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宇宙論を読んで

このところ、“宇宙論”を少々お勉強していた。お勉強と言っても入門の新書を高々2冊読んだ程度だ。さすがに、ここに至ると いよいよISOマネジメントから遠ざかった印象だが、それでもなお環境マネジメントに関るものならば、自然界の掟を知ることは意義深い、との言い逃れは可能である。その自然界の掟の究極が“宇宙論”である。ISOマネジメントで環境を取り込めばこうなる。品質を言えば、経営学から、経済学、ファイナンス等々へ、さらに組織論から法学、政治学へと社会科学全般が関わって来る。要するに、環境や品質マネジメントを言うのならば 森羅万象何でも テーマになり得る。視野を広く取ることで、様々な事象の本質を見誤らないことが重要で、ISOマネジメントを考える上で、取り分け審査やコンサルタントを適切に行うためには、その姿勢は不可欠なことだと信じている。

自然界への認識で、宇宙論は百数十億年のオーダのもの(137億年)であり、地球科学(地学)となれば、それが数十億年から数億年(46億年)になり、人間進化論で言えば数百万年(600万年)となり、その人間と気候との関わりにおける気候学で言えば数百万年から数十万年のスパンとなって来る。こういう目で 現在信じられている地球温暖化論を見れば、その近視眼性が透けて見えて来る。そう、宇宙の成立ちが理解できれば あの放射能への見方も変わってくる。放射能は“ヒト”に対し絶対的に0でなければ有害であるという“科学者”の言説が、如何に非科学的なものであるかも分ってくる。人は何らかの自己利益のために言説を為しているものだと、思うべきである。視野を広く取り、その事象の由来、来歴を知ることで、その本質を見誤るリスクを小さくできることが分かって来る。その点で、自然認識の基礎としての“宇宙論”は外せないものだ。何故なら、“宇宙論”は 自然科学の基礎たる物理学と表裏一体なのだから。

現代の“宇宙論”はどこまで認識が進んでいるのか。実は、そんな理由でと言うより、ほんの気紛れで書店で“ざっくりわかる宇宙論”(竹内薫著・ちくま新書)という標題にひかれて、衝動買いしてしまっただけ。とは言うものの、潜在意識には先に書いたような思いがあったのかも知れない。そして、“ざっくり”読んでみても 今一すっきりしないので、もう少し踏み込もうとしたのが“インフレーション宇宙論―ビッグバンの前に何が起こったのか”(佐藤勝彦著・ブルーバックス)であった。

実を 言うと現代物理学を素人向けに説いた本を読むのは、高校以来である。物理学を本当に理解するには、数式を読まなければならないが、多くの入門書は 数式を省略して、感覚的に説明している。それが、場合によっては正確な理解を妨げていることもある。生意気な言い方のように聞こえるかも知れないが、入門書では そういうもどかしさを抱えながら読み進めなければならない。だからと言って、いきなり数式を見せられたところで、鬱陶しさが先立ってしまい、理解障害を引き起こすということも当然ある。数式トレースのちょっとしたミスで、数字や符号の正負を間違え、焦燥感に襲われ、そこから一歩も進めないこともある。数式理解への頃合は、読む側の脳力によって大きく異なるという厄介さが こう言った理科系の入門書にはつきまとっている。従い、高校以来、こうした入門書を読まなかったのだと、始めて気付いた。

“ざっくりわかる宇宙論”では、感覚的に理解できるように、構成は巧みだ。先ず冒頭に、宇宙が膨張していることについての記述がある。アインシュタインすら静止的なものと考えていた宇宙観を、現代人の常識として否定したところから、それとなく読者の潜在意識に植えつけている。その上で、“クラッシックな宇宙論”としてコペルニクスやガリレオの活動を説明している。そして太陽系惑星の軌道を法則化したケプラーから、それら全てをニュートンが方程式で導き出せるようにしたという一般常識の“おさらい”となる。
次にニュートンから、アインシュタインの方程式へと話は飛ぶ。ここから相対論が登場し、それが現代宇宙論の基礎になるのだが、このあたりからいよいよ理解しづらくなる。著者の言葉によると“天体と時空が一緒に手を取り合って変化していく・・・。それまで、単なる背景にあるコトにすぎなかった時空が、曲がって、その曲がりに沿ってモノである天体が移動する。”となって行く??・・・
そして相対論の方程式のΛ(ラムダ)定数[宇宙定数]がテーマとなる。ところが、これが理論上 一旦否定され、アインシュタイン自身が“生涯最大の過ち”とした。しかし後に 更にこれが復活する、というのだが、どうにも簡単に理解できない。
このあたりから、宇宙論者コスモロジストの常識としてのビッグバンが話題になる。実は、このビッグバン後もそのまま単純に宇宙は膨張したのではないと言う。このあたりのことも、この本からでは分かりづらいと言うのが第一印象であった。当初は、光子も閉じ込められた量子宇宙。これが“暗黒エネルギー”等によって、膨張(インフレーション)する宇宙となった。そのインフレーションが止まって、潜熱が発生し高熱となってビッグバンに至ったというもの。そして、今の定説では暗黒エネルギーによって宇宙は加速膨張している。・・・との“お話”。さらには奇想天外の現代物理の学説へと解説は続く。

この本ではコラムにある“宇宙図”が結構容易に理解できた。文科省のホームページにある“宇宙図”も紹介されていたが、むしろこの本の方が分り易い。その宇宙の誕生から膨張過程が、下から放射線状の稜線になって広がっている円錐立体図である。この稜線が宇宙の果てで、そこから来る光(電磁波)が観測できれば、宇宙の創生を見ることができる。

読み終えて、その筋道はぼんやり認識できたように思うが、それが本当の“理解”という、くっきりした知識の獲得となったのかとなると、極めて疑わしい。そこで2冊目に取り掛かった。
“ざっくりわかる宇宙論”の著者竹内氏は、“アマチュア科学者<兼>アマチュア作家”と自称しているが、“インフレーション宇宙論”の著者・佐藤氏は、まさしく“インフレーション理論”を世界で最初に提唱した物理学者の案内書である。勿論、両書の内容は重複・並行しており、同じ事が少し異なる言い回しで書かれているが、やはり“インフレーション宇宙論”の方が 一歩突っ込んで説明してくれている。私の脳力では、同じようなことを“おさらい”して ようやく何となく腑に落ちる程度の自己満足に至ることができる。“ざっくり”と概要イメージを作り、“インフレーション論”で一歩突っ込む、これで読むべき本の順序は誤らなかったように思う。

さて、“インフレーション宇宙論”では、ビッグバンの最初の火の玉宇宙(量子宇宙)の形成に、“インフレーション論”が、回答を与えたのだという。宇宙(時空)の誕生時、その空間自体が真空のエネルギーを持っていて、そのエネルギーが斥力として働き、空間を押し広げ、急速な温度低下を招いた。すると、真空自体が相転移(水・液体→氷・固体になるように)し、そこで潜熱が発生し、宇宙は火の玉になった*、と言うのである。さらに、そのインフレーションの前、宇宙(時空)の誕生については“ビレンケンやホーキングらのように量子論的なことを考えると、宇宙が無からつくられるという議論もできる”と両学説を紹介している。

*この肝心な部分を私は理解できていない。“空間を押し広げる”とはいわば、エントロピーが増大する過程であり、それは水→氷ではなく、逆の氷→水→水蒸気となる過程であり、その各相転移では潜熱は吸収され温度は低下するのであり、火の玉にはならないという疑問だ。こういう議論では、多分複雑な計算の組合せによって厳密解がなされるのであろうが、初歩の“お話”ではここが限界だろうか。それとも この簡単な筋書きの何かを私が見落としているのであろうか。

そして、その真空エネルギー自体は、直接的には観測されないので“暗黒(ダーク)エネルギー”と呼ばれるのだが、膨大な観測データをコンピュータ処理することで、その存在が確認され、その結果、アインシュタインの方程式のΛ(ラムダ)定数[宇宙定数]は復活したのだとの説明で、ようやく少し腑に落ちたような気がした。
当初ビッグバン後の宇宙の膨張は慣性によるもののため、やがて膨張速度は減速されるものと思われていたが、観測事実は逆で 60億年前に始まった“第2のインフレーション”と言える加速膨張の状態、とのこと。それが、“偶然にも、人類が出現するのにちょうどよい”時期と合致しているが、何故そうなったのか不明で、それが「偶然性問題」という大きな課題になっているとのことである。恐らく、ここで言う“人類の出現”とは、時期的に地球誕生の46億年を言っているのだろうが、それと“第2のインフレーション”の関連性は 具体的に説明してくれてはいない。
ただ、宇宙は英語でUNIVERSE(ひとつの宇宙)だが、実は 理論上はMULTIVERSE(多数の宇宙)だというのが通説。そうならば、この我々の宇宙が“偶然にも、人類が出現するのにちょうどよい”ものとしても当然だろう、と説明している。
このMULTIVERSE論から、“超ひも理論”、“ワームホール”、“ブレーン(膜宇宙)”、“平行宇宙論”、“11次元”等々の学説が登場し、この本では概要を簡単に説明してくれている。勿論、これらの“お話”は、例えばジュネーブ郊外の巨大な実験装置(LHC:大型ハドロン加速器)等で確認実験が行われているということである。当然、成功すればノーベル賞。

まさに、こうして登場した“お話”は多くの思考制約条件下にあるにも関わらず、いや むしろその制約条件に厳密に従って構築されており、私のような物理学不案内人には奇想天外であって、人間の思弁、想像力は果てしないものであると今更ながら驚嘆した次第である。特に、次元が異なる世界があるということは、実は ごく身近の鼻先に全く違う世界(宇宙)が展開している可能性を示すものだという“学説”には、心底ゾクッ!とさせられるものがある。そういう“お話”の先には、“霊魂の世界”があるのだろうかという“知的誘惑”に駆られる。
だが、“それは形而上学の問題であり、物理学や宇宙論が扱う話題”ではないと竹内氏言っているし、また佐藤氏は英人科学哲学者カール・ポパーの言葉として“観測や実験によって反証可能な予測でなければ、いい理論ではない”とも指摘している。まさに“子曰く、怪力乱神を語らず”と戒めるべきである。古代から現代に至るまで、科学の真髄が、形而上学と不即不離のきわどい関係にあり、この両者の隙間から いつの世にも迷信や虚偽が生じる余地があるのだと改めて思い知らされたのである。

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