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邦光史郎の“坂本龍馬”
今、世間は龍馬ブームのようだ。NHKの大河ドラマの影響なのだろう。
私も、龍馬に関する知識を 手っ取り早く再整理するため、あるいは、移動する電車内で気軽に読むために、邦光史郎氏の“坂本龍馬”を読んでみた。
龍馬ブームは 以前にもあった。その時も NHKの大河ドラマであり、司馬遼太郎氏の“龍馬がゆく”を原作としている。私は このドラマによって 一つの間違った知識を つい最近まで “史実”と思い込んでいたことは、以前にもこのブログで紹介した。それは、“龍馬が適塾に居た”ということだった。適塾関連施設に行ったりして塾生の名簿に龍馬の名がないことを知って、ようやくNHKドラマのシナリオが史実を曲げていたことが分かったのだ。正確に言うと 司馬氏が史実を曲げていたのではなく、テレビ・ドラマの脚本家が 原作にないことをシナリオ・エピソードにしたてたのだった。放映された1968年は 未だドラマのビデオを残す時代ではなかったようなので、私のこの記憶を 証拠立てるものがないのが残念である。
こういう 歴史小説には 恐らくこのような史実に反するもの、或いは 誇張されたエピソードが 大なり小なり含まれているものと思った方が良いだろう。
そういうことを考えつつ、ここは一旦、邦光氏の“坂本龍馬”を選ぶことにした。一般的に司馬の歴史小説は饒舌で挿話の多く、“龍馬がゆく”は国民文学のスタンダードになってはいるのだが、自分の中で容易に 定説の龍馬像を確立するには不向きであると思ったのだ。それに対し邦光“龍馬”は 1冊の文庫本約250頁で完結する。
昨年末 これもNHKドラマになった“坂の上の雲”に対して 同じような日露海戦をテーマにしたのには吉村昭氏の“海の史劇”がある。膨大な 挿話集たる司馬の歴史小説に対し、吉村氏の小説は1冊の文庫本に収まっている。
司馬氏の歴史小説は その饒舌性とあの文体で ある種の雰囲気を醸し出していると言ってよく、それが司馬ファンを惹きつけているのだろう。だが私は 司馬氏が架空挿話を小説の材料にしていると言いたいのではなく、彼は史実をできるだけ踏まえて 周辺の逸話も豊富に、饒舌に語っていると思っている。その背景に 膨大な蔵書があると言われている。司馬氏が 歴史小説を執筆する前には その小説のテーマに関連する古本が 神田古書店から姿を消したという伝説があるようだ。
逆に 歴史を背景にして 史実と史実の間を 巧みに奇想天外に埋めた小説もあり、それは それで作家の想像力の豊かさを 示していて面白い。例えば 以前に紹介した赤報隊の相楽総三をテーマにした北方謙三氏の“草莽枯れ行く”は 侠客の清水の次郎長から公家の岩倉具視、西郷隆盛、“夜明け前”の島崎正樹さえ登場し、勿論、これには今回のテーマの龍馬も登場していた。
さて、この邦光“龍馬”を 読んでみて、NHK“龍馬伝”では語られておらず、また 私も知らなかった“定説”があった。それは、佐久間象山の私塾に 龍馬が居た、ということだった。
佐久間象山は 江川太郎左衛門から分かれて砲術の塾を開いたが、この塾に、吉田松陰、勝海舟、山本覚馬、橋本左内、河井継之助が門下生として集まったという。そこに、龍馬も半年くらい居たというのだ。これまで鬼才と呼ばれる象山が どのように維新に絡んだのか 具体的イメージを持っていなかったのは迂闊だったが、これで ようやく 象山への具体的イメージを かすかに持てるようになった。
ここに 幕末に唯一機関銃(ガントリング銃)を装備して官軍を悩ませた河井継之助が居たというのも、さすがに洋式砲術の最新情報を知っていたということで肯けるものがある。
ついでながら、龍馬が 適塾にいたなどという ウソ話は 当然ながら この本でも出てこない。
龍馬の人となりを示す超有名なエピソードもこの本には登場する。さすがにこの話は 私も知ってはいた。
ある勤皇の志士が、龍馬に遇った時、その志士が携えていた長刀を“斬り合いには邪魔だ。(龍馬が持っている)短い方が 確実に相手を刺せる。”と言ったという。後日、同じ志士が また龍馬に遇うと、今度は龍馬は懐中からピストルを取出して見せたという。三度目に遇うと、龍馬は“これからの世の中は、知識だ。”と言いつつ“万国公法”を取出して示したという。この本では 龍馬の相手の志士の名を“土佐勤皇党の桧垣清治”と 特定している。
こういう エピソードは 小説のどの段階で入れるべきか、比較的長い時間経過が含まれているので悩ましいと思われるが、面倒ならば 省略も可能だと思う。しかし、邦光氏は 外せない話として律儀に 入れたのだろう。
しかし、龍馬暗殺は 誰の手によるものなのか。この本でも この点に言及してはいるが、誰とは決め付けていない。そういう意味でも この本は 偏りの無い龍馬スタンダード本と言える。“草莽枯れ行く”に登場する西郷隆盛のダーク・イメージからすると、西郷・薩摩藩説もありうるのかも知れない。
繰り返すが、坂本龍馬の人となり概要を 手っ取り早く知ろうという向きには この本は 最適ではないかと思われる。龍馬年譜も 末尾にあり、非常に懇切な構成になっている。
私も、龍馬に関する知識を 手っ取り早く再整理するため、あるいは、移動する電車内で気軽に読むために、邦光史郎氏の“坂本龍馬”を読んでみた。
龍馬ブームは 以前にもあった。その時も NHKの大河ドラマであり、司馬遼太郎氏の“龍馬がゆく”を原作としている。私は このドラマによって 一つの間違った知識を つい最近まで “史実”と思い込んでいたことは、以前にもこのブログで紹介した。それは、“龍馬が適塾に居た”ということだった。適塾関連施設に行ったりして塾生の名簿に龍馬の名がないことを知って、ようやくNHKドラマのシナリオが史実を曲げていたことが分かったのだ。正確に言うと 司馬氏が史実を曲げていたのではなく、テレビ・ドラマの脚本家が 原作にないことをシナリオ・エピソードにしたてたのだった。放映された1968年は 未だドラマのビデオを残す時代ではなかったようなので、私のこの記憶を 証拠立てるものがないのが残念である。
こういう 歴史小説には 恐らくこのような史実に反するもの、或いは 誇張されたエピソードが 大なり小なり含まれているものと思った方が良いだろう。
そういうことを考えつつ、ここは一旦、邦光氏の“坂本龍馬”を選ぶことにした。一般的に司馬の歴史小説は饒舌で挿話の多く、“龍馬がゆく”は国民文学のスタンダードになってはいるのだが、自分の中で容易に 定説の龍馬像を確立するには不向きであると思ったのだ。それに対し邦光“龍馬”は 1冊の文庫本約250頁で完結する。
昨年末 これもNHKドラマになった“坂の上の雲”に対して 同じような日露海戦をテーマにしたのには吉村昭氏の“海の史劇”がある。膨大な 挿話集たる司馬の歴史小説に対し、吉村氏の小説は1冊の文庫本に収まっている。
司馬氏の歴史小説は その饒舌性とあの文体で ある種の雰囲気を醸し出していると言ってよく、それが司馬ファンを惹きつけているのだろう。だが私は 司馬氏が架空挿話を小説の材料にしていると言いたいのではなく、彼は史実をできるだけ踏まえて 周辺の逸話も豊富に、饒舌に語っていると思っている。その背景に 膨大な蔵書があると言われている。司馬氏が 歴史小説を執筆する前には その小説のテーマに関連する古本が 神田古書店から姿を消したという伝説があるようだ。
逆に 歴史を背景にして 史実と史実の間を 巧みに奇想天外に埋めた小説もあり、それは それで作家の想像力の豊かさを 示していて面白い。例えば 以前に紹介した赤報隊の相楽総三をテーマにした北方謙三氏の“草莽枯れ行く”は 侠客の清水の次郎長から公家の岩倉具視、西郷隆盛、“夜明け前”の島崎正樹さえ登場し、勿論、これには今回のテーマの龍馬も登場していた。
さて、この邦光“龍馬”を 読んでみて、NHK“龍馬伝”では語られておらず、また 私も知らなかった“定説”があった。それは、佐久間象山の私塾に 龍馬が居た、ということだった。
佐久間象山は 江川太郎左衛門から分かれて砲術の塾を開いたが、この塾に、吉田松陰、勝海舟、山本覚馬、橋本左内、河井継之助が門下生として集まったという。そこに、龍馬も半年くらい居たというのだ。これまで鬼才と呼ばれる象山が どのように維新に絡んだのか 具体的イメージを持っていなかったのは迂闊だったが、これで ようやく 象山への具体的イメージを かすかに持てるようになった。
ここに 幕末に唯一機関銃(ガントリング銃)を装備して官軍を悩ませた河井継之助が居たというのも、さすがに洋式砲術の最新情報を知っていたということで肯けるものがある。
ついでながら、龍馬が 適塾にいたなどという ウソ話は 当然ながら この本でも出てこない。
龍馬の人となりを示す超有名なエピソードもこの本には登場する。さすがにこの話は 私も知ってはいた。
ある勤皇の志士が、龍馬に遇った時、その志士が携えていた長刀を“斬り合いには邪魔だ。(龍馬が持っている)短い方が 確実に相手を刺せる。”と言ったという。後日、同じ志士が また龍馬に遇うと、今度は龍馬は懐中からピストルを取出して見せたという。三度目に遇うと、龍馬は“これからの世の中は、知識だ。”と言いつつ“万国公法”を取出して示したという。この本では 龍馬の相手の志士の名を“土佐勤皇党の桧垣清治”と 特定している。
こういう エピソードは 小説のどの段階で入れるべきか、比較的長い時間経過が含まれているので悩ましいと思われるが、面倒ならば 省略も可能だと思う。しかし、邦光氏は 外せない話として律儀に 入れたのだろう。
しかし、龍馬暗殺は 誰の手によるものなのか。この本でも この点に言及してはいるが、誰とは決め付けていない。そういう意味でも この本は 偏りの無い龍馬スタンダード本と言える。“草莽枯れ行く”に登場する西郷隆盛のダーク・イメージからすると、西郷・薩摩藩説もありうるのかも知れない。
繰り返すが、坂本龍馬の人となり概要を 手っ取り早く知ろうという向きには この本は 最適ではないかと思われる。龍馬年譜も 末尾にあり、非常に懇切な構成になっている。
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