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今、そこにある危機

普天間の辺野古移設に反対する社民党の福島党首が消費者担当大臣を罷免され、社民党は連立を離脱した。
5月29日付の朝日新聞朝刊の3面に、“首相 誤算の連続”との見出しで鳩山首相の普天間移設に関する考え方の経緯が簡潔に掲載されていた。もし、あの記事が ほぼ真実を伝えているのなら、我々日本人はとんでもない人を首相として選んだことになる。
その記事によれば、“(普天間は国外移設、)最低でも県外”とは、どうやらそういう演説をしていた昨年7月には、既に“ムリ!”と承知していたフシがあり、演説の1ヶ月後には“いや、あれはもう言わないから”と漏らしていたという。内心、辺野古と決めていたが、人気取りのためのセリフだったようだ。実際に政権獲得後は、“努力する姿を国民にみせ”るパフォーマンスのみで、“最終的には辺野古に移設する現行案受け入れを表明する”と段取りするつもりだったらしい。だから、事態を軽く見て、真剣に動かなかったのだ。

その誤算は、社民党福島党首の“頑固さ”と、“あんなきれいな海を埋め立てては駄目だ”という小沢発言だったという。これで、はじめて真剣に“国外移設、最低でも県外”の看板と向き合わざるを得なくなったという。
これが、我らが首相の“見識”だったのだ。“腹案”も その場しのぎの徳之島案。あまりにも、軽い言葉、いい加減な 見識に呆れるばかりである。 史上 最軽薄の首相ではないか。
それにしても、そんな軽薄な人ならば周囲が もっと注意を払うべきではなかったのか。官房長官をはじめ、各閣僚達は 何をしていたのだろうか。もう ガバナンス力、マネジメント力のない民主党には期待できない。

今回の騒ぎで しっかりした新時代の方向性を示せず、失われた国益は大きい。日本をあきらかにスルーしている米国は中国と何度も対話し、深めている。一方、日本への信頼は損なわれ、その独立性性は いやが上にも低下した。米軍への思いやり予算は その付帯的費用も含めると累計で10兆円以上にはなるだろうという推計もある。国内に駐屯する外国の軍隊に、こんなにも金を支払い、しかも彼らを傭兵として使う指揮権もなく、施設管理権さえなく、ほとんど治外法権のような状況では 植民地であるとしか言えない客観的状態である。こういう国際的常識に反する状態に甘んじている日本は、東南アジア諸国にも劣る品格の国家なのである。日本国民は、そのことを 的確に認識し得てずノー天気なままなのだ。

自国の安全保障に真剣に向き合うこともなく、極端な非武装論者から 核武装論者までいて、国際的常識を知らず、情緒的議論または偏狭な知識に拠って、果てしない空理空論、ああ言えば、こう言う式の論争を繰り返し、今日に至ってしまった。こういう日本の状態に 米国も付き合いきれないという 思いがあるのは当然だろう。その代表が あの程度の見識の首相なのだ。
わが日本は 外部から見ると、どう眺めても的確な国際政治への政策提言を期待できる国ではないのだ。スルーするべき国なのだ。だから 少々のブラフを掛けて金さえ出させれば良い、というのが国際的常識になっているようだ。
いつのまにか“日本はアジアの代表”などという おこがましい言葉も 最近は使用されなくなって来ているが、この国の人々は、どこへ漂流して行くのだろうか。しかも、こんなにノンキにしていられる状態は沖縄の人々の犠牲の上に成り立っていることも この国の大半の人々は しっかり自覚していないのである。

安全保障は国家的リスクに どう向き合うかの問題である。リスクには、“科学的アプローチ”で検証する方法論がある。だから 安全保障についても“科学的”にアプローチすれば、情緒論や偏狭な認識に基づく不毛な議論は排除できるはずだ。そして、その“科学的アプローチ”の前提として、客観的現実認識が必要だが、まず そういう客観的認識を 国民間で共有することが大切ではないか。

そもそも 米軍に期待する“抑止力”とは何なのか。全く明確でない。海兵隊には 戦争そのものへの抑止力はない、と考えるのが 軍事的常識であろう。まして 今回 問題の沖縄海兵隊に どのような抑止力があるのか。それに、その沖縄海兵隊の駐屯目的は一体何なのか、一向に明確でない。日高義樹のワシントン・リポートで 米・沖縄海兵隊の様子を報道していたが、沖縄海兵隊が フィリピンでしている演習は 何のためなのか 全く説明はなかった。
ある新聞報道によれば、米軍の高官は“それは言えない。言うと 日本で大変なことになる。”と言っていたように記憶する。どうやら日本政府にも全く説明されていないらしい。何故なのか。植民地人には 話せない内容なのか。そんな状態に我々は満足していて良いのか。それは、今回の共同声明で今後の2+2の日米交渉の過程でようやく明らかになる可能性がでてきたという。

今、朝鮮半島は 一触即発の危機的状態にある。ソウルの在留邦人は いざと言う時 誰がどのように救出するのか、日本政府は検討しているのだろうか。
日本にはイラン・イラク戦争の時、テヘランの在留邦人は 見捨てられたという情けない実績はある。日本が金を払っている米軍には 積極的に日本人を救出の対象としては考えているとは思わない方が良い。具体的に米海兵隊の救出対象者は 第一に米国国籍の人、次にグリーン・カード所持者、アングロサクソン人、その次に余裕あれば日本人ということのようだ。プライオリティ第4位では ほとんど対象外。そいう軍隊が 日本及び日本人の安全に寄与していると言えるのだろうか。そんな 軍隊のために 無条件に辺野古の自然環境を破壊して良いのだろうか。

朝鮮半島での紛争のきっかけは 一つは 38度線での韓国の拡声器による宣伝活動の再開と、それへの北側の対空砲による破壊砲撃であり、もう一つは 黄海でのカニ漁における 両国警備艇の警備射撃であると考えられている。時期としては いずれも差し迫っているので極めて緊急度は高いはずだ。

朝鮮半島での紛争が拡大すれば、3~4発あると言われる北の核の内、少なくとも1~2発は 日本の米軍駐屯基地に照準が合わせられていることは 十分 考えられる。三沢、横田、横須賀、岩国、佐世保等であろう。(沖縄には ノドン・ミサイルでは届かない?)それに どのように対処するのか。そういう危機認識や危機管理を どうするのか。
こういう危機管理の体制も未構築のまま、鳩山氏は 韓国の好戦的雰囲気を煽るような発言していたが、あれは我が国益にそぐわないはずだ。現状では、むしろ、抑制させるべきなのだ。このような人が 済州島で 何を話したのか非常に問題である。

日本人が これまで 判断を留保し続けてきた問題が 踵を接して 火を噴こうとしている。その時に 史上 最軽薄の首相が ことに対処しようとしている不幸を感じるが いかがであろうか。
“今そこにある危機”に 鈍感であることが 日本の最大の危機である。リスクは 認識しなければ リスクとして成立しない。それが、現実にならなければ、こんな仕合せなことはない。だが、実際の危機として出現したばあい、つまらない混乱が 危機を増幅させ被害は拡大し、国家的壊滅に至るだろう。リスクを リスクとして客観的に認識し、分析し、危機に備えることが大切なのである。

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