The Rest Room of ISO Management
ISO休戦
君は先週の週刊朝日を見たか
今週は少々刺激的な標題としたかったが、そうなっただろうか。今回は標題を見て分かるように週刊朝日先週号の内容紹介となった。では、そのトップ記事以下3つの柱となる記事の“見出し”を並べてみる。
(1)新幹線焼身自殺テロ・下流老人の復讐
(2)東京五輪が日本をギリシアにする
(3)安保法制は米「外圧」文書のコピペだ!
さて、見出しだけで見てどう感じられたであろうか。ここに日本の近未来が凝縮していつとは思わないだろうか?
(1)では格差の広がる日本社会に在って、下流に置き去り又は転落してしまって再挑戦の不可能な老人の姿を見る。今後、年金の支給額削減は必至の状況の中で それを先取りしたような事件だった。
私は当初この事件を聞いた時、自殺するなら迷惑かけずに人知れず死ぬべしと単純に思ったりしていたが、テロを決行した老人のやり場のない憤懣を知って、一面では愕然としている。本来優しい人だったという。優しくあったが幸薄かったにもかかわらず誠実に働いたが、結局は真面目に払込んだ年金も老後を支えてくれず、生活保護に及ばない水準と分かって絶望していた、というのだ。そういった高齢化社会の現状の深刻さをこの記事は改めて強く感じさせてくれる。老人の人口比率は今後ますます増大するので、このまま放置しておくと、問題はますます拡大する。
老人福祉を如何にするのか。私は老人の健康管理を重視して、特に高齢者を中心にした国民皆スポーツを推進するべきで、これによって老人の病院通いを少なくし、さらには社会参加を促進し、生産人口への戦力化を指向して、高齢化社会を乗り切るべきだと思っている。何よりも、老人の病院通いを少なくすれば医療費削減には大いに貢献するし、ピンピンコロリが増えれば福祉予算の削減にも寄与するはずではないか。
また、この国民皆スポーツには施設が必要であり、スポーツ指導者の養成も必要だ。施設については、バブル時代に作って遊休化しているハコモノの有効利用が図られるだろうし、それでも不足するなら簡単なハコモノを作れば良い。そのスポーツ指導者については、今後いろいろなチャンネルを通じて人材を調達する必要があろうが、それこそ日本のサービス産業部門の強化や若い人の新たな職業提供として期待できるように思う。
スポーツ人口の増大重層化は日本のスポーツ水準の向上となり、ひいてはオリンピック等でのメダル獲得率の向上につながる。聞くところに依れば、最近オーストラリアのメダル獲得が増加しているのは、こうした政策の結果だと言う。日本政府にはどうしてこうした豊かな発想がないのだろうか。
この最初の記事の終わりには、次の記事へのつなぎのようにオリンピックを前に公共交通機関のテロ対策への不安を指摘している。特にJR新幹線の危機感の薄さそのものが危機的のようだ。
二番目の記事はそのオリンピックのための国立競技場の新たな建設をめぐって、このところ毎日報道されている内容だが政権には一旦決めたことを変更する勇気は全くないようだ。“改革”をたやすく口にはするが、そんなに勇気や覚悟もなくて“改革”などできるはずがない。特に、いくじのない首相は“英断”する気が全くないことを先週末に明らかにした。
そもそも何故、東京にオリンピックを誘致したのか理解できない。にもかかわらず金のない日本政府は無駄遣いを積極的に行っているように見える。新国立競技場の建設予算が2,520億円というのは、北京の“鳥の巣”で430億円、ロンドンは650億円に比べて高すぎるではないか。実のところ、建設予算はもっと膨らみ、さらに維持費は莫大になるとの予測もある。こんな水ぶくれで全てを賄われたのでは、日本がギリシア化するのは当たり前だ。あたかも東北の震災は遠い過去のことであるかのような振る舞いは許せない。
問題は政権中枢に依然として“国威発揚”と“ハコモノ重視”の古い発想が根強く息づいていることだ。小泉元首相が一掃したはずの“抵抗勢力”が今や復活して“大活躍”の印象なのだ。その象徴が森元首相の御活躍だろう。彼らの頭には東北の悲惨も、老人の悲劇も、全く視野に無く、傍若無人。思うがままにラグビーができれば楽しいのだろう。
否、オリンピックで活躍するべき選手のことすら視野に無いのだ。新国立競技場の予算不足を、選手強化費から掠め取ろうとすら考えているようなのだ。本末転倒もはなはだしい発想ではないか。
記事はこうした皮相の問題だけをテーマにしている訳ではない。日本政府の借金(これを“日本の借金”と標記)が2014年度で1,053兆円と純増している。一方その赤字財政を支える国民の家計貯蓄率は、かつて15%以上あったものが、90年代以降低下し2014年には-1.3%に低下したという。それは、稼ぐ世代の賃金上昇がないため、現在(2015年3月)ある1,708兆円の貯蓄は高齢者による取り崩しが相次ぎ、いずれ枯渇することを意味している。製造業の空洞化が進む一方で新たな産業構造への転換が進まない日本社会が、稼ぐ産業のないギリシアと同じ状況に陥るのは明らか、というのは当然の論理的帰結である、とこの週刊誌は示している。
つまり、日本の財政赤字は国民が預金している銀行が国債を買うことで賄われているが、その預金が減れば国債を買うことができなくなると懸念されていた。しかし、その預金が枯渇するまでには時間的余裕があると思われてもいて、結構暢気に構えていた傾向もあった。
ところが、最近はアベノミクスで金利低下を狙う日銀が強力に国債を買い漁り、大手金融機関もBIS規制を横目に格付けの低くなった国債を高値で手放し始め、地銀も国債からリート購入へとスタンスを変更している。事実上、政府の財政赤字を中央銀行の日銀が一手にファイナンスすると言う異常な状態となっている。これは見方によっては、戦前の軍需を猛烈な財政赤字で作り出す一方、日銀が国債を買い支えた図式と全く同じだ。
しかし、これは一方ではこの見境のない金融緩和は超円安への道であり、悪いインフレつまり超物価高への引き金を引くことになる、という見解を紹介している。
さらに、もしこのアベノミクスが成功して2%程度のインフレとなったとしても、その分現状より金利が上昇するので、政府の国債利払いが12兆円増加する、との指摘も紹介している。つまり赤字財政は増える一方になる懸念があると示唆しているのだ。そして、“安倍政権は『2020年にPB(プライマリー・バランス)黒字化』ばかり言っているが、歳出削減の中身はなく、すべて検討課題になっている。”という意見も紹介。
実は、日本政府がいつまで経っても実現させられない“PB黒字化”は、ギリシア政府はここ2年実現させるのに成功している、というのだから、安倍政権の“改革”も如何に口先だけのものか、分かるのではないか。お気楽な政権の下では、東京オリンピックで“日本がギリシア化”するというのも、あながち根拠のないホラ話ではないのだ。
さて、いよいよ3つ目の記事。安倍政権が最大限注力する安保法制の背景にある疑惑を伝えるものだ。
ここで“米「外圧」文書”とは、2012年8月に作られた“第3次アーミテージ・レポート”と呼ばれている。正式には“日米同盟―アジアにおける安定の繋ぎとめThe U.S.-Japan Alliance anchoring stability in asia”と題する報告書で、米国のシンクタンク“戦略国際問題研究所CSIS”の名で公表されたが、海兵隊出身で元国務副長官だった共和党のアーミテージ氏と民主党クリントン政権で国務次官補だったハーバード大学教授のジョセフ・ナイ氏が中心となってまとめられたという。
この記事では、“報告書”におけるキィ・ワードを紹介して、安保法制が如何にその内容に沿ったものかを説明している。そこでは、安保法制の改革が要求されているということだが、“政策の変更は…(中略)…より軍事的に積極的な日本、もしくは平和憲法を求めるべきだ。集団的自衛権の禁止は同名の障害だ”と言っているという。
ほとんど現実的ではないと指摘されても、なお安倍首相がこだわるホルムズ海峡での掃海についても、同報告書では“ホルムズ海峡を封鎖するというイランの言葉巧みな意思表示に対し、日本は一方的にその地域に掃海艇を派遣すべきである”と指摘しているという。これで返って、安倍氏のこだわりの理由が明白になるのだ。さらに同誌は“自衛隊の活動範囲についての言及も、注目に値する。”と言って報告書を引用している。“現在、(日本の)利害地域は遠く南へ、そしてはるか西、中東まで拡大している”と言っているとのこと。これだけで、何もかも合点が行くような気になってしまう。“周辺事態法から「周辺」の概念を取り払い、自衛隊の海外活動の範囲を地球の裏側まで広げる「重要影響事態法案」の趣旨に、見事に一致するのである。” “これでは安倍政権の政策は、まるで米国の報告書の「コピペ」(丸写し)ではないか。”というのだ。(同誌記事には安保法制と同報告書の類似点の比較表も掲載している。)ナショナリスト安倍晋三は一体どうなったのか。身も心も米国に売ったのか。悪魔に売って何を得たのか、得ようとしているのか、そんな疑念がもたげる。同誌記事は以前から私が懸念している海自の南シナ海進出にも言及している。さらにアーミテージ・レポートは陸自の活動の“許容範囲拡大”にも言及していると紹介し、“(米国は陸自の活動を「戦力」としては期待していなくても、)治安維持部隊に日本が名を連ねてくれるだけで、米国の『単独行動』という印象が薄まり、国内世論をまとめやすくなる。”という見解もあると指摘している。
同誌はしかし、この“外圧”は実はそれほど強力なものではなく、“日本を軍事大国にしたいと思っている人達”に利用されているのだ、という指摘も示している。“『外圧』を利用するこうした手法は、日米構造協議などこれまでの日米交渉でもよく使われ”て来たという。
だがしかし、安倍政権は日米地位協定の改訂には熱心ではなく米軍・米兵の行動は治外法権のままであり、首都圏での航空管制の米軍優位をも放置したままでは、政権の対米弱腰は目を覆うばかりなのだ。その結果が凝縮した沖縄では、県民の苦しみは絶えない。*
そのような政権が、国民の生命財産の安全を本当に願っているとは思えない。安倍晋三氏の“ナショナリスト”という“尊称”は“偽善”そのもので、世を大きく欺くものだ。現に、今年年初に日本人ジャーナリスト等2名の生命保護を早々に断念してしまったではないか。これにも背後に米国の影があるとされる。
*私は在沖米軍のある基地(トリイステーション)のゲートに鳥居が設置されていることに以前から憤りを感じているが、多くの日本人はこうした米軍の傲慢な行為を知らないのが現実だ。知っている人は知っているが、マスコミは何故か触れずにいるので暢気な大勢の日本人は知らない。鳥居はその下をくぐるとそこからは結界つまり聖地に入ることを意味する。基地ゲートに鳥居を置くことは、日本人の有史以前の古来からの素朴な宗教心を嘲笑し、侮辱する正にレーシズム(人種差別主義)の現われである。だが、こうした反米的発言には何故か“反日”との蔑称が投げつけられることが多い。日本の“右派”の人々の論理は一体どうなっているのだろう。日本の“民族派”には何故か対米弱腰の変な人々が多い。だから対米隷属の極みたる今回の安保法制に反対する人々は、彼らによれば“反日”なのだ。この卑屈さが北朝鮮や中国から足元からバカにされ、韓国からも様々な外交的クレームを付けられる原因ではないのか。私は自由と民主主義を尊重するが、少なくともその上で日本人としての矜持は持ちたいと思っている。その結果としての“反米”でしかなく、それ以上のものではない。
同誌はその記事のうしろで、何故かアーミテージ・レポートには現在の日本の原子力政策も先取りする表現あると指摘。さらにTPPも新たな“年次改革要望書”であるとも指摘する。“年次改革要望書”とは、08年まで米国が毎年日本政府に出した要求を総括した“指示書”だ。それによって、郵政民営化や時価会計制度の導入等が実現した。いわば日本政府は米国の植民地政府のようなものなのだ。
“4月に行われた米議会での演説で、「世界の平和と安定のため、これまで以上に責任を果たしていく」と述べ、夏までの安保関連法案成立を国際公約した安倍首相。米議会で拍手喝采を受けたものの、策士たちの思惑が渦巻く日米関係のはざまで、踊らされているだけではないか。”と同誌の記事は締め括っている。ある学者は“その演説はまるで古代ローマの属領総督の演説のようだった。国辱ものだ。”と言っていた。
その安倍氏に現ギリシア首相のチプラスのような絶妙のパフォーマンスができる度胸と、満場が交渉相手の中で議論する力量があるのか、実に疑わしい。対米交渉の姿からは、言われるがまま押し切られて何も得るものがないままに終始する可能性は大きいのではないか。我々は適切な宰相を選んでいるのだろうか。
安保法制の成立で自衛隊は、米国の植民地軍として米軍の手足となるのだろうか。安倍氏は自衛隊員の命は任務全うに当然のリスクを負うべきものという意味の発言をしている。安倍氏は一体誰の生命・財産を守りたいのであろうか。さらに日本は財政の苦しい中で、米国すら財政が厳しいという軍事予算をどのように肩代わりし賄うと言うのだろうか。
以上、同誌の3本の記事を読むとどうしようもない近未来の日本の姿が浮かぶ。安倍首相が国会でマスコミに“圧力に屈するな”と言った途端にこんな記事が連発された。だが、それにもかかわらず政権の中枢では能天気にも、税金の無駄遣いを平気で行っている。全く、危機感、緊張感がない。巨大災害も予測されているにもかかわらず、それへの備えも不十分のままではないか。日本政府はリスク分析を総括的に科学的に実施し、課題の優先順位を鮮明にして、直ちに対策検討に取り組むべきだが、時間の浪費ばかりしている。果たしてこんな政治状況で良いのだろうか。

(1)新幹線焼身自殺テロ・下流老人の復讐
(2)東京五輪が日本をギリシアにする
(3)安保法制は米「外圧」文書のコピペだ!
さて、見出しだけで見てどう感じられたであろうか。ここに日本の近未来が凝縮していつとは思わないだろうか?
(1)では格差の広がる日本社会に在って、下流に置き去り又は転落してしまって再挑戦の不可能な老人の姿を見る。今後、年金の支給額削減は必至の状況の中で それを先取りしたような事件だった。
私は当初この事件を聞いた時、自殺するなら迷惑かけずに人知れず死ぬべしと単純に思ったりしていたが、テロを決行した老人のやり場のない憤懣を知って、一面では愕然としている。本来優しい人だったという。優しくあったが幸薄かったにもかかわらず誠実に働いたが、結局は真面目に払込んだ年金も老後を支えてくれず、生活保護に及ばない水準と分かって絶望していた、というのだ。そういった高齢化社会の現状の深刻さをこの記事は改めて強く感じさせてくれる。老人の人口比率は今後ますます増大するので、このまま放置しておくと、問題はますます拡大する。
老人福祉を如何にするのか。私は老人の健康管理を重視して、特に高齢者を中心にした国民皆スポーツを推進するべきで、これによって老人の病院通いを少なくし、さらには社会参加を促進し、生産人口への戦力化を指向して、高齢化社会を乗り切るべきだと思っている。何よりも、老人の病院通いを少なくすれば医療費削減には大いに貢献するし、ピンピンコロリが増えれば福祉予算の削減にも寄与するはずではないか。
また、この国民皆スポーツには施設が必要であり、スポーツ指導者の養成も必要だ。施設については、バブル時代に作って遊休化しているハコモノの有効利用が図られるだろうし、それでも不足するなら簡単なハコモノを作れば良い。そのスポーツ指導者については、今後いろいろなチャンネルを通じて人材を調達する必要があろうが、それこそ日本のサービス産業部門の強化や若い人の新たな職業提供として期待できるように思う。
スポーツ人口の増大重層化は日本のスポーツ水準の向上となり、ひいてはオリンピック等でのメダル獲得率の向上につながる。聞くところに依れば、最近オーストラリアのメダル獲得が増加しているのは、こうした政策の結果だと言う。日本政府にはどうしてこうした豊かな発想がないのだろうか。
この最初の記事の終わりには、次の記事へのつなぎのようにオリンピックを前に公共交通機関のテロ対策への不安を指摘している。特にJR新幹線の危機感の薄さそのものが危機的のようだ。
二番目の記事はそのオリンピックのための国立競技場の新たな建設をめぐって、このところ毎日報道されている内容だが政権には一旦決めたことを変更する勇気は全くないようだ。“改革”をたやすく口にはするが、そんなに勇気や覚悟もなくて“改革”などできるはずがない。特に、いくじのない首相は“英断”する気が全くないことを先週末に明らかにした。
そもそも何故、東京にオリンピックを誘致したのか理解できない。にもかかわらず金のない日本政府は無駄遣いを積極的に行っているように見える。新国立競技場の建設予算が2,520億円というのは、北京の“鳥の巣”で430億円、ロンドンは650億円に比べて高すぎるではないか。実のところ、建設予算はもっと膨らみ、さらに維持費は莫大になるとの予測もある。こんな水ぶくれで全てを賄われたのでは、日本がギリシア化するのは当たり前だ。あたかも東北の震災は遠い過去のことであるかのような振る舞いは許せない。
問題は政権中枢に依然として“国威発揚”と“ハコモノ重視”の古い発想が根強く息づいていることだ。小泉元首相が一掃したはずの“抵抗勢力”が今や復活して“大活躍”の印象なのだ。その象徴が森元首相の御活躍だろう。彼らの頭には東北の悲惨も、老人の悲劇も、全く視野に無く、傍若無人。思うがままにラグビーができれば楽しいのだろう。
否、オリンピックで活躍するべき選手のことすら視野に無いのだ。新国立競技場の予算不足を、選手強化費から掠め取ろうとすら考えているようなのだ。本末転倒もはなはだしい発想ではないか。
記事はこうした皮相の問題だけをテーマにしている訳ではない。日本政府の借金(これを“日本の借金”と標記)が2014年度で1,053兆円と純増している。一方その赤字財政を支える国民の家計貯蓄率は、かつて15%以上あったものが、90年代以降低下し2014年には-1.3%に低下したという。それは、稼ぐ世代の賃金上昇がないため、現在(2015年3月)ある1,708兆円の貯蓄は高齢者による取り崩しが相次ぎ、いずれ枯渇することを意味している。製造業の空洞化が進む一方で新たな産業構造への転換が進まない日本社会が、稼ぐ産業のないギリシアと同じ状況に陥るのは明らか、というのは当然の論理的帰結である、とこの週刊誌は示している。
つまり、日本の財政赤字は国民が預金している銀行が国債を買うことで賄われているが、その預金が減れば国債を買うことができなくなると懸念されていた。しかし、その預金が枯渇するまでには時間的余裕があると思われてもいて、結構暢気に構えていた傾向もあった。
ところが、最近はアベノミクスで金利低下を狙う日銀が強力に国債を買い漁り、大手金融機関もBIS規制を横目に格付けの低くなった国債を高値で手放し始め、地銀も国債からリート購入へとスタンスを変更している。事実上、政府の財政赤字を中央銀行の日銀が一手にファイナンスすると言う異常な状態となっている。これは見方によっては、戦前の軍需を猛烈な財政赤字で作り出す一方、日銀が国債を買い支えた図式と全く同じだ。
しかし、これは一方ではこの見境のない金融緩和は超円安への道であり、悪いインフレつまり超物価高への引き金を引くことになる、という見解を紹介している。
さらに、もしこのアベノミクスが成功して2%程度のインフレとなったとしても、その分現状より金利が上昇するので、政府の国債利払いが12兆円増加する、との指摘も紹介している。つまり赤字財政は増える一方になる懸念があると示唆しているのだ。そして、“安倍政権は『2020年にPB(プライマリー・バランス)黒字化』ばかり言っているが、歳出削減の中身はなく、すべて検討課題になっている。”という意見も紹介。
実は、日本政府がいつまで経っても実現させられない“PB黒字化”は、ギリシア政府はここ2年実現させるのに成功している、というのだから、安倍政権の“改革”も如何に口先だけのものか、分かるのではないか。お気楽な政権の下では、東京オリンピックで“日本がギリシア化”するというのも、あながち根拠のないホラ話ではないのだ。
さて、いよいよ3つ目の記事。安倍政権が最大限注力する安保法制の背景にある疑惑を伝えるものだ。
ここで“米「外圧」文書”とは、2012年8月に作られた“第3次アーミテージ・レポート”と呼ばれている。正式には“日米同盟―アジアにおける安定の繋ぎとめThe U.S.-Japan Alliance anchoring stability in asia”と題する報告書で、米国のシンクタンク“戦略国際問題研究所CSIS”の名で公表されたが、海兵隊出身で元国務副長官だった共和党のアーミテージ氏と民主党クリントン政権で国務次官補だったハーバード大学教授のジョセフ・ナイ氏が中心となってまとめられたという。
この記事では、“報告書”におけるキィ・ワードを紹介して、安保法制が如何にその内容に沿ったものかを説明している。そこでは、安保法制の改革が要求されているということだが、“政策の変更は…(中略)…より軍事的に積極的な日本、もしくは平和憲法を求めるべきだ。集団的自衛権の禁止は同名の障害だ”と言っているという。
ほとんど現実的ではないと指摘されても、なお安倍首相がこだわるホルムズ海峡での掃海についても、同報告書では“ホルムズ海峡を封鎖するというイランの言葉巧みな意思表示に対し、日本は一方的にその地域に掃海艇を派遣すべきである”と指摘しているという。これで返って、安倍氏のこだわりの理由が明白になるのだ。さらに同誌は“自衛隊の活動範囲についての言及も、注目に値する。”と言って報告書を引用している。“現在、(日本の)利害地域は遠く南へ、そしてはるか西、中東まで拡大している”と言っているとのこと。これだけで、何もかも合点が行くような気になってしまう。“周辺事態法から「周辺」の概念を取り払い、自衛隊の海外活動の範囲を地球の裏側まで広げる「重要影響事態法案」の趣旨に、見事に一致するのである。” “これでは安倍政権の政策は、まるで米国の報告書の「コピペ」(丸写し)ではないか。”というのだ。(同誌記事には安保法制と同報告書の類似点の比較表も掲載している。)ナショナリスト安倍晋三は一体どうなったのか。身も心も米国に売ったのか。悪魔に売って何を得たのか、得ようとしているのか、そんな疑念がもたげる。同誌記事は以前から私が懸念している海自の南シナ海進出にも言及している。さらにアーミテージ・レポートは陸自の活動の“許容範囲拡大”にも言及していると紹介し、“(米国は陸自の活動を「戦力」としては期待していなくても、)治安維持部隊に日本が名を連ねてくれるだけで、米国の『単独行動』という印象が薄まり、国内世論をまとめやすくなる。”という見解もあると指摘している。
同誌はしかし、この“外圧”は実はそれほど強力なものではなく、“日本を軍事大国にしたいと思っている人達”に利用されているのだ、という指摘も示している。“『外圧』を利用するこうした手法は、日米構造協議などこれまでの日米交渉でもよく使われ”て来たという。
だがしかし、安倍政権は日米地位協定の改訂には熱心ではなく米軍・米兵の行動は治外法権のままであり、首都圏での航空管制の米軍優位をも放置したままでは、政権の対米弱腰は目を覆うばかりなのだ。その結果が凝縮した沖縄では、県民の苦しみは絶えない。*
そのような政権が、国民の生命財産の安全を本当に願っているとは思えない。安倍晋三氏の“ナショナリスト”という“尊称”は“偽善”そのもので、世を大きく欺くものだ。現に、今年年初に日本人ジャーナリスト等2名の生命保護を早々に断念してしまったではないか。これにも背後に米国の影があるとされる。
*私は在沖米軍のある基地(トリイステーション)のゲートに鳥居が設置されていることに以前から憤りを感じているが、多くの日本人はこうした米軍の傲慢な行為を知らないのが現実だ。知っている人は知っているが、マスコミは何故か触れずにいるので暢気な大勢の日本人は知らない。鳥居はその下をくぐるとそこからは結界つまり聖地に入ることを意味する。基地ゲートに鳥居を置くことは、日本人の有史以前の古来からの素朴な宗教心を嘲笑し、侮辱する正にレーシズム(人種差別主義)の現われである。だが、こうした反米的発言には何故か“反日”との蔑称が投げつけられることが多い。日本の“右派”の人々の論理は一体どうなっているのだろう。日本の“民族派”には何故か対米弱腰の変な人々が多い。だから対米隷属の極みたる今回の安保法制に反対する人々は、彼らによれば“反日”なのだ。この卑屈さが北朝鮮や中国から足元からバカにされ、韓国からも様々な外交的クレームを付けられる原因ではないのか。私は自由と民主主義を尊重するが、少なくともその上で日本人としての矜持は持ちたいと思っている。その結果としての“反米”でしかなく、それ以上のものではない。
同誌はその記事のうしろで、何故かアーミテージ・レポートには現在の日本の原子力政策も先取りする表現あると指摘。さらにTPPも新たな“年次改革要望書”であるとも指摘する。“年次改革要望書”とは、08年まで米国が毎年日本政府に出した要求を総括した“指示書”だ。それによって、郵政民営化や時価会計制度の導入等が実現した。いわば日本政府は米国の植民地政府のようなものなのだ。
“4月に行われた米議会での演説で、「世界の平和と安定のため、これまで以上に責任を果たしていく」と述べ、夏までの安保関連法案成立を国際公約した安倍首相。米議会で拍手喝采を受けたものの、策士たちの思惑が渦巻く日米関係のはざまで、踊らされているだけではないか。”と同誌の記事は締め括っている。ある学者は“その演説はまるで古代ローマの属領総督の演説のようだった。国辱ものだ。”と言っていた。
その安倍氏に現ギリシア首相のチプラスのような絶妙のパフォーマンスができる度胸と、満場が交渉相手の中で議論する力量があるのか、実に疑わしい。対米交渉の姿からは、言われるがまま押し切られて何も得るものがないままに終始する可能性は大きいのではないか。我々は適切な宰相を選んでいるのだろうか。
安保法制の成立で自衛隊は、米国の植民地軍として米軍の手足となるのだろうか。安倍氏は自衛隊員の命は任務全うに当然のリスクを負うべきものという意味の発言をしている。安倍氏は一体誰の生命・財産を守りたいのであろうか。さらに日本は財政の苦しい中で、米国すら財政が厳しいという軍事予算をどのように肩代わりし賄うと言うのだろうか。
以上、同誌の3本の記事を読むとどうしようもない近未来の日本の姿が浮かぶ。安倍首相が国会でマスコミに“圧力に屈するな”と言った途端にこんな記事が連発された。だが、それにもかかわらず政権の中枢では能天気にも、税金の無駄遣いを平気で行っている。全く、危機感、緊張感がない。巨大災害も予測されているにもかかわらず、それへの備えも不十分のままではないか。日本政府はリスク分析を総括的に科学的に実施し、課題の優先順位を鮮明にして、直ちに対策検討に取り組むべきだが、時間の浪費ばかりしている。果たしてこんな政治状況で良いのだろうか。

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