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東京プチ観光―湯島天神・水道歴史館・防衛庁市ヶ谷・東京都美術館・その1

先週は久しぶりに東京へ赴いた。目的はISO規格改訂にともなう審査員資格維持のための研修会参加だ。前泊の1日を有効に使って、東京プチ観光とした。
その1日については当初、防衛庁市ヶ谷台見学ツアーの午後のコースに事前登録して、その後 上野の東京都美術館で“ティツィアーノとヴェネツィア派展”を観覧し、若干上野を散策することにして計画としていたが、2月なので湯島天神の梅も見ておこうと急遽予定に入れて、朝早くと言っても午前8時前新大阪発の“のぞみ”の自由席で行こうと考えた。

実際には容易に自由席のE席に座れて10:20頃に東京着。そのまま山手線で御徒町まで新幹線切符で到着。
地図によれば何も考えずに駅からひたすら西に進めば、行けるはずでそのように上手く行った。いわゆる“男坂”にいたり、階段を上る。境内に入って、人手の多さに驚く。確かに梅は満開に咲いているが、桜ほどの密度がなくそのためか迫力はない。おまけに、神社の周囲にマンションが境内を覗き込むように建っているのは大いに興ざめだった。それでも外国人、特に中国人が多いように思う。偏見かもしれぬが、そうしたこと一切が観梅の風情を壊している。大いに落胆しつつ、意外に狭い境内を一周して早々に引き揚げ開始。

メトロ地下鉄・湯島駅から水道橋に向かう。ここで何も考えずに切符を買って、失敗。つまりメトロ線から都営線に大手町で乗り換えたのだが、メトロ線の切符だったのでトラブル。と言っても駅員に切符を見せれば、今後は買う時に気を付けることと、降りるときに清算機を先ず通して欲しい、と言われてそのまま改札を通過できた。

水道橋に予約したビジネス・ホテルに荷物を預けて、付近で昼食するところを探す。讃岐うどんの看板のある店に入った。こういう店でいつも思うが、ベースになるうどんを頼んで、手早くトッピングするものを選ばなければならないが、初めての店なので、何にするのかなかなか見当がつかない上に決断もし難い。幸い昼には少々早かったので、客がつめかけていなかったが、それでも焦りは出る。こういう形式は何とかならないものだろうか。御蔭で食べる前に何とか着席できてそれだけでホッとして、私に中で終わってしまう。てなわけで結局何をどのように食べたのか、すっきりしない。

落ち着かぬ昼食で予定していたよりも早く店を出てしまい、市ヶ谷へ行くには早すぎることになった。行動計画を立てる時にホテル界隈の地図を見ていて水道にまつわる博物館があることを思い出したので、そこに行ってみることにした。その心当たり付近に建物があり、“東京都水道歴史館”とあった。入口で観覧にどれぐらい時間がかかるか聞いてみると、1時間程度とのことだったのと、入館無料、音声ガイドも無料で借用でき、写真撮影も可とのことで、それならばと入館。ここは高台であり、近くには“御茶ノ水”があったりするので、ここに水道施設があり、“水道橋”もかつてあったのだろうと想像できる。
建物の2階は江戸期の水道事情についての展示が主となっていた。驚いたことに、どうやら江戸城の東側、隅田川周辺には水道網が整備されていたようだ。いわゆる井戸を掘っても、飲料に供せる水が出なかったためのようだ。そこで上水道として井戸に木製の樋を通して浄水を供給していたということだ。
いつか“ぶらタモリ”でどこかの都市でも江戸期に水のない地域に庶民に水道で浄水を供給するように土木工事して、市街区を拡張した話をしていたように思うが、そのようなことが江戸でも大規模に実施されていたのだ。木製の密封樋が中心なので、老朽化が早く、維持工事を短いインターバルでやらなければならなかっただろうだが、こうした事実は私には驚きだった。上水と下水のシステム概念が日本の江戸期に既にあったのだ。小石川上水、神田上水、玉川上水と次々に開発され、玉川上水については、民間の庄右衛門・清右衛門兄弟が私財を投げ打って開発したとのこと。完成後、御公儀は兄弟に資金を礼金とともに返したのだろうか。1階は明治期以降の近代水道の開発についての展示であった。

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