The Rest Room of ISO Management
ISO休戦
奈良庭園・吉城園と東大寺二月堂周遊
さて、困った。安倍政権に一刻も早く退陣して欲しいが、それが現実になるとマーケットは暴落するという。特に、日銀の金融政策が方向転換すると日本の長期金利が暴落し、超円高になる可能性は高いという。正に痛し痒しだが、早期に正しい政策に移行すれば、それも一時的に終わるはずだ。
だが先週の株式市場は、それを懸念して低落。その傾向は今後も続くようだ。米国の景気の天井も近づいており、日本の株価は企業業績が良いにもかかわらず上昇しないまま下落する可能性もあるのではないか。
その安倍政権、スキャンダルにまみれて外交上非常に拙いことになっている。先週は、アルゼンチン・ブエノスアイレスでG20財務相・中央銀行総裁会議が開催されたが、日本の財務大臣はスキャンダルの渦中にあり欠席。
米国トランプ政権とも結局上手く立ち回れず、米国の輸入する鉄鋼とアルミニウムに対する追加関税の対象国となってしまった。韓国やEUは対象外だという。安倍氏は結局のところトランプ氏とは個人的にも上手く行っていないことが明らかになった。否、韓国の方がはるかに外交巧者であることが、ここへきていよいよ鮮明になって来た。肝心のトランプ氏自身は安倍氏を友人ではあるが会うといつも微笑だ、それはその裏で米国を巧く利用して儲けているからだと言っているらしい。先日のトランプ大統領来日時の歓待にもかかわらず、ゴルフ場での安倍氏のバンカー転落事件でも見てとれるように、それなりに人物評を下されている。欧米人には厳しく論戦しなければ尊重されず、下手に出ても愚かの極みとなるのが現実なのだ。
こんな調子では、安倍氏の4月訪米も得るものなく、対朝政策が現状是認するという日本に不利な状態を固定化することになる可能性は高いと見るべきではなかろうか。恐らく、それはトランプ政権の既定方針と思われる。そうなると安倍氏のお得意の“(日本)国民の生命財産を守る”はどうなるのか。ユーバッカーの愚にならないよう要用心。
そのスキャンダル、来週は元理財局長・佐川氏の国会証言があり、山場となる。官邸側の何らかの関与があるとなれば、疑惑はますます燃え盛り、安倍政権は断末魔を迎えることとなる。政権側に全くやましいことが無いのならば、さっさと昨年中に全てを明らかにしていただろう。
そのためには特に、御夫人の証人喚問は欠かせなかったが、それをこれまで誤魔化して来たのが現在の国益を大いに損ねている。誤魔化してきたのは、かなりの不都合なことがあったためと推測するのが普通だろう。それが事実ならば、政権側は今も佐川氏に蔭で猛烈に圧力を掛けて事実を曲げようとしていることもありうる。
少しでも、その周辺を明らかにしようと野党は収監中の籠池氏にインタビューした。果たしてその成果はいずれ明らかになるのだろうか。だが、それが無意味だとは私は思わない。政権側が隠蔽しようとしている事実を少しでも明らかにするには必要条件であるからだ。だがこれを“一方だけの見解を聞いて、どうなるのだ?”と言って御夫人の証人喚問は必要ない、と自民党側が言うのは論理矛盾ではないか。この論理矛盾を支持する一般人も結構いるようで、そういう滅茶苦茶な思考回路は破綻しているが、日本では十分に通用するのだろうか。ならばこの国の正義は破綻している。
それにしても、名古屋の中学校で前川前文部科学事務次官が行った授業内容を文部科学省が調査していた問題では、自民党の若手政治家がきっかけを作ったという。それで思うのだが、自由民主党という党名は看板に偽りありで、不自由非民主党に党名変更が適切ではないか。太田理財局長に変な質問をした議員等、最近は慶應義塾大学御出身の先生方がご活躍のご様子でオメデタイ。
そういえば、その質問は不適切として議事録から抹消されたという。ここでも記録が容易に正規に“改竄”?これで、実際にあった“不都合な真実”も無かったことになる。これが日本の度し難い“記録管理”の実情なのだ。
また政権側は不都合な官僚の佐川氏、前川氏を徹底して叩き、不利を隠蔽・私物化し悪意のみで官僚機構をコントロールしようとしている。従順でも反逆しても不都合であれば貶める志の低い下品な安倍政権なのだ。
さて、先週は奈良でセミナーがあり出かけた。セミナーは午後からなので例によって、午前は奈良を観光しようと出かけた。今回は、庭園・吉城園(よしきえん)を散策することにした。このところ散策シリーズばかりで申し訳ない。
この庭園は今は奈良県の運営下にある。HP等、広報には次のようにある。“「興福寺古絵図」では同寺の子院の摩尼珠院(まにしゅいん)があった所とされている。明治に民間の所有となり大正8年(1919年)に現在の建物と庭園が作られた。企業の迎賓施設の時代を経て、昭和の終りから 奈良県が所有し庭園公開。園内は池の庭、苔の庭、茶花の庭からなり、苔の庭には離れ茶室がある。”
実際に行ってみると、以前に行った依水園に隣接している。この辺りは丁度良い川が流れていて起伏のある地形のため、庭園に都合が良いのかも知れない。いっそのこと、依水園と一緒にしてしまった方が広がりがあって良いような気もする。ちなみに、こっちは小学生未満や満65歳以上、身障者、外国観光客人は入園無料である。
入口で入園手続して、2m程度の土手を上がると、窪地に池があり、その向こうに茅葺の母屋、振り返って小高い所に“あずまや”がある。
外国人無料のせいか、派手な色の服装の白人が目立つ。耳に入る言語はフランス語やドイツ語のように聞こえる。インドシナ方面と思える人も居た。だが騒々しく厚かましい中国人は居ないので、平穏な心境で居れる。
池を巡って、左手に茶室がある。予め申し込まないと中には入れないが、その入口に立って中を見通し、向こうの庭園や木立が見える。その向こうは苔の庭。行ってみると2~3百坪はあろうか一面の見事な苔庭である。その東の端から川を挟んで林の向こうに依水園の建物や庭がわずかに覗ける。だが気付かなければ分からない。この川は吉城川(宣寸川)と呼ばれ、奈良公園を横断し、依水園と吉城園を潤している。ネットによれば、“吉城川は、奈良公園の東側にそびえる三笠山(若草山)と御蓋山(春日山)の間に発し西流、奈良女子大の北で佐保川に注ぐ大和川の枝川である。源流域一帯は春日山原始林で、山峡を流れるうちは「水谷川(みずやがわ)」と称される。”とある。
その苔庭の奥の一段高い所に茶花の庭である。盛りを過ぎた椿の花が多く落ちている。パンフレットによれば、“茶花の庭は、茶席に添える季節感のある草花などが植えられ、素朴で潤いのある庭園として親しまれている。”とある。花々を見るには、季節が悪い、ということだろうか。緑を楽しむのにもまだ1カ月早い。
しかし、早春の空気感は私には好ましい。ひんやりしているが、寒くはないのが何とも快適だ。
園内散策にはじっくり周遊しても、そんなに時間はかからない。入園したのが10時半頃、一通り廻っても11時前だった。意外に時間が経っていない。少し空腹に襲われ始める。しかし、大抵の飲食店は11時半から始めるはずだ。そこで、しばらく“池の庭”の片隅の腰掛に座って、観光客の様子をうかがった。殆どが外国人だった。
母屋縁側のガラス戸は建築当時の大正時代のガラスがそのまま使われているようで、良く見ると映る風景にわずかに歪みがあって面白い。中には数個の“目玉”のある板ガラスもあった。
だが何だかじっとしているのに耐え切れず、とうとう11時半にもならない内に身体が動きだし、庭園を出る。近くにあるはずの飲食店・そば処・喜多原を当てにして、歩き出す。店舗は道路より一段低く、一見粗末に見える造りで、庵の風情。良く見ると、何と11時開店、営業中とある。恐る恐る引き戸を開けると、店の奥から“いらっしゃい”の声がかかり、一安心。店内も簡素な印象で好ましい。
あたたかい“大和芋と玉子のとろろそば”を注文。“ふわふわ玉子のとじそば”に大和イモのおろしたのが添えられていると期待したのだが、おろした大和イモに黄身が浮いていた。出汁は当然薄味で期待通り。ゆずや海苔の香りが良い。
しばらくして、かけた七味が終盤で効いてくる。いつもはこの程度では、何ともないのだがこの時少々咽て驚く。いずれ又来たい。冷えた空気感の中満足した。
食べ終わって当てもなくフラフラと店を出て、そのまままっすぐ歩くと東の東大寺に至る。南大門の北、東大寺ミュージアムの脇に出た。ミュージアムで見たい展示があればそこで午後になるまで過ごすつもりだったが、それほどでもなかったので、二月堂方面へ行く。
二月堂への道だけは北東方向の斜めの道で、上り坂。最初は緩い坂だが次第に段階を追って急な石段になる。登り切って、いつも季節ニュースの“お水取り”のシーンに登場する御堂を見上げる広場に出る。大きな松明を掲げて走って欄干の上に突出し、火の粉を散らす恒例の風景だ。
ニュースでは夜景なので気付かないが、御堂の前には大きな杉の大木がある。それは、初代東大寺管長(別当)良弁和尚が赤子の時に鷲にさらわれた後、置き去りにされた杉だという。今の木は3代目の由。
不勉強で未だに“お水取り”行事の意味など知らないが、子供の頃ニュースを見て、一度はそれを実際に見てみたいと思ったものだが、気付いた時はいつも後の祭り。今年も、確定申告で頭が一杯になり念頭にはなかった。
御堂の脇にさらに急な石段があり、登るとその御堂の舞台に出る。初めて来たのは小学校2年生の遠足だったのは覚えている。そこから大仏殿は勿論、奈良平野が一望できる。京都の清水の舞台とよく似ている。この御堂の背後には若草山があるので、そこからはさらにワイド・ビューが望める。
そろそろ奈良市街地に戻らないとセミナーの開始に間に合わない。校倉造の倉庫の脇から東大寺参道方面に下る。南大門から大勢の外国人観光客が参道に鹿と戯れている。鹿も皆全てが観光客に煎餅をせびっている訳ではない。中には、それを無視してのんびり日向ぼっこしているのも大勢いるのは面白い。
道には多くの細かい黒い鹿の糞が転がっているので、よく足下を見ながら歩かなければならない。これを見るといつも、吉永小百合の変な歌を思い出す。
どんどん下って近鉄奈良駅付近に出る。東向商店街を南下。途中の果物屋さんで大きな干からびたタイプの干し柿があり、奈良と言えば柿なので土産として購入。亭主は大男で一見無愛想に見えるが、買うとなると丁寧な対応でその落差が楽しい。だがモノは何故か富山産。
そこからさらに南下してアーケードから外の通りに出て突き当たると、早いテンポの餅つきで有名な和菓子屋さん。その東西の通りを西へ。上三条町交差点で、柿を原料にした菓子を売っている店“柿専門店”で“柿もなか”を買う。これら土産の干し柿も“もなか”も買うのは、実は2度目。知っていて、予期した通り美味かったので買ったまで。干し柿も“もなか”も同じ風味だが、好きなものは買いたい、食べたい。干し柿は自然の甘さ、“もなか”はそれを絶妙に柚子を使ってドレス・アップしたというモノ。いずれも良い。
その付近、地図には開化天皇陵の表示があるので、アプローチを試みるが、念仏時の境内に入り込んでしまうことになるので、2度目の断念。前回は時間が無くて断念したが、今回もダメだった。後は、セミナー会場へ急ぐ。
今度、機会があれば“ならまち”を散策するつもりだ。

だが先週の株式市場は、それを懸念して低落。その傾向は今後も続くようだ。米国の景気の天井も近づいており、日本の株価は企業業績が良いにもかかわらず上昇しないまま下落する可能性もあるのではないか。
その安倍政権、スキャンダルにまみれて外交上非常に拙いことになっている。先週は、アルゼンチン・ブエノスアイレスでG20財務相・中央銀行総裁会議が開催されたが、日本の財務大臣はスキャンダルの渦中にあり欠席。
米国トランプ政権とも結局上手く立ち回れず、米国の輸入する鉄鋼とアルミニウムに対する追加関税の対象国となってしまった。韓国やEUは対象外だという。安倍氏は結局のところトランプ氏とは個人的にも上手く行っていないことが明らかになった。否、韓国の方がはるかに外交巧者であることが、ここへきていよいよ鮮明になって来た。肝心のトランプ氏自身は安倍氏を友人ではあるが会うといつも微笑だ、それはその裏で米国を巧く利用して儲けているからだと言っているらしい。先日のトランプ大統領来日時の歓待にもかかわらず、ゴルフ場での安倍氏のバンカー転落事件でも見てとれるように、それなりに人物評を下されている。欧米人には厳しく論戦しなければ尊重されず、下手に出ても愚かの極みとなるのが現実なのだ。
こんな調子では、安倍氏の4月訪米も得るものなく、対朝政策が現状是認するという日本に不利な状態を固定化することになる可能性は高いと見るべきではなかろうか。恐らく、それはトランプ政権の既定方針と思われる。そうなると安倍氏のお得意の“(日本)国民の生命財産を守る”はどうなるのか。ユーバッカーの愚にならないよう要用心。
そのスキャンダル、来週は元理財局長・佐川氏の国会証言があり、山場となる。官邸側の何らかの関与があるとなれば、疑惑はますます燃え盛り、安倍政権は断末魔を迎えることとなる。政権側に全くやましいことが無いのならば、さっさと昨年中に全てを明らかにしていただろう。
そのためには特に、御夫人の証人喚問は欠かせなかったが、それをこれまで誤魔化して来たのが現在の国益を大いに損ねている。誤魔化してきたのは、かなりの不都合なことがあったためと推測するのが普通だろう。それが事実ならば、政権側は今も佐川氏に蔭で猛烈に圧力を掛けて事実を曲げようとしていることもありうる。
少しでも、その周辺を明らかにしようと野党は収監中の籠池氏にインタビューした。果たしてその成果はいずれ明らかになるのだろうか。だが、それが無意味だとは私は思わない。政権側が隠蔽しようとしている事実を少しでも明らかにするには必要条件であるからだ。だがこれを“一方だけの見解を聞いて、どうなるのだ?”と言って御夫人の証人喚問は必要ない、と自民党側が言うのは論理矛盾ではないか。この論理矛盾を支持する一般人も結構いるようで、そういう滅茶苦茶な思考回路は破綻しているが、日本では十分に通用するのだろうか。ならばこの国の正義は破綻している。
それにしても、名古屋の中学校で前川前文部科学事務次官が行った授業内容を文部科学省が調査していた問題では、自民党の若手政治家がきっかけを作ったという。それで思うのだが、自由民主党という党名は看板に偽りありで、不自由非民主党に党名変更が適切ではないか。太田理財局長に変な質問をした議員等、最近は慶應義塾大学御出身の先生方がご活躍のご様子でオメデタイ。
そういえば、その質問は不適切として議事録から抹消されたという。ここでも記録が容易に正規に“改竄”?これで、実際にあった“不都合な真実”も無かったことになる。これが日本の度し難い“記録管理”の実情なのだ。
また政権側は不都合な官僚の佐川氏、前川氏を徹底して叩き、不利を隠蔽・私物化し悪意のみで官僚機構をコントロールしようとしている。従順でも反逆しても不都合であれば貶める志の低い下品な安倍政権なのだ。
さて、先週は奈良でセミナーがあり出かけた。セミナーは午後からなので例によって、午前は奈良を観光しようと出かけた。今回は、庭園・吉城園(よしきえん)を散策することにした。このところ散策シリーズばかりで申し訳ない。
この庭園は今は奈良県の運営下にある。HP等、広報には次のようにある。“「興福寺古絵図」では同寺の子院の摩尼珠院(まにしゅいん)があった所とされている。明治に民間の所有となり大正8年(1919年)に現在の建物と庭園が作られた。企業の迎賓施設の時代を経て、昭和の終りから 奈良県が所有し庭園公開。園内は池の庭、苔の庭、茶花の庭からなり、苔の庭には離れ茶室がある。”
実際に行ってみると、以前に行った依水園に隣接している。この辺りは丁度良い川が流れていて起伏のある地形のため、庭園に都合が良いのかも知れない。いっそのこと、依水園と一緒にしてしまった方が広がりがあって良いような気もする。ちなみに、こっちは小学生未満や満65歳以上、身障者、外国観光客人は入園無料である。
入口で入園手続して、2m程度の土手を上がると、窪地に池があり、その向こうに茅葺の母屋、振り返って小高い所に“あずまや”がある。
外国人無料のせいか、派手な色の服装の白人が目立つ。耳に入る言語はフランス語やドイツ語のように聞こえる。インドシナ方面と思える人も居た。だが騒々しく厚かましい中国人は居ないので、平穏な心境で居れる。
池を巡って、左手に茶室がある。予め申し込まないと中には入れないが、その入口に立って中を見通し、向こうの庭園や木立が見える。その向こうは苔の庭。行ってみると2~3百坪はあろうか一面の見事な苔庭である。その東の端から川を挟んで林の向こうに依水園の建物や庭がわずかに覗ける。だが気付かなければ分からない。この川は吉城川(宣寸川)と呼ばれ、奈良公園を横断し、依水園と吉城園を潤している。ネットによれば、“吉城川は、奈良公園の東側にそびえる三笠山(若草山)と御蓋山(春日山)の間に発し西流、奈良女子大の北で佐保川に注ぐ大和川の枝川である。源流域一帯は春日山原始林で、山峡を流れるうちは「水谷川(みずやがわ)」と称される。”とある。
その苔庭の奥の一段高い所に茶花の庭である。盛りを過ぎた椿の花が多く落ちている。パンフレットによれば、“茶花の庭は、茶席に添える季節感のある草花などが植えられ、素朴で潤いのある庭園として親しまれている。”とある。花々を見るには、季節が悪い、ということだろうか。緑を楽しむのにもまだ1カ月早い。
しかし、早春の空気感は私には好ましい。ひんやりしているが、寒くはないのが何とも快適だ。
園内散策にはじっくり周遊しても、そんなに時間はかからない。入園したのが10時半頃、一通り廻っても11時前だった。意外に時間が経っていない。少し空腹に襲われ始める。しかし、大抵の飲食店は11時半から始めるはずだ。そこで、しばらく“池の庭”の片隅の腰掛に座って、観光客の様子をうかがった。殆どが外国人だった。
母屋縁側のガラス戸は建築当時の大正時代のガラスがそのまま使われているようで、良く見ると映る風景にわずかに歪みがあって面白い。中には数個の“目玉”のある板ガラスもあった。
だが何だかじっとしているのに耐え切れず、とうとう11時半にもならない内に身体が動きだし、庭園を出る。近くにあるはずの飲食店・そば処・喜多原を当てにして、歩き出す。店舗は道路より一段低く、一見粗末に見える造りで、庵の風情。良く見ると、何と11時開店、営業中とある。恐る恐る引き戸を開けると、店の奥から“いらっしゃい”の声がかかり、一安心。店内も簡素な印象で好ましい。
あたたかい“大和芋と玉子のとろろそば”を注文。“ふわふわ玉子のとじそば”に大和イモのおろしたのが添えられていると期待したのだが、おろした大和イモに黄身が浮いていた。出汁は当然薄味で期待通り。ゆずや海苔の香りが良い。
しばらくして、かけた七味が終盤で効いてくる。いつもはこの程度では、何ともないのだがこの時少々咽て驚く。いずれ又来たい。冷えた空気感の中満足した。
食べ終わって当てもなくフラフラと店を出て、そのまままっすぐ歩くと東の東大寺に至る。南大門の北、東大寺ミュージアムの脇に出た。ミュージアムで見たい展示があればそこで午後になるまで過ごすつもりだったが、それほどでもなかったので、二月堂方面へ行く。
二月堂への道だけは北東方向の斜めの道で、上り坂。最初は緩い坂だが次第に段階を追って急な石段になる。登り切って、いつも季節ニュースの“お水取り”のシーンに登場する御堂を見上げる広場に出る。大きな松明を掲げて走って欄干の上に突出し、火の粉を散らす恒例の風景だ。
ニュースでは夜景なので気付かないが、御堂の前には大きな杉の大木がある。それは、初代東大寺管長(別当)良弁和尚が赤子の時に鷲にさらわれた後、置き去りにされた杉だという。今の木は3代目の由。
不勉強で未だに“お水取り”行事の意味など知らないが、子供の頃ニュースを見て、一度はそれを実際に見てみたいと思ったものだが、気付いた時はいつも後の祭り。今年も、確定申告で頭が一杯になり念頭にはなかった。
御堂の脇にさらに急な石段があり、登るとその御堂の舞台に出る。初めて来たのは小学校2年生の遠足だったのは覚えている。そこから大仏殿は勿論、奈良平野が一望できる。京都の清水の舞台とよく似ている。この御堂の背後には若草山があるので、そこからはさらにワイド・ビューが望める。
そろそろ奈良市街地に戻らないとセミナーの開始に間に合わない。校倉造の倉庫の脇から東大寺参道方面に下る。南大門から大勢の外国人観光客が参道に鹿と戯れている。鹿も皆全てが観光客に煎餅をせびっている訳ではない。中には、それを無視してのんびり日向ぼっこしているのも大勢いるのは面白い。
道には多くの細かい黒い鹿の糞が転がっているので、よく足下を見ながら歩かなければならない。これを見るといつも、吉永小百合の変な歌を思い出す。
どんどん下って近鉄奈良駅付近に出る。東向商店街を南下。途中の果物屋さんで大きな干からびたタイプの干し柿があり、奈良と言えば柿なので土産として購入。亭主は大男で一見無愛想に見えるが、買うとなると丁寧な対応でその落差が楽しい。だがモノは何故か富山産。
そこからさらに南下してアーケードから外の通りに出て突き当たると、早いテンポの餅つきで有名な和菓子屋さん。その東西の通りを西へ。上三条町交差点で、柿を原料にした菓子を売っている店“柿専門店”で“柿もなか”を買う。これら土産の干し柿も“もなか”も買うのは、実は2度目。知っていて、予期した通り美味かったので買ったまで。干し柿も“もなか”も同じ風味だが、好きなものは買いたい、食べたい。干し柿は自然の甘さ、“もなか”はそれを絶妙に柚子を使ってドレス・アップしたというモノ。いずれも良い。
その付近、地図には開化天皇陵の表示があるので、アプローチを試みるが、念仏時の境内に入り込んでしまうことになるので、2度目の断念。前回は時間が無くて断念したが、今回もダメだった。後は、セミナー会場へ急ぐ。
今度、機会があれば“ならまち”を散策するつもりだ。

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

« 古代京都観光... | 京都文化博物... » |
コメント |
コメントはありません。 |
![]() |
コメントを投稿する |