The Rest Room of ISO Management
ISO休戦
アサヒビール山崎山荘訪問とサントリー山崎蒸溜所見学
先日、アサヒビール山崎山荘とサントリー山崎蒸留所へ 再び訪れた。今度は友人と二人である。
再びというのは、実はここへは、2年前の冬、訪問している。前回は 京都工業会主催の“食品・バイオ研究会”で食品品質管理の講演が サントリー山崎蒸留所で行なわれ、それに参加したのだった。そのため、時間的余裕少なく、アサヒビール山崎山荘美術館には時間切れで入館できなかったので、今回は まず山荘美術館に 少なくとも午後一には入るようにスケジュールを組んだ。その後、午後3時にサントリーの工場見学に赴き、試飲会に臨むこととした。そして、サントリーにはガイドの予約を入れておいたのだ。
ところが、あいにく 当日は 小雨模様であった。
小遣いが 不足気味であったので 豪奢なランチは止めて、阪急・大山崎駅の高架下の阪急そばで昼食。昔のように いわゆる立ち食いそば店では なく、うどん・蕎麦のみではなく、意外にもメニューも豊富で、時間的に11時半と早かったので落ち着いて座って食事ができた。天たま丼定食(580円)を食べた。
山荘美術館にJR線の踏切を越えて向かう。山の中腹にあるため、多少のハイキング気分であるはずだが、残念ながら小雨がその気分を削いだ。だが、考えようで この季節特有のねっとりとした暑さには まだなく、気温も高くなく結構爽快であった。また、雨滴を浴びた木々の緑も生き生きした感じだった。
あの 山荘特有の トンネルの門をくぐり、さらに上り道を歩いて玄関に到着。来訪者は皆無であろうと想像したが、やっぱり知られた観光スポットのようで 結構な人々が集まっていた。
山荘の入口で傘を 置き、入館料を払うと、“まず新館から行ってください。”との案内があり、少々 面食らった。というのは、“新館”と思われる建物の気配がないからだった。矢印に従って進むと、どうやらその新館は地下、または半地下になっているものと了解。壁面が コンクリートの打ちっ放しとなっていて、右側にはコンクリートで囲われた小さな池があった。この雰囲気から、どうやら安藤忠雄氏の設計では、と推測できる。階段を降りたところで、コンクリートの左側壁面のニッチに壷が展示されていた。この通路の正面には庭の池が覗えるようになっている。地下の部屋は円形になっていて、入口の反対側に大きなモネの睡蓮の絵が掲げられていた。ここの美術品は 建物に比べて少ないという印象で、今後 もっと作品を買い集める予定ではないかと思われる。この新館は、半地下式のため、植込みによって覆われており、写真を撮ってもその存在が良く分からないようになっている。安藤氏はこのような建物の設計が 得意なのだろうか。
戻って、山荘の中を 案内の矢印に従って、館内散策。美術品より、山荘の雰囲気を楽しむ方が 先になってしまう。階段のステンドグラス。2階に上がると 北側の部屋に 入ると 大きく豪奢な山荘には 似つかわしくない つつましい大きさの浴室があった。ゲスト・ルームであろうか。何となく ほっとして休める雰囲気はあった。
さらに その隣室から北側庭園を望むと、向かいの山際に 塔のような建物が有った。解説によると、この建物を設計した所有者の加賀正太郎が 建物建設時に ここに居て、建築監理をしていたという。つまり、建築中の工事の細部に至るまで自分の気に入るように指示を出したのだ。本当に 自分の気に入る家を作るには、ここまでするべきなのだなぁと感心。
南側には 山崎の山峡を望めるバルコニー、ここに、喫茶室がある。私はコーヒー、友人はビールを注文。澄み切った空気の中で 歓談。小雨であったが、広い奥行きのあるバルコニーはそれを感じさせない。快適な時間を過ごせた。
眺めの正面の山が男山八幡、一般には石清水八幡と呼ばれる。あの徒然草の“仁和寺に在る法師徒歩より詣で”ける御山である。幕末、異人嫌いの孝明天皇が、将軍家茂を供に、攘夷祈願に訪れた所だ。また、エジソンが電球の発明時に、この山の竹をフィラメントの材料として用いたという。この辺りは特に、竹が多い。豊臣秀吉に敗れた明智光秀が農民に竹槍で突かれて斃れたのもこの近くだろう。眺めの右側が 大阪方面。こちら側には 住宅が丘全体を覆ってしまっている。左側が 京都側で、このあたりに世界で始めて模型飛行機を作ったという二宮忠八が 活動していた地域と聞いている。
2時半前に山荘を辞去し、前庭を散策しつつサントリー工場へ向かう。庭には せせらぎが有り、かつて本田宗一郎氏が 著名人を招いて自宅で鮎つり大会を催したというのは、こういう庭であったのだろうか、と想像しながら歩いた。
後は、山を降りて、JR山崎駅裏を経由して、サントリー山崎へ。
後の展開は、以前に 見学したのとほぼ同様。異なったのは、当方が 個人での参加であったこと。それから、工場に入る際に、手をアルコールで消毒するようになっていたこと。恐らく昨年来の新型ウィルスの処置であったのだろう。
見学後は、お定まりの“ウィスキー試飲会”。“フルーティー”な“山崎”と“森のフレーバー”の“白州”の飲み比べである。親愛なる我が友はこの試飲会につられてやって来たのだった。ちなみに、見学会は2名以上でなければ、予約できないことになっている。この日の、3時からの参加者は 正確にカウントしていないが40名程度の一般人だった。
ここで、“山崎”や“白州”は “シングル・モルト”であり、その点で、ブレンディド・ウィスキーである“響”や“ローヤル”とは異なる、との説明。しかし謎は、如何に“シングル・モルト”と言えども 複数のモルトをブレンドしなければ、“山崎”や“白州”としての一定のフレーバーを確保することは不可能のはずなのだ。この疑問を 友人とともにガイドの女性に 尋ねたところ、それぞれの蒸留所内でのモルトだけでブレンドしていることを“シングル・モルト”と言うことのこと。
モルトは 樽ごとにロットとして管理されており、その樽が最高の状態に達したところで、製品に供するということで、製品毎の一定のフレーバーを確保するために 様々なタイプのモルトを作るとのこと。モルトが多様であればあるほど、一定のフレーバーを作り出すブレンド作業には自由度が増すので、蒸留釜も様々なタイプを使用しているようである。見学者が 最後に目にするのは、これまで作られた様々なモルトのバック・ロットの陳列棚である。褐色の色合いは様々で中には無色透明なものもあった。
この様々なタイプのモルトを組合わせるのが ブレンダーの仕事であり、サントリーの命となる部分なのである。かつての社長、佐治敬三氏は このブレンダーでもあったのだ。
我々は というより、私は千鳥足でガイドの女性に見送られて、小雨の旧街道を 大山崎駅に戻ったのだった。
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