The Rest Room of ISO Management
ISO休戦
京都大学原子炉実験所学術公開に参加して
先に近畿大学の研究用原子炉での実習について報告したが、何せ出力が1Wの炉だったので、暴走の危険はほとんどないことが分かった。密集した街中の原子炉だったので、その実態に一安心したものだったが、逆に、これでは原子炉の本質が体感できたようには思えなかった。
そこで、地元大阪にあるもう1つの研究用原子炉・京大熊取原子炉の視察を思い立ち数ヶ月前に原子炉学術公開の催しに参加を申し込んでおいたのだった。今度は友人2名と一緒だった。そして、ようやくその日が来たのだった。こちらの炉の出力は最大5000kWで、意外に大きい。福島の事故を意識したのか、この研究所の案内パンフレットには、100万kWの約1/600程度とあるが、この計算は合点がいかない。まぁ とにかく近大原子炉に比べると500万倍なので何かが分かるのではないかと期待した。
今度は正午前JR阪和線に乗って熊取で下車して南海ウィングバスで原研まで行くことになる。関空快速に乗って天王寺を出て、しばらくすると我が母校の中学校が見えるはずだ。懐かしい校舎を見るために わざわざ立っていたが、いざその場に来ると、その姿はなく、かなりモダンな印象の校舎となっていて少々ショックを受ける。これで、私が出た学校の校舎は大学を除いて全て立て替わってしまったことになる。これまでの歳月を考えてみれば、それは当然なのかもしれないのだが、妙に感傷的になってしまった。
JR熊取駅に到着し、友人たちと落合った。うかつにも、路線バスで停留所を1つ乗り過ごして団地前に行ってしまったが、とにかく3人徒歩で戻り道を行く。恐らく 建設当時は 田園の中の研究所施設だったのであろうと想像できる風景。住宅密集地の近大原研とは全く違う印象だ。
正門に到着すると別のチャーター・バスで来た女性達と言うかオバサンの団体が 入門手続きをしているところだった。この他の参加者も ほとんどは団体さんで、中には共産党某支部からの参加もあったようだ。ほとんど個人参加に近い我等は少々気おくれがした。この日の参加者は総計200名強であろうか。
さて午後1時、いよいよ研究所の副所長による所の概容説明から始まる。敷地はほぼ30万㎡。原子力基礎科学研究本部、粒子線物質科学研究本部、放射線生命医科学研究本部の3本部の下、22分野の研究に従事。教授20名、准教授22名で、教職員総数127名とのこと。研究以外に原子炉運転の実習に全国、海外の学生を教育し、累計3000名に達していると言う。あの“はやぶさ”が持ち帰った地球外物質の分析も行っていると言う。
もっとも強調されていた研究は、中性子線によるガン治療で、切除不可能な耳下腺ガンをほぼ消去できたという。活発なガン細胞は投与されたホウ素を細胞内に取り込む習性があり、ここへ低線量の中性子線を照射すると、ホウ素が核分裂し、その結果この時がん細胞も破壊されるという原理を応用しているとのこと。
ここでは 今後も原子炉と粒子加速器を併用した研究を推進して行くということであった。さすが、私学とは違い、国費を使って広範囲に展開している印象である。
1グループほぼ10数名に分かれ、そこへ1人の案内者が付いて、いよいよ見学の開始。廃棄物処理施設の外からの見学からスタート。この研究所で発生する放射能で汚染された廃棄物(冷却水等)をある程度処理(水は濃縮)して、最終的には専門業者に引き渡すという。
臨界集合体棟の前を素通りして、本命の原子炉棟に向かう。臨界集合体棟は外観が多角形で、角張った印象だが、原子炉棟は丸いので、案内書などの写真を見てもそれで、見分けがつく。
臨界集合体にも 原子力施設があって、最大出力は100Wだということ。案内書には3種の炉心があるという。ここでは それを、1Wの出力に抑えて学生研修に使用しているという。わざわざ1Wにするというのは近大の原子炉を参考にして暴走の可能性をなくしてのことではないか。ここを一般見学に開放しないのは、どうやら大学の研究所にはありがちのことだが、あまり整理整頓ができておらず、誤って一般者が危険物に手出する可能性を警戒してのことだと言う。
いよいよ原子炉棟に入る。入口に、説明のための案内パネルが幾つも置かれている。原子炉断面図のところで概容の説明。ここでは、炉心冷却装置は建物地下にあり、二次冷却水の冷却は建物外部の空冷装置で冷却しており、これで十分に冷却可能とのこと。しかも、実際には能力最大より抑えて運転しているので 過熱暴走の危険性はないとのこと。案内のパンフレットにも、“一次冷却水の温度は最高でも50℃に止まり”と書かれている。そもそも、原発とは異なりエネルギーを効率的に発生させるための炉ではないためである由。
ここでは、グループに1人線量計を着けることになっている。最初に見た施設は 子供の頃マジック・ハンドと呼ばれていた遠隔操作ハンドリング装置。分厚い壁の向こうにある放射性物質を鉛ガラスの窓越しに取り扱うのだ。
原子炉本体は 中央にハンドルのある二重扉の向こうにある。内部は空気が正圧になっていて、一時的に鼓膜が圧力を受ける。何故こうなっているのか、1グループ10数名では 残念なことに案内者に気軽に質問できなかった。見上げる大きさに若干の感動。
内部に入って円形建物を右回りに見学。まず、目に入るのが中性子線照射による治療装置。このときは使用中でないため、炉心と装置は切り離された状態であった。
ここから階段で炉頂と同じレベルに設置された建物周回通路を回る。この周回通路から炉頂に渡る通路があるが、運転中のため炉頂には立ち入り禁止となっていた。したがって、燃料棒の配列状態は見ることができなかった。この渡り通路のあるところに炉のオペレーション・ルームがあった。5~6名の操作員が詰めていたが、ほとんど監視だけのようで、緊張した雰囲気はなかった。周回通路からは、下の床上に炉心を中心に、様々な実験装置が配置されているのが見えるが、この時 実験に使える状態にあるのは中性子線治療装置だけだと聞いたように思う。
周回通路を降りるとそこには、四角い筒状の燃料棒と制御棒の模型があった。ここの燃料も近大と同様板状で、小さな円筒状のペレットになった原発のものとは異なる形状であった。この板を 18枚重ねて3mm間隔で四角の筒内に設置して燃料棒としている。運転開始は1964年とのことだが、その後 核拡散を恐れた燃料供給国の米国が、低濃縮ウランを使うように指示して来たので 現在ではそれを使っているとの説明もあった。
この傍に、コンクリートによる原子炉の模型もあり、炉心に比べいかに分厚いコンクリートで囲まれているかが分かる。(既出、2番目の写真の右側)
これで、ほぼ視察は終了。この原子炉も 特に危険性を感じることはなかった。5000kWであってもそれほどの大きな脅威にはならないものだと思った。要するに 最大限エネルギーを取り出そうとしている原発用原子炉とは使い方が異なるところに大きな違いがあるということも あるのかも知れない。ここで言う研究とは 主に中性子線を取出して、様々な実験に使用するためであり、原子炉とは言うものの“中性子発生装置”というのが正確なところなのだろう。
明確な終了挨拶がないまま、最初に案内された集会所に留まっていると、気が付くと周囲の雰囲気が変わっていて、注意深く見回すとオバサンの団体だけになっていて、他は我ら3人組のみ。そして、前をみるとテレビで見たことのある小出裕章先生が立っておられる。どうやら、このオバサン団体の要請で 小出先生の講演が行われるようなのだ。追い出される気配もないのでそのまま居続けて講演を拝聴した。
講演は、次の説明から始まった。“原発で取り出した熱エネルギーの3分の2は無駄に排出されており、これは70㌧/秒の流水を7℃上昇させる熱量。大阪の淀川は150㌧/秒だから原発周囲では相当な環境破壊につながる。” この件は事実だから当然なのだが、もっとも気になった発言は“東京から電車で福島に向かったが、わざと線量計をつけっぱなしにしていると 東京も汚染されているせいか線量計は始めから鳴りっぱなし。”というものだった。それがウソとは思わないが、反原発科学者は 何故か自然放射能のことは伏せて素人に解説するのが非常に気になるところだ。このように、オバサマ相手に 多少おおげさに原子力の危険性を煽る講演であったが、じかに小出節を聴けて興味深かった。
帰途、天王寺で降りたが、中高時代を送った土地だが その変貌振りに戸惑いつつ、同行の友人と夕食に大阪コナモンを楽しんでこの日を終わった。メインディッシュは阿倍野筋から横丁に入った“たこつぼ”で豚玉と2~3種のつまみでビールを乾杯。デザートは “やまちゃん本店”のタコ焼きとした。さすが、“やまちゃん”のタコ焼きは表面が硬く、中はトロトロ、猫舌にはつらいが旨い。これは友人にも好評であった。だが、“たこつぼ”店のウェイトレスによるとここは本当は“明石焼き”が売りだとのこと。そうとは知らずに残念!
そこで、地元大阪にあるもう1つの研究用原子炉・京大熊取原子炉の視察を思い立ち数ヶ月前に原子炉学術公開の催しに参加を申し込んでおいたのだった。今度は友人2名と一緒だった。そして、ようやくその日が来たのだった。こちらの炉の出力は最大5000kWで、意外に大きい。福島の事故を意識したのか、この研究所の案内パンフレットには、100万kWの約1/600程度とあるが、この計算は合点がいかない。まぁ とにかく近大原子炉に比べると500万倍なので何かが分かるのではないかと期待した。
今度は正午前JR阪和線に乗って熊取で下車して南海ウィングバスで原研まで行くことになる。関空快速に乗って天王寺を出て、しばらくすると我が母校の中学校が見えるはずだ。懐かしい校舎を見るために わざわざ立っていたが、いざその場に来ると、その姿はなく、かなりモダンな印象の校舎となっていて少々ショックを受ける。これで、私が出た学校の校舎は大学を除いて全て立て替わってしまったことになる。これまでの歳月を考えてみれば、それは当然なのかもしれないのだが、妙に感傷的になってしまった。
JR熊取駅に到着し、友人たちと落合った。うかつにも、路線バスで停留所を1つ乗り過ごして団地前に行ってしまったが、とにかく3人徒歩で戻り道を行く。恐らく 建設当時は 田園の中の研究所施設だったのであろうと想像できる風景。住宅密集地の近大原研とは全く違う印象だ。
正門に到着すると別のチャーター・バスで来た女性達と言うかオバサンの団体が 入門手続きをしているところだった。この他の参加者も ほとんどは団体さんで、中には共産党某支部からの参加もあったようだ。ほとんど個人参加に近い我等は少々気おくれがした。この日の参加者は総計200名強であろうか。
さて午後1時、いよいよ研究所の副所長による所の概容説明から始まる。敷地はほぼ30万㎡。原子力基礎科学研究本部、粒子線物質科学研究本部、放射線生命医科学研究本部の3本部の下、22分野の研究に従事。教授20名、准教授22名で、教職員総数127名とのこと。研究以外に原子炉運転の実習に全国、海外の学生を教育し、累計3000名に達していると言う。あの“はやぶさ”が持ち帰った地球外物質の分析も行っていると言う。
もっとも強調されていた研究は、中性子線によるガン治療で、切除不可能な耳下腺ガンをほぼ消去できたという。活発なガン細胞は投与されたホウ素を細胞内に取り込む習性があり、ここへ低線量の中性子線を照射すると、ホウ素が核分裂し、その結果この時がん細胞も破壊されるという原理を応用しているとのこと。
ここでは 今後も原子炉と粒子加速器を併用した研究を推進して行くということであった。さすが、私学とは違い、国費を使って広範囲に展開している印象である。
1グループほぼ10数名に分かれ、そこへ1人の案内者が付いて、いよいよ見学の開始。廃棄物処理施設の外からの見学からスタート。この研究所で発生する放射能で汚染された廃棄物(冷却水等)をある程度処理(水は濃縮)して、最終的には専門業者に引き渡すという。
臨界集合体棟の前を素通りして、本命の原子炉棟に向かう。臨界集合体棟は外観が多角形で、角張った印象だが、原子炉棟は丸いので、案内書などの写真を見てもそれで、見分けがつく。
臨界集合体にも 原子力施設があって、最大出力は100Wだということ。案内書には3種の炉心があるという。ここでは それを、1Wの出力に抑えて学生研修に使用しているという。わざわざ1Wにするというのは近大の原子炉を参考にして暴走の可能性をなくしてのことではないか。ここを一般見学に開放しないのは、どうやら大学の研究所にはありがちのことだが、あまり整理整頓ができておらず、誤って一般者が危険物に手出する可能性を警戒してのことだと言う。
いよいよ原子炉棟に入る。入口に、説明のための案内パネルが幾つも置かれている。原子炉断面図のところで概容の説明。ここでは、炉心冷却装置は建物地下にあり、二次冷却水の冷却は建物外部の空冷装置で冷却しており、これで十分に冷却可能とのこと。しかも、実際には能力最大より抑えて運転しているので 過熱暴走の危険性はないとのこと。案内のパンフレットにも、“一次冷却水の温度は最高でも50℃に止まり”と書かれている。そもそも、原発とは異なりエネルギーを効率的に発生させるための炉ではないためである由。
ここでは、グループに1人線量計を着けることになっている。最初に見た施設は 子供の頃マジック・ハンドと呼ばれていた遠隔操作ハンドリング装置。分厚い壁の向こうにある放射性物質を鉛ガラスの窓越しに取り扱うのだ。
原子炉本体は 中央にハンドルのある二重扉の向こうにある。内部は空気が正圧になっていて、一時的に鼓膜が圧力を受ける。何故こうなっているのか、1グループ10数名では 残念なことに案内者に気軽に質問できなかった。見上げる大きさに若干の感動。
内部に入って円形建物を右回りに見学。まず、目に入るのが中性子線照射による治療装置。このときは使用中でないため、炉心と装置は切り離された状態であった。
ここから階段で炉頂と同じレベルに設置された建物周回通路を回る。この周回通路から炉頂に渡る通路があるが、運転中のため炉頂には立ち入り禁止となっていた。したがって、燃料棒の配列状態は見ることができなかった。この渡り通路のあるところに炉のオペレーション・ルームがあった。5~6名の操作員が詰めていたが、ほとんど監視だけのようで、緊張した雰囲気はなかった。周回通路からは、下の床上に炉心を中心に、様々な実験装置が配置されているのが見えるが、この時 実験に使える状態にあるのは中性子線治療装置だけだと聞いたように思う。
周回通路を降りるとそこには、四角い筒状の燃料棒と制御棒の模型があった。ここの燃料も近大と同様板状で、小さな円筒状のペレットになった原発のものとは異なる形状であった。この板を 18枚重ねて3mm間隔で四角の筒内に設置して燃料棒としている。運転開始は1964年とのことだが、その後 核拡散を恐れた燃料供給国の米国が、低濃縮ウランを使うように指示して来たので 現在ではそれを使っているとの説明もあった。
この傍に、コンクリートによる原子炉の模型もあり、炉心に比べいかに分厚いコンクリートで囲まれているかが分かる。(既出、2番目の写真の右側)
これで、ほぼ視察は終了。この原子炉も 特に危険性を感じることはなかった。5000kWであってもそれほどの大きな脅威にはならないものだと思った。要するに 最大限エネルギーを取り出そうとしている原発用原子炉とは使い方が異なるところに大きな違いがあるということも あるのかも知れない。ここで言う研究とは 主に中性子線を取出して、様々な実験に使用するためであり、原子炉とは言うものの“中性子発生装置”というのが正確なところなのだろう。
明確な終了挨拶がないまま、最初に案内された集会所に留まっていると、気が付くと周囲の雰囲気が変わっていて、注意深く見回すとオバサンの団体だけになっていて、他は我ら3人組のみ。そして、前をみるとテレビで見たことのある小出裕章先生が立っておられる。どうやら、このオバサン団体の要請で 小出先生の講演が行われるようなのだ。追い出される気配もないのでそのまま居続けて講演を拝聴した。
講演は、次の説明から始まった。“原発で取り出した熱エネルギーの3分の2は無駄に排出されており、これは70㌧/秒の流水を7℃上昇させる熱量。大阪の淀川は150㌧/秒だから原発周囲では相当な環境破壊につながる。” この件は事実だから当然なのだが、もっとも気になった発言は“東京から電車で福島に向かったが、わざと線量計をつけっぱなしにしていると 東京も汚染されているせいか線量計は始めから鳴りっぱなし。”というものだった。それがウソとは思わないが、反原発科学者は 何故か自然放射能のことは伏せて素人に解説するのが非常に気になるところだ。このように、オバサマ相手に 多少おおげさに原子力の危険性を煽る講演であったが、じかに小出節を聴けて興味深かった。
帰途、天王寺で降りたが、中高時代を送った土地だが その変貌振りに戸惑いつつ、同行の友人と夕食に大阪コナモンを楽しんでこの日を終わった。メインディッシュは阿倍野筋から横丁に入った“たこつぼ”で豚玉と2~3種のつまみでビールを乾杯。デザートは “やまちゃん本店”のタコ焼きとした。さすが、“やまちゃん”のタコ焼きは表面が硬く、中はトロトロ、猫舌にはつらいが旨い。これは友人にも好評であった。だが、“たこつぼ”店のウェイトレスによるとここは本当は“明石焼き”が売りだとのこと。そうとは知らずに残念!
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