The Rest Room of ISO Management
ISO休戦
アエラの記事“トヨタの「職場革命」”
週刊誌アエラ今週号(2008年4月7日号)の 宣伝ポスターに “トヨタの「職場革命」”という文字が踊っていたので 買ってしまいました。まぁ とにかく“トヨタ”という文字には 神通力があります。
実際に記事を読んでみると 実は トヨタの話は半分程度で、あとは他社の事例紹介で 副題は“成果主義なんかいらない”で、人事制度改革に努力している各社の状況を伝えるものでした。そして、次に続く記事が “ミドルの復権こそ脱成果主義の課題”となっていました。こちらの記事の副題は“世界の流れに遅れた日本の人事制度” と なっています。
さて “トヨタの「職場革命」”は 多分 昨年聞いた元トヨタ副会長の講演内容と同じではないかと思いましたが、やはり、その通りで、その講演内容を補強するものでした。
講演は 昨年5月でしたが、その時既に “「今年(’07年)はじめ」から組織改革を実施している” と聞いたように思います。記事では木下光男副社長が昨年4月にそれまでの“フラット型”組織への懸念を社内報で表明したことから始まったかのように書いています。いずれもが 事実であるとすれば トヨタは 意思表明の前に既に実行していたことになります。トヨタの迅速性というか機敏さ も 極まっている印象です。
記事は言う。“89年の改革でトヨタは、「大企業病の払拭」を掲げて、課長や係長などの中間管理職を全廃した。「個人の力」を高めて、組織の意思決定をスピーディにするという狙いは、一定の成果を上げたという。しかし・・・・。「その一方でコミュニケーションや人材育成を基盤とした『職場力』『チームワーク』は弱まりつつあるのではないか」” との木下副社長の懸念表明だった、と。
講演では 工場現場ラインでの改革が主であるかのような内容でしたが、この記事では スタッフ部門の“小集団化”事例を紹介しています。そして、スタッフ2~3人に対して2人のチーフを置くという それまでの1人のグループ長に30人の部下が付く横一線を改革し、手厚く若手の面倒を見れる組織にしたという。これにより、“「先輩-後輩関係」の復活をねらっている”ということです。さまざまな仕事のノウハウ,テクニックの伝授をねらっているのでしょう。しかし、こういう湿度の高い人間関係が 国際的に通用するものなのか。それとも、そういう懸念はない、と世界企業トヨタは見切っているのでしょうか。
伝授の“「核にあるのはTBPだろう」 TBPとは、主に事務部門の人材育成のためにトヨタが導入した訓練プログラム「トヨタ・ビジネス・プログラム」のことだ。”やはり、しっかりした会社には しっかりしたプログラムもあるのです。
それよりも 記事の副題にあるように 成果主義的ムードが 個人を孤立化させていたのでしょう。
三井物産では不祥事が 成果主義のいびつな結果だと分析して、“数字には表れない『よい仕事』を、きちんと後押しする制度に変えた”という。
YKKでは 2000年に導入した“成果・実力主義”制度を “役割を軸とした人事制度”に変更したという。“行動基準の最高位に位置づけている「公正」という視点を、人材評価でも中心に据えること”にしたということです。そして 意外なことに“旧来的な「職能資格制度」(能力主義)という原点に戻って行く。成果よりも能力を重視し、それを「役割」として公正に評価しようと目指す” という。
アエラの記事の表現は 少し焦点が不明確ですが、要するに 海外の人事制度を 取り入れたつもりの成果主義だったが、旧来の日本の人事制度の方が 良かったということのようなのです。
ファンド・マネージャーや特殊な開発マネージャーに適用するべき成果主義を 全組織に適用したのが 間違いだったのです。そう言えば、元トヨタ副会長の講演では チーム・ワークを尊重すべきだとも指摘していたように思います。
そして、続く記事“ミドルの復権こそ脱成果主義の課題”では、世間はミドルこそ大きな組織を動かすための血流の中核であることを ようやく認識しはじめた状況を伝えています。組織が大きくなればなるほど ミドルを大切にするべきだったのです。ITバブルが とっくに崩壊していたのに、ミドルより それを過大視していたのです。臨場感の中に 伝授すべきノウハウやテクニックは生きているのですが、ITでは この臨場感は伝えられないのです。
さらに記事では、日本の企業が変化への適応力が乏しいが、その原因が人材の活用のまずさにあると言っています。“重要な能力や専門知識をもつ人材を特定する手段として、世界の企業は「職歴」と並んで「スキル」を挙げる。この二つを両輪として回している。” しかし、日本では“人を「スキル」で見ないのだ。これでは、社内でなにか新事業のチームをつくろうとしても、前例主義に陥るだろう。”と記事では指摘しているが、職歴を伴わないスキルは 信頼できるのでしょうか。机上で獲得した知識はなんとか役には立つだろうが、それより職歴の方が重たいものがあるように思うのですがいかがでしょう。
そして、人材育成で非常に世界的にも問題とされているのが“リーダーシップの開発”だとも言っています。ところが “ミドル層の衰退”の中で、“人材を育成したこともないミドル層が、どうして次世代の経営層となれるのか。” 単なる 人件費抑制のためのミドル層の軽視と成果主義だったが、これが実は 多くの日本企業の将来に禍根を残すことになっていないかということを 臭わす記事の最後となっています。
しかし、これをもって“世界の流れに遅れた日本の人事制度”と 副題していますが果たしてそうなのでしょうか。
いずれにせよ、どのような組織を作ろうと、基本は 全社員のコミュニケーション力が全てを決めます。問題は情報伝達の総合力なのです。組織論の基本は 情報を如何に有効に伝達できるかを検証することで成り立っています。極論すれば、どのような組織にすれば、どんな情報をどの程度の密度や正確さで伝達できるかが、課題なのですが、その組織を運営するのは社員なのです。
したがって、社員のコミュニケーション力が低い組織では どのような改革を実施しても うまく行かないのではないかと思うのです。社員のコミュニケーション力を高めるには トップの姿勢と 社員のモラール(士気)向上が前提となると思うのです。そして、社員の基礎的能力の改善・向上、つまり総合的人材育成が必要なのでしょう。こう考えて来れば ミドルの復権も 当然のことなのでしょう。
実際に記事を読んでみると 実は トヨタの話は半分程度で、あとは他社の事例紹介で 副題は“成果主義なんかいらない”で、人事制度改革に努力している各社の状況を伝えるものでした。そして、次に続く記事が “ミドルの復権こそ脱成果主義の課題”となっていました。こちらの記事の副題は“世界の流れに遅れた日本の人事制度” と なっています。
さて “トヨタの「職場革命」”は 多分 昨年聞いた元トヨタ副会長の講演内容と同じではないかと思いましたが、やはり、その通りで、その講演内容を補強するものでした。
講演は 昨年5月でしたが、その時既に “「今年(’07年)はじめ」から組織改革を実施している” と聞いたように思います。記事では木下光男副社長が昨年4月にそれまでの“フラット型”組織への懸念を社内報で表明したことから始まったかのように書いています。いずれもが 事実であるとすれば トヨタは 意思表明の前に既に実行していたことになります。トヨタの迅速性というか機敏さ も 極まっている印象です。
記事は言う。“89年の改革でトヨタは、「大企業病の払拭」を掲げて、課長や係長などの中間管理職を全廃した。「個人の力」を高めて、組織の意思決定をスピーディにするという狙いは、一定の成果を上げたという。しかし・・・・。「その一方でコミュニケーションや人材育成を基盤とした『職場力』『チームワーク』は弱まりつつあるのではないか」” との木下副社長の懸念表明だった、と。
講演では 工場現場ラインでの改革が主であるかのような内容でしたが、この記事では スタッフ部門の“小集団化”事例を紹介しています。そして、スタッフ2~3人に対して2人のチーフを置くという それまでの1人のグループ長に30人の部下が付く横一線を改革し、手厚く若手の面倒を見れる組織にしたという。これにより、“「先輩-後輩関係」の復活をねらっている”ということです。さまざまな仕事のノウハウ,テクニックの伝授をねらっているのでしょう。しかし、こういう湿度の高い人間関係が 国際的に通用するものなのか。それとも、そういう懸念はない、と世界企業トヨタは見切っているのでしょうか。
伝授の“「核にあるのはTBPだろう」 TBPとは、主に事務部門の人材育成のためにトヨタが導入した訓練プログラム「トヨタ・ビジネス・プログラム」のことだ。”やはり、しっかりした会社には しっかりしたプログラムもあるのです。
それよりも 記事の副題にあるように 成果主義的ムードが 個人を孤立化させていたのでしょう。
三井物産では不祥事が 成果主義のいびつな結果だと分析して、“数字には表れない『よい仕事』を、きちんと後押しする制度に変えた”という。
YKKでは 2000年に導入した“成果・実力主義”制度を “役割を軸とした人事制度”に変更したという。“行動基準の最高位に位置づけている「公正」という視点を、人材評価でも中心に据えること”にしたということです。そして 意外なことに“旧来的な「職能資格制度」(能力主義)という原点に戻って行く。成果よりも能力を重視し、それを「役割」として公正に評価しようと目指す” という。
アエラの記事の表現は 少し焦点が不明確ですが、要するに 海外の人事制度を 取り入れたつもりの成果主義だったが、旧来の日本の人事制度の方が 良かったということのようなのです。
ファンド・マネージャーや特殊な開発マネージャーに適用するべき成果主義を 全組織に適用したのが 間違いだったのです。そう言えば、元トヨタ副会長の講演では チーム・ワークを尊重すべきだとも指摘していたように思います。
そして、続く記事“ミドルの復権こそ脱成果主義の課題”では、世間はミドルこそ大きな組織を動かすための血流の中核であることを ようやく認識しはじめた状況を伝えています。組織が大きくなればなるほど ミドルを大切にするべきだったのです。ITバブルが とっくに崩壊していたのに、ミドルより それを過大視していたのです。臨場感の中に 伝授すべきノウハウやテクニックは生きているのですが、ITでは この臨場感は伝えられないのです。
さらに記事では、日本の企業が変化への適応力が乏しいが、その原因が人材の活用のまずさにあると言っています。“重要な能力や専門知識をもつ人材を特定する手段として、世界の企業は「職歴」と並んで「スキル」を挙げる。この二つを両輪として回している。” しかし、日本では“人を「スキル」で見ないのだ。これでは、社内でなにか新事業のチームをつくろうとしても、前例主義に陥るだろう。”と記事では指摘しているが、職歴を伴わないスキルは 信頼できるのでしょうか。机上で獲得した知識はなんとか役には立つだろうが、それより職歴の方が重たいものがあるように思うのですがいかがでしょう。
そして、人材育成で非常に世界的にも問題とされているのが“リーダーシップの開発”だとも言っています。ところが “ミドル層の衰退”の中で、“人材を育成したこともないミドル層が、どうして次世代の経営層となれるのか。” 単なる 人件費抑制のためのミドル層の軽視と成果主義だったが、これが実は 多くの日本企業の将来に禍根を残すことになっていないかということを 臭わす記事の最後となっています。
しかし、これをもって“世界の流れに遅れた日本の人事制度”と 副題していますが果たしてそうなのでしょうか。
いずれにせよ、どのような組織を作ろうと、基本は 全社員のコミュニケーション力が全てを決めます。問題は情報伝達の総合力なのです。組織論の基本は 情報を如何に有効に伝達できるかを検証することで成り立っています。極論すれば、どのような組織にすれば、どんな情報をどの程度の密度や正確さで伝達できるかが、課題なのですが、その組織を運営するのは社員なのです。
したがって、社員のコミュニケーション力が低い組織では どのような改革を実施しても うまく行かないのではないかと思うのです。社員のコミュニケーション力を高めるには トップの姿勢と 社員のモラール(士気)向上が前提となると思うのです。そして、社員の基礎的能力の改善・向上、つまり総合的人材育成が必要なのでしょう。こう考えて来れば ミドルの復権も 当然のことなのでしょう。
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