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トヨタ産業技術記念館見学会に参加

先週、トヨタ産業技術記念館の見学会に参加した。主催は、尼崎の“近畿高エネルギー加工技術研究所ものづくり支援センター”であった。午前は前夜からの梅雨の豪雨の中JR尼崎駅の近くを出発点として、バスによる日帰りであった。尼崎から名神高速道路で向かったが、トラック横転の事故渋滞で30分弱の予定遅延となったが、その後の午後は雨も上がり予定通り経過して無事終わった。

記念館到着の11時半過ぎ、直ちに記念館内のレストラン・ブリックエイジにて昼食。予め予約のハンバーグランチ1,000円を食べた。“食べログ”で評価を知ってはいたが、団体用メニューのせいか値段や雰囲気の割には内容は普通。ハンバーグは手ごねではなく薄い型抜きのものでソースで味を誤魔化しているように感じ、特に添えられた“なすびの煮物”は皮が硬くフォークでも突き刺さらない程で、中には食べかけを残している人もいた。これではここで高いメニューを予約しても落胆度が大きくなるだけと予測したのは正解だった。消費者の心をつかむトヨタにしては、“食”にうるさくなった時代に人々の趣向を理解していないのには違和感がある。カフェとしてではなく高級レストランとして演出したいのであれば、値段より味を重視すべきではないだろうか。

食後休憩の間に、エントランス・ホールにある豊田佐吉の1906年発明になる環状織機を眺めるが、解説がなければその意図や機構が理解できない難しさがある。中庭の“動力の庭”と呼ばれる所には赤レンガの工場の壁が見える。その壁の上にあるのは綿糸工場特有の綿埃を除去排気する廃突との後の説明であった。
その後、主催の担当者から入場券とリーフレットをもらう。このリーフレットはホーム・ページからもpdfで取り出すことができる。



定刻に至り、いよいよ館内案内が始まる。先ず一同は、小ホールに集められ館長や案内者の紹介を受ける。トヨタ社員と言うといずれも厳しい一騎当千のイメージがあるが、いずれもソフトな印象の方々であった。そして館の概要を含めた歴史の映像を拝見。
ホーム・ページによれば、記念館設立目的は次のようである。
“トヨタグループの共同事業として設立したトヨタ産業技術記念館は、豊田佐吉が明治44年に織機の研究開発のために創設した試験工場の場所と建物を利用して建設しました。/建築史的に評価された赤レンガの建物を、グループ全体の歴史的遺産として保存しながら広く社会の皆様にご利用いただき、社会の健全な発展に役立つことを目的としております。”
ということで、記念館は豊田英二氏の発案で設置され、佐吉の織機をはじめとしてトヨタのこだわりを示す産業遺産を集めたという。そして繊維機械館と自動車館の2つから成り立っている。そこには“何でも先ずは自分たちで作ってみる”ことから始めると言う技術尊重の精神があるという。それが現在もM&Aで技術を入手するのではなく、技術提携から始める方針に繋がっているという。さらにホーム・ページは“基本理念” として次のように示している。
“トヨタ産業技術記念館は、1994年6月、名古屋市西区・栄生の地に開館しました。往時の様子をとどめる豊田自動織機製作所栄生工場(豊田紡織より移譲)を産業遺産として保存しながら、近代日本の発展を支えた基幹産業の一つである繊維機械と、現代を開拓し続ける自動車の技術の変遷を通して、日本の産業技術史について次代を担う人たちへ系統的に紹介するための施設です。/織機の発明に一生を捧げた豊田佐吉。その長男として自動車製造に取り組み、トヨタ自動車工業を創業した豊田喜一郎。トヨタ産業技術記念館は、豊田佐吉が『發明私記』にも記した飽くなき「研究と創造の精神」と、自動車の国産化に挑んだ喜一郎が情熱を注いだ「モノづくり」の大切さを、広く社会に伝えることを基本理念として活動しています。”
導入説明の後、“ここは見るのに結構時間がかかるので、また別の日に近隣にある『ノリタケの森』と共に御家族とお見えになることを期待しています。”とのことであった。



ところで、あの環状織機だがシャトル(杼)の往復運動がエネルギーの無駄が大きく、騒音も酷いことを改善するために佐吉が円運動する杼を備えた織機を発明したとの説明。示された写真によればシャトル(杼)は円周運動するように湾曲している。出来上がりは円筒布となるが、これが当時としては非常に幅広い布となった。置かれている織機は再現したものというが、動かしているのを見ると、その動きは意外に複雑で直ちには理解困難であり、確かに静粛でもあった。しかし、縦糸の中を動き回る杼の交換が困難で実用には至らなかった由。この織機については、繊維機械館に縮小した機械が分解した形で展示されていて動きも理解できるようになっていたが、落ち着いて見ることはできなかった。

その後、佐吉は無停止杼交換式豊田自動織機G型を1924年に完成させる。これには“50余件の発明にもとづき、完全なる営業的試運転を重ねた24の自動化、保護、安全装置で構成され、世界一の性能を発揮し、世界各国の繊維産業の発展に寄与した。”との説明があった。 電気・電子制御や様々なセンサーの無い時代にメカのみで、細かな自動制御を実現させている。特に、千本以上ある縦糸の1本が切れた時の自動停止機構や、シャトル(杼)に一定量の糸を残した状態でシャトル(杼)交換する機構や、そのシャトル(杼)に短時間で糸をセットする仕組みなどは綿糸の特性を上手く利用している。ここには江戸時代からの“からくり”の伝統や細かく粘り強い現象観察の賜物との思いがする。



また紡績技術には知らなかったことが多数あった。採れた綿花には種子が混じっていて、これを取出すためにローラーに掛け、その後固まった綿花を弓のようなもので簡単にほぐし、その後糸車に掛けて糸にするという手間がかかっている。特に恥ずかしながら、糸車の原理について今回初めて知ることができて良かった。
ガラ紡については、子供の頃“火吹き竹”に原綿を詰めて引き出したら糸になったので、始まった日本人の発明だと聞いていたように思うが、ここではそのような説明は見られなかった。しかし、糸の太さの自動制御等ここにも日本人らしい現象観察と工夫があって興味深い。この一連の動く展示では、綿花は想像以上につながって糸になって行く。“連綿”の言葉の意味を目の当たりにした気分だった。
この後は、固く減容された原綿をほぐす機械や混紡機等近代的な一連の紡績プロセスにおける説明展示がある。

次に環状織機の縮小複製機の展示があり、織機発展の展示となる。ここで先述の無停止杼交換式豊田自動織機G型の詳細説明がある。その後は、水で横糸を飛ばす織機、今は空気で飛ばすのが最新。さらに様々な色の横糸を繰り出して、カラー写真をそのまま織り出す織機の展示もあった。

ここを出ると自動車館になる。いきなり雰囲気が変わり、金属加工コーナーに入る。この日はピストンのコネクティング・ロッドの鍛造加工を実演していた。その後は草創期の喜一郎のエピソード展示が多かったように思う。米車を分解して徹底的に真似ようとしたが、エンジン・ブロックの鋳造で中子の工夫に苦労したという。形は出来上がってもエンジン出力がモデルに全く到達しなかった、という。鋳造後の仕上の寸法精度が追い付かなかったのであろう。
喜一郎後の開発史の展示もある。ここで知らなかったのだが、トヨタもロータリー・エンジンを開発研究していたことだ。試作品があった。最近、マツダと技術提携して、マツダへのハイブリッド・エンジンの技術供与となっているようだが、ロータリー・エンジンにもかなりの未練があるのかも知れない。トヨタには自動車技術の開発には全方位で当たるという基本姿勢があるようなので、その可能性はあるのではないか。時間不足で自動車館は駆け足気味であったので、薄い印象の結果となった。
そういう点で確かに見て廻るのには十分な時間が必要な産業博物館ということかも知れない。名古屋には“ノリタケの森” 以外にも“リニア・鉄道館”もある。



私は繊維機械館の方が、紡績・織機の技術のあまり知らなかった部分を知ることができて興味深かった。繊維産業は戦前から戦争直後の時期に日本を、世界の先進国に押し上げた産業であり、その様子を知ることは有意義なことと改めて思い知った。特に豊田佐吉が研鑽した紡績や織機の技術は当時の先端的な技術であり、それを業界の経営者が効果的に適用し、現場の職工も男女を問わず真剣に実践・実行していた。そうした産業文化を基軸にして日本の工業経済は発展して行った。
そうした文化を自動車産業に適用したのが豊田喜一郎なのであろう。そして、その自動車産業は戦後日本を世界の一流国家に押し上げたのだと理解できる。
これから、日本を押し上げるのはどのような将来技術であり、そこへ自動車産業で培った文化がどのようにかかわるのであろうか。今、地上の星は何処に有るのだろうか。

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