The Rest Room of ISO Management
ISO休戦
明けましておめでとうございます
明けまして おめでとうございます。
今年は 丑歳。どうやら 不景気な歳になるようだ。それも100年に1度の極めつけの不景気のようだ。
困ったものだ。
政治家は 人々の信頼を失い、財界・経営者らも 自らのことだけに執着し、なりふり構わず 変動費化した労務費削減により 従業員を大量に解雇している。
日本の指導層は 戦前同様 国民の信頼を 完全に失っていると言える。226事件 前後の政治状況に酷似していると不安視する向きもある。
生活不安に 怯える国民の間で 様々な悲惨な事件が起きるだろうし、その中に 暗殺事件も 含まれるかも知れない。
これは いわば 小泉・竹中路線の 構造改革の結果と言える。
だから現在の 経済の仕組が そうなっているからだと言えばそれは そうなのだが、もう少し どうにかならないのか。
確かに 前の構造不況では 3つの過剰を指摘されたため、労務費を変動費化した結果なのだ。
雇用形態の多様化と言えば 聞こえはよいが、雇用者側から言えば 労務費を変動費化して身軽になれた結果なのだ。
ここで しっかりするべきは政府であって、国民の生活保障、つまり安全ネットをきちんとしておくべきであったのだ。
“改革者”は その点を見落としていた。“自己責任”という好都合な言葉で 無責任に乗り切ろうとした。悪く言えば、“バカな国民”を“雇用の多様化”で 誤魔化したのだ。だから、今になって 当の竹中氏は 労基署等の役人の不作為が悪いのだなどと言っているようだが、そいうことも見極めて“改革”するべきだった。責任転嫁は 政治家としては 見苦しい。にもかかわらず、依然としてマスコミに登場するのは厚顔破廉恥だ。
国民の生活保障、つまり安全ネットと言えば その根幹である 老後の年金の 崩壊も大きい。その年金政策もいい加減にしか出来ない政府であり、年金資金を平気で食いつぶそうとする官僚達に、“国民の安全ネット”などという発想は 浮かんでこないのは 当然であろう。
きちんとした 年金の仕組を再構築するためには どうやら消費税増税は必須のようだが、論理的にそれが正しい選択であったとしても、信頼を失った官僚機構と政治家達の 唱える増税政策に 普通の国民が同意する気にならないことが 今の日本の不幸だ。そのことを 政治家達は理解できないのであろうか。
官僚機構と政治家達の信頼を回復するためには 厳しく反省する姿勢が必要だ。つまり、今の年金不祥事の原因を厳しく追及し、責任者を処罰することしかあるまい。いわば“血を見る”ことが必要なのだ。それが、社会の安定化の第一歩のように思うが どうやら 私利私欲の政治家達には 解散総選挙のみしか 視野に入っていないように見える。
さて、私に限って言うと こういう厳しい社会状況下で サラリーマン生活から おさらばすることになるのかも知れない。
だが、年金を頂ける訳でもない。だから タツキを何とか算段しなければならないが、既に これまで 試行して失敗している。スピン・アウトは このように容易なものではない。不徳の致すところとしか 言いようがない状態だ。
ISOマネジメントが 私には救世主のように見えて、それなりにのめり込んで審査員の資格も獲得したが、それが役に立つこともなく、ISOマネジメントそのものの信頼が失われつつある。深く 思いを致せば それは、どうやら 当然のことのような気もし始めている。
この辺の ことについては 別途 このブログの大きなテーマとして 私の考えを披瀝してみたいと思っている。
というような 訳で ノー天気に “あけまして おめでとう”とは 言えない心境である。したがって、
いつもとは あまり変わらぬ おらが春
という 昨年と似たような思いは 今も変わらない。
新年 早々申し訳ないが 何だか 意気消沈の状態であるので、挿画も 昨年のものをそのまま使用することにした。
とは言うものの、前向きの面と 言えば 昨年秋から ある大学の社会人教育コースに入って 若い学生や社会人と 修士課程レベルの授業を受けていることだが、意外にも 課題レポートが大変で 少々困惑している。
それにしても、自分のかつて通ったキャンパスに 再び訪れることで、何となく気分が落ち着くのは どういうことなのだろうか。かつて 社会人になって10年くらい経った頃、大学で人生を終えてみたいとの気持が よみがえったのかも知れない。趣味的に 大学に付かず離れず居ることも 良いことかもしれない。
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