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どうする安保法制

先週、安保法制が強行採決され衆議院を通過した。“国民の理解が進んでいない”、“国民に丁寧に分かり易く説明していきたい”と言って居ることとは矛盾した行動を平気で行う人が、首相としてそこにいた。どうして、このような人物が首相になったのか。

残りの国会の会期で参議院で審議されることになる。ここで60日以上の審議となれば法案は衆議院に戻され、衆議院で3分の2以上の賛成で法案成立は確実となり、首相の思惑ではこれでほぼ米国での国際公約は果たしたことになる。だが、政治の世界は“一寸先は闇”、何が起こるか分からないものだ。
そういう点で日本は二院制を取っていて良かった。つい少し前、“決められない政治”を嘆く声があった。その時“参議院は衆議院のコピーとなっていて無駄である。一院制とするべきだ。”と大真面目に言う人が居た。非常に危うい議論だと思ったが、今は二院制の有難さをかみしめるべきであろう。何故ならば、今のように口先では“国民の意見を尊重する”とは言いながら権力を振り回す人物が登場することもあり、それが国を危うくすることがあるので権力者を縛る仕組は必要なのだ。アドルフ・ヒトラーは民主的体制から権力者として登場した。その上で、当時の民主憲法を停止し独裁制を敷いた。“憲政の常道”を無視しようとする安倍首相はあたかも、そのヒトラーの轍を踏もうとしているかのようだ。

そもそも、衆議院での116時間の審議時間は十分な審議結果といえるのだろうか。安保法案とは言わずに、安保法制案と呼ばれるのは、“集団的自衛権の行使容認を柱とし、その行使の認定基準や自衛隊の活動範囲等を定める1本の新法案と10本の改正法案で構成(11本の法案)”されているからだ。そこで法案1本当たりの審議時間は10.5時間となる。これでは十分な審議結果とは言えない。
現に法案審議の衆院安保法制特別委員会委員長の浜田靖一氏が強行採決実施後に、驚くべきことに次のように言ったと報道されている。“少々質疑と答弁がかみ合わないところもあったのは事実だ。分かりやすくするためにも、法律10本を束ねたのはいかがなものかなと私自身も思っている。”自らの政治的信条に反した行動をするのは、政治家としていかがなものか、と思うが彼を非難する声は全く聞かれない。何故かこういう自分の信念と矛盾する行動をとる政治家が増えているのではないか。それが政治を志した者のするべき行為であろうか。これが日本の政治風土だとするならば、権力者におもねる異様であり、民主主義とは無縁の姿だ。それは独裁者を生む風土だ。

聞くところに依れば、自民党議員には主権者国民に“説明責任”を果たしてはならないという“御触れ”が執行部中央から出ているようだ。これが朝生に自民議員が出席しなかった理由らしい。これが“自由で民主的な政党”のすることだろうか。実態が違うのなら、“看板に偽りあり”党名を変えるべきだ。
“平和の党”と言われ、戦前の強権政治を忌避することを出発点としている公明党が、唯々諾々として下駄の雪のように自民党にしがみついている。党是のようにしていた平和への指向は曖昧にし、反故にしてしまった観さえある。凡そこの党の最近の挙動は統一性が失われ、危うく怪しい。先の大阪での“都構想”に関しても、現地の公明党大阪と大阪維新の会の幹部に抱き着かれた公明党中央とは対応が分裂した。政党としての純粋な政治性は失われ、単に利権を求める利益集団に堕してしまっているのではないか。宗教集団に依拠する党は本来信頼性に乏しいが、その挙動が滅茶苦茶になってしまったのでは政治的にも全く信頼できない。
しかし、この党が与党として存在するため衆議院で与党が3分の2の議席を占めているし、安倍首相も“安心して60日ルール”を発動できるのだ。公明党は党是を無視し、民衆に背き強権政治を目指して粛々と活動している。党代表も強行採決後“平和の党”を口にしたが情けない言い訳にしか聞こえない。
こうしたことに御身大切、信条無視のだらしない政治家の一端が見える。どうしてこんな覚悟のない連中が選挙の洗礼を受けて出て来れたのであろうか。選挙民自身も恥じ入って反省すべきで、次は必ず落とすべきだ。

それから、そもそも安保法制について“国民の理解が進んでいない”のは、“国民に丁寧に分かりやすく説明していない”からである。肝心の“どういう状況になれば自衛隊が武力行使するのか。”に対する首相説明が“総合的に判断する”では、“丁寧な分かり易い”説明にはなっておらず、あいまいで具体性に欠ける答弁を繰り返した。これでは理解が進む言葉のやりとりにはなっていない。

審議の際その参考のために、イラクに支援出動した結果についての陸上自衛隊の内部報告書“イラク復興支援活動行動史”の提出を野党が求めたが、政府から出された資料には、あらゆる箇所が黒塗りされていて、読むに堪える資料になっていなかった、という。秘密保護法に基づく処置とのことらしい。国権の最高機関である国会への政府の対応だ。ここにも、“寄らしむべし。知らしむべからず。”の精神が端的に現われている。
安倍政権は最早こうしたレベルに達しているのだ。“(丁寧に)説明して理解を得たい。”などとは基本的に本心ではなく、傲慢にも国民を愚弄し独善と独裁への道を進めているのだ。それを許しておいて良いのだろうか。

恐らく、このような審議過程で通過した法律は実施に当たっても、具体的に自衛隊の武力行使を命ずる国会承認では“政府が総合的に判断した結果”ということにするのだろう。具体的に何があってどう対処しなければならないから、というような具体的な状況説明は特定秘密に当たるので開示できないということになるのだろう。これでは白紙委任と同じであり、国会承認は形式だけのこととなるのは火を見るより明らかではないか。そしてその形式化が効率上意味ないとなり、独裁政治への道を開くのだ。

このように良識のない人物が首相になると、物事を決める過程で様々なチェック機構を用意しておかなければ、傲慢にも独善的に勝手な方向に国を持って行ってしまうことになることを肝に銘じるべきである。少なくとも、“決める政治”とするために効率を求めて一院制であったとすれば既に安保法制案は既に成立してしまっていることになる。“良識の府”は議員一人一人が政治家の覚悟を持って審議に臨むべきだ。もし、政治に効率を求めるなら独裁政治が一番だが、しかしそれは政治的不合理の極みとなる。
今、日本の政治は首の皮一枚で民主的状況を何とか保っている。この状況をこの1ヶ月少々で何とかしなければならない。そういう危機感が今の日本人には求められる。私自身も何を為すべきか大いに悩むところだ。

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