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京都文化博物館“ターナー・風景の詩”展と祇園・白川桜の花見

北朝鮮情勢が、非常に流動的になって来た。と言うよりも先が見えなくなって来た。
これまで中国のリーダーシップを嫌った北朝鮮が、今度は逆に急接近を図って来たことに習近平はそれを無条件で受け入れられるのだろうか。無条件でなければ、どのような条件で受け入れるのだろうか。恐らく、その非核化と影響力の回復と維持であろう。だが、その“非核化”の内容に問題があるのは周知のことだ。中国の影響下にある政権のコントロール下にあれば、現状維持でも構わない、という線が中朝両者の一致するところだろうか。
一方では彼等双方にとっては、“朝鮮半島の非核化”は韓国からの米軍の撤退が含まれる。米軍が韓国に駐留する限り、米軍の任意で核を持ち込む可能性があるからだ。北の核は現状のままで、韓国から米運を撤退させることが彼らの言う“非核化”であれば、それは取り分け日本にとっては不都合なことになる。トランプ政権がそれをどの程度受け入れることになるかどうかが、問題の焦点となるかも知れない。北に極めて強硬な人物がトランプ政権に入って来ていることを見ると、その条件にはかなり高いレベルで拒否反応を示すことは考えられる。
だが、それが米軍の軍事行動を伴うものとなるかどうかは、中国が金正恩を受け入れた段階で難しくなったと見るべきだろう。中国が金正恩を受け入れたということは、中国が正恩と共に米国と対峙する道を選んだことになるからだ。これまでは、正恩は中国の影響力を排除して核武装化へ邁進していたが、それが相当なレベルにまで実現したので或いは、それが様々な国際的制裁によって頓挫しつつあるので、今度は中国の影響力を使って米国と対峙する道へと事態を進めることことにしたと見るべきだろう。
となれば中国人民軍の米軍への協力は期待できない。そうなると米軍単独では北攻撃が非核化に効果を挙げるとは言い難い。米軍単独での攻撃は、巡航ミサイルと航空機による攻撃にしか期待できず、地上軍の投入は軍事境界線近傍の北側に限られるからだ。本来地上軍投入の目的は北全土への鎮撫、治安維持のためばかりではなく、北の保有する核兵器の接収管理のために必要なことであり、それが軍事介入本来の目的である。ところが全土制圧の地上軍投入となると莫大な規模とならざるを得ず、そのような余剰戦力は米軍にはないと見て良い。介入に消極的な韓国の助力は期待できまい。従って、現状では米軍単独の軍事介入は所期の目的を達成することはできない。まして、中国が良くて中立的で介入時中朝国境を封鎖するようであればまだましだが、支援的に動くようであれば軍事介入は意味をなさない。
従って、米軍単独又は日韓のみの協力での軍事介入はあり得ない状況になったと見て良いのではないか。しかし、軍事介入という点でのリスクは大幅に低下したと見て良いのではないか。

ここに来て、半島関連外交に日本が絡めないのは米国一極頼みになっていたからだといえる。北との独自のパイプもないのだ。従って、今年に入っての激変に日本は少しもハンドリングできていない。単純な思考の安倍外交の失敗と言わざるを得ないが、これを重く指摘するマスコミは何故か少ない。現状は、当てにならないトランプ氏にすがるだけであり、北側からの提案を待つだけと言う受け身でしかないのだ。そこへこの週末には北の東京オリンピック参加というIOC会長からの情報に、うろたえるばかりの情けない状態なのだ。

まだまだ北からは驚きの発信があると思われるが、私は米朝首脳協議の場所はロシアの沿海州・ハバロフスクかウラジソストックではないかと思っている。金正恩のロシア亡命の鉄道ルートが既に建設されているとの噂が広まったことがあるが、その沿線のどこかと言うのが私の推測だ。正恩氏には鉄道を利用するのが警備上も有利であり、中国一辺倒にならない上でもロシア起用は絶妙と言えるのではないか。事前の露朝会談もあり得るだろう。そうなれば北朝鮮により近く空港施設もあるウラジソストック近郊が、中国開催よりも正恩氏ばかりではなくトランプ氏にとっても良いのではないか。これで蚊帳の外は全く日本だけとなる。安倍氏は素晴らしい国家観をお持ちの唯一の政治家だったはずではないか。韓国の文政権に比べてアホ政権下の単純マヌケ外交では致し方ない。

日本を取り巻く国際情勢は大きく展開したが、国内では元財務官僚への国会証人喚問があった。これでガス抜きを図ったのが政権の思惑だが、果たしてその通りになるのだろうか。恐らく、マスコミの内閣支持率調査結果が近々出るであろうが、その結果が非常に気懸りだ。何故ならば、ここで日本人の現在の民度・文化度が知れるからだ。もし、ここで安倍政権の支持率が上がるようであれば、日本政治の衆愚極まれりと結論せざるを得ない。事件に自殺が絡んでいることを見過ごしてはならない。そんな内閣に“働き方改革”を語る資格は全くない。
それでも、そうなるのならば何故そうなったのか、究明のための日本の心ある文化人・指導層の奮起が望まれるが、さて彼らにそのような危機感や責任感があるかどうか・・・それほどの日本にとっての重大問題ではないか。そうなればそこには21世紀になっても、一向に変われない革新力の乏しい、いよいよ世界に取り残される背骨のない日本の姿がある。


さて、先週は今度は京都に赴いた。行った目的は午後からのIR(企業の広報)が開催されるのに参加するためだったが、午前に何か観光できないかと探したところ、京都文化博物館で、“ターナー・風景の詩”が開催されているのを知って鑑賞に赴きたくなった。このところ物見遊山が多すぎて、“休戦エンタ”ばかりのようだが、春の陽気に御許し頂きたい。
思えば、何故か英国人のターナー絵画の展覧会はあまり機会がなかったように思うのだが、どうだろう。それに比べて仏印象派の絵画展の方が圧倒的に多いのはどういうことだろうか。

私がターナーという画家の存在を知ったのは、高校の英語の文例で“ターナーの絵のような”という一文があったことからであったが、残念ながら具体的にイメージアップできなかった記憶がある。それ以来これまで、ターナー展の確かな記憶がない。従って、私の勝手な想像の中で、ターナーと言えばブルーやグリーンの色調を基調とした透き通った穏やかな風景画をズーッと思い描いていた。今回の展覧会鑑賞・観覧で、そのイメージは大きく変わった。

ターナー展開催の京都文化博物館は過去2~3度来たが、最近は昨秋の“日本近代絵画”展であった。それを思い出しつつ、阪急・烏丸駅から北上して10分程度、赤い煉瓦積みの建物・旧日本銀行京都支店が目標となる。その一角の北側の建物で展覧会は開催されている。
午前の観覧となれば展示が70点ではゆっくりして少しでも油断すれば、時間オーバーとなるので重点志向の鑑賞姿勢としなければならない。音声ガイドは25点を対象としているので、ほぼ音声ガイドの解説のあるものを重点とすれば、適切な時間配分となるのでその方針とした。

最初に出会うのが“マームズベリー修道院”だった。17歳の作品だというが廃墟の修道院を描いている。いわゆる自然風景の絵ではなかった。その後も、建物や都市の遠景などが主題となっている絵画が続いたように思う。ただ、情景を極めて精緻に正確に描いている。特に局部を細かい筆致で手を緩めずに描いているのだ。絵全体を見てそれで、簡単に終わりとはならない。油断すると細部を見落とす部分がある。近景を見て、それで良しとすると遠景を見落としてしまうのだ。鑑賞に油断がならないのだ。そういう点で、見逃さずに全てを鑑賞するとなると非常に疲れることになる。そういえば、ターナーの時代にはカメラはなかった。そういう点での絵画の価値は現代より大きい役割があったのだろう。まして、風景画が旅行案内的役割も果たすとなると、相当精緻で正確な絵画とならざるを得なかったのだろう。ターナーはその点でも天才的筆致を見せている。

展示の構成は次のようである。
第1章 地誌的風景画
第2章 海景―海洋国家に生きて
第3章 イタリヤ―古代への憧れ
第4章 山岳―あたらな景観美をさがして
第5章 ターナーの版画作品

この精緻な筆致は、第2章 海景での様々な波の状態についても写真で切り取ったような描き方をしている点で驚嘆する。驚くべきはその動体視力である。日本の北斎の波は正確性・精緻性よりもそのデザイン性において優れているが、ターナーはそれとは違って写真のように精確にしかも劇的に一瞬を捉えているので、息を飲んでしまう。ある画風ではドラマティックを強調する絵が流行った時代もあるが、ターナーは一切盛ることはなく、自然さに徹しているのであくどさは感じない。しかし、そこにはターナーの主張は十分に感じられるのだ。
そしてここまでの絵画の色調もブルーやグリーンを基調としていないものばかりで、それは海景においても言え、それが返って写実性を増して迫ってくる。海の嵐では、当然青空はないので空も海も白黒グレーだが、船やそれを必死に操る人物は鮮やかに写実されていて、そこにドラマを感じるようになっている。その光景がこの展覧会のポスターに採用されている。

ターナーまでは山岳を絵画のテーマにすることはなかったという。山岳は単に交通を妨げるものであって、絵画の主題とする意識は人々にはなかったとの解説があった。そういう点で、ターナーが風景画家であるという既成概念が出来上がったのかもしれない。
精緻な絵画ばかりかと思えば、霧の中のような風景画もあったように思う。そういう点で、あらゆる絵画のありようをターナー自身は探求していたのかもしれない。
本の挿絵になる小さな原画も多い。そこには本に添える版画も並べて展示されているのも多い。ターナーは版画が完成するまで彫師とも十分に打合せをしたとあるが、やはり大抵は原画と版画では趣きが変わっている点は見逃せない。しかし絵が小さければ小さいほど精緻に描かれていて ターナーの特徴は失われていない。遠景も強調せずとも精緻さは失わないようにしている。そうした挿絵の分厚い本の展示もあった。

ターナーは単なる風景画家ではなく、それまでの西洋絵画の集約点であり、その後の近代画のあらゆる源流ではないかと感嘆した次第である。どうやらロマン主義に分類のようだが、私は超写実主義と冠したらどうかと思う。それにも拘わらず、日本ではあまり人気がないのは何故であろう。

ターナーを見終わって、昼近くなって、空腹感が増して来る。丁度良い加減の腹具合だ。錦市場方面へ南下。途中で、あらかじめ食べログで調べた“冨美家”に飛び込む。京の町屋らしく、奥に細長い。既に、万来の客だが未だ入る余地はあった。1人だったので、手前道路側のカウンター席に案内される。右隣は中国人の女性観光客2人が上品な感じで食べていた。左隣は若い男性客1人だった。
看板商品である“冨美家鍋”を頼む。鍋焼きうどんだが、690円とは良いコスパ。既に、急激な暖かさだったが、期待していたので注文した。やっぱりもう少し寒い時期に食べるべきもの。鍋が到着し、蓋を持ち去られると、未だぐつぐつと沸騰していてたまげる。熱いので味わう余裕もない。フーフーしながら、先ずうどんや餅を食べる。その内に、透明だった玉子の白身が白くなって来た。海老天のころもを蓮華でかき集めすくい上げながら食べる。するとやがて残念な細い海老の姿があらわになった。まぁ良過ぎるコスパの結果で仕方あるまい。
後で、ホームページを確認すると、このお店、元は甘味処で何か商品開発しようと先ずは鍋焼きうどんに進出。その際、出汁を重視し、今日に至っているという。さすがに京風の出汁と思っていたが、京都の庶民が支える味だったのだ。

その後、直ちに祇園白川と思ったが、IRまで1時間以内だったので、近くの百貨店・大丸で京・漬物を買いに入る。“ゆず長いも”と“なのはな漬け”を買う。甘味よりは、健康にはましだろう。

IRは話すほどでもなかったので、ここでは省略したい。3時過ぎ飛び出して祇園白川へ。春の京都、人出は多い。結構なことだ。さすがに祇園白川の人出は多い。英語よりもフランス語風が多いように思う。奈良もそうだったが、アングロサクソンは日本の風情には、あまり関心がないのだろうか。狭い街の一角なので、霞か雲かというようには見えないので満足という程でもないが、人出にはふさわしい桜の様子を一通り眺めて、予定通り一足早目に帰神した。

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