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金比羅山参詣

今年も高松市内の企業での環境審査の時期となった。折角の高松訪問、昨年は栗林公園と高松城を観光したので、今年はもっと足を伸ばして金比羅山の参詣をしようと考えた。これまで、何度か四国には来たことがあったが、何故か金比羅山には参詣したことがなかった。そこで、1日環境審査で前日高松泊とし、神戸を高速バスで早目に出発し、正午直前に高松着とし、昼食後、琴平電鉄で参詣することにした。
JR高松駅前の宿泊予約した、ホテルに荷物を預け近くの大衆食堂で親子丼を食べた。ごく普通の値段に見合う親子丼だった。
昼食を終えて、目の前の琴電・築港高松駅に向かう。1番ホームは、高松城の城壁に接しているが、一部堀割に面していて、風景が開けるところがあり、面白い。よく見ると水面には、水鳥が居た。



琴平まで、当然 特急か急行だろうと思っていたが、何と各駅停車である。それでも、JRを利用するより安く、時間もそれほどかからない。当初思っていたより、ローカル色を存分に味わえるだろうと期待した。
やはり、ほとんどは単線で、久しぶりのおだやかな田園風景と小高い山々に何だか、心洗われる気がする。地元企業の環境審査なので、事前にこのあたりの自治体が出しているハザードマップを調べたが、ほとんど災害らしいものがないようだ。なので、当該企業の緊急事態対応の災害を、とりあえず“火災”としていたのには納得性がある。問題は渇水とのことだが、先日の台風で今はその問題は解消しているようだ。
都市部の駅間距離は、路面電車的に短いが田園地帯に入ると それが極端に長くなるので、その長い区間をフルスピードで飛ばしているので、ダラダラ感はない。ただ、フルスピードになると、縦揺れが大きくなるが、これこそローカル線の味であろう。そして、JRよりも私鉄の方が、沿線地域になじんでいる印象があるのは、何故だろう。だが少し残念な気分になったのは、田園の真ん中に巨大スーパーを核にしたショッピング・ゾーンが作られていたが、その近くには駅が無かったことだ。もう少し、スーパー資本も地元との関係性を重視するべきではないかと思った。

約1時間で、琴平に到着。男女4,5人の学生が 最後まで一緒の車両でふざけていたが、地元の高校生かと思いきやどうやら、金比羅参詣の観光学生だったようだ。後で 分かったが この時期は大学生の参詣が多いとのこと。
恐らく駅から迷わず参道へ向かえるものと思い込んでいたが、先ほどの学生もいつの間にか、視野から外れてしまい、ほとんど一人で それらしい方面へ、フラフラ歩くことになった。つまり、意外と善男善女の熱気も乏しいのには驚いた。川を渡ったところに巨大な観光ホテルがあるが、虚しく廃墟に感じられるほどで、街全体の寂しい雰囲気が印象的。最近はパワー・スポットを巡ることが 一つの流行でもあるはずなので、このような金比羅山の人気低落の理由が分からない。
それでも、車で来る人が多いせいか、参道商店街の入り口付近からは、それなりに人も多くみられるようになり、特に 何故か大学生らしい集団が目立った。

さて、ここから785段の石段を登ることになるのだが、実は最近何故か気道狭窄症(喘息)で息切れが酷いので若干不安があったが、今後こういう機会はもうないだろうと、計画したものだった。何とか周りの人を気にせず、とにかくマイペースでゆるゆると登ることにした。それでもシンドイ場合は、シッポ巻いて帰ると決めていた。シンドイ思いはしつつも、気付くと それなりに登れているので、途中休憩を十分にすることでやれると思った。さすがに、大門の前では ハァハァ息苦しくなったが、ここからは麓の風景が見えるようになり、その眺めを楽しむ風を装って休憩。そんなことの繰り返しで登っている内、たまたま休憩していた所に在った、今治造船の奉納した大きなスクリューに驚かされたりした。
本来は表書院の円山応挙の襖絵を見て、休憩しようと考えていたが、気付くと通り過ぎてしまっていたようだった。戻れば、またそれだけ辛いことになるので、そのまま登攀を継続した。



旭社殿の前でも休憩。後で知ったが、幕末の侠客・森ノ石松が清水の次郎長の代参で金比羅山にやってきたが、この旭社の立派さに本宮と勘違いして、ここで引き返してしまったという逸話があるくらいの豪奢な作りである。ここから本宮まで急な石段だが これで最後。だが、そこでも休み休みで老女の集団にさえ追い越される。それでもようやく上り詰めて、展望台でしばし風景を楽しむ。
そして、本宮で この虚弱が治ることも含めて 祈願。順路を行くと、神札授与所前の広場に、“狗みくじ”があったので引いてみた。“中吉・思いもかけぬ煩い起こりて心痛するが、心正しく身を慎めば・・・”とあり、少々驚いた。“煩い”と“患い”は同じと考えて良いのだろうか・・・。
本宮の横・美穂津姫社から下ると、旭社殿の前に出ることになっている。下りは、ほとんど問題なく、普通の人と同じ速度で歩けるので、非常に楽になる。そのまま表書院を目指す。



どんどん下って行けば 表書院を示す大きな看板があり、分り易かった。さて応挙の襖絵、なかなか見れるものではないので、大いに楽しみにしていたのだが、近くで 或いは正面からは見れず、ガラス越しなので外の光が反射して、十分に鑑賞できなかったのが残念であった。しかし、書院と言えば庭もあり、中々の雰囲気。絵の撮影は禁止の表示はあったが、庭については何も注意の警告表示はなかったが、カメラを出しての撮影には 少々緊張。
この書院は、江戸期に大名等が参拝した時に使う神社側の応接施設だとのことで、鶴の間、虎の間、七賢人の間となっていて、御付きの人の身分によって、鳥から人へ上位者用の部屋となるように仕切られていたとのこと。
この著名な画人による襖絵の存在は多くの人は知らないようで、わざわざ入り口近くまで来ていながら、不思議そうな表情で戻ってしまう若者もいるほどだった。なので、私が行った時は唯一人で、汗だくだったが それさえ我慢すれば のんびりマイペースで鑑賞することができた。



さらに下って、石段の終わったところで、参道商店街を北の辻へと逸れて、何とか地図を頼りに製麺所併設のうどん店を探す。一見、何の迷いもなく歩いている風に見えたのか、宅配便の配達プロに突然道を聞かれて驚く。北側へ真っ直ぐ歩いて、気が付いたら目指すうどん店に出ていた。観光客ではなく近所の人々を相手にしているようで、メニューは少ない。130円で冷たい醤油うどん一玉を食べ、少々のお得感を得る。しかし、塩分摂り過ぎか。
この店と駅の間に、あの巨大なヒト気のない観光ホテルがあるので、どうすれば駅に出られるか、店のおばさんに尋ねると、さすがに それを上手く横切る道を教えてくれた。



教えられた通り、大通りに出て郵便局を右に曲がるとやがて、琴電の駅が見えて来るが意外にも その景色が絵になるのにびっくりして、写真撮影。よく見ると駅の向こうに高灯篭がある。目指す電車には、十分時間があるので灯篭の傍に行ってみた。そこにあった説明によると、金刀比羅宮の名所の一つとある。地元の人々によって6年かけて万延元年(1860年)に完成し、高さ27メートルで、丸亀沖の船に届くように考えたとのこと。そうだ、金比羅山は、船の航行の安全の神様であったことを、ここでようやく思い出す。

何とか無事、駅にたどり着き当初予定より 高々30分遅れの予定で高松市内に戻れた。左足のふくらはぎには、心地よいほどの痛みは残った。



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