The Rest Room of ISO Management
ISO休戦
映画“人間失格 太宰治と3人の女たち”を見て
先週は台風15号が関東を通過した。これについてwikipediaでは次のように記述している。
“9日3時前に三浦半島を通過し、東京湾に抜けて北東に進み、9日5時前には千葉県千葉市付近に上陸した。千葉市付近に上陸するときの勢力は中心気圧960hPa・最大風速40m/sの「強い」勢力であったが、関東上陸時の勢力では過去最強クラスとなった。その後、茨城県水戸市付近で海上に出た台風は、福島県や宮城県を暴風・強風域に巻き込みながら東進した。”
この台風により、“千葉県内で送電塔2本と電柱84本が倒壊、約2000本の電柱が損傷していることが確認され、神奈川県と千葉県を中心に93万戸が停電した。14日午前6時でもなお、14万9600戸で停電していたという。”東電の被害見積もりの甘さなどの不手際もあって、復旧が長引いた。
それにもかかわらず、我らが首相は災害対策を無視して、内閣改造を実施した。果たしてこの首相に緊急危機対応はできるのだろうか。内閣改造など1週間延期しても問題ないはずだ。手慣れた閣僚で災害対策を実施する方が優先ではなかったか。新任閣僚でこれからお勉強するようでは、即効ある施策の実行は望めないのは火を見るより明らかだ。国民が苦しんでいても、自己の政権維持・浮揚が優先されるらしい。
2001年、宇和島水産高校の実習船「えひめ丸」がアメリカの潜水艦に衝突され沈没し、生徒4人、教官2人、乗組員3人の併せて9人が死亡した事故があった。この当時日本の首相は森喜朗氏だったが、事故時首相は休暇でゴルフ中、首相はその場で連絡を待つという態度を取って、非難を浴びたものだった。この時官房風長官だった安倍氏の対応はもっとひどく長時間所在不明のまま、相当遅く官邸に参集した、と噂されたのを記憶している。こういう御仁が首相であることを十部に認識しておく必要はある。
しかし、森内閣の時は危機対応の稚拙さで非難の声が未だあったが、今回は首都圏の災害復旧を内閣改造で遅延させても一切非難の声は出ていない。何だか独裁へ突き進む社会風潮なのだろうか。
その挙句に内閣スローガンが「安定と挑戦」だという。昔、ある元銀行マンから“社長が「チャレンジ」とさかんに言い始めると、その会社はダメになる”と聞いたことがある。この意味は、何を経営の核心的コンセプトにするか分からなくなった社長が口にするのが“チャレンジ”だからのようだ。要するに具体的経営施策が見当たらない時、否有意義でタイムリーな施策を把握できていない時に、無能経営者が仕方なく無為のまま“チャレンジ”と叫ぶので、その会社はその後ダメになる、と言えるのだろう。
“チャレンジ”は日本語では“挑戦”である。安倍政権は長期政権となり、ついに八方ふさがり無策となったと言えるのではあるまいか。日本社会は様々な問題を抱えているにもかかわらず、何をやるべきか分からないということを、正直にも吐露したというものではないか。後に“改憲”を追加していたようだが、これが直ちに前進する客観情勢ではないことも、自覚しているのであろう。
それにもかかわらず、これを批判するマスコミや識者がいない、これはどういうことだろうか。日本は総痴呆社会になって仕舞ったのであろうか。実に情けない社会状況である。
その中で、環境省大臣に新しく就任した期待の若手政治家がいる。しかし、この御仁も、どうやら政治的原則が無く気分で動いていることが、様々なインタビューで明らかになって来た。安倍氏に対立している石破氏にかつて投票したにもかかわらず、今回安倍政権での閣僚就任は“理屈じゃぁない”と言い切った。
理屈が無いのは“原則が無い”ということ。原則が無ければ“ウソがつける”ことになる。ISO9001にintegrityという術語が登場する。確かドラッカーもこれを重要な徳目としていた。一般には“「誠実」「真摯」「高潔」などの概念を意味する言葉”とされており、特にISOでは“完整性”と訳しているが、これではさっぱり分からない。この言葉の本質は“ぐらぐらせず一貫性がある”という意味で、その結果が「誠実」「真摯」「高潔」となることになるのだ。つまり“一貫性が無い”のは“原則が無い”ことになり、そんな政治家は将来言うことが変わる、つまり“ウソをつく”政治家なのだ。従がって政治家には原則とそれから外れない論理性が求められるのであり、“理屈”が必要なのだ。日本社会はこんな“理屈のない”政治家に将来を期待するのか。実にオメデタイことだ。政治家には厳しい視線を持たなければならない。
さて先週末、映画“人間失格 太宰治と3人の女たち”が公開となった。監督:蜷川実花、出演:小栗旬(太宰治)、宮沢りえ(津島美知子)、沢尻エリカ(太田静子)、二階堂ふみ(山崎富栄)・・・等
蜷川実花氏は高名な演出家・蜷川幸雄氏の長女で、カメラマンとして有名な人。とうとう映画監督に乗り出して来たのか、どんな優美な映像で描き切るのか見てみたいと、急遽週末の映画館に予約したのだ。というより、実は午前はポート・アイランドで審査があり、夕方は三宮で飲み会を設定したので、その間を埋めるのに好都合と言った方がよかったか。
とは言え、この歳になるまで実は太宰治は一切読んだことはない。御承知かも知れないが、私は残念ながら文学青年では全くなかったのだ。そこで、急遽10日の火曜日に文春文庫の“斜陽 人間失格 桜桃 走れメロス 外七篇”を買って“斜陽”から読み始めた。この本の解説が文芸評論の臼井吉見だったのがこの本の魅力だった。恐らく、小説の登場人物に太宰の分身が登場しているはずなので、映画の“予習”としては意味があるはずと考えたのだ。金曜の映画公開日までには“斜陽”を読み切ったが、生来の遅読のため“人間失格”の映画題名の小説は半分程度で時間切れとなった。本当は“ヴィヨンの妻”も読むべきだったが、そこまでは全く及ばずだった。
実際に映画館に行って着席してみると、今や高齢者が多いのは当然だが、女性が多いような気がする。太宰が主題だからだろうか。ならば死んでもなお、太宰は女性にもてるのか。どういうこと?
映画は、小説“人間失格”とは異なるスト-リーで、太宰の入水心中までの生き様を客観的に描いている。この映画の雑駁な感想から言うと、監督による映像美を期待したが、どうやら全てスタジオ撮影のようだったので、どうにもその点が気になって仕舞い、一見豪華な場面となっても素直な感激が湧かなかった。戸外風景も全てスタジオと分かる安易な映像だった。太宰が雪の路上で喀血する場面があるがスタジオ撮影であり、せめて本当の雪の中でのロケと組み合わせたものにして欲しかったが残念だ。
それから、太宰の苦悩する内面や背景がさっぱり分からず、女性関係の乱れた単なるデカダンスの権化だけのように映ってしまっていて、全く深みが感じられなかったのは、私だけだろうか。飲み屋で騒いでいる太宰に、突然現れて論難する若手大蔵官僚の三島由紀夫が登場するが、あの三島に思わず単純にも拍手したくなるような気分になった。
考えてみればマッチョな三島と、繊細でデカダンスな太宰とでは正反対である。果たして、マッチョな三島は外国でも理解されるだろうが、繊細過ぎて女々しい太宰は外国では理解されない文学ではないだろうか。否、このようなあり方でも文学として成立するのは、日本文化の特殊事情ではなかろうか、という気すらしたのだった。
映画ではせめて、心中自殺の前の呻吟する場面展開を観客に分かるように用意するべきではなかったか、それこそが重要だと思うがどうだろう。或いは玉川上水での入水心中は事件直後のシーンがもう少しあっても良かったのではないか。妙に淡々とし過ぎている印象だ。
或いは根本的に、美知子夫人と新生活を始めて“富岳百景”を書いていた頃からスタートするのが良かったかもしれない。そうすれば、映画終盤で美智子夫人が子供に語る“富士山の見えるところで、立派な作品を書いていらした”という台詞が生きたのではないか。この辺りは、文春文庫にある臼井の“太宰治伝”での好意的な解説で、映画とは異なる感触が得られて、はじめて分かったことだ。
小説“斜陽”では、何故だか途中でローザ・ルクセンブルグの本が取上げられ、“ローザはマルキシズムに、悲しくひたむきの恋をしている。”という表現がある。そしてこれを受けて、主人公かず子は最後に“私は革命の完成のために、丈夫で生きて行けそうです。”という台詞を手紙に残している。
映画では、これは太宰が太田静子の日記から着想を得たという。それは太宰の子が欲しいという静子の要求を飲み、静子の伊豆の自宅でその日記を読んだのだという。映画の中では静子はこのオリジナルを世間に公表して欲しいとも要求して、確か“人生は革命とロマンだ”と絶叫していたのが印象的だった。
小説“斜陽”は明らかに終戦直後の時代背景があるが、その戦後の社会の空気感が少ない。大抵の場合、食料不足や空襲被害後の何らかの負の影響、海外からの引揚げ者の帰国による混乱等々の社会困難が話の端々に現れるもののはずだが、それが全くないのだ。しかし、新憲法制定で華族制がなくなり、農地改革で地主制がなくなり、上流階級の古い部分の崩壊・没落が始まったのであり、それが“斜陽”になっているのだから、主題がそのものがそうだと言えばそうなのだが、その言い分は観念的に過ぎる。また、この映画にもそうしたものは全く感じられない作りになっていた。果して、太宰には敗戦ショックはなかったのだろうか。大いに興味のあるところだ。
だから、太宰には基本的に社会性は全くないのではないかと思っていたが、文庫本の“太宰治伝”によれば、戦前のインテリ学生にありがちな非合法左翼の地下活動に加わっていた、という記述があったので、その疑念は若干薄れた。そういうことであれば、逆に戦後直後の社会の空気感がないように太宰が計算して表現したとしか考えられない。多分、小説をより普遍化するために計算したのではないだろうか。映画はそれに引っ張られたかと思われるが、こちらは太宰を客観的に捉える姿勢ならば、寧ろ終戦直後感を強く出した方が良かったのではなかろうか。
太宰は圧倒的な頭の良さはもちろんの事、育ちの良さという私との大きな環境の違いや、特に女性にもてることは、私には理解を越えるものがある。それは三島についても言えるのだが、そんなことから今まで全く縁のなかった太宰にはお蔭様で少しだけ近づけたような気がする。映画そのものには残念ながらあまり感激性はなかったが、それがこの映画の私にとっての効用だっただろうか。

“9日3時前に三浦半島を通過し、東京湾に抜けて北東に進み、9日5時前には千葉県千葉市付近に上陸した。千葉市付近に上陸するときの勢力は中心気圧960hPa・最大風速40m/sの「強い」勢力であったが、関東上陸時の勢力では過去最強クラスとなった。その後、茨城県水戸市付近で海上に出た台風は、福島県や宮城県を暴風・強風域に巻き込みながら東進した。”
この台風により、“千葉県内で送電塔2本と電柱84本が倒壊、約2000本の電柱が損傷していることが確認され、神奈川県と千葉県を中心に93万戸が停電した。14日午前6時でもなお、14万9600戸で停電していたという。”東電の被害見積もりの甘さなどの不手際もあって、復旧が長引いた。
それにもかかわらず、我らが首相は災害対策を無視して、内閣改造を実施した。果たしてこの首相に緊急危機対応はできるのだろうか。内閣改造など1週間延期しても問題ないはずだ。手慣れた閣僚で災害対策を実施する方が優先ではなかったか。新任閣僚でこれからお勉強するようでは、即効ある施策の実行は望めないのは火を見るより明らかだ。国民が苦しんでいても、自己の政権維持・浮揚が優先されるらしい。
2001年、宇和島水産高校の実習船「えひめ丸」がアメリカの潜水艦に衝突され沈没し、生徒4人、教官2人、乗組員3人の併せて9人が死亡した事故があった。この当時日本の首相は森喜朗氏だったが、事故時首相は休暇でゴルフ中、首相はその場で連絡を待つという態度を取って、非難を浴びたものだった。この時官房風長官だった安倍氏の対応はもっとひどく長時間所在不明のまま、相当遅く官邸に参集した、と噂されたのを記憶している。こういう御仁が首相であることを十部に認識しておく必要はある。
しかし、森内閣の時は危機対応の稚拙さで非難の声が未だあったが、今回は首都圏の災害復旧を内閣改造で遅延させても一切非難の声は出ていない。何だか独裁へ突き進む社会風潮なのだろうか。
その挙句に内閣スローガンが「安定と挑戦」だという。昔、ある元銀行マンから“社長が「チャレンジ」とさかんに言い始めると、その会社はダメになる”と聞いたことがある。この意味は、何を経営の核心的コンセプトにするか分からなくなった社長が口にするのが“チャレンジ”だからのようだ。要するに具体的経営施策が見当たらない時、否有意義でタイムリーな施策を把握できていない時に、無能経営者が仕方なく無為のまま“チャレンジ”と叫ぶので、その会社はその後ダメになる、と言えるのだろう。
“チャレンジ”は日本語では“挑戦”である。安倍政権は長期政権となり、ついに八方ふさがり無策となったと言えるのではあるまいか。日本社会は様々な問題を抱えているにもかかわらず、何をやるべきか分からないということを、正直にも吐露したというものではないか。後に“改憲”を追加していたようだが、これが直ちに前進する客観情勢ではないことも、自覚しているのであろう。
それにもかかわらず、これを批判するマスコミや識者がいない、これはどういうことだろうか。日本は総痴呆社会になって仕舞ったのであろうか。実に情けない社会状況である。
その中で、環境省大臣に新しく就任した期待の若手政治家がいる。しかし、この御仁も、どうやら政治的原則が無く気分で動いていることが、様々なインタビューで明らかになって来た。安倍氏に対立している石破氏にかつて投票したにもかかわらず、今回安倍政権での閣僚就任は“理屈じゃぁない”と言い切った。
理屈が無いのは“原則が無い”ということ。原則が無ければ“ウソがつける”ことになる。ISO9001にintegrityという術語が登場する。確かドラッカーもこれを重要な徳目としていた。一般には“「誠実」「真摯」「高潔」などの概念を意味する言葉”とされており、特にISOでは“完整性”と訳しているが、これではさっぱり分からない。この言葉の本質は“ぐらぐらせず一貫性がある”という意味で、その結果が「誠実」「真摯」「高潔」となることになるのだ。つまり“一貫性が無い”のは“原則が無い”ことになり、そんな政治家は将来言うことが変わる、つまり“ウソをつく”政治家なのだ。従がって政治家には原則とそれから外れない論理性が求められるのであり、“理屈”が必要なのだ。日本社会はこんな“理屈のない”政治家に将来を期待するのか。実にオメデタイことだ。政治家には厳しい視線を持たなければならない。
さて先週末、映画“人間失格 太宰治と3人の女たち”が公開となった。監督:蜷川実花、出演:小栗旬(太宰治)、宮沢りえ(津島美知子)、沢尻エリカ(太田静子)、二階堂ふみ(山崎富栄)・・・等
蜷川実花氏は高名な演出家・蜷川幸雄氏の長女で、カメラマンとして有名な人。とうとう映画監督に乗り出して来たのか、どんな優美な映像で描き切るのか見てみたいと、急遽週末の映画館に予約したのだ。というより、実は午前はポート・アイランドで審査があり、夕方は三宮で飲み会を設定したので、その間を埋めるのに好都合と言った方がよかったか。
とは言え、この歳になるまで実は太宰治は一切読んだことはない。御承知かも知れないが、私は残念ながら文学青年では全くなかったのだ。そこで、急遽10日の火曜日に文春文庫の“斜陽 人間失格 桜桃 走れメロス 外七篇”を買って“斜陽”から読み始めた。この本の解説が文芸評論の臼井吉見だったのがこの本の魅力だった。恐らく、小説の登場人物に太宰の分身が登場しているはずなので、映画の“予習”としては意味があるはずと考えたのだ。金曜の映画公開日までには“斜陽”を読み切ったが、生来の遅読のため“人間失格”の映画題名の小説は半分程度で時間切れとなった。本当は“ヴィヨンの妻”も読むべきだったが、そこまでは全く及ばずだった。
実際に映画館に行って着席してみると、今や高齢者が多いのは当然だが、女性が多いような気がする。太宰が主題だからだろうか。ならば死んでもなお、太宰は女性にもてるのか。どういうこと?
映画は、小説“人間失格”とは異なるスト-リーで、太宰の入水心中までの生き様を客観的に描いている。この映画の雑駁な感想から言うと、監督による映像美を期待したが、どうやら全てスタジオ撮影のようだったので、どうにもその点が気になって仕舞い、一見豪華な場面となっても素直な感激が湧かなかった。戸外風景も全てスタジオと分かる安易な映像だった。太宰が雪の路上で喀血する場面があるがスタジオ撮影であり、せめて本当の雪の中でのロケと組み合わせたものにして欲しかったが残念だ。
それから、太宰の苦悩する内面や背景がさっぱり分からず、女性関係の乱れた単なるデカダンスの権化だけのように映ってしまっていて、全く深みが感じられなかったのは、私だけだろうか。飲み屋で騒いでいる太宰に、突然現れて論難する若手大蔵官僚の三島由紀夫が登場するが、あの三島に思わず単純にも拍手したくなるような気分になった。
考えてみればマッチョな三島と、繊細でデカダンスな太宰とでは正反対である。果たして、マッチョな三島は外国でも理解されるだろうが、繊細過ぎて女々しい太宰は外国では理解されない文学ではないだろうか。否、このようなあり方でも文学として成立するのは、日本文化の特殊事情ではなかろうか、という気すらしたのだった。
映画ではせめて、心中自殺の前の呻吟する場面展開を観客に分かるように用意するべきではなかったか、それこそが重要だと思うがどうだろう。或いは玉川上水での入水心中は事件直後のシーンがもう少しあっても良かったのではないか。妙に淡々とし過ぎている印象だ。
或いは根本的に、美知子夫人と新生活を始めて“富岳百景”を書いていた頃からスタートするのが良かったかもしれない。そうすれば、映画終盤で美智子夫人が子供に語る“富士山の見えるところで、立派な作品を書いていらした”という台詞が生きたのではないか。この辺りは、文春文庫にある臼井の“太宰治伝”での好意的な解説で、映画とは異なる感触が得られて、はじめて分かったことだ。
小説“斜陽”では、何故だか途中でローザ・ルクセンブルグの本が取上げられ、“ローザはマルキシズムに、悲しくひたむきの恋をしている。”という表現がある。そしてこれを受けて、主人公かず子は最後に“私は革命の完成のために、丈夫で生きて行けそうです。”という台詞を手紙に残している。
映画では、これは太宰が太田静子の日記から着想を得たという。それは太宰の子が欲しいという静子の要求を飲み、静子の伊豆の自宅でその日記を読んだのだという。映画の中では静子はこのオリジナルを世間に公表して欲しいとも要求して、確か“人生は革命とロマンだ”と絶叫していたのが印象的だった。
小説“斜陽”は明らかに終戦直後の時代背景があるが、その戦後の社会の空気感が少ない。大抵の場合、食料不足や空襲被害後の何らかの負の影響、海外からの引揚げ者の帰国による混乱等々の社会困難が話の端々に現れるもののはずだが、それが全くないのだ。しかし、新憲法制定で華族制がなくなり、農地改革で地主制がなくなり、上流階級の古い部分の崩壊・没落が始まったのであり、それが“斜陽”になっているのだから、主題がそのものがそうだと言えばそうなのだが、その言い分は観念的に過ぎる。また、この映画にもそうしたものは全く感じられない作りになっていた。果して、太宰には敗戦ショックはなかったのだろうか。大いに興味のあるところだ。
だから、太宰には基本的に社会性は全くないのではないかと思っていたが、文庫本の“太宰治伝”によれば、戦前のインテリ学生にありがちな非合法左翼の地下活動に加わっていた、という記述があったので、その疑念は若干薄れた。そういうことであれば、逆に戦後直後の社会の空気感がないように太宰が計算して表現したとしか考えられない。多分、小説をより普遍化するために計算したのではないだろうか。映画はそれに引っ張られたかと思われるが、こちらは太宰を客観的に捉える姿勢ならば、寧ろ終戦直後感を強く出した方が良かったのではなかろうか。
太宰は圧倒的な頭の良さはもちろんの事、育ちの良さという私との大きな環境の違いや、特に女性にもてることは、私には理解を越えるものがある。それは三島についても言えるのだが、そんなことから今まで全く縁のなかった太宰にはお蔭様で少しだけ近づけたような気がする。映画そのものには残念ながらあまり感激性はなかったが、それがこの映画の私にとっての効用だっただろうか。

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