The Rest Room of ISO Management
ISO休戦
京都文博の特別展示“大名茶人 織田有楽斎”を見て
“出入国管理及び難民認定法改正案”は無事今国会で成立した。
日本の国会議員でSDGsを理解している人は一体どれだけいるのだろうか。本当に理解している人は殆どいないのではないか。
日本の法律を預かり法務行政を司る法務省は皆目理解していないだろう。それが堂々とSDGsを語っているのだから、日本政府全体のSDGsが如何にいい加減なものかが、分かるのではあるまいか。
人権を擁護する立場にある法務省はそれをどう考えているのだろうか。法務省直轄の入管でのスリランカ人への酷い対応は“人権擁護”に悖る酷い対応ではなかったか。“死刑制度”を“人権擁護”の立場からどのように考えているのだろうか。刑務所での受刑者への対応は人権を無視していると言えるのではないのか。警察の捜査や取り調べの対応はどうなのか。
“出入国管理及び難民認定法改正案”は人権を無視している政府から逃れようと“日本に頼って来ている”人々を、人権無視の本国へ送還するのを容易にしようという法案だった。だから、日本弁護士連合会は反対声明まで出している。日本の法務省は“血も涙もない”。そんな法務省を国会は厳しく精査せずして、逆に擁護しているのだ。近い将来、世界の先進各国から日本への人権無視の様々な状況を非難される日が来るのではあるまいか。
まして日本の企業をや、である。何せ、汚職まみれの電通すらSDGsを声高に掲げている。SDGs目標16の「平和と公正をすべての人に」とあるが、その10の達成目標の5番目に“あらゆる形の汚職・贈賄を大きく減らす。”ことになっているのだ。それにもかかわらず、SDGsを遵守・実行していると堂々と正に強弁している訳だ。
翻ってSDGsにとっては“人権の擁護”は“基本のキ”、“いろはのイなのだ。それが分からずにSDGsは語れないハズなのだが・・・日本の現実は堂々と“語っている訳なのだ。こんなウソと欺瞞が堂々とまかり通る世の中に日本は染まってしまった、堕落した社会になり果てているという現実を私たちは直視しなければならない。
そして、我等が“国営放送”は“出入国管理及び難民認定法改正案”に対し“十分な審議を”などとこれまた公平・中立を装ったいい加減な解説を流している。このいい加減な報道姿勢を弾劾する一点突破の政党が出来て、一旦は期待したものだったが、あれよあれよという間に元党首のヤクザ的本性の馬脚を現して、自壊してしまった。この元党首、近頃はゴロツキ元国会議員を擁護している。正に“類は友を呼ぶ”のだ。日本の政党の成り立ちはこんなにいい加減なものだったのか、と呆れるばかりだ。日本の“民主主義の軽薄さ”に呆れるばかりなのだ。
そして、これが日本の“報道の自由”の現実なのだ。“報道の自由”の無い北朝鮮や中国やロシアの民主主義が欠落した社会がどういう現実で、どういう害悪を国際社会にまき散らしていることか。
日本の“報道の自由”への評価の低さはこういう点にあることを普通の日本人は御存知なのだろうか。人権重視や“報道の自由”は民主主義の初歩の初歩なのだ。人権無視や“報道の規制”はかつての日本もやってしまった。そしてまた再びそれを復活させるのか?それで良いのか?
そしてLGBT法案はG7サミットにも間に合わず茶番で終わった。今回の法案成立は、スッタモンダの末、日本語の“性同一性”ではなく“ジェンダー・アイデンティティ”という言葉に変更して法案成立だそうな。これぞアホアホの極み!カタカナ英語を法案に使用して成立か?ちゃんとした日本語では法律が作れないのか。法律用語には本来厳密な定義が必要なハズだ。それをいい加減なカタカナ英語を使って誤魔化した。言葉のお遊び。日本の法曹界はそれを許容するのか。やっぱり国会議員さんはアホアホの方々だったのか。選良:The Best and the Brightestでは決してないのだ。
このLGBT法案に対してすら、変なイチャモンを付ける右派の方々が居るのも事実だ。彼らは“日本にはLGBT差別があるかのように言うのはおかしい”と意気軒高なのだ。変な方々!?
法律上同性婚を認めないのは、現憲法下でも違憲であり明らかな差別ではないのか。差別を受けていると感じる人が居る社会には差別があるのが現実なのだ。それがSDGsの「誰一人取り残さない(leave no one behind)」という基本常識(Common Sense:共通認識)なのだ。あの右派の御歴々おそらく御自分は“相当頭が良い”と自認なさっておられるご様子なのだが、この簡単なロジックが理解できないのは、偏屈の極みではないのだろうか。この方々も残念ながら回りまわってアホアホの極み!しちメンドクサイ御歴々。
日本社会は相当に病んでいるような気がして絶望的になってしまう。
さて、今回は先月末に京都の本部に審査報告書を持って行くことになったのだが、例によってただ行くだけでは時間と費用が勿体ないとのケチ臭い思いがあって、ついでに何をしようかと思って、例によって京都文博の特別展“大名茶人 織田有楽斎”を見て、そうだ午後はついでに京阪で大阪に向かい、中之島美術館で特別展“佐伯祐三―自画像としての風景”をやっているのを思い出し、出かけことを報告したい。

という訳で、先ずは審査報告書を提出して、大丸の横を通って京都文化博物館に向かう。
織田有楽斎の存在は、司馬遼太郎の“城塞”を読んだ時に初めて認識・確認した。織田信長から13歳離れた弟で、本能寺の変では信長は自刃したが、有楽斎は巧みに逃れたという。その後は家康に味方していて、東京の有楽町は織田有楽斎が家康に許されて住んでいた所なので、その名が残ったとの記述があったと記憶している。(これはどうやら歴史的事実として根拠のあることではないらしい。)また有楽斎は関ヶ原の戦で東軍に加わったがその後豊臣家に出仕し、淀君・秀頼を補佐し、大坂冬の陣の際にも大坂城にあり、対家康穏健派として豊臣家との仲介に注力したが、夏の陣を前に仲介を断念し大坂城を辞したとされる。悪い見方をすれば、最後まで豊臣方の内情を詳しく家康に伝えていたと疑われても仕方のない御仁だったのではないかという表現が小説にはあったようにも思う。
そういう人物だとは言え、ここに来て“四百年遠忌記念特別展 大名茶人 織田有楽斎”ということなのだから、この際フラットにどういう人物像だったのかある種興味が湧いたのだ。が、残念ながら展示物の撮影禁止。展示物は友人関係の手紙やら何やらばかりで、本業の“大名茶人の業績そのものを語るものの展示品は全くない。精々で小さな“茶杓”程度。考えてみればそんなこと、当然の話。茶人とは、茶をたてる行為そのものに対する尊崇の言葉、つまり無形文化財。だから何か形になるものはないので展示できない。こんなこと初めて認識に我ながら呆れる。また撮影禁止なので、ここで紹介のしようがないのだ。残念至極!
だた、肖像画や木像はあった。特に木像の表情は優しいが、さすがに眼光は鋭い印象で、戦国大名として生き抜いた人物なのだと思わせるものがあった。古田織部や本阿弥光悦らとの交友を思わせる手紙なども展示されていて、さすがに大茶人と呼ばれる根拠も見てとれた。
また、有楽斎が茶道の師として敬愛した武野紹鴎の供養塔設置時の動画など、正伝永源院や名古屋にある茶室・如庵の写真を見ることができた。
ただ、古田織部は大坂夏の陣で徳川方につき武功を挙げたが、豊臣側と内通しているとの疑いをかけられ、自刃した。それにもかかわらず、有楽斎は冬の陣で大坂城に籠っていたのに疑われなかったのが不思議で、これが家康に徹底的に豊臣方の内情を知らせていたのではないか、という疑念の根拠になっていたように思う。とにかく怪しさが漂う複雑な人物ではあるようだ。
とにかく昼食前に何とか観覧を終えて、京阪の三条駅に向かおうとしたが、文博の建物と連なっているレンガ造りの旧日銀京都支店の南側の通りが三条通と知って、北側にある御池通の向こうの蕎麦屋さんを目指すのが急に面倒に感じ、その通りをそのまま東へ向かうこととした。
三条名店街に差し掛かって入り込んで行くと、路地行燈“そば処”が見え、そこが本家・田毎の店の前だった。ここで昼食とした。“天とろ蕎麦”を注文。何だか周囲の御客が皆、“美味い”を連発しているのが聞こえて、さすがの御店なのかと思った。注文したものも、中々気が利いていて良かった。左側のお椀はとろろ飯なのだが、赤いのは何か野菜の人参であろうかと思ったのが好物の明太子だった。右の蕎麦には小エビの天婦羅が小気味よく入っていてアクセントになった。大当たりだった!
突然だが午後からの佐伯祐三展については、次回報告としたい。

日本の国会議員でSDGsを理解している人は一体どれだけいるのだろうか。本当に理解している人は殆どいないのではないか。
日本の法律を預かり法務行政を司る法務省は皆目理解していないだろう。それが堂々とSDGsを語っているのだから、日本政府全体のSDGsが如何にいい加減なものかが、分かるのではあるまいか。
人権を擁護する立場にある法務省はそれをどう考えているのだろうか。法務省直轄の入管でのスリランカ人への酷い対応は“人権擁護”に悖る酷い対応ではなかったか。“死刑制度”を“人権擁護”の立場からどのように考えているのだろうか。刑務所での受刑者への対応は人権を無視していると言えるのではないのか。警察の捜査や取り調べの対応はどうなのか。
“出入国管理及び難民認定法改正案”は人権を無視している政府から逃れようと“日本に頼って来ている”人々を、人権無視の本国へ送還するのを容易にしようという法案だった。だから、日本弁護士連合会は反対声明まで出している。日本の法務省は“血も涙もない”。そんな法務省を国会は厳しく精査せずして、逆に擁護しているのだ。近い将来、世界の先進各国から日本への人権無視の様々な状況を非難される日が来るのではあるまいか。
まして日本の企業をや、である。何せ、汚職まみれの電通すらSDGsを声高に掲げている。SDGs目標16の「平和と公正をすべての人に」とあるが、その10の達成目標の5番目に“あらゆる形の汚職・贈賄を大きく減らす。”ことになっているのだ。それにもかかわらず、SDGsを遵守・実行していると堂々と正に強弁している訳だ。
翻ってSDGsにとっては“人権の擁護”は“基本のキ”、“いろはのイなのだ。それが分からずにSDGsは語れないハズなのだが・・・日本の現実は堂々と“語っている訳なのだ。こんなウソと欺瞞が堂々とまかり通る世の中に日本は染まってしまった、堕落した社会になり果てているという現実を私たちは直視しなければならない。
そして、我等が“国営放送”は“出入国管理及び難民認定法改正案”に対し“十分な審議を”などとこれまた公平・中立を装ったいい加減な解説を流している。このいい加減な報道姿勢を弾劾する一点突破の政党が出来て、一旦は期待したものだったが、あれよあれよという間に元党首のヤクザ的本性の馬脚を現して、自壊してしまった。この元党首、近頃はゴロツキ元国会議員を擁護している。正に“類は友を呼ぶ”のだ。日本の政党の成り立ちはこんなにいい加減なものだったのか、と呆れるばかりだ。日本の“民主主義の軽薄さ”に呆れるばかりなのだ。
そして、これが日本の“報道の自由”の現実なのだ。“報道の自由”の無い北朝鮮や中国やロシアの民主主義が欠落した社会がどういう現実で、どういう害悪を国際社会にまき散らしていることか。
日本の“報道の自由”への評価の低さはこういう点にあることを普通の日本人は御存知なのだろうか。人権重視や“報道の自由”は民主主義の初歩の初歩なのだ。人権無視や“報道の規制”はかつての日本もやってしまった。そしてまた再びそれを復活させるのか?それで良いのか?
そしてLGBT法案はG7サミットにも間に合わず茶番で終わった。今回の法案成立は、スッタモンダの末、日本語の“性同一性”ではなく“ジェンダー・アイデンティティ”という言葉に変更して法案成立だそうな。これぞアホアホの極み!カタカナ英語を法案に使用して成立か?ちゃんとした日本語では法律が作れないのか。法律用語には本来厳密な定義が必要なハズだ。それをいい加減なカタカナ英語を使って誤魔化した。言葉のお遊び。日本の法曹界はそれを許容するのか。やっぱり国会議員さんはアホアホの方々だったのか。選良:The Best and the Brightestでは決してないのだ。
このLGBT法案に対してすら、変なイチャモンを付ける右派の方々が居るのも事実だ。彼らは“日本にはLGBT差別があるかのように言うのはおかしい”と意気軒高なのだ。変な方々!?
法律上同性婚を認めないのは、現憲法下でも違憲であり明らかな差別ではないのか。差別を受けていると感じる人が居る社会には差別があるのが現実なのだ。それがSDGsの「誰一人取り残さない(leave no one behind)」という基本常識(Common Sense:共通認識)なのだ。あの右派の御歴々おそらく御自分は“相当頭が良い”と自認なさっておられるご様子なのだが、この簡単なロジックが理解できないのは、偏屈の極みではないのだろうか。この方々も残念ながら回りまわってアホアホの極み!しちメンドクサイ御歴々。
日本社会は相当に病んでいるような気がして絶望的になってしまう。
さて、今回は先月末に京都の本部に審査報告書を持って行くことになったのだが、例によってただ行くだけでは時間と費用が勿体ないとのケチ臭い思いがあって、ついでに何をしようかと思って、例によって京都文博の特別展“大名茶人 織田有楽斎”を見て、そうだ午後はついでに京阪で大阪に向かい、中之島美術館で特別展“佐伯祐三―自画像としての風景”をやっているのを思い出し、出かけことを報告したい。

という訳で、先ずは審査報告書を提出して、大丸の横を通って京都文化博物館に向かう。
織田有楽斎の存在は、司馬遼太郎の“城塞”を読んだ時に初めて認識・確認した。織田信長から13歳離れた弟で、本能寺の変では信長は自刃したが、有楽斎は巧みに逃れたという。その後は家康に味方していて、東京の有楽町は織田有楽斎が家康に許されて住んでいた所なので、その名が残ったとの記述があったと記憶している。(これはどうやら歴史的事実として根拠のあることではないらしい。)また有楽斎は関ヶ原の戦で東軍に加わったがその後豊臣家に出仕し、淀君・秀頼を補佐し、大坂冬の陣の際にも大坂城にあり、対家康穏健派として豊臣家との仲介に注力したが、夏の陣を前に仲介を断念し大坂城を辞したとされる。悪い見方をすれば、最後まで豊臣方の内情を詳しく家康に伝えていたと疑われても仕方のない御仁だったのではないかという表現が小説にはあったようにも思う。
そういう人物だとは言え、ここに来て“四百年遠忌記念特別展 大名茶人 織田有楽斎”ということなのだから、この際フラットにどういう人物像だったのかある種興味が湧いたのだ。が、残念ながら展示物の撮影禁止。展示物は友人関係の手紙やら何やらばかりで、本業の“大名茶人の業績そのものを語るものの展示品は全くない。精々で小さな“茶杓”程度。考えてみればそんなこと、当然の話。茶人とは、茶をたてる行為そのものに対する尊崇の言葉、つまり無形文化財。だから何か形になるものはないので展示できない。こんなこと初めて認識に我ながら呆れる。また撮影禁止なので、ここで紹介のしようがないのだ。残念至極!
だた、肖像画や木像はあった。特に木像の表情は優しいが、さすがに眼光は鋭い印象で、戦国大名として生き抜いた人物なのだと思わせるものがあった。古田織部や本阿弥光悦らとの交友を思わせる手紙なども展示されていて、さすがに大茶人と呼ばれる根拠も見てとれた。
また、有楽斎が茶道の師として敬愛した武野紹鴎の供養塔設置時の動画など、正伝永源院や名古屋にある茶室・如庵の写真を見ることができた。
ただ、古田織部は大坂夏の陣で徳川方につき武功を挙げたが、豊臣側と内通しているとの疑いをかけられ、自刃した。それにもかかわらず、有楽斎は冬の陣で大坂城に籠っていたのに疑われなかったのが不思議で、これが家康に徹底的に豊臣方の内情を知らせていたのではないか、という疑念の根拠になっていたように思う。とにかく怪しさが漂う複雑な人物ではあるようだ。
とにかく昼食前に何とか観覧を終えて、京阪の三条駅に向かおうとしたが、文博の建物と連なっているレンガ造りの旧日銀京都支店の南側の通りが三条通と知って、北側にある御池通の向こうの蕎麦屋さんを目指すのが急に面倒に感じ、その通りをそのまま東へ向かうこととした。
三条名店街に差し掛かって入り込んで行くと、路地行燈“そば処”が見え、そこが本家・田毎の店の前だった。ここで昼食とした。“天とろ蕎麦”を注文。何だか周囲の御客が皆、“美味い”を連発しているのが聞こえて、さすがの御店なのかと思った。注文したものも、中々気が利いていて良かった。左側のお椀はとろろ飯なのだが、赤いのは何か野菜の人参であろうかと思ったのが好物の明太子だった。右の蕎麦には小エビの天婦羅が小気味よく入っていてアクセントになった。大当たりだった!
突然だが午後からの佐伯祐三展については、次回報告としたい。

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

« 5月に鑑賞した... | 中之島美術館... » |
コメント |
コメントはありません。 |
![]() |
コメントを投稿する |