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嵯峨嵐山文華館での企画展“ふぁん・ファン・FUN~扇子いいね”の鑑賞

福島第一原発の処理水、海洋放出が始まった。 
世界の反応は様々のようだ。
というのは、“福島第1のトリチウムの年間排出量は事故前の管理目標と同じ22兆ベクレル未満を予定する。濃度を国の規制基準の40分の1、世界保健機関(WHO)の飲料水基準の7分の1に希釈した上で流す計画”にもかかわらず、中国が国策として日本の方針動向に反対し、あらゆる方法を駆使して福島の人々に業務妨害を繰り返そうとしている。
世界のトリチウム年間排出量は、福島第1のトリチウムの年間排出量の何倍にもなっているのもかかわらず、中国は官民挙げて非科学的な言いがかりをつけて来ているのだ。
このデータを見れば中国沿岸産の海産物の方がはるかにヤバイというのが科学的思考の結論であろう。非科学的、ジコチュウ政策が中国らしいやり方なのだろう。まぁ中国人の健康を慮る必要は我々にはあるまい。それは返って越権思考であろう。お好きなように!しかし、彼の国の業務妨害には如何ともしがたいものが有る。

やっと高校野球が終わった。慶応高校が107年ぶりに優勝したとのこと。
このチームの方針はエンジョイ・ベースボールだという。何とカッコイイ!ではないか!独立自存の精神発露だという。
それにしても、何でも高校生の考えに基づいて、というのはチョット行き過ぎの方針ではないかと思うのだがいかがだろうか。それで“指導者は何するの?”。偏差値の高い学校なら、有り得るのだろうか?それでも経験知の少ない高校生の判断井は限界が大いにあろうというもの。未成年者に対する教育者の役割はあるのではないか。
それにドーデモエエコトやけど、いつも不思議に思うのだが、福沢諭吉は適塾の出身。適塾は今の阪大が引き継いでいる。ところがこの両学の間にその意識がないのが不思議なのだ。まぁどうでもエエことやけどなぁ!

先々週、終戦の日8/15が過ぎた。日本の国家としての安全保障をどう考えるのか。これに対し、既に思考停止しているのが大方の日本人ではあるまいか。そんなところで北がミサイルを発射した。
だが、大抵の日本人は、戦争になれば、どう自分を守るのかを真剣に考えていない。具体的にどうするのか、全く考えていない。自分だけを守っていて良いのか、の問題もある。
国家は国民をどう具体的に守るのか。Jアラートで警戒警報を伝達するだけで良いのかの問題もある。
そう考えると、どうして日本には公的なシェルター・掩体壕がないのか、の疑問が浮かび上がる。台湾や韓国にはあっても、日本には公的なシェルターは設置されていない。それで良いのか。中国や北朝鮮のミサイルは日本には届かないというのか。ならば何故Jアラートを装備したのか。Jアラートは国民を安全な場所に誘導するきっかけを為すもののはずではないのか。安全なシェルターに逃げるためのものではないのか。避難先が無いのにJアラートだけがあっても意味がない。
防衛費増額というが、自衛隊の装備だけを充実させても、国民を直接掩護するシェルターが無ければ、国防の意味をなさないハズではないのか。ついこの間まで、“専守防衛”と言っていたものが、一旦“敵基地攻撃能力”を手に入れたならばそれをすっかり忘れて、体系的計画的組織的なシェルターの建設を怠っている。これが東京の政治家の政策なのだ。台湾を守るために、日本、特に沖縄の住民を守れなかったなどとバカバカしい話にならないようにするべきだと思うのだが・・・・どうなのだろう。
日本にはこうした論理的一貫性を欠く思考と政策が多過ぎるような気がする。しかもシェルターは、災害の多い日本には必要不可欠なのではないのか。それが戦略というものだろう。戦前からの伝統なのか、いつも東京の政治家の思考は現実感に欠け、“国民を守る意識が希薄”なのではないか。そう強く思うのだが如何だろうか。




さて、今回は嵯峨嵐山文華館での企画展“ふぁん・ファン・FUN~扇子いいね”の鑑賞に赴いたので報告したい。この度も、午後からの京都でのセミナーのため、午前を過ごすのに最適と思って出かけた次第だ。桂離宮鑑賞も考えたのだが、予約が必要で、何だか縛られる感があるのが、今回は嫌でお気楽に出かけたかったのだ。
いつものように神戸から阪急で嵐山に11時前後に到着。久しぶりの嵐山である。調べてみると昨年の6月以来のようだ。渡月橋を渡り切ったところで、大抵は人混みができているものだったが休店している店もあるようで、交差点は比較的閑散。まぁ嵐山とは言え、暑すぎる夏には人出も途切れたかのようだ。それで健全と言えるのだろう。



渡月橋から桂川左岸を上流に向かって歩く。やはり外国人が多い。チョット国籍不明な感じ。団体中国人の横柄感がないのは有難い。そば店に大勢が並んではいたが、こちらには外人は少ないようだ。
やがて道が川傍から右に逸れる所で嵯峨嵐山文華館となる。



今回の企画展は近所の福田美術館とは共催ではないので、当館だけの鑑賞。受付したが、自販機で入場券を買ってくれとのこと。

改札機があり入場して、暗い中に大きなポスターが浮かび上がっていた。いつものように常設展の小倉百人一首ヒストリーの展示がある。つまり歌人像とカルタの展示である。



いよいよ企画展の京扇子関連の原画やデザイン展示となる。冒頭の土田麦僊の“扇面流し”はこの企画展に似つかわしい作品。まぁそれにしても上村松園の“婦人うちわ図”はらしくない印象だが、下絵に近いものだろうか。



1階の展示場終わりに京扇子の製造工程の展示があった。これは特別協力・株式会社山岡白竹堂のウェッブ・サイトに詳しい。 最終工程では“親骨とよばれる両側の太い骨は熱して内側に曲げて紙を接着し、形を整え仕上げる”のだが、この熱する際に使う電熱器の展示が微笑ましい。



次に2階に上がっての鑑賞。やっぱり上村松園か。丁寧に女性を描いていて好ましい。他の絵が明治期以降近代の作家が多いせいか江戸の歌川広重“美人と猫図”は会場のムードからはチョット浮き上がった印象を持つ。
この2階の展示場には残念ながら撮影禁止作品が結構あった。恐らくこの嵯峨嵐山文華館所有作品でないもののためであろうか。伊藤深水“千草の庭”、“緑陰”、鏑木清方“宇治の蛍かり”であった。また奥田民生の自転車に乗って疾走して“はえ~”という漫画作品も撮影禁止としてあった。
結果として上村松園の紹介が多くなったが、見栄えがし、好みの作風が彼女の作品だったから仕方あるまい。



盛夏に曇りがちな天候で、直射日光が避けられて好調。桂川沿いに駅まで戻る。川には鷺が居た。
烏丸に出て、大丸で京土産の漬物を買って、昼食へ。気になっている蕎麦屋へ赴くが、昼食はやっていないのかいつも暖簾が出ていない。しかたなく、松屋に行って、株主優待券で“鬼おろしポン酢わくわくセット”を頼む。


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