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この1週間で感じたこと・181014

最近、おからパウダーがスーパー店頭から消えた。原因を探るためネットで検索してみると、“朝の情報番組で「おからダイエット」が紹介された”からだという見解が流れていた。まるで“おから”さえ食べればダイエットができると考えているかのようだ。私としてはいい迷惑。
私は弱い腸の健康のために食物繊維の供給源として格好のものと思って1年以上前あたりから、朝食の納豆やヨーグルトに混ぜて食べていたのだ。カサ増しの効果もあって良かった。それがスーパー店頭から消えて、食べれなくなって非常に残念で仕方がない。
このように、チョッとしたことで大衆が右往左往する傾向は、あまり好ましいものではないが、当面は食べずに我慢しなければならないようだ。食に関する制限は少々辛い。

しかし“食”に関して、東京では築地市場が83年の歴史に幕を閉じ、豊洲新市場へ移転して開場し、マスコミの取り上げる材料となっていた。
移転に17年も要したにもかかわらず、トラック搬入出で渋滞があるとか、敷地面積を増やしたはずなのに店舗が手狭になったとか、トラックからの荷卸しに問題があるとか、物流に不適な急斜面があるとか、問題噴出かのような印象がある。アホなマスコミの伝えることなので、どこまで真実なのかは不明だが、これらは“慣れ”で解消される問題ではなく、設計の基本課題のように思うがいかがだろう。“慣れ”に頼って問題を抑え込んで無理が継続すれば、いずれ大事故の原因になるのではないか。17年もの時間を一体何に浪費したのだろうか。まぁ、所詮東京の問題なので、我ら外野がとやかく言うことではあるまい。

しかし、そこで使われた “日本の台所”というあたかも強引に定式化した修飾語には京阪神の住人の一人としては、大いに抵抗感がある。昔は大阪が“天下の台所”と言われたという決まり文句があったが、東京の生鮮市場を勝手に“日本の台所”と呼ぶのはいささか軽薄な印象を持ってしまう。なぜなら、我ら京阪神は築地に御世話になった自覚は無く、ましてや豊洲にも将来にわたって御世話になるはずがないからだ。にもかかわらず何故勝手に“日本の台所”に成り上ったのか。むしろ、“日本の台所”という言いようには、日本各地の素晴らしい食材を全国からその経済力で収奪している驕りを感じるのだ。
教養のないマスコミ人にとっては、関東以外は日本ではないのかも知れない。江戸期以前関ケ原以東は日本ではないと思われていたのと、反対の立場で現状を見ているかのようだ。

もうこうなったら関東以外の地から、中央・東京に向かって反撃の狼煙を上げる必要があるように思う。もう一度、東京を落城させなければならない。その急先鋒は、やはり中央から最も遠い沖縄なのかもしれない。昔、“辺境から中央に反攻せよ”というスローガンを見たような気がするが、正にその図式が目前に迫っているのかも知れない。

否、中央から中央にとって都合の良い情報をばらまいているマスコミの意のままに右往左往する大衆が存在する限り、そういった状況はなかなか生まれないかもしれない。
国会で答弁マナーが悪く、野次まで飛ばす首相は安倍氏が初めてのような気がするが、マスコミが忖度してそういった安倍氏の実像を報道しないので、強固の支持者岩盤層が存在するかのようだ。不思議にトランプ氏と同様40%台の支持率を割らない支持者が存在するようだ。しかし、その支持者の質は大きく異なるのではないか。
米国では大統領のスキャンダルは、次々報道されている。様々な立場から、それこそ自由に報道がなされているようだ。そこにはプライバシーだとか、個人情報だとかという、日本で聞かれる邪道の台詞は一切ない。日本の政治家はプライバシーだとか、個人情報だとかというマヤカシの概念で保護されているのだ。
権力者にプライバシーや個人情報があると考えるのは、御門違いの発想なのだ。権力者はケツの穴まで衆人環視されても何も言えないものなのだ。それが民主主義を守ることになるのだ。日本人は、その初歩的な“常識”からお勉強し直さなければ、本当の民主主義を手に入れることはできない。いつまでも政治的後進国に留まっている原因がそこにある。

かつて、“経済一流、政治は三流”と言われた日本が、今や経済の様々な指標でOECD加盟国(先進36ヵ国)中、下位に位置し始めているため、“経済三流、政治は五流”と言われても当然となって来ている。これに外交を加えると、それは最早ランク外。何故ならば、この日本、実は米国の植民地国だからだ。

経済と言えば、予測よりも早く市場に暴落が始まった。未だ、底が見えていない。10月中に頂点が来るとのタイミング予測を信じたのが間違ったのだ。売るタイミングを逃したのだが、さてどうするかが今後の勝負だ。
日本のマーケットは“業績は良いハズ”との評価だが一向にすっきり上昇しない。それは日本の経営者の対応による。内部留保ばかり、あるいは自分の報酬だけを上げて、従業員には還流させない、そんな姿が一般的のようだ。そんなことで、経済が一流になるとは思えない。

この沈滞する日本には、改革、否革命が必要だと思われるが、どうだろうか。
21世紀にふさわしい革命のスタイルはどういうものなのだろうか。それがイメージできないところにも問題があるのかも知れない。形式的にはいつでも変革できる議会制が成立しているからだ。ここは、矢張り一般大衆の意識革命が必要なのだが、その大衆をバカのままにしておけば、事実上の独裁体制は維持できる。そのためには、マスコミを現状のように権力に忖度するように手なずけておけば良い。
そうだ、矢張りマスコミが問題なのだ。我等はマスコミではなく、ミニコミで反撃開始か。だが、信用できるミニコミがあるか。そのミニコミの情報は真実を伝えているか。誰がそれを保証するのか・・・。


*現状、蓄積疲労で困っている。先々週3件の審査があって、それに何とか耐えて先週になだれ込んだのだが、多少の疲労感は残ったまま。だが、その先週も2件の審査があり、審査が終わればそそくさと帰宅すれば良いものを、審査先の近所に古墳があるということで、見に出かけてしまった。バスがあるのだが、頻度が少ないので思うように動けないので、最寄駅まで片道4km弱を歩かざるを得なかった。調子が良ければこれで、返ってスカッとするものだろうが、そうはいかなかった。この見学についてはいずれ報告したい。
それにもかかわらず、原稿を書かねばならない土曜日に、かつて関係の深かった団体の記念パーティが午前から開催され出かけざるをえなかった。要は、“やらねばならないこと”と“やりたいこと”の狭間で、“すべてを取る”ことで疲弊しているバカなのだ。
という訳で、今回はこの程度の“思う所”を述べるに留めてしまった。

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