気づかせる審査” が重要だと思うのです。
受審組織にとっては、この部分がISO9000の2.12 にある、ISO9001は 組織に“品質マネジメントシステムに関する要求事項”以外に “パフォーマンス改善に関する手引きを提供” するにつながるのでしょう。
つまり、卓越モデルへの入口でもあります。受審組織のトップマネジメントに 考え選びとる能力が要求されます。

ここに 組織の独善性を排除する動きと 第三者審査の意義を見出します。岡目八目の重要性認識ですね。
独善は その組織の絶対的腐敗を生みます。日本企業は “優秀”であるというような 根拠無き独善を戒め、謙虚にISO9001の要求事項を噛み締めるべきでしょうネ。
前回の“ISOマネジメント”では 第三者監査(審査)において、審査対象組織のビジネスについて何も知らない第三者が、重箱の隅をつつくような指摘をしても意味がありません、と書きました。細かい指摘をして、企業活動全体のバランスを崩し、非効率な活動となるようであれば、いわゆる“角を矯めて牛を殺す”ことになるのではないでしょうか、と申しました。
例えば、㈱樹研工業や 岡野工業㈱で、下手な“指摘”を行えば 松浦社長や岡野代表に、怒鳴られるのが落ちですね。“お前!わかっとるのか?・・・ホットイテクレ!” (It’s not yours, my own business! )
卓越モデルは あくまでも 経営者が 自ら考え選びとるものであり、しかも㈱樹研工業や 岡野工業㈱では おそらく既に 考え抜かれたシステム(この場合仕組というよりパターン化された“トップマネジメントの「理念の実行・実施」”)が人からとやかく言われるまえに きちんと出来ているはずだ、と思うのです。それこそ 両社長が心血を注いで考え抜いたシステム(ある種パターン化された行為)ですヨネ。
こうした 優秀な中小企業の“オヤジ”にヘッポコ審査員は 簡単に撃砕されてしまいます。そのド迫力で、木っ端微塵。
むしろ審査員は あくまでも基準(ISO9001の要求事項)に照らして判断するのみでしょう。いや、逆に 対象企業の活動の中で どの要求事項が対象組織のどの活動や行為に 顕現しているのかを 見出し、それを明示するといった行為があっても構わないのでは ないでしょうか。それはコンサルトに相当する行為なのでしょうか。“どう見ても不適合” なものは 適切に指摘するのは 当然の行為ですが。
もし、基準には適合しているが、不足があると感じられるような場合は それを暗示するような指摘が 良いのではないか、と思います。その意味で、審査員と組織の間での活発で率直な適合性に関するギリギリの激論は 大いに奨励されるのではないでしょうか。たとえ、それが よそ目には 怒鳴り合いに見えたとしても。・・・審査員は感情的になってはいけません。あくまでも冷静で論理的であるべきと戒められております。
受審組織、審査員 双方にとって、実に ビミョウーな部分です。
しかし、受審組織にとっては、より広く 他の組織を見ている審査員の目は 客観的で大切ですし、その意見は 尊重するべきです。一旦 審査員の不適合指摘は 退けたとしても、審査終了後 審査員の見解を 謙虚に見直して、システムの中に取り入れることは 卓越モデルへの道として意味のあることと思います。
つまり審査員側から見た場合の “気づかせる審査” が重要だと思うのです。
受審組織にとっては、この部分がISO9000の2.12 にある、ISO9001は 組織に“品質マネジメントシステムに関する要求事項”以外に “パフォーマンス改善に関する手引きを提供” するにつながるのでしょう。
つまり、卓越モデルへの入口でもあります。受審組織のトップマネジメントに 考え選びとる能力が要求されます。

ここに 組織の独善性を排除する動きと 第三者審査の意義を見出します。岡目八目の重要性認識ですね。
独善は その組織の絶対的腐敗を生みます。日本企業は “優秀”であるというような 根拠無き独善を戒め、謙虚にISO9001の要求事項を噛み締めるべきでしょうネ。
コメント ( 2 ) | Trackback ( )

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残念ながら 私は苦手です。
整理しないものだから ごみやほこりや、ついでにゴキも
まもなく選挙ですが 将来の見通し暗い感じです