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人生最大の断捨離

このところこのブログへの投稿(ブログでは更新と言うようだが)記事は 表面的にはほとんどISOマネジメントとはかかわりのないものばかりになっているのは申し訳なく思っている。場つなぎのISOバカ日誌オンパレードとなってしまっている。だが、これはブログ主催者の我がままとして許されることだと傲慢に考えている。その一方で、実は私としては、その時々の心境の中から、奥深いところでISOマネジメントに関連しそうな事項を記載しているつもりなので、なおさら許されることと思っているのだ。

さて今、私は人生最大の断捨離を行っていてこのことを取り上げたい。断捨離とISOマネジメントは どう関係するのか。断捨離は いわば6Sに通じるものである。6S(整理、整頓、清潔、清掃、躾、仕組または作法)は 特にISO9001には直接的規定はなく、ウザイ側面もあるが組織経営には大なり小なり必須の手法の一つで これをやっておけばISO9001もやりやすくなる側面はある。
それは私が育った実家の古家での断捨離で、これ以上のことは、恐らく私が死んだ後くらいにしかされないであろう、という程のもの。自分ではそれ程 徹底的に行っているつもりなのだが、第三者から見ると大したことないかも知れない。というのも、これは残したい、見れば当時を思い出して懐かしい、そんなものが意外に多い。断捨離とは言うものの家族には内緒で残すべく、今の家に持込んではいるものがあり、それがやたらに多くなると問題なので抑制しているつもりではある。

ここで いつも悩むのがモノに対する愛着心への考え方である。つまり、モノは慈しんで使うもの、と言われる一方で、過去に執着するのは良くない、とも言われる。一体 どっちが正しいのか。この矛盾を解決する考え方は どうやら、それを使い終わってそのモノの存在価値が終わったものは廃却するべし、ということのようだ。言われてみれば当然のことなのだが、愛着を持って使っていたものを ある時点で終わったと直ちに捨て去る薄情さには納得できないものがある。だが、それは未練というもののようだ。
だが、こういう経験もあった。ある仕事が終わった時、あっさり途中経過の資料の一切を捨てたところ、その直後に それが又必要となり、それに替わるものを手当てするのに相当なエネルギーを費やさねばならなくなったことがあり、それがトラウマ化してしまったこともある。

それやこれやで、私はいわば未練がましい人間で、終わったモノを直ぐには捨て去ることはできない。いずれ整理しようと そっとそのままにして置く。それが積み重なり 後日の整理が面倒という生来のズボラさも重なって、どんどん積みあがって行くという状態が続いて古家に溜まったモノの膨大な廃却に迫られることになった。
こういう 私の精神構造は、この度の断捨離によって両親の と言うか特に母親の影響が大きいことも改めて痛感した。と言うのは、両親も使わずに仕舞い込んでいたモノがあったからだ。
まず、座布団も含めた布団。布団は昔、再生する習慣があった。だから、母は使わなくなった布団も捨てずにしまっていたのだろう。それから贈答品。父はどちらかというと 社交的だったので、それらが使い切れずに残っていたのだ。それから、見たこともないような母の衣装。母は 対照的にほとんど人前にでることのない人だったので、そういった衣装を身に着ける機会がないまま残されてしまったのだろう。昔の人間は モノを捨てることに罪悪感もあったのだ。
それに、実家は戸建で収納にはスペースが十分にあった。それがモノを増やしても大丈夫だったという環境で育った私に断捨離の習慣が育つはずがなかったのだろうか。

しかし、両親のこれまで知ることのなかった側面を残されたモノから覗くことができた。父は仕事上のストレスから亡くなったのだが、その原因となった訴訟事件の背景や概要が、残された資料からその輪郭が明確になったのだ。技術導入元の米国企業からの契約内容を無視した不当な訴訟だったのだ。それを会社存続の危機と理解した父は、途中入社だったが職務を全うするべく全力で臨み、先方から和解金を獲得したりしたが、そのストレスで大腸癌になってしまった。しかし、当時のトップはそのビジネスの当初からの経験で ある見通しを持っていたのか、それを大したことと見ず、父の仕事は評価されずに終わったということのようだった。
母に関しては、母方の伯母との緊密なやりとりの手紙が多量に出て来た。私は幼い頃病弱だったが 自分の子供のように可愛がってくれ、その気遣いが手紙には満載であった。記憶中のおぼろげな出来事の時間的経緯の整理もできたのだが、残念なことに母が伯母にどのような手紙をかいていたのかは不明である。

いよいよ自分の残してきた子供の頃からの“お勉強”の痕跡、というよりゴミ。それには、ほとんど記憶にないものもあった。小学校、中学のそれなりの努力の跡があったのだが、高校での成績を見ると 惨憺たる結果だったことを再確認した。最終決戦たる大学入試での勝敗には思わぬ戦果も複数あったが、時の運ということもあるのだろうか。
一方、小中学校での教科書や副教材等が出て来て、それを見ると 今潜在意識化している知識のベースがそこにあったのだということを思い知らされるものが幾つもあった。つまり、何の予備知識もない時に受ける、初等・中等教育の重要性、大切なことを再確認したものだった。そしてこれらの資料を 読み耽って当時の気分に浸っていると心理的に時間的な錯覚に陥ってしまい、不思議な気分を経験する。

それから、古家の断捨離でモノの処分はできたとしても、未練がましい私にはその空間そのものにも様々な思い出がある。近くを走る電車の音にも懐かしさがある。その思い出の中で癒しを覚えることもある。それを失うことになるのは非常に辛いことである。
だが、時代は変わり そのような古家も寿命を越え、維持コストは嵩むだけであり、その存在は周囲の環境にもそぐわなくなってきている。やはり 私の手で処分することが良識ある市民の義務なのだろう。

ここまでは、使い終わった古家での 古家ごとの断捨離についてのことだ。そして その人生最大の断捨離は 緒に着けることができて何とか先が見えて来ている。しかし、今の家での断捨離には 深い悩みがある。
つまり、今、自分が進むべき道が不明確な時、何を捨てるべきか不明確である。その分 断捨離が難しくなっている。今、私には自分が進むべき道は 一向に見えてこない。それは自分で切り開いて行くものだ、と言われるのは大変心外だ。これまで、自分でこうしたい、ということを相当頑張ってやって来たつもりだが、一向にその方向に道が開けないからである。断捨離にあたって、何が困るのかと言うと、そのどの部分が進むべき道か不明だからである。それとも使い終わった古家の断捨離が 終わったところで、私の進むべき道は見えてくるのだろうか。

断捨離とは、モノの6Sから精神の整理を引き出す手法だと思うのだが、過去に得た情報を捨ててそれに見合うようなものを得られるのだろうか。それが見えない限り、現在の時点での断捨離は不可能なのだ。禅の修行僧のように極限の持ち物で生きていくことは、現代では困難なような気がする。あの司馬遼太郎氏の膨大な蔵書をどう見るべきなのか。オマエはそんなエライ人物でもあるまい!という罵声が聞こえてくるような気もするのだが・・・。

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