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テレビ報道の“東日本大震災10周年特集”を見て

東日本大震災の発災後、今年は10年に当たる。先週、紹介した“朝生テレビ”もその一つのさきがけだった。今週は、結構多くの報道番組が東日本大震災の特集をやっていた。現在の新型ウィルス禍を忘れるほどであった。
果たして復興できているのか。何かの報道番組だったが、“35%ほどの人々が「未だできていない」と感じている”と言っていた。本当だろうな、と思わざるを得ない。

だが、一方じわりと、新型ウィルス感染者数は増えている。東京ばかりではなく神戸市内も増えている。そして、ウィルスの変異株は確実に増加している。東京ではデータ数が多くないので、もひとつ明確ではないようだが、神戸市内では激増しているようだ。このままの無策では、近くまた津波のように感染の高波がやってくるのは明らかではないか。
政府政権は、この危機をどう考えているのか。

否、政権はソーム省問題が底なしになってきているので、もうそれどころではないのではないか。現に、“11日の「東日本大震災10周年追悼式」での式辞で、「復興五輪」に言及しなかった。”という。息子のスキャンダルで、“政府ソーム省の政策が現に歪められていた”ことも明らかになり、気もそぞろなのだろう。それでも、この国の法体系では誰も逮捕者がでないのだろうか。規制の甘い不思議な法体系だし、そのことに誰も触れたがらないのが、不思議だ。検察特捜部とはいったい何のための捜査機関なのか。かつて“国策捜査”という言葉が流れたが、“国策操作”機関なのだろうか。常には表に出てこない組織が、闇の中から手を出すような形で“国策操作”していて良いのだろうか。

さらに、歴代ソーム大臣も既に汚染状態であることに、古参の政治評論家も呆れかえって次のように語ったとされる。“総務大臣が接待を受けたとして、何に違反するかっていうと法律に違反するわけじゃない。大臣規範に違反するかどうかといっても、その中では、国民の疑惑を招くようなことをしてはいけない、国民の疑惑を招いては、いけないと書いてあるだけだから、皆、国民の疑惑を招くようなことはしていないと言っている。(だから容疑があるとして)名前は出てもスーッと抜けていくような感じがする。”と。結局、政治家は何をやっても無責任で居られる。悪いのは役人と民間人なのか。
政権はメルトダウンを通り越して、メルトスルーしている。だが、マスコミはこのことを詳しく報じず、“東日本大震災10周年”をいいことに、深刻な表情で“10年のその後”を“祝うかのよう”に報じている。あるニュース番組は“報道”を止めて、“10周年特集”をしていた。しかも、その表情は深刻だが、コトの本質を報じているかと言えば、何だか上っ面を撫でているだけのように見えるが、そうでなかろうか。

このままでは、各国のオリパラ選手団も、新型ウィルスに汚染されたままの日本にやってくるのを拒否し始めるのではなかろうか。それで、開催可能と考えるのがどうかしている。だがオリパラ開催不能となっては、さすがに政権維持は不可能ではないか。そうした危機感すら感じられない。


さて、東日本大震災10周年でテレビ等の報道が特集する中、震災とその後に引き続く津波災害、それと原発事故、これらに現代日本は何を学んだのか?新型ウィルスのパンデミック対応を見ていると、一向に進化していないように見えるが、これがこの国の不幸であり、それそのものが危機ではないか。
テレビ番組一覧表を見ていて、震災特集で注目するべき番組はどれかと思っていたが、“原発事故最悪のシナリオ”という番組をETVでやっていた。NHKのニュース報道は一切信頼に足るとは思えないが、特集番組にはかなり信頼できるものが多い。この番組で、原発事故後の緊迫した状況をかなり、思い出すことができたし、政府の裏側での動きが分かった。

番組後半では、当初1,3号炉の水素爆発もあり、ついには4号炉の燃料保管タンクでの爆発も見られ、さらには東京都心への放射性物質の飛来も実際に起き、いよいよ番組核心の“最悪のシナリオ”が検討されたという。つまり、東日本全体をどのように避難させるかが問題となった。当時民主党の菅元首相は、“心象風景として天皇の避難もイメージとして考えざるを得ないが、首相としては口に出せることではなかった。”という意味の証言をしていた。
米国側は即時に対策チームを立ち上げ、米軍含めて、日本政府をはじめとする日本の対処に甘さを感じ、苛立ちを募らせていたという。“日本人の英雄的行為”に期待すると、あらゆるチャンネンルを通じて伝えて来ていた、という。特に自衛隊への圧力は相当にあったと時の防衛大臣は語っていた。
そして、自衛自身隊は何も情報がないまま“最悪のシナリオ”を手探りで検討していた。そんな中で、ようやく政府中枢が原子力学者に検討依頼したシナリオが出来たという。この時点で、米国、自衛隊、政府中枢の3つの“最悪のシナリオ”があったことになるという。この政府中枢の最悪シナリオを米側に説明するに及んで、ようやく事故収束の目途が見え始めたという。そしてこのシナリオは政権中枢のごく一部だけに知らされていたという。この間2週間の時間を要した。ところが、そのシナリオを時の北沢防衛大臣に番組スタッフを見せたが、その存在自体を北沢氏は知らなかった、と証言し、その上で、“当時のこうした経験をしっかり検証して後代に示すべきだ。”という意味のコメントをしていた。
結局、こうした危機に際して、“誰が命を懸けるのかは決まっていない!”とのコメントがあり、“元々、危機認識がない!これでは、同じことが又起きる!”ということで、この番組は終わった。

それ以外にも、どの番組だったか記憶が無いのだが、当時、炉心冷却に専念して実行していたはずだが、後から調べるとそれが全く効果なく、結局、炉心溶融を起こしたという報道もあった。事故後に配管系統図を眺めて、どうしようと考えているシーンがあったよう思うが、そんな緊急事態では間に合わないはずだ。10年前の当時でも配管系統図やシーケンサーをコンピュータに入れておいて、バルブ開閉を入力すれば冷却機能全体がどうなるかが分かるシステムがあったのではないか、その程度の安全対策は組まれていなかったのだろうか、と疑問に思った。

その上、いわゆるイソコンという非常用復水器(IC:アイソレーションコンデンサー)の機能を東電のオペレータが熟知しておらず、その扱いを誤ったためだという番組もあった。この内容の番組はなにだったのかをネットで確認してみると、これもNHK特集の“福島原発メルトダウン・危機はなぜ見過ごされたか?”だったようで、それは2017年4月放送されたもののようだ。ならば、それは再放送だったのか・・・実はこの番組、17年当時見たような気もするので、今となっては何だか意識が薄弱になっているような気もする。とにかく、この番組のHPに掲載されている記事は重要な内容なので次に引用する。

後に事故の検証を行った米国原子力発電運転協会の報告書は、運転員の知識や経験の不足を指摘している。アメリカではイソコンを定期的に、実際に起動し、原子炉の熱を除去する性能を確かめる「実動作試験」が義務づけられている。試験のために実際に起動させることによって、運転員は緊急時の対応を身につけることができるという。一方、福島第一原発では、イソコンの研修は行っていたものの、実動作試験はおよそ40年間、1度も行われていなかった。なぜか? イソコンは放射能漏れを防ぐ格納容器の外にあるため、もし原子炉からつながる配管が損傷した場合、蒸気の中に含まれている放射性物質が外部に放出されるリスクがある。東京電力はこのリスクを恐れて、実動作試験を長年行っていなかったと回答。その結果、現場では一度も使ったことのない装置で事故対応に当たることになったのだ。
SAMPSONによる解析によると、イソコンでの冷却に失敗した1号機は、地震発生後の翌日午前1時にはメルトダウンした核燃料が原子炉を突き抜け、放射能漏れを防ぐ最後の砦といわれる格納容器にまで達していた。

東電の弛緩しきった安全対応には驚くばかりで、怒りすら覚える。
この事故前に聞いた原子力工学の研究者が言っていた“千年に一度の天災に、莫大な費用を投じるバカが許されますか。”と真剣に言っていたのを思い出す。これを聞いた当時内心、“そんなものか。でも、千年に一度の災厄が起きたらどうするのだろう。”と思っていた。そしたら実際に起きてしまったのだ。後から考えると、貞観地震(869年)が起きて1142年目である。従って発生確率は千年に一度からもっと高くなっているハズで、これはベイズ統計で科学的に修正できるリスクだったと思ったのだ。当時既に予防保全工学の手法としてあったことだ。発災前の原子力関係者はCO2対応の原子力ルネッサンスに浮かれていた可能性は大いにある。

こういった番組を見ていて思い出したのだが、そういえば放射能汚染の中、人体への悪影響がどうだったのか、追跡調査がなされているのか気になったのだ。発災当時、厚労省の出先機関が線量計やヨウ素の配布を差し止めた、という噂があったようであり、長期的な調査が必要だとの話だったので、気懸りな問題であった。もしや、数々の騒ぎの中隠されているのではないか。多くの特集番組でも、この点に言及しているのが全くなかった。
そこでネットで調べてみた。こうした被爆では小児甲状腺がんが顕著に発生するはずだが、どうやらチェルノブイリで見られたような状態ではなく、発がん状態の統計的な有意差も認められる状態ではないというのが、今のところの結論*のようで、若干の安心感はある。チェルノブイリは内陸部であり、福島のように海藻類を食べる習慣がなかったことで、が一因のようである。

https://ieei.or.jp/2020/03/special201706034/ ,  https://www.nikkei.com/article/DGXZQODG230QE0T20C21A1000000/

その後のこの国のリスクへの対処、何が変わったか?震災後、経産省は中小企業のBCPが懸念されるとして、地震とパンデミック対策は常にリスクとして考慮しろ、と言っていたが、政府自身は防災庁が設置されぬまま、パンデミックに冒され、オリパラという一大国際行事開催を前に、ただ右往左往している。
また福島原発の現状に改めて思いをいたすと、明確なエンド・ステイト(最終状態)を示さずに廃炉作業が進められている。取り出した高濃度放射性廃棄物のデブリを持っていく場所も確保しないまま、一体何をしているのか。それは何のための作業なのか。それが結局はムダになることはないのか。
これは政治家が何も決断しないために起こっている事態だ。その政治家に寄り添う科学者・技術者も居ない。要は、日本には人材がいないのだ。

福島原発は“アンダー・コントロールで、復興の様子を世界に見せたい”と言って開催を予定した東京オリパラ。それが新型ウィルスも“アンダー・コントロール”できずにいるにもかかわらず、“新型ウィルスに打ち勝った証として開催したい”と、現政権は言った。ところが、それも“海外一般観客の受け入れを断念する方針を固めた”とはいうものの正式決定ではないと未だ言い張る。危機管理不能のこの国の行政は一向に大きく改善へ進化しているとは思えないこの10年ではなかったか。
その後政権を奪還した自民党は、“民主党は如何にアホでマヌケな政権だったか”と、言を尽くして言い募っていが、結局のところ自らも同じか、或いはそういう経験を一向に学習しなかったという点で、もっと愚劣でアホで無能であることを、この度のパンデミックの危機対応は示したのではなかろうか。

そういう意味で、この国の人々はどういう政治家を選べば良いのか選択の余地のない、不幸な人々なのだ。自分たちの内から素晴らしい人材を選出できないのならば、自分自身が変化し、進化するために学習しなければならない覚悟が求められる。そのためには、どういう学習が必要なのか考えなければならないが、そのための教育体制を改めて検討する必要がある。ところがこの国の教育体制の問題点を、考えている人が全く居ないように思えるのは、心から残念なことだ。そう言えば、先週も同じことを言って終わってしまったのだが・・・。

近代的で合理的科学的発想ができる人物をもっと多く輩出できる態勢が必要なのだ。日本史を紐解けば、飛鳥・唐代の白村江の戦直後の国際的危機、平安時代後期の混乱、元寇、戦国時代の混乱、江戸期の幕末、それぞれにその時、この国は優秀な人材を得て、不思議にも何とか歴史を繋げてきたが、現代の危機には全くと言っていいほど、良い人材がその能力を発揮できていない気がする。これは何故なのか。先の大戦後も経済界に人材を得て、起業家が雄飛して経済大国となれた。しかし、その後は行き詰まってしまって凋落傾向にあり、今や危機のさ中に居る。“地上の星は何処に居るのか?”

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