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シンポジウム“エネルギー政策の大転換”を聴講

先週の日曜日の午後、関西学院大学梅田キャンパスにて、環境三学会合同シンポジウム2012が開催され、講演を聴きに赴いたので概要を報告する。環境三学会というのは、環境法政策学会、環境経済・政策学会、環境社会学会とのこと。関学が梅田にキャンパスを開設していることは知ってはいたが、具体的な存在場所までは知らなかった。従って、実際に中に入ったのは今回が始めてであった。阪急梅田駅の北側の阪急茶屋町ビルディング(アプローズ・タワー)にあって、10階と14階の2フロアを占有している。ホテル阪急インタナショナルとフロアは異なるが同居していることになる。今回はその10階の で開催された。このように比較的高層階にあり、梅雨のさなかであったが快適であった。だが、やがて空調が効き過ぎてきて、シャツの長袖を降ろす必要があった。さらにトイレの水は熱めの温水で、こういった状況で“環境”を論ずるのは、残念ながらやや難があるように思った。

開催プログラムは次の通り。
報告1“いかにして原子力政策の転換をはかるのか”
:長谷川公一 教授(東北大学大学院文学研究科)
報告2“エネルギー政策における考慮事項と実現の法的仕組”
:黒川哲志 教授(早稲田大学社会科学総合学術院)
報告3“原発ゼロのシナリオ―原発なしでも電力を供給できるか”
:吉田文和 教授(北海道大学大学院経済学研究科)
コメント“科学技術社会論の視点からエネルギー(原子力)問題を考える”
:八木絵香 准教授(大阪大学コミュニケーション・センター)

以下に いつものように語られた内容を紹介したいと思うが 予稿集がずいぶん以前に編纂されたのか、実際の講演内容と予稿集の記載事項のずれが非常に大きく、しかも講演者が多くを語ろうとするので、極力メモを取ったが、聴くことに集中できず、聞き逃すことも多かったように感じた。そのため若干正確さを欠くところがあるかもしれない。

報告1では、①最近の動きから何が浮かび上がるか②日本が原発・再処理を止めたくないもう1つの理由は?③エネルギー・環境会議の3つの選択肢をどう考えるか④原発と人類は共存できるか という問いに如何に答えるかを軸に議論を語られたが、印象としては、①と②についてが強調されていたように感じた。
すなわち、6月20日に改正された原子力規制委設置法の改正内容についての批判が中心で、時間を費やしていた。ノーリターン・ルールの例外規定や、“我が国の安全保障に資する”という文言の挿入に対する警戒感であった。特に、このことによって、韓国のマスコミが大いに刺激されたということや、両国防衛当局者の会議が中止されたとの解説を加えていた。また、読売新聞の過去の社説を紹介して、そこでは“原発は、単なるエネルギー政策の観点に止まらない/平和利用と軍事利用に厳密な境界はない/それが途上国の原発を所有する動機になっている/原発推進論は「福島」以降推進論の根拠として「抑止力」も含まれる?”が議論されていたという。核の軍事転用そのものにも世界は注視していると指摘して、日本の立場は非常に微妙であることを示していた。
“我が国の安全保障に資する”という文言を挿入させたのは、自民党の塩崎恭久衆院議員だとのこと。確かに日本の右側の人々には、日本の防衛政策で昔の僧兵のように“衣の下に鎧が見える”状態を ことさらに期待する人が多いようだが、本当の右側の立場から見ても、これは全く国益に叶うパフォーマンスではない。それは、不要な警戒感を周囲国に与えるだけで、実質的には何の意味も持たない行為だからだ。現に、政府機関同士の会議が打ち切られるのは、国益上好ましいこととは言えない。本来は、そのような警戒感を与えずに そっとしておいて、現実にそれが必要になった時に実力行使すればよいのである。既に日本には核兵器とするには有り余るほどのプルトニウムが蓄積されているからだ。負け犬の遠吠えのように“ヤルぞ、ヤルぞ”と常日頃から言い募って、警戒感だけを煽るのは全く思慮の無い行為である。明言しなくても、常に米国政府が最も警戒しているのは日本の核武装であり、世界もそのことを熟知しており、これは外交上の常識である。

報告2では、福島原発により原発不信が日本国内に横溢したが、果たして“原発をゼロにすべきか?”との悩ましい現状を、どうするかがテーマだった。“原子力発電なしで電力需要を賄い得るか?/地球温暖化対策の国際的責任は?/原子力行政への不信の解決は?/経済のパラダイムで決めるべきことは?”を議論しなければ前へ進めないとの指摘であった。後での質問者の言葉に“標題に法的仕組とあるが、法的な議論はなかった”との指摘はあったが、論点整理としては見るべきものがあったと感じた。
特に、ここで提示された次の解決困難な課題をどう対処するのかは悩ましい限りである。
①原発のリスクについて、“40数年で廃炉にするまでのカタストロフィー的事故確率の評価”
②原子力関係組織、特に行政や司法を担う人材や専門家を原子力ムラと切り離して供給する方法・仕組
③日本が原発を止めても近隣諸国の原発での事故による放射性物質の飛散被害からの防護(発生源の管理)
④使用済核燃料の処理・保管・管理→原発全てを止めても無くならないリスク
ここで、①はリスク評価についての根本的課題であるし、②に関連して原発を止めた場合に優秀な人材をどのように供給するのか、それができなくなった場合③への対処も他国任せになってしまうという議論をする識者がいるのも事実だ。
また講演後、グローバルに拡がっている格差の解決がエネルギー問題の本質であるから、それを論点にしない限り原発問題の解消に至らないという意見表明もあった。しかし、その議論は人類文明そのものの論評となってしまい、ここでのテーマにはなじまないと感じた。

報告3では、スイス原子力安全規制局が39項目の“福島の教訓”というものを発表しているという紹介があった。これには非常に驚いた。日本が様々な事故調査委員会を立ち上げたが、それぞれに限界があって、しかも結論をだすのに時間がかかっているが、スイスの規制当局はほぼ半年でこれを作成したということで、本質を突いている印象だ。主な指摘は“学習する組織を発展させない欠陥/貧弱な企業文化/経済的配慮から安全を制限した/(利益相反の)保安院が経済産業省に依存している欠陥/全体システムにおける検査の構造的欠陥/不十分な検査の深さ/企業の安全文化の欠如/意思決定の欠陥/非常事態に対する不十分な準備”である。恐らく、かなりの部分をチェルノブイリでの経験を下敷きにしている可能性を感じるが、それにしても日本自身がチェルノブイリの教訓を、自らのものとしていなかったと思われるのは非常に残念で、やはりそこにも日本の原子力関係者の根拠なき慢心があったものと思われる。
日本のエネルギーの一次供給から 最終消費への移行の間に32%の目減りつまりロスがあるという主張にも括目する思いがした。このロスがなければ、シェア10%の原発は不要にできるからである。勿論、ロスなしで何事もなし得ないということは十分承知しているが、32%は改善の余地が大きいことを示していると思う。
また日本では電力・ガス会社が競合していて総合的政策が施されず、都市計画も合理的に組み上げられていないという指摘もあった。
しかし、講演者は自然エネルギー特に風力発電推進論者なので固定価格買取制度には前向きであったが、私は問題が大きいと思っている。
終わりに、日本では倫理的、歴史的な視点による是非の議論すなわち原則論がないのは問題であるとの指摘があった。

最後のコメントは、大学の機関としては異色の活動をしている阪大コミュニケーション・デザイン・センターの八木准教授によるもの。同氏は、冒頭に原子力学会に所属して開かれたコミュニケーションを目指して学会に働きかけてきたが、これまで上手く行かないまま3・11の事態を迎えてしまったとの弁であった。さらに今、政府・環境省はエネルギー政策の転換をめぐって、“国民的議論”を主導して、お茶を濁そうとしているので その問題点を指摘した意見書を提出したとのこと。つまり“地球温暖化問題をめぐる国民的議論”もいつのまにか竜頭蛇尾に終わってしまったにもかかわらず、それがあたかも“国民参加による成果”と強弁する二の舞を演じる懸念があるとの指摘である。主な問題点としては、“1:意見誘導にならないようにするための方策が講じられていない/2:参加者の選出の妥当性を確保する方法が示されていない/3:日程的な限界がある”を挙げている。
確かに、今の“官僚主導の政権”では致し方ないのかも知れない。また、質疑応答で本当の国民的議論によるコミュニケーションの場が日本にはないため継続性も期待できず、むしろ時の政府のアリバイ作りに利用される恐れがあるとの見方も示された。

原発の今後をどうするかについては、正直 基本姿勢にブレることがあるが、やはり現時点では脱原発の方向が間違いないところであろうが、そこにいたるまでに、解決するべき技術的、外交的、政治的 或いは文明論敵課題が多すぎるし大きすぎる。しかし、この問題を解決できなければ人類社会は崩壊するだろうという予感がある。
何よりも問題は、現在人類が持っている技術水準では完璧に対処できないことである。その技術をささえる物理学も不十分なのではないか。こうした科学技術の不十分さにもかかわらず、核開発に着手し商業化してしまったことに問題の根源がある。しかし、核開発特に核燃料サイクル確立は人類文明を支えるエネルギー問題の根本的解消のためであったのは事実だ。したがって、この問題解決に人類は全力を傾けなければならないと言えるが、そのような態勢になっていない。ヒッグス粒子の研究がどれほどこの問題解決に寄与するのであろうか。

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