The Rest Room of ISO Management
ISO休戦
優秀なサラリーマンの上司への「報告」
東京に 私より1歳年長で、既に リタイヤ生活に入った人がいます。先日 この人と お会いしてお話する機会がありました。
この時は 優秀な人の一般的性向について話題になりました。つまり、仕事が予期せぬトラブルに見舞われた場合優秀な人は 大抵は 自分のできる範囲内で処理してしまう傾向にあるものだ、ということでした。
私の最近の経験ですが、会社の総務部長としている仕事が 計画を狂わせる方向に転回して行ってしまったので、そのことを、私は経営トップに報告しようとしたところ、その部長は 逆上し、“オマエは 報告して責任を回避する気か?!それで どうなるのだ!!!”と怒鳴り始める始末。私は びっくり仰天したことがあったのです。
この総務部長 一流と言われる国立大学から有名都市銀行出身で 海外勤務経験もあるという 衆目が一致する優秀な人物。
私は この1件を 東京の知人に ボヤキつつ話題として持ち出したのです。仕事が思わぬ方向に行って 全体計画に大きな影響を及ぼす可能性のある場合は 上司に報告し、これから対処しようとしていること、計画への影響の有無を説明するものだと 私は思い込んでいたものでした。これは 間違いなくサラリーマン心得の第一です。
ですが それは 上司がまともな場合です。確かに、そうです。上司が まともでない場合、変な宿題が出て 仕事の混乱に輪をかけるのは火を見るより明らかだったのです。そこで、私と 優秀な人との判断が分かれたのです。私は 仕事が混乱しようが どうなろうが、報告はしようと 考えたのですが、優秀な部長は 自分でトラブルを回避することができるとの自信があるため、混乱を招くような報告はしたくなかったのだ、と知人は言うのです。
その知人も 投資銀行の行員だった人で、役所に出向の経験があり、そこで幾人もの 東大出身の優秀な官僚を見てきたそうです。その人達は どんな仕事でも 自分で抱え込んで 処理していたそうです。優秀で 人生に挫折を経験したことが無い人は トラブルに遭遇しても“必ず自分の力だけで処理できる”ものと思い込んでいて、また それが実際可能であったため、そういう自信を助長しているのだと 思ったそうです。
ですが 私は それが有能で優秀な サラリーマンの習性であるとすれば 非常に問題だと思うのです。
銀行や 商社での不祥事の多くが 失敗を報告もせず、リカバリーを自分で抱え込んで 結局リカバリーできず、損失が大きくなってしまい 大問題になるという事件が 何度も繰り返し起こっています。その当事者の精神的背景に こういった“自分の力だけで処理できる”という自信過剰というか 思い込みにあるとすれば 繰り返される不祥事の理由を 理解できないこともありません。
さて、私の遭遇した問題は 私自身が何とか他に手立てを見つけ 回避することができました。
スケジュールに若干の遅れが生じただけで 無事 計画を軌道に乗せつつあります。お蔭で、上司に 報告することによる 混乱や支障は一切ありませんでした。今回のトラブルは 結果的に上司報告なしに 幸いにも 事無きを得ました。相棒の 総務部長のやり方が 結果的に正しかったように見えます。
上司の経営トップには 計画の若干の遅れは 自体も報告していません。このため 上司は 生じたトラブルを一切承知していません。理解のない上司には、無用な報告は するべきではないのでしょうか。ですが、私は 上司が どうであろうと 報告はしておくべきだと思います。自己のみでの処理が 不能になった場合 自分の問題でない場合でも責任の全てが自分に かかって来るからです。上司報告により仕事が 複雑になり面倒な処置が 必要になったとしても、“報告”はするべきです。それが サラリーマンのリスク・マネジメントだと思います。
ですが このコミュニケーションの欠落については上司たる者の部下掌握力、マネジメント力が問われます。
優秀な部下は 処理能力が有り、その部下に頼って “仕事をした”かのような気になっている“上司”が いるとすれば非常に問題です。
今回のように私の経験した事件では トラブルがあったことすら 上司は知ることなく 無事 過ごしています。
このように “無能”というか むしろ“邪魔な存在”と部下に思われた“上司”は “上司”としての適切な役割・機能を ますます果たせなくなり、自分のビジネス実態の把握は 不可能に陥って行くのです。
適時適切な コミュニケーションや 事業内容を理解した適切なリーダーシップ(指導力)を発揮できず、現場感覚のない人は まして経営者としては、全くの適性を欠いているとしか言いようがありません。

この時は 優秀な人の一般的性向について話題になりました。つまり、仕事が予期せぬトラブルに見舞われた場合優秀な人は 大抵は 自分のできる範囲内で処理してしまう傾向にあるものだ、ということでした。
私の最近の経験ですが、会社の総務部長としている仕事が 計画を狂わせる方向に転回して行ってしまったので、そのことを、私は経営トップに報告しようとしたところ、その部長は 逆上し、“オマエは 報告して責任を回避する気か?!それで どうなるのだ!!!”と怒鳴り始める始末。私は びっくり仰天したことがあったのです。
この総務部長 一流と言われる国立大学から有名都市銀行出身で 海外勤務経験もあるという 衆目が一致する優秀な人物。
私は この1件を 東京の知人に ボヤキつつ話題として持ち出したのです。仕事が思わぬ方向に行って 全体計画に大きな影響を及ぼす可能性のある場合は 上司に報告し、これから対処しようとしていること、計画への影響の有無を説明するものだと 私は思い込んでいたものでした。これは 間違いなくサラリーマン心得の第一です。
ですが それは 上司がまともな場合です。確かに、そうです。上司が まともでない場合、変な宿題が出て 仕事の混乱に輪をかけるのは火を見るより明らかだったのです。そこで、私と 優秀な人との判断が分かれたのです。私は 仕事が混乱しようが どうなろうが、報告はしようと 考えたのですが、優秀な部長は 自分でトラブルを回避することができるとの自信があるため、混乱を招くような報告はしたくなかったのだ、と知人は言うのです。
その知人も 投資銀行の行員だった人で、役所に出向の経験があり、そこで幾人もの 東大出身の優秀な官僚を見てきたそうです。その人達は どんな仕事でも 自分で抱え込んで 処理していたそうです。優秀で 人生に挫折を経験したことが無い人は トラブルに遭遇しても“必ず自分の力だけで処理できる”ものと思い込んでいて、また それが実際可能であったため、そういう自信を助長しているのだと 思ったそうです。
ですが 私は それが有能で優秀な サラリーマンの習性であるとすれば 非常に問題だと思うのです。
銀行や 商社での不祥事の多くが 失敗を報告もせず、リカバリーを自分で抱え込んで 結局リカバリーできず、損失が大きくなってしまい 大問題になるという事件が 何度も繰り返し起こっています。その当事者の精神的背景に こういった“自分の力だけで処理できる”という自信過剰というか 思い込みにあるとすれば 繰り返される不祥事の理由を 理解できないこともありません。
さて、私の遭遇した問題は 私自身が何とか他に手立てを見つけ 回避することができました。
スケジュールに若干の遅れが生じただけで 無事 計画を軌道に乗せつつあります。お蔭で、上司に 報告することによる 混乱や支障は一切ありませんでした。今回のトラブルは 結果的に上司報告なしに 幸いにも 事無きを得ました。相棒の 総務部長のやり方が 結果的に正しかったように見えます。
上司の経営トップには 計画の若干の遅れは 自体も報告していません。このため 上司は 生じたトラブルを一切承知していません。理解のない上司には、無用な報告は するべきではないのでしょうか。ですが、私は 上司が どうであろうと 報告はしておくべきだと思います。自己のみでの処理が 不能になった場合 自分の問題でない場合でも責任の全てが自分に かかって来るからです。上司報告により仕事が 複雑になり面倒な処置が 必要になったとしても、“報告”はするべきです。それが サラリーマンのリスク・マネジメントだと思います。
ですが このコミュニケーションの欠落については上司たる者の部下掌握力、マネジメント力が問われます。
優秀な部下は 処理能力が有り、その部下に頼って “仕事をした”かのような気になっている“上司”が いるとすれば非常に問題です。
今回のように私の経験した事件では トラブルがあったことすら 上司は知ることなく 無事 過ごしています。
このように “無能”というか むしろ“邪魔な存在”と部下に思われた“上司”は “上司”としての適切な役割・機能を ますます果たせなくなり、自分のビジネス実態の把握は 不可能に陥って行くのです。
適時適切な コミュニケーションや 事業内容を理解した適切なリーダーシップ(指導力)を発揮できず、現場感覚のない人は まして経営者としては、全くの適性を欠いているとしか言いようがありません。

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