The Rest Room of ISO Management
ISO休戦
松尾大社参拝
久しぶりに、休戦エンタにする。これまでもサイト運営者からは何の連絡もなく、途切れたままだ。今回は画像3枚だが、適切なアップロードとなるのだろうか。
先週、EMS審査の研修会が京都であったので、ついでにプチ観光を試みようとしたが、さて、どうしたものか。また嵐山に赴くのも良いが、今や観光客が多そうで特に見たいものもなく、何だかあまり気が進まない。で、思い出したのが松尾大社だった。その後、京都で最も古い神社ということも小耳にはさんでいて、少々気懸りだったこともある。
大阪から嵐山に向かうには阪急で行くのが早い。特急で京都線の桂駅まで行き嵐山線に乗り換えて行くのだ。その嵐山線で桂駅から二つ目に松尾大社駅がある。ここに、著名な神社があることが分かる。電車からは大鳥居があるのが見える。しかし、私はどういう神社かは知らなかった。
さて、Wikipediaによれば、“元来は松尾山(標高223メートル)に残る磐座での祭祀に始まるとされ、大宝元年(701年)に文武天皇の勅命を賜わった秦忌寸都理(はたのいみきとり)が勧請して社殿を設けたといわれる。その後も秦氏(はたうじ)により氏神として奉斎され、平安京遷都後は東の賀茂神社(賀茂別雷神社・賀茂御祖神社)とともに「東の厳神、西の猛霊」と並び称され、西の王城鎮護社に位置づけられた。中世以降は酒の神としても信仰され、現在においても醸造家からの信仰の篤い神社である。境内は、神体の松尾山の麓に位置する。本殿は室町時代の造営で、全国でも類例の少ない両流造であり国の重要文化財に指定されている。また多くの神像を有することでも知られ、男神像2躯・女神像1躯の計3躯が国の重要文化財に、ほか16躯が京都府指定有形文化財に指定されている。そのほか、神使を亀とすることでも知られる。”と要領よく記述されている。中々の来歴と言える。
本殿を遠望した時、背後にある山が御神体ではないかとの印象を持ったが、どうやらそれは当たらずとも遠からずであった。松尾山の山上の岩を磐座(いわくら)として古来より地元で素朴に信仰され、祭祀が営まれていたようだ。そのように神社の上古の庭の前にある立て看板にあった。これを根拠に、付近を農地に開拓した帰化人の秦氏が財を投じて社殿を建設し、神社としたものだという。従い、ここが京都で最も古い神社と言われるのは当然なのだ。学生時代に万葉集の研究で高名の故犬養孝先生の講義で、日本で最も古い神社は三輪神社で御神体は山であり、これは日本の古代の信仰の最も一般的形態だと教わったことを思い出す。
本殿で参拝後、本殿に向かって右側奥に巫女さんが座っているのが微かに分かる。そこが庭園入場の受付だ。黙って、入場料を差し出すと、にこやかに説明の書いたパンフレットを渡してくれて、“右手奥の渡廊下の下をくぐって頭には気を付けて進んでください”、とのこと。あとは矢印に注意して前進する。
また渡廊下があり、それをくぐると、そこが曲水の庭。何だか今風の岩とコンクリートで固めて作ったような水の流れがある。神社の説明パンフレットによれば、“昭和50年に昭和を代表する作庭家であった重森三玲(しげもりさんれい)の設計によって作庭された。”とのこと。ここにはその曲水の庭以外に上古の庭、蓬莱の庭の松風苑三庭がある。使用した石は全て徳島、香川、愛媛県の緑泥片岩であるという。現場の立て看板には総工費1億円を投じたとあった。さらにパンフレットには“伝統を重んじながらも、現代的な表現を目指した重森三玲の終生の目標であった「永遠のモダン」の、まさに最終表現の庭園が展開している。”と言っているが、こうした庭は鑑賞眼のない私には、少々残念な思いしかない。
曲水の庭の片隅から建物の中に入れる所があり、土足可とあったので、そのまま渡廊下で山側の建物に向かう。そこが神像館で、神社所蔵の御神像21体が常時拝観展示されている。その中心が等身大一木造の男神像2体と女神像1体である。こうした神像が存在し、展示されているというのには何となく違和感を覚えるが、そこが帰化人の感覚なのかもしれない。それ以外は、小さな木像であり、中には酷い虫食いがあり、原型をとどめていないものもあった。しかし、いずれにせよ、歴史の中で生き残った貴重な木像であるのは間違いない。
そこから上古の庭のゾーンに進む。背の低い笹の間に岩を配置した庭だ。特に、強い印象は受けない。社殿の裏手に出る。御神体の山際であり、磐座登拝口がある。ここに入るには別途手続きが必要で、2名で登ることになっている。私はそもそも一人で来ているので登れない。
しかし、なんとなく適度に冷たい風に山の霊気を感じる。こういう感覚は、かなり久しぶりだ。どんどん行くと小さな鳥居のある滝に出る。それが、霊亀の滝だ。滝の傍に天狗岩があるとのことだが、どうしても認識できなかった。しかし、ここでは霊気を最も強く感じる。この数日風邪気味で体調不良だったので、思い切り深呼吸する。これだけで十分に価値あり。
そこを下ると、亀の井がある。清めの水であろうが、折角なので飲んでみた。山のそのままの水で、美味く感じる。この感覚も久しぶり。たまには、こういう神域に至って、為すべきことだろう。パンフレットによれば、霊泉であり、“酒造家はこの水を酒の元水として造り水に混和して用い、また延命長寿、よみがえりの水としても有名です。”とある。
そこから、本殿のある広場に戻る。脇の道を下り橋を渡り、一旦境内を出たかのような場所に出る。途中に、“オハグロトンボの生息地に付き、採取しないように”との注意書きがある。神社の山からの清流が豊富なので珍しいトンボも生息するのだろう。やがて茶店があり、その脇にまた庭園入口がある。パンフレットを持っていれば中に入れるような表示があったので、入場。そこが蓬莱の庭である。三庭の中では最も広く、見栄えも良い。池には当然のように鯉が居た。
茶店をよそ目に鳥居から出る。関連の神社、月読神社に向かう。表示がないので戸惑いつつ歩を進めるが、簡単に行けると思いの外 相当歩いたように感じたが、やがてこんもり繁みの杜が見えて来て、そこが神社。ここでも山の霊気が降りているのを有難く感じつつ、簡単に参拝して、一応午前の予定終了。ふと見やると、鈴虫寺近道との標示が有るので、西芳寺等を起点に、嵐山までのハイキング・コースになっているようだ。しかし、幹線道路の車の交通量は異様に多いので、上手く裏道を見つける必要がある。
正午近くなので、食べログで調べた蕎麦屋さんに向かう。親子丼蕎麦セットを頼んだが、思いの外値段も高く、コスパが相当に悪い。松尾大社付近には飲食店が少ない。特に和食の店はないようだ。これならば、洋食にするか境内の茶店が良かったのかも知れない。店内のお昼のテレビでは、安倍首相とトランプ氏の会談についての報道を喧しくしていた。
午後からの審査員研修会に阪急電車で向かう。その後の夕刻は、梅田で前の前の会社のOB会なので、風邪気味だが結構忙しい。
先週、EMS審査の研修会が京都であったので、ついでにプチ観光を試みようとしたが、さて、どうしたものか。また嵐山に赴くのも良いが、今や観光客が多そうで特に見たいものもなく、何だかあまり気が進まない。で、思い出したのが松尾大社だった。その後、京都で最も古い神社ということも小耳にはさんでいて、少々気懸りだったこともある。
大阪から嵐山に向かうには阪急で行くのが早い。特急で京都線の桂駅まで行き嵐山線に乗り換えて行くのだ。その嵐山線で桂駅から二つ目に松尾大社駅がある。ここに、著名な神社があることが分かる。電車からは大鳥居があるのが見える。しかし、私はどういう神社かは知らなかった。
さて、Wikipediaによれば、“元来は松尾山(標高223メートル)に残る磐座での祭祀に始まるとされ、大宝元年(701年)に文武天皇の勅命を賜わった秦忌寸都理(はたのいみきとり)が勧請して社殿を設けたといわれる。その後も秦氏(はたうじ)により氏神として奉斎され、平安京遷都後は東の賀茂神社(賀茂別雷神社・賀茂御祖神社)とともに「東の厳神、西の猛霊」と並び称され、西の王城鎮護社に位置づけられた。中世以降は酒の神としても信仰され、現在においても醸造家からの信仰の篤い神社である。境内は、神体の松尾山の麓に位置する。本殿は室町時代の造営で、全国でも類例の少ない両流造であり国の重要文化財に指定されている。また多くの神像を有することでも知られ、男神像2躯・女神像1躯の計3躯が国の重要文化財に、ほか16躯が京都府指定有形文化財に指定されている。そのほか、神使を亀とすることでも知られる。”と要領よく記述されている。中々の来歴と言える。
本殿を遠望した時、背後にある山が御神体ではないかとの印象を持ったが、どうやらそれは当たらずとも遠からずであった。松尾山の山上の岩を磐座(いわくら)として古来より地元で素朴に信仰され、祭祀が営まれていたようだ。そのように神社の上古の庭の前にある立て看板にあった。これを根拠に、付近を農地に開拓した帰化人の秦氏が財を投じて社殿を建設し、神社としたものだという。従い、ここが京都で最も古い神社と言われるのは当然なのだ。学生時代に万葉集の研究で高名の故犬養孝先生の講義で、日本で最も古い神社は三輪神社で御神体は山であり、これは日本の古代の信仰の最も一般的形態だと教わったことを思い出す。
本殿で参拝後、本殿に向かって右側奥に巫女さんが座っているのが微かに分かる。そこが庭園入場の受付だ。黙って、入場料を差し出すと、にこやかに説明の書いたパンフレットを渡してくれて、“右手奥の渡廊下の下をくぐって頭には気を付けて進んでください”、とのこと。あとは矢印に注意して前進する。
また渡廊下があり、それをくぐると、そこが曲水の庭。何だか今風の岩とコンクリートで固めて作ったような水の流れがある。神社の説明パンフレットによれば、“昭和50年に昭和を代表する作庭家であった重森三玲(しげもりさんれい)の設計によって作庭された。”とのこと。ここにはその曲水の庭以外に上古の庭、蓬莱の庭の松風苑三庭がある。使用した石は全て徳島、香川、愛媛県の緑泥片岩であるという。現場の立て看板には総工費1億円を投じたとあった。さらにパンフレットには“伝統を重んじながらも、現代的な表現を目指した重森三玲の終生の目標であった「永遠のモダン」の、まさに最終表現の庭園が展開している。”と言っているが、こうした庭は鑑賞眼のない私には、少々残念な思いしかない。
曲水の庭の片隅から建物の中に入れる所があり、土足可とあったので、そのまま渡廊下で山側の建物に向かう。そこが神像館で、神社所蔵の御神像21体が常時拝観展示されている。その中心が等身大一木造の男神像2体と女神像1体である。こうした神像が存在し、展示されているというのには何となく違和感を覚えるが、そこが帰化人の感覚なのかもしれない。それ以外は、小さな木像であり、中には酷い虫食いがあり、原型をとどめていないものもあった。しかし、いずれにせよ、歴史の中で生き残った貴重な木像であるのは間違いない。
そこから上古の庭のゾーンに進む。背の低い笹の間に岩を配置した庭だ。特に、強い印象は受けない。社殿の裏手に出る。御神体の山際であり、磐座登拝口がある。ここに入るには別途手続きが必要で、2名で登ることになっている。私はそもそも一人で来ているので登れない。
しかし、なんとなく適度に冷たい風に山の霊気を感じる。こういう感覚は、かなり久しぶりだ。どんどん行くと小さな鳥居のある滝に出る。それが、霊亀の滝だ。滝の傍に天狗岩があるとのことだが、どうしても認識できなかった。しかし、ここでは霊気を最も強く感じる。この数日風邪気味で体調不良だったので、思い切り深呼吸する。これだけで十分に価値あり。
そこを下ると、亀の井がある。清めの水であろうが、折角なので飲んでみた。山のそのままの水で、美味く感じる。この感覚も久しぶり。たまには、こういう神域に至って、為すべきことだろう。パンフレットによれば、霊泉であり、“酒造家はこの水を酒の元水として造り水に混和して用い、また延命長寿、よみがえりの水としても有名です。”とある。
そこから、本殿のある広場に戻る。脇の道を下り橋を渡り、一旦境内を出たかのような場所に出る。途中に、“オハグロトンボの生息地に付き、採取しないように”との注意書きがある。神社の山からの清流が豊富なので珍しいトンボも生息するのだろう。やがて茶店があり、その脇にまた庭園入口がある。パンフレットを持っていれば中に入れるような表示があったので、入場。そこが蓬莱の庭である。三庭の中では最も広く、見栄えも良い。池には当然のように鯉が居た。
茶店をよそ目に鳥居から出る。関連の神社、月読神社に向かう。表示がないので戸惑いつつ歩を進めるが、簡単に行けると思いの外 相当歩いたように感じたが、やがてこんもり繁みの杜が見えて来て、そこが神社。ここでも山の霊気が降りているのを有難く感じつつ、簡単に参拝して、一応午前の予定終了。ふと見やると、鈴虫寺近道との標示が有るので、西芳寺等を起点に、嵐山までのハイキング・コースになっているようだ。しかし、幹線道路の車の交通量は異様に多いので、上手く裏道を見つける必要がある。
正午近くなので、食べログで調べた蕎麦屋さんに向かう。親子丼蕎麦セットを頼んだが、思いの外値段も高く、コスパが相当に悪い。松尾大社付近には飲食店が少ない。特に和食の店はないようだ。これならば、洋食にするか境内の茶店が良かったのかも知れない。店内のお昼のテレビでは、安倍首相とトランプ氏の会談についての報道を喧しくしていた。
午後からの審査員研修会に阪急電車で向かう。その後の夕刻は、梅田で前の前の会社のOB会なので、風邪気味だが結構忙しい。
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